河村龍一の「月の癒し」~銀河鉄道の夜

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「被災地を後にして」

2015-11-25 23:49:31 | 日記

今宵、河村龍一の銀河鉄道に訪問者されて頂き、ありがとうございます。

 

私は今、旅の途中ですが、被災地の石巻市や勤務先の女川町でお会いした人々の忘れられない言葉が浮かんできました。

 

「生まれて初めて泣いたよ。本当につらかった……津波では助かったけど、逃げるときに胸までつかった水の寒さでやられたのさ」

 

常に笑顔を絶やしたことのない番頭さんでしたが、この日は車を運転中に目をうるませながら語っていました。

私が勤めていた女川町の観光ホテルの番頭さんも、3・11でお母さんを失ってしまったそうです。

 

当時、女川町は津波の直撃を受けてしまい、町全体がほぼ壊滅状態だったという。

その直後の状況についてはこのブログでも写真で紹介したとおりですが、津波が渦巻きながら町のほとんどの建物をのみ込んでいく光景に、その非現実的な画像を初めて見た私は、筆舌しがたい自然の猛威に戦慄が走りました。

 

かろうじて、津波から逃げ切った番頭さんのご両親は、流されていく自宅から避難場所の体育館までの間、胸までつかってしまった水の中を泳ぐように避難したが、高年齢ということもあり番頭さんのお母さんはその後、低体温症が原因で避難先の体育館で死亡したとのこと。

 

3・11当時、番頭さんは山形まで出張していたために運よく被災しなかったのですが……当日の夜、急遽仕事先から引き返して女川町の体育館でお母さんのご遺体と対面したとき、こみ上げてくる悲しみに耐えきれず、声を出して大泣きしたそうです。

 

当時の状況を訊いていた私も声がつまり、暫し、沈黙の時間が続きました。

「大丈夫だったよ。揺れ? 俺は気づかなかったけど、他の人間が少し揺れてたとか言ってたなあ……まあ、福島は海の近くに立ててあったからな。まともに津波にやられてしまったんだろ」

先月、某女川原発関係者による想定外なコメントを訊くことができました。

“原発危険神話”の崩壊です(笑)

考え方を変えれば、女川原発はあのマグニチュード9・0という3・11でさえビクともしなかったことから、今後も“原発安全神話”が続くと思います。

 

「ただ、テロ攻撃を受けたらダメさ。北朝鮮あたりからミサイル攻撃受けても、自衛隊が本当に迎撃できるか信用できないよ。海からやってくるテロリストも危険だ……」

と、この方は最後になってから、ややあきらめ顔でつぶやいていましたね。

 

この女川原発で働いていた「サムライたち」により、宮城県は今も人の住める場所として存在しているのだと、私は彼らの偉大なる功績を高く評価します。

 

ですが、女川原発に限らずどこの原発関係者でも会合を開くときは必ず、ホテルの行灯の表示をしないでくれ、と気を使っていることが、大変気の毒に思えるのです。

原発関係者が気づかう理由ですか?

ヤマモトタローたちのような反原発活動家たちによる妨害・嫌がらせ、そしてテロに対してものすごく警戒しているのですよ。

 

「女川町の盛り土に必要な土砂は60万㎥、石巻市になると護岸工事に必要な盛り土は350万㎥だというが、どこからそんな土を持ってくるのだろうか……だいたい、ダンプ1台で4㎥しか運搬出来ないんだよ。何年かかるというんだ。

福島があんなことになってしまったが、同じことが女川で発生したら、もう宮城県には人も家畜も数百年は住めなくなってしまうんだ。原発の危険性をもっと国民に知らせないとなあ、国は何を考えているのかねえ」

 

「遺族が気の毒すぎて被災地巡回コースから大川小学校をはずそうと遺族に提案したんだが、逆に、風化させないためにもあの悲劇を広く社会に伝えてほしいと依頼されてしまったよ」

 

石巻市内の某タクシー会社の幹部の方が仰っておりました。

実に博識に長けた物腰の柔らかい人物の言葉には説得力がありました。

原発問題にしても、人それぞれの捉え方が違うのですねえ……またまた私は頭を抱えてしまいました。

本当のところはどうなんでしょうかねえ、安倍さん!

 

「あのう、名前を教えてくれませんか?」

子連れの女性客が静かな声で訊いてきた。

(あっ! またヘタこいてしまったかな……クレームの電話がくるのかなあ)

私は不安げに「河村という者ですが、どうされましたか?」と、逆に質問してみました。

 

「こんなに親切にされたのは初めてでしたので……」

そのとき、予想していない言葉に驚いてしまったのです。

 

私は東京でやってきたマニュアルどおりの接客をしただけでしたが、それが親切な人としてこの親子に印象づけたらしい。

 

「この人、いい人だよ……」

小学5年生だという男児が小さい声で母親に囁いていたのです。

何かこの親子はわけアリだな、と思った私は更に事情を訊いてみました。

 

すると、この男児は石巻市内のN小学校に通学していたのだが、学校でのいじめが酷くて1年生の頃から現在まで不登校だという。

先生に相談しても「知らぬ存ぜぬ」と言うだけで、まったく助けようともせず、逆に、この男児の心を傷つけるようなことばかりしていたようです。

教育委員会にかけあっても、まるで相手にしてくれずダメだったそうです。

 

ちなみに、この親子は母子家庭だそうで、男児が幼稚園の頃、DVの激しかった夫と離婚したとのこと。

また、男児が通っている学校は宮城県内でも有名になるほどいじめ被害が酷くて、不登校児童が県内では一番多いと言う。

 

理不尽極まりない話にあまりにも腹がたってしまった私は、この男児に何かあったら連絡してくれと、私の素性を明かし名刺を渡しました。

 

実は、このお母さんも小学生の頃からいじめに遭っていたそうです。

今まで、他人に親切にされたのは、私が初めてだというから驚いてしまったのです。

 

この母子は今、どうしているのでしょうか……やはり、いじめ問題は全国的な現象であり、現在の教育制度はまさに崩壊してしまったと言っても過言ではありませんね。

 

「いじめ」は本当に深刻な問題ですので、例えば、いじめの温床である「クラス制度の全面廃止」等、国は早急に教育施策について抜本的な改革を行ってほしい。

 

「今更、被災地の視察はねえっちゃ……もう、4年以上も過ぎたべや、今は東京の方が危ねえぞ」

ひょうきんな常連さんが、東京から視察旅行に来ていた団体客を見て呆れていました。

この常連さんは、毎晩、奥さんと仲良くホテルの源泉入浴に来ている港湾作業者の方ですが、3・11では石巻湾の海上で作業中に津波に遭い、機転を利かせてクレーンのてっぺんに避難し運よく助かったとのこと。

 

「津波の直撃を受けた地区に住んでいた私は、逃げることもできず津波にのみ込まれたんですよ。あの時はもうダメかなと諦めたんです……今、生きているのが奇跡でした」

ポツリとつぶやいた綺麗な女性客。

 

「そのような人と、こうやって会えること自体が、私には奇跡なんですよ。助かって本当によかったですね」

つい、私は“よかった”と、反射的にかえしてしまった。

この時は普通のよかった、の意味ではなく、“こんなに素敵な絶世の美女が死ななくてよかった”という意味でした(笑)

 

この女性は石巻市というよりか、宮城県内でも有名な大手水産問屋の若奥様で、30代後半の容姿端麗で上品な雰囲気につつまれた笑顔の素敵な方だったのです。

これまで私が住んでいた東京でも、これだけの美女にはお目にかかったことがなかったため、この時とばかり、仕事そっちのけで私は女性と暫しお話させて頂きました……すいません。

 

調子づいた私が東京に住んでいたことを告げると、

「あの日以来、遠くに行けないのです。トラウマというのでしょうか、また、あのような災害に遭ってしまうのでは、と怖くなり……今では東京へ行きたくないのです」

若奥様は現在、東京が怖いとのこと。

 

最後に、老若男女を問わず被災地の皆さんが言っていた言葉をご紹介します。

「今の日本は異常気象や地震が頻発していて普通じゃない。次は東京や静岡、四国などが必ず被災する」です……皆さま、お疲れさまでした!

 

 


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