"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“被災地に響いた歌声”

2011-06-22 21:55:16 | 日記

致知』メールマガジンからの転記です。

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       「被災地に響いた歌声」               

             鈴木秀子(文学博士)     

            『致知』2011年7月号

            「人生を照らす言葉」より            

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■地鳴りの中で静かに響いてきた歌声

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 一九九五年の阪神・淡路大震災の時のことです。

 地震発生時、Kさんはまだ布団の中にいました。

 

 突然の激震。あっと思う間もなく家は大きく崩れ、

 同じ部屋に寝ていた奥さんとの間に

 ドーンと何かが崩れ落ちてきて

 夫婦は身動きが取れなくなりました。

 

 Kさんは大きな声で隣にいる奥さんに声を掛けました。

 

 しかし返事はありません。

 

 続いて別の部屋で寝ていた

 幼い二人の子供たちの名前を呼びましたが、

 やはり何の反応もありませんでした。

 

 Kさんは必死になって家族一人ひとりの名前を呼び続けました。

 声を枯らして叫び続けましたが、

 やがて力尽きていくのを感じました。

 

 目の前で起きた出来事の重大さが

 分かってくるにつれて心が茫然となり、

 声を出そうという気力すら失せていったのです。

 

 やがて気を取り直したKさんは、

 再び気力を奮い起こして、何度も何度も

 傍にいるはずの奥さんの名前を呼びました。

 

 それでも、反応はありません。

  

「やはり駄目だったか」

 

 

 Kさんは心の中で呟きました。 

  

 どのくらい時間がたったのでしょう。

 

 諦めかけたKさんの耳に入ってきたものがありました。

 

 余震の地鳴りの音にかき消されて

 はっきりは聞き取れないものの、

 それは明らかに奥さんの声でした。

 

 かすかな声で何かを歌っているようです。

 

 耳を澄まして聞いているうちに、

 それが「故郷」であることが分かってきました。

  

  兎追いしかの山

  小鮒釣りしかの川

  夢は今もめぐりて

  忘れがたき故郷

 

 

  如何にいます父母

  恙(つつが)なしや友がき

  雨に風につけても

  思いいずる故郷

  

  こころざしをはたして

  いつの日にか帰らん

  山はあおき故郷

  水は清き故郷

 

 

 奥さんは声楽科を出ていて、

 時折舞台でも歌声を披露していたのです。

 おそらく朦朧とした意識の中で、

 この歌を口ずさんでいたのでしょう。

 

 最初は喘ぐかのように細々としていた歌声は、

 やがて生きようという

 ひたむきな歌声に変わっていきました。

 

 地響きの音が消えた静寂の中、

 瓦礫の中に差し込んできた

 一条の朝日に照らされて聞こえてくる歌声は、

 まるで大宇宙を満たしているかのようだったといいます。 

 

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■こころざしとは自分の生を輝かせること

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歌声は何度も繰り返されました。

 

 そして「如何にいます父母」という言葉に差し掛かった時、

 Kさんは不思議な感覚に包まれました。

 亡くなったそれぞれの両親が

 突然目の前に現れたかのように感じたのです。

 

 それはあまりにはっきりした感覚で、

 まるで全身を火の矢で射抜かれたかのような衝撃でした。

  

「ああ、両親が助けに来てくれたんだ。

  瓦礫から守ってくれただけでなく、

  いつも見守ってくれていて、

  この世を生きていく上での重石やしがらみを

  取り去ってくれているんだ」

 

 

 そう思うと、涙がポロポロと流れました。

 

 奥さんの歌はやがて三番の歌詞に移っていきます。

  

 「こころざしをはたして、いつの日にか帰らん」。

 

 

 Kさんは、自分が人生の旅路を終えて

 どこに帰るのかと考えた時、

 それは父母のいるところだと理屈抜きに理解しました。

 

 そして「こころざし」というのは立身出世のことではない。

 この世にいて自分の生を輝かせることだ、

 愛を持って生きることだとはっきりと気づくのです。

 

 Kさんは瓦礫の中にあって悟りにも似た確信を得ました。

 人間は誰しも大宇宙に生かされた存在であり、

 自分も奥さんも亡くなった両親も、

 ともに深いところで命という絆で結ばれていること、

 生きているうちに身につけた地位や財産は儚く消え去り、

 この世の生を全うした後は魂の故郷に帰っていくということ……。

 

 Kさんは奥さんの歌声に引き込まれるかのように

 自分も一緒に歌い始めました。

 最初は小声で歌っていたものの、

 奥さんがKさんの歌声に気づいて

 一緒に調子を合わせ始めたことに気づくと、

 力いっぱいに歌うようになりました。

 

 二人の合唱は瓦礫の壁を突き破るかのように響き、

 間もなく二人は救助されるのです。

 

 残念なことに二人の子供たちは命を失っていました。

 しかしKさんは私にはっきりとこうおっしゃったのです。

  

 「たしかに悲しいことですが、子供たちは

  自分の使命を終えて魂の故郷に帰っていったのだと思います。

  子供たちは、人間というものは永遠の世界に向かって

  旅を続けている存在であることを

  命に替えて私たちに教えてくれたのです」と。

 

  Kさんは「故郷」の歌で子供たちを天国に送り、

 亡くなった子供たちの分まで命を輝かせて生きることを

 奥さんと誓いながら明るく生きておられます。

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日本でも世界でも、まだまだ様々なことが起きて行くのかも知れません。

でも、どんな場面でも、絶対に希望を失わないこと。

その先に、光は必ずあるのだと信じます。

 

 “「こころざし」というのは立身出世のことではない。

 この世にいて自分の生を輝かせることだ、

 愛を持って生きること”

 

 大切にして行きたい言葉だと思います。

動きの取れない瓦礫の中で、奥さんとKさんが、心を合わせて歌った「故郷」、魂を揺さぶられます。

 


“日本民族、どっこい生きてきた” 

2011-06-22 03:46:12 | 日記

 『致知』(http://www.chichi.co.jp/leader/nakajyou.html)7月号より、

アサヒビール名誉顧問 中條高徳さんの言葉です。

 

いつもメールでお送り頂いている「人間力メルマガ」より転載させて頂きます。

 

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       「日本民族、どっこい生きてきた」 中條高徳

                                            

 日本はいまなお

 地震・津波・原発事故の三重苦ともいうべき

 悲劇の連鎖の中にある。

 

         (略)

 

 時の政府中枢から「暴力装置」とまで言われた

 自衛隊十万余の大活躍はすべての国民の胸を打った。

 

 石巻市などでは腰まで泥水に浸かって黙々と避難者を救い出し、

 遺体を収容し、食事は乾パンと缶詰、風呂もなかなか入れず、

 寒風に野宿という過酷な状況下で活動をする勇士たちに、

 全国民から感動と感謝の渦が巻き起こった。

 

 また、約二万人の米軍人が参加した

 「トモダチ作戦」も見事であり、

 水浸しになっていた仙台空港などに

 強襲揚陸艦エセックスを派遣してたちまち復旧し、

 その威力を発揮したことは心強い限りであった。

 

 南三陸町では、防災担当の遠藤未希さんが

 町民に津波の襲来を告げ続けながら、

 我が身は波にさらわれ散ってしまった。

 

 昨夏結婚し、秋には披露宴を行うため

 花嫁衣装なども整えていたという。

 

 壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町でも、

 住民の避難誘導中に半鐘を打ち続け、

 あるいは水門を閉めに向かった消防隊員ら

 十一人も犠牲になった。

 

 危険は感じつつも「公」のため「義」のため、

 多くの方々が役割に敢然と殉じた。

 

      * *

 

 その日、児童の七割が犠牲になった石巻市の大川小学校では、

 合同慰霊祭が行われた。

 八十四人の先生や児童の遺影が

 皆笑顔だったのが切なさを増した。

 この世の出来事かと疑う。

 

 同じ石巻市の渡波小学校では

 一か月遅れの卒業式が行われた。

 

 人気者のK君がいない。

 迎えに来た家族と帰宅して波にさらわれた。

 

 K君の親友は悩んだ末、黄色のポロシャツで式に出た。

 亡くなったK君や制服のない児童のことを思い、

 制服での出席を断念したという。

 

 悲劇の大きさは、こんな子供にも惻隠の情をもたらしたのだ。

 

      * *

 

 元キャンディーズで女優の田中好子さんががんと闘い、

 命絶えんとする時、肉声で、

 

 

「被災された皆様のことを思うと心が破裂するように痛み、

 ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです」

 

「必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います」

 

 

 と息も絶え絶えに語ってこの世を去った。

 

      * *

 

 このような我が民族の自制心を忘れず、

 しかも事にあたり我が身を顧みない勇気、

 そして強いコミュニティ精神などに対して、

 外電は世界各国の賛辞を次々と報じている。

 

 豊かになるとともに我が民族にはびこっていた絆の乱れ、

 個の主張の虜になって無縁社会が到来し始めていた。

 

 この大きな災難がその生き様の綻びを気づかせてくれた。

 

 所詮、人間は一人では生きられないという

 「生きる理」を教えてくれたのだ。

 

 まさに先人の説く通り、

 「逆境は神の恩寵的試練」であった。

 

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311の後、こちらスペインでも、現地社員や多くのお客様からお見舞いを頂きました。

一度、名刺交換をしただけの方々からもメールや電話を頂いたりして、大変ありがたく思いました。

 

そして、その中に必ずあったのが、

“あのような状況の中で、冷静に協力し合う日本の人々の姿に驚いた”

という言葉でした。

 

それに続けて、

“そのような国だから、必ず今回の震災を乗り越えることが出来ると確信している”

という言葉を頂きました。

 

NHK連続テレビ小説「おひさま」を見ています。

そこにも、大変な状況の中で、協力し合いながら必死に生きる当時の日本人の姿を見ます。