生きる力・勇気・志――「ブッダの言葉」を中心に

大阪の禅寺 天正寺住職 佐々木奘堂(じょうどう)のブログです。人間が本来もっている自由で活発な身心を探求していきます。

♪奇妙なんかじゃなくて♪ーー本当の奇妙・レジェンドとは?

2012年09月02日 | 「ブッダの言葉」序
ボルトの言葉を紹介し、
「day in day out sacrifice」
(来る日も来る日も、自分のすべてをささげる)
という生きる姿勢自体が、レジェンドなのでは、と書きました。

「奇跡(ミラクル)」をめぐって、少し書きます。

フィンランド大使館の人も知っているという
「フィンランド・ミラクル」という歌があります。
「んんんまなつぅううう」でお馴染みの
向田茉夏さんらが 歌っている曲です。
(と、スマスマで、草薙君が言ってました。)

♪ フィンランドの湖には、恋が叶うレジェンドがある、
って聞いた ♪ で始まります。

フィンランドの湖に、恋を叶える女神さまが住んでいるのだそうです。

フィンランドまで出かけて行って、
その女神さまに、お願いをしたら、願いが叶うのでしょうか?

ですが、この歌の主人公は、フィンランドまで行けません。

歌の二番は次のように始まります。

♪ フィンランドの湖には、行けないけど、
ネット上で見つけた ♪

見たところ、普通の湖なのだそうです。

ネットで、そのフィンランドの湖を眺めているうちに、
彼女は本当のことに気づきます。

♪ 眺めていて、気づいた。本当のことを。
奇跡なんかじゃなくて、勇気がレジェンドなんだ。
誰の心にもある ♪

私は、この「奇跡なんかじゃなくて」のフレーズが、
すごい気に入りました。
これは実に大事なことだと思います。

本当に大事なことは、「いわゆる奇跡」が起こるかどうか
ではないと思います。

「いわゆる奇跡」とは、超常現象みたいのが起こるとか、
女神さまや仏さまなどに、願をかけたら、それが叶うとか…

そのような、いわゆる奇跡に関しては、
本当のことは、 「奇跡なんかじゃなくて」と、
はっきり気づくことが、 すごい大事なことだと、私は思います。

西田幾多郎(ものすごい禅の修行をした日本最高の哲学者)も、
同様のことを言っています。

西田は、キリストの教えを極めて高く評価して、
「キリストの宗教的洞察の深遠なる、数千年後の今日なお生気凛々、
その一言一句、いよいよ考 うればいよいよ深く、
余輩ついに彼が精神の一端をも伺い得ざるなり」
と言っているくらいです。
私も、キリストの言葉は、西田と同様に思って います。
本当に、キリストの言葉をかみしめれば、かみしめるほど、
ますます深く、その一端、ごくわずかさえ、
理解できていないと感じます。

そのようにキリストの言葉、キリストの神性を深くうけがう
西田だからこそ、キリスト教の宣教師たちが、
「幼稚なる伝説」や「奇跡」で、キリ ストの神性を
証明・説明しようとしていることに憤慨しています。

西田は次のように言っています。

「余は一概に奇跡を排斥する者にあらずといえども、
キリストの神性は、その他の深き意義によりて
充分に証明せられるにあらずや。

奇跡のごと きをもってこれを証せんとするは、
賄賂をもって人心を動かさんと欲するがごとく、
る劣これよりはなはだしきはなし。」
(る劣とは、卑しく 劣っていること。)

西田は、まさに、「奇跡なんかじゃなくて」を、
強烈に述べていますね。
「わいろ」と同じようなものだ、というのです。
もちろん、「伝説」と 言い換えればよいものでなく、
「幼稚なる伝説」も同様に劣悪ですね。

では、「奇跡なんかじゃなくて」「伝説なんかじゃなくて」、
本当のことは何なのでしょう?

この問題に、日本人で最も深く取り組んだ人は、
親鸞上人と法然上人かな、と私は思えています。

その舞台は、「王舎城」なのです。
私は、今その王舎城で、この文章を書いています。
コメント (2)
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