Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

5月13日~5月24日 シチリア島SIRACISA~マルタ共和国 Valletta

2013-05-24 | 旅行

シチリア南部の町 Siracusaにて

5月13日(月) シチリアのCataniaから南に30マイルほど下りSiracusa にやってきた。

世界遺産に登録されているSiracusaの旧市街は「美しき古代都市」とガイドブックに書かれているとおり、紀元前からの長い歴史が織り成す、落ち着いた中世の佇まいを見せる素敵な町だ。

 

旧市街の西側には広大な湾が形成され、安全なアンカレッジとなっている。その湾の中、旧市街横にあるマリーナに舫いを取った。

 

極上の生マグロにありつく

 

シチリアは海産物が豊富なので、マーケットに行くのが楽しみだ。ここSiracusaも、マリーナから歩いて5-6分の所にマーケットがあることを知り、朝一で出かけた。野菜や果物、チーズやハム、オイル漬けの加工食品などを売る店では、自家製のチーズやハムを客に試食させている。店に入っていくと「朝食は食べたかい?」と言うなりパンにオイル漬けの野菜やチーズなどをはさんでくれ、「うまい!」と言うと、このワインが合うよとワインまでサービスしてくれた。その店に並んで魚屋が軒を連ねており、一軒の魚屋を覗くと切ったばかりの生マグロのかたまりが並んでいる。その中に大トロの部分を発見、大ぶりのステーキぐらいに切り取ってもらう。値段は100gで220円ぐらい。こちらではどの部位でも値段は一緒だからバカ安。生マグロの大トロなんて、日本なら高級な鮨屋でも行かないとお目にかかれない代物だ。夕食に酢飯とともにいただいたが、ほんのり甘く舌でちぎれるほど柔らかい、脂のたっぷり乗った逸品だった。

 

5月16日(木) 4日ほどゆっくりと過ごしたSiracusaを後に24マイルほど走り、シチリア島東南の端に位置するMarzamemiのマリーナに午前12時舫いを取った。出航時から波が悪かったが時間と共に風も強くなり、途中で雨もぱらつく荒れ模様の天気。東南に開くMarzamemiの小さな港は防波堤がひとつ外海と隔てるだけなので、うねりも風もダイレクトに入ってくる。しかも入口は狭く浅いため大きな波が寄せていた。港に入っていくと3隻もの漁船が岸壁に寄せられて横倒しになっているのが見えた。恐らく強風に煽られて操船不能になったのだろう。

 

それを見てこちらも緊張しながら係留場所を捜していると、マリーナスタッフがすぐにゴムボートで迎えに出てくれ、舫いを取る場所を示し、他のスタッフも手伝ってくれたのでトラブルなく着岸できホッと一安心。

 

マルタ島へ

5月17日(金) シチリア島Marzamemi~マルタ Valletta (61マイル) 晴

午前7時前にMarzamemiを出航。うねりは残っていたが、昨日の南寄りの強風は収まり西寄りの微風に変わっていた。午後5時前マルタ島の首都Valletta南側にあるGrand Harbour Marinaに舫いを取る。両岸を中世の建物に囲まれた入り江の奥に作られたこのマリーナは、ヨーロッパでもトップクラスという評判のマリーナだ。しかし停泊料もトップクラス。まだピークシーズン前で1泊120?は、地中海のマリーナ平均価格が50?位なのでびっくり。しかし今回はいくつか大事な郵便物を受け取るため、一番信頼の置けそうなマリーナを選ぶ必要があったので仕方がない。

 

マルタは地中海のカルチャーミックス

人口41万人、5つの島からなるマルタ共和国。一番大きなマルタ島でも淡路島程度の大きさしかない小さな国だ。歴史は古く、紀元前数千年に作られた神殿跡が見つかっているが、マルタと言えば聖ヨハネ騎士団最後の安住の地として知る人が多いだろう。世界遺産に指定された、堅牢な城壁に囲まれた現在の首都Vallettaを中心に周囲の街並みは騎士団の生活していた17世紀当時に形成され、現在もその当時のまま残されている。アフリカにも近いため、様々な民族に支配された歴史があり、マルタ人の顔つきは多様だ。しかし人々の生活は、1964年に独立するまで160年ほど統治が続いたイギリスの影響が色濃く残っている。道路は左側通行、車はすべて右ハンドルなので、○○商店などと日本語のかかれた商用車が結構走っている。日本から輸入された中古車だ。

 

食事は量が多く必ずポテトが付く、大雑把な味付けもイギリス的だ。イタリアの美味しい食事に慣れた我々にとってはあまりいただけない。マルタ人同士はアラビア語に似たマルタ語で話すが、ほとんどの人は英語も話すのでコミュニケーションに不自由しないのは助かる。

 

5月19日(日)レンタカーで島を半周した。Vallettaから6kmほど南にあるMarsaxlokkという漁村では毎日曜日に様々な生活用品が並ぶ市が開催されるため大賑わいだった。この小さな漁村は、昔ブッシュとゴルバチョフが冷戦の終結を宣言したマルタ会議が開催された場所としても知られているためか、世界各地から来た観光客も多く、海沿いに並んだカフェやレストランはそういう人たちでいっぱいだ。

 

Old city Mdina

Mdinaは古代フェニキア人が開発し、その後マルタを占拠したアラブが現在も残る堅牢な城塞と堀をめぐらした町だ。騎士団がマルタに移住し最初に首都に定めたのもこの町。高い山が無いマルタ島の丘陵地帯にあるMdinaの城壁のレストランからは、葡萄畑の先にVallettaの街並みとイオニア海が遠望できる。

 

イギリスの町にいるような、新市街SliemaSt. Julian’s

5月20日(月)、3泊したGrand Harbour MarinaからVallettaの町を挟んで北側の湾にあるMsida Marinaに移動した。こちらはシャワー・トイレも無いが1泊20?と格安で、新市街地へのバス便も悪くない。

旧市街Vallettaと、Grand Harbour MarinaのあるThree Cityと呼ばれる場所は中世を思わせる旧い街並みが圧巻だが、北側のSliemaSt. Julian’sは真新しいマンションやホテルが立ち並ぶお洒落なリゾートタウンだ。町を歩くと、イギリスのデパートMarks & Spencerやスコッチを並べたパブがあり町の雰囲気は何処かイギリスっぽい。中華料理やすしの看板を掲げたレストランも何軒かあり、スーパーにも日本やアジアの調味料などが並んでいる国際的な町。距離的には一番近いイタリアとは全く趣が違うのが不思議な感じがする。

 

南の強風・Siroccoに悩まされる

5月22日から23日にかけて、シチリアの西で猛烈に発達した低気圧がイタリア半島を通過、そこに吹き込む南寄りの風はアフリカから黄砂を運んできた。空一面に茶色いもやがかかり、すべてのものが茶色い埃で覆われてしまい、細かいほこりは容赦なく船の中まで入り込んでくる。山が無いので海水から水道水を創っているマルタは水道料が高いので、てまり全体を茶色く覆ったほこりもそのまま我慢するしかない。

 

5月24日 GOZO

気象予報をチェックすると今日明日は強風が収まるようなので、急遽14マイルほど北にあるGOZO島に向かうことにした。GOZOはマルタ共和国で2番目に大きいが、マルタ島に比べると静かな島だ。中心の町Victoriaには城塞があり、その中にある大聖堂は資金不足のためドーム型の屋根を作ることができず、教会内部からは天井に騙し絵でドームに見えるように描かれたという。見る角度によっては本当にドームのように見えるのが面白い。

 

ここGOZOに1泊して、明日再びシチリアに戻る予定。

 

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5月6日~13日 南イタリアからシチリアへ

2013-05-14 | 旅行

5月6日(月) CrotoneRocella Ionica (61マイル) タフな地中海ウィンドの洗礼を受ける

朝6時、Ctoroneをあとに、更にイタリア半島つま先に近いRocella Ionicaに向かう。

海はそれまでの穏やかな表情とは打って変わり、朝から波立っていて風が強まる気配が感じられた。出航時の南の風は徐々に西に回り、瞬間最大40ノットを超す西よりの強風が終日吹き荒れた。てまりのコースは南西なので、真向いではないがクローズホールドの1本コース。陸を超えて吹いてくる風の割に腰が強く、時折大きな波をかぶるハードなコンディションが続いた。午後4時過ぎ、ここだけは穏やかなRocella Ionicaのマリーナに舫いを取る。

 

ここのマリーナはマリーナスタッフが居ないので、勝手に空いているバースを見つけて自分で船を停めなければならなかったが、後から停泊料を徴収に来たマリーナ管理人フランチェスコはとても親切だった。「ボクの(義理の?)妹はベトナム人だから、日本人にはすごく親しみを感じるんだ。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ。」 なるほど、イタリア人から見ればベトナムも日本人も一緒に見えるのかもしれないと納得。

 

5月7日(火) Rocella Ionica は田舎のちいさな町で、山の上にある城塞は修復中で特に見るべきものは無い。マリーナは町から2kmほど離れているが、無料で自転車を貸してくれるので助かった。町までのビーチ沿いにはわが町茅ヶ崎と同じように自転車専用道路があり安全快適に走れる。まだ海水浴シーズンには早いので、海の家もレストランもすべて閉まっており、たまにジョギングをしている人を見かけるくらいだ。

 

5月9日(木) Rocella IonicaRipost 71マイル)

 

エトナ火山と共生する町RIPOST

昨日Rocella Ionicaを早朝出航し、71マイル走ってシチリアの東岸にあるRIPOSTOに入港した。途中メッシーナ海峡の入口付近で、流していた仕掛けに60㎝近いカツオがヒット。今年初めての釣果だ。

今朝はマリーナの近くに並ぶ魚屋を覗いてみると、日本の魚屋並みに様々な種類の新鮮な魚介類が並んでいるのにびっくり。やはりこの周辺の海は海産物に恵まれているのだろう。早速脂のたっぷり乗ったマグロの落とし部分ときびなごのような小魚を購入、釣れたカツオも含めてまたまた魚三昧の食事にありつける。

 

 

RIPOSTOはヨーロッパ最大の活火山・エトナ山のふもとの町。マリーナからも町の後ろに噴煙を上げるエトナ山が間近に見える。

 マリーナを歩いているとデッキにびっしりと敷き詰めたように黒い小石が撒かれている船を何隻も見かけた。一体何の効果があるのかと訝しんでいたのだが、町の中を歩いていると車の屋根や路地裏にも同じような小石が積もっており、それらを集めて山のように積んであるところを見かけた。それでようやくエトナ山から降り注いだ火山灰だとわかった。町のインフォメーションで聞いてみると、わずか2週間ほど前に大量の火山灰が降り注ぎ、2-3㎝積もったと言う。今年に入って3回目の降灰だそうだ。

 

被害や後片付けが大変でしょうと聞くと、「大変だけどエトナ山のお蔭で冬はスキーができるし、目の前はきれいな海、やはりこの町が好き」という答えが返ってきた。マリーナをはじめとして町のいたるところにEtonaの名前をつけたところがある。やはりこの町とエトナ山は切っても切れない縁があるようだ。

 

5月10日(金) タオルミナ散策

 

Ripostoから電車とバスを乗り継いで約1時間、シチリアで人気の町TAORMINAに出かけた。フランス映画Grand Blueのロケ地として日本でも一躍有名になった、世界中から観光客が押し寄せる素敵な町だ。標高300mほどの切り立った断崖に作られた町からは噴煙をはくエトナ山と澄み渡ったイオニア海の素晴らしい眺望が楽しめる。20数年前に訪れた時と町の佇まいはまるで変わっていなかったが、海岸と町を結ぶロープウェイができ、その時ベッドカバーを買った店は他の店に変わっていた。これも時の流れなのだろう。

 

歴史の町Catania

 

5月11日(土) RipostoCatania (20マイル) 快晴

午前8時、Ripostoを出航、20マイルほど南に下ってCataniaに午前11時過ぎ入航した。

CataniaPalermoに次いで2番目に大きいシチリアの町。17世紀のエトナ山大噴火とその直後に起きた大地震で町は壊滅的な被害を受けたがそのご復興し、バロック様式の建物が並ぶ市街地は世界遺産に登録されている。様々な人種の人達が暮らす町には大聖堂をはじめ数々の教会やローマ時代の遺跡、そして中世を思わせる街並みが残りイタリアらしい歴史を感じさせる。

 

マリーナに戻る途中、もうもうと煙が立ち込める屋台があり寄ってみると、アーティチョークを丸ごと炭火で焼いている。八百屋の店先でもアザミのようなかたちをしたそれを売っているのを沢山見かけたが、どうやって食べたらよいかわからなかった。店先で筍の皮をむくようにしてその根元をしゃぶりながら食べているのを見てナルホドと思い、焼きたてのアーティチョークを買ってみた。外側は固いが内側に行くにつれて柔らかくなる。西洋パセリとニンニク、オリーブオイルの素朴な味付けが実に美味しいのだ。

 

5月13日(月) CataniaSiracusa (30マイル) 快晴

ようやく地中海らしい快晴の日が続くようになった。朝7時前にCataniaを出航、Siracusaに向かう。

Cataniaの港を離れて後ろを振り返ると、町の後ろに富士山のようなきれいな姿のエトナ山が見えた。

このあと数日Siracusaに滞在して、Maltaに向かう予定。

 

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4月29日(月) いよいよ出航!

2013-05-06 | 旅行

4月29日(月) 朝8時20分、半年間お世話になったBrindisiの整備マリーナNaval Balsamoに別れを告げた。目指すは43マイル南に下ったOtranto。天気は快晴で、昨日まで強く吹いていた南寄りの風も収まった海面を快調なエンジン音と共に走り、夕方4時過ぎOtrantoのマリーナに舫いを取る。後半はやや風が出てきて機帆走したが、船はすべて異常なし、まずは順調な滑り出しだ。

 

4月30日(火) 快晴

数日前から日中の気温は30℃近くまで上がり半袖・短パンで過ごせるようになった。午前中Otrantoの町を散策する。 Otrantoの見どころは、15世紀オスマントルコの猛攻で多数の市民が亡くなった悲劇のあとに構築された堅牢な城壁に囲まれた、世界遺産にも登録されている旧市街。狭い路地が走る旧市街は観光客相手の土産物屋やショップ・レストランが立ち並びそぞろ歩きが楽しい。旧市街のシンボル・バジリカ大聖堂には祭壇を取り囲むように、トルコ軍の猛攻で殉教した人たちの骨が飾られている。ちょっと異様な光景だ。

 

 

夕方6時過ぎ、昔のヨット仲間のスルガ君が到着。タイに単身赴任中の彼は、GW休みを利用して日本の家族のもとに戻るよりてまりでの地中海クルーズを選んだのだ。

 

5月1日(水) 晴 OtrantoSanta Maria di Leuca  (25マイル)

午前8時前にOtrantoを出航、今日も穏やかな海を機帆走で走り、昼過ぎにSanta Maria di Leucaのマリーナに舫いを取る。 ブーツ型イタリア半島踵ヒール部分の最南端にあるLeucaの町はお金持ちのリゾートタウン。商店街のようなところは何もないが、マリーナの周辺には豪華な別荘が立ち並び、フェラーリやメルセデスの高級車が走る。丁度メイデイでお休みのため、バールは町の人達で大賑わい。我々もちょっと立ち寄ってアペリティフにスプマンテを一杯楽しむ。

 

 

5月2日(木) 晴時々曇り Santa Maria di LeucaGallipoli  (28マイル)

昨日同様朝8時過ぎに出航。昨日にも増して風は吹かず穏やかな海を終始機走して、午後1時前にGallipoliのマリーナ入港。 

Gallipoliは、Salento半島の突端にある江の島ぐらいの小さな島全体が城塞に囲まれた旧市街だ。ランチは旧市街のタベルナで魚貝の前菜とパスタ&リゾット。夜はマーケットで買った生牡蠣とムール貝のスープなど真理の手料理。今日は昼も夜も美味しいシーフードをたっぷり食べて大満足。明日が早いため早々と就寝。

 

5月3日(金) 曇りのち雨のち晴れ GallipoliCrotone (71マイル)

今日はイタリア半島踵ヒールの先端から前のヒール部分への移動で71マイル(約130㎞)を走らなければならないため、夜明け前の午前5時にGallipoliの港を出航した。薄曇りの空がだんだん黒くなり午前中少し雨が降ったが、昼過ぎには止んで午後はきれいに晴れ渡った。海は相変わらず穏やか。途中10数頭のイルカの群れがてまりに接近。10分ほど船のすぐ近くを横切ったり並走したりして遊んでいった。久しぶりの体験だったが、こんなにたくさんのイルカが長い時間船に寄り添うように遊ぶのははじめてだ。

 

午後5時Crotoneの港に舫いをとる。ヨットハーバーのすぐ近くに鮮魚店が立ち並び、トルコやギリシャとは比較にならないくらい豊富な種類の魚介類が並んでいるのでつい色々と買ってしまう。カレイとタコは生干しにして保存することにした。今晩はマグロの漬け丼にマグロの山かけ、茹でソラマメと焼きナス。久しぶりにいつも日本で食べているゴハンが食べられる。うれしい。

 

イタリア本土の最南端をカバーするカラブリア州のCrotoneはクロトーネ県の県都で、このあたりでは比較的大きな町だ。ここにはクルージング初年度の一昨年、シチリアからギリシャに向かう途中に立ち寄ったことがある。しかしその時はあまり余裕が無くてマリーナ周辺しか出かけなかったが、今回はゆっくりと市内を見て回ることができた。この町の旧市街は珍しくほとんど住宅街で、メインストリートは海岸から500mほど入った新市街にある。週末は、Jazz Festivalや海岸に特設されたコースでモトクロス競技など様々なイベントが開催され沢山の人で賑わっていた。

 

 

5月5日(日) スルガ君が単身赴任中のタイに戻るため、朝の電車でローマへ発った。あまり風に恵まれず、タフなヨットレーサー上がりの彼には物足りなかったかもしれないが、南イタリアの旅を楽しんでもらえたようだ。

てまりは、明日イタリア半島のつま先を辿りシチリアを目指す。

 

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