Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

7月15日(月)~7月26日(金) サルディニア島 北部~コルシカ島へ

2013-07-27 | 旅行

Costa Smeralda (エメラルド海岸)をクルージング

715日 ()Olbiaのアンカレッジから埠頭を挟んで反対側にあるプライベートマリーナに移動。水を補給するためには仕方がない。船では水の節約のためケチケチシャワーなので、久しぶりにたっぷりのシャワーを浴びる。

我々より後に入航してきたフランス艇Radjaのキャプテンから、フレンチリビエラのお勧めアンカレッジやマリーナを教えてもらう事ができた。モナコ・カンヌ・ニースと名だたる高級リゾートがひしめき合うリビエラ海岸の有効な情報を入手することができてとても有難い。

 

Costa Smeraldaは、1960年代に莫大な資金を投じてPort Cervoを開発したアラブの富豪を中心に、わずか6名の地権者が発起人となって、美しい海と環境を守り周辺のイメージに合わない建物を排除するなどの厳しい開発規制ルールが施行された。それに合わせるように、近隣のMaddalena諸島も国立公園として、立ち入るプレジャーボートからは入場料を徴収し、汚水の垂れ流し厳禁など厳しい規制が設けられている。そうした官民一体となった環境保全の努力が実り、Costa Smeraldaは世界中のセレブを惹きつける超高級リゾートとしての地位を確立した。けばけばしい看板が林立し、色彩もデザインもてんでんばらばらな建物が立ち並ぶ、発展途上国並みの町が多い日本とは大違いだ。世界中の観光客を惹きつける魅力的な町やエリアを作るためには、こうした徹底的な自己規制が必要なのだと思う。

 

71617日はCosta Smeraldaの入り江を移動してアンカリング。さすがに、このあたりにはメガヨット或いはスーパーヨットと呼ばれる、超大型の豪華ヨットが当たり前のように停泊している。中にはヘリポートを備えた船もあり、やはり世界中のセレブが集まる場所だという事を実感する。

 

718日(水) 3日ほど錨泊で過ごしたあと、食料と水の補給のため、Palauのマリーナに向かった。Palauの町はMaddalena諸島の玄関口で、小さいがお洒落なリゾートタウン。港には頻繁に島を結ぶフェリーが行き交い、町は人で溢れていた。公営のマリーナは狭くビジターバースは満杯でマリーナ外にあるブイに誘導され、ここでスタンバイしてくれと言われた。結局夕方になってもバースは空かず、そのままブイで一泊することになった。食料は調達できたが水の補給ができなかったので、翌19日は6マイルほど離れた、奥深い湾にあるCannigioneのマリーナに移動した。こちらはPalauに比べて静かで落ち着いた、町と言うより村という感じの場所だ。

 

7月23日(火) イタリアからフランスへ

Cannigioneを出た後も3日間ほどMaddalena諸島の入り江を渡り歩いてのんびりと過ごした。人気のあるアンカレッジにはブイが施設されているところが多く、安心して夜を過ごすことができる。幸いサルディニアに来てからはほとんど強い風が吹かず、夜になると決まって穏やかな陸風に変わるため、錨泊でもまったく不安は無かった。アンカレッジには必ず管理ボートが見回りに来て、係留許可証の提示を求められた。我々はPalauの町で3日分のチケット(1日約2000円)を購入しておいたので問題なし。

 

今日は24マイルほど走り、Corsica島のPort Vecchioのマリーナに舫いを取った。

広大な湾の奥にあるマリーナは、狭くほぼ満杯状態。2泊する予定だったが明日の分は明日にならないと確約できないという。小高い丘の上にある街はとても素敵な南フランスらしいリゾートタウンで、ものすごい人で賑わっていた。この周辺にはきれいなビーチや小さな島などが沢山あるので、Port Vecchioがそのゲートゥエイになっているようだ。マリーナは観光船やチャーターボートがひっきりなしに往来して落ち着かない。

 

724日(水) Port Vecchioの町は魅力的だが、マリーナは居心地が良くないので1泊で退散することにして、6マイルほど先のBaie de S. Ciprianuという広大な入り江に移動した。ここは周辺の別荘族の所有と思われるボートやヨットも含めて100杯以上の船が停泊している。水はきれいで水深は浅く砂地でアンカーの効きは良い。最近は錨泊に慣れたせいか、お粗末なマリーナよりこうした場所の方がよほど心地よい。夕方船をノックする音が聞こえて出てみると、ボートに乗った少年がフランス語で話しかけてきた。フランス語はわからないと言うと、流ちょうな英語で「明日の朝、クロワッサンとかバケット配達するけど要らない?」 フランス人は毎朝焼きたてのパンを買ってきて朝食にするのがごく当たり前なので、パン屋だけは早朝から開いているが、海の上までパンを配達する商売があるのにはびっくりした。やはりコルシカ島はフランスなのだ。

 

726日(金) 昨日はコルシカ島の東岸を15マイルほど北上してSolenzaraのマリーナに1泊、今日は更に32マイルほど走り、丁度コルシカ島の真ん中あたりにある、Port de Tavernaのマリーナに舫いを取った。サルディニア島に来てから3週間ほどになるが、風は終始穏やかで安心して素晴らしいアンカレッジを渡り歩くことができた。

 

この後、Elba島を経由してイタリア本土に渡り、リビエラ海岸をイタリアからフランスへ西に航海する予定。

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7月2日(火)~7月14日(日) サルディニア島 Cagliari~Olbia 

2013-07-15 | 旅行

72日ヨーロッパ標準時12:30、サルディニア島南端にある首都Cagliariのマリーナに舫いを取った。チュニジアのKelibiaから28時間。東寄りの順風に恵まれ予定より早く到着することができた。

Cagliariは丁度2年前、シチリアに向かう前に立ち寄ったことがある。その頃突然のエンジン停止に悩まされ、強風下セーリングでプライベートヨットクラブの桟橋に乗り上げながら着岸した、ほろ苦い思い出の場所だ。あの時もそうだったが、マリーナスタッフはじめ町の人達は皆とても親切で、気持ち良く過ごせるところだ。町には巨大な常設市場があり、特に魚介類はその種類の豊富さで他を圧倒する。今回は、チュニジアに続いてウナギをゲットした。60㎝近くある大ウナギが500円位だった。おまけに小さなウツボを入れてくれようとしたので、慌てて断った。こちらではウナギもウツボも同じ仲間として売られているのだ。

 

73日(水) 現在トルコ沿岸をクルーズ中のヨットCAVOCの松崎さんの友人で、この近くに住んでいるPaoloが訪ねてきてくれた。1週間ほど前からジェネレーターが起動しなくなったため、マリーナからメカニックを手配してもらったが中々来てくれないとこぼしていたら、ちょっと見てあげると言ってすぐに原因を見つけ直してくれた。何らかの原因で燃料が供給されず、エアを噛んでいたようだ。「イタリアでは、大した故障でもないのに大げさに言って高い修理代を請求されることが多いから気を付けた方がいいよ」とアドバイスを受ける。感謝感謝。

75日(金) Paoloから夕食の招待を受け、「ボクの家の近くに安全な入り江があるから、そこに船を泊めれば良い」と言われて、Cagliariから14マイルほど南西にあるPulaの入り江に移動した。小さな岬に昔の見張り台があり、ビーチが広がるきれいな湾だ。東側が完全にオープンなのが気になったが、予報では東寄りの風が吹く気配は無く、アンカーはしっかりと砂地に噛んでいるので大丈夫そうだ。

夕方Paoloが泳いで船まで来て、これからサルディニア島の東岸を北に向かう我々に、マリーナやお勧めのアンカレッジなどをアドバイスしてくれた。テンダーで上陸し、車で彼の家に向かう。5kmほど内陸に引っ込んだ山裾のなだらかな傾斜地に広がる瀟洒な住宅街の一角に彼の家があった。そこからは我々が停泊している入り江が遠望できる。 広々とした庭にアウトドアテラスのある家。目の前には木々の緑と地中海の素晴らしい景色が広がり、住宅地の隣にはチャンピオンコースのゴルフ場がある。我々が夢に描いているようなロケーションに建つ素敵な家だ。

 

サルディニア島ドライブ

76日(土) Pulaの入り江からサルディニア島の東岸を44マイルほど北上、Port Corallo2泊し更に33マイル北にある、Santa Marina Navaresseのマリーナに舫いを取った。丁度サルディニア島の真ん中あたりまで来たことになる。マリーナから10分ほど坂を登った高台にある小さな町は緑が多く気持ちが良い。町から北側には折り重なるように山が連なっていて、そこから見下ろす景色は絶景だった。

サルディニア島に火山は無いが、険しい山が多くほんの少し海岸から離れると、島に居るとは思えない光景が広がる、緑豊かで水も豊富な島だ。

 

 

79日(火) 1日レンタカーを借りてサルディニア島北部の大都市Olbiaまで150㎞ほどの道のりをドライブした。往路はカーナビが指定したルートを行ったところ、急峻な山の斜面に沿って走る急カーブの連続で、まるで日本の山岳道路を走っているようだった。山岳地帯の景色は見事だったが、途中でタイヤがパンクするアクシデントもあって、1時間半で到着予定が倍の時間がかかってしまい、Olbiaに着いたのは午後1時を回っていた。

 

OlbiaCagliariに次ぐサルディニア第2の都市。北の玄関口で、複雑な海岸線が広がる一帯はCosta Smeraldaと呼ばれ、Porto Cervoを筆頭に世界中からセレブが集まる、ヨーロッパでもトップクラスの高級リゾートが点在するサルディニアで人気のエリア。このあたりはどのマリーナも「超」がつく高級マリーナで値段も矢鱈と高い。 Olbiaにもマリーナがいくつかあるが、調べてみたら1泊200?を超えるところばかりだったので、安い停泊場所を探すことも今日のドライブの目的の一つだった。あたりを付けていたマリーナに行ってみると、そこはプライベートヨットクラブで、町にも近く値段は95?だった。ピークシーズンの今頃はこの値段でも仕方がないのだろう。

 サルディニア北部の観光地を少し回る予定だったが時間が押してしまったため、もう一つの目的だった日用品の買い物を済ませて帰途に就いた。帰路は少し遠回りだが、南端の首都Cagliariまで結ぶハイゥエイを余分にドライブするルートを選択。山道は最後の10数キロだけで済み、1時間半ほどでSanta Maria Navaresseに戻ることができた。それでも船に帰り着いたのは午後8時近くになっていた。

 

Costa Smeraldaに入る

711日(木) サルディニア島東岸を47マイルほど北上し、Ottioluのマリーナに舫いを取った。

サルディニアの沿岸はシチリアとは全く異なり断崖絶壁が多く、見事な景観が続く。

 

Costa Smeraldaの南端に位置するOttioluは、やや高級なプチリゾート。マリーナの施設は平均的だが、停泊値段はいきなり100?近くに上がってしまった。これからしばらくはマリーナをなるべく避けて、安全なアンカレッジを中心に停泊していく予定だ。

 

今年の日本は早々と梅雨が明け猛暑に見舞われているらしいが、ヨーロッパの6月から7月にかけては極めて快適な気候が続く。ほとんど毎日快晴で、最高気温は30℃前後、最低気温は20度前後で湿度が低い。まるで真夏の高原に居るような爽やかさだ。しかも、サマータイムを取り入れているため、午後9時過ぎまで明るいのも気持ち良い。ヨーロッパに旅行するなら日本の梅雨時を狙うのが絶対にお勧めだ。

 

712()Ottioluから6マイルほど北のPort Brandinghiの入り江にアンカリング、13日は更に4マイルほど北にある、そそり立つ断崖の異形が見事なIsora Tavolaraの入り江でのんびりしたあと、すぐ前のPort Tavernaにアンカリングした。Port Tavernaは緑の合間にお洒落な別荘が立ち並ぶ気持ちの良い入り江だ。

 

 

 713日もIsora Tavolaraの対岸にある入り江でアンカリングしてのんびりした後、14日にOlbiaの港に移動した。Olbiaは湾の入り口から奥まで3マイル以上ある天然の良港で、古くから港として利用されていたところ。我々も下見してきた港の奥にあるアンカレッジに投錨した。ここから町の中心部までは数分の距離。極めて便利なところだ。この先しばらく、Costa Smeraldaと国立公園に指定されているMaddalena諸島をのんびりと巡り、コルシカ島の東岸を北上してイタリアのメインランドに向かう。

 

 

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6月23日(日)~7月1日(月) チュニジア紀行 Part 2

2013-07-03 | 旅行

チュニジアの首都Tunisへ小旅行

623日(日)朝8時、 船を停泊中のYasmine Hammametからバスを乗り継ぎ、人口100万人の首都Tunisに向かった。バスの乗り継ぎは順調にいき2時間ほどでTunisの南バスターミナルに到着した。そこからタクシーで5分ほどのホテルに着くと、午前10時半なのにチェックインすることができた。部屋に荷物を置いて一休みし、Sidi Bou Saidへと向かう。 TGM(郊外電車)に乗ると日曜日とあって超満員。これから泳ぎに行くという高校生の集団が席を譲ってくれ、英語ができる数人が色々と話しかけてきた。チュニジアでも日本のアニメは人気があるらしい。サッカーに対する関心が高く、ガンバ大阪や浦和レッズを知っていると言う。電車の中で仲間がサッカーの応援ソングを歌いだすと全員が大声で窓などを叩きながら大合唱。おまけに禁煙の車内でタバコは吸う、開け放ったドアから身を乗り出すなど傍若無人の振る舞い。最近の日本の高校生の方がよほど大人しく見える。

Sidi Bou Saidの町を歩いていると再び彼らに出会い一緒に写真を撮った。

 

チュニジアで一番美しい町と言われるSidi Bou Saidは、Tunisから13kmほど郊外の、海を見下ろす高台にある小さな町。白い壁にチュニジアンブルーのブラインドと扉が映える美しい街並みが人気の町だ。何処の町を歩いてもそこら中にゴミが散乱するチュニジアだが、ここだけは例外的にきれいだった。海を見下ろす絶好のロケーションにある人気のカフェは1杯のジュースにクロワッサンがついて10ディナール(約600円)。チュニジアでは滅茶苦茶高い観光客値段だった。

 

町の途中に、お金持ちの別荘だった家をそのままの状態で開放しているところがあり立ち寄ってみた。一つ一つの部屋はコンパクトだが用途別に異なるインテリアと家具が配置され、10数室あるほとんどの部屋にトイレが付いているのが、清潔好きのアラブ人らしく印象的だった。

 

カルタゴの遺跡を駆け足で見学

Sidi Bou Saidでランチを食べた後、すぐ隣にあるCarthagoに向かった。名将ハンニバルやポエニ戦争などで知られるカルタゴは紀元前2世紀ローマ軍に敗れるまでスペイン南部からシチリア・サルディニア・コルシカなど広範囲に勢力を伸ばしていた国家だ。その本拠地であったCarthagoはローマ軍によって徹底的に破壊され歴史は閉じた。現在はTunisの富裕層が住む高級住宅街となっている場所のあちらこちらに近年発掘されたカルタゴの遺跡が点在している。 じっくりと見て回れば半日かかるらしいが、朝早くから動き詰で疲れ果てていたため、タクシーで主な遺跡を3カ所ほど見て回り早々にホテルに戻った。

 

Tunisはパリを思わせるお洒落な場所もあるが・・・・・

 

624日(月)、Tunisのメディナ(旧市街)を散策する。ここのメディナも他の町と同様、主要な道路はびっしりと土産物店や様々なショップで埋め尽くされていた。強引な店の客引きにもかなり慣れて、適当にあしらいながら見て歩き反対側に出ると、そこは首相官邸や財務省がある官庁街だった。首相官邸の周囲には鉄条網が張り巡らされ、機動隊によって厳重な警戒態勢が敷かれる中、デモ隊によるシュプレヒコールが響きわたっていた。2年前の政権交代以降、まだ政治的には不安定な状態が続いているようだ。

 

チュニスのメインストリートでウィンドウショッピングをしていて気が付くのは、やたらと婦人靴とバッグのお店が多い事。ショウウィンドウに並ぶ靴は派手なものが多い。外出時にはビシャブと呼ばれるベールで髪の毛を隠し、ロングスカートやパンツで体全体を覆うことを義務付けられているイスラムの女性にとって、バッグや靴は自分の個性を主張することができる大切な小道具なのだろう。

 

バルドー博物館に感激する

チェニス最終日、郊外にあるバルドー博物館を訪ねた。オスマントルコ時代の宮殿がフランス統治の19世紀に博物館に生まれ変わって以降、その展示物を充実させて今日に至っているという。宮殿当時からそのまま残された美しい天井や漆喰に加え、各地から集められたローマ時代のモザイク画のコレクションは見事なものだ。Sousseの博物館のモザイク画も素晴らしかったが、こちらはその数と種類の多さ、そしてスケールの大きさに圧倒された。これを見るだけでもチェニスを訪れた価値があったと思う。

 

Yasmine HammametからKelibiaへ移動

628日(金)、連日吹き荒れていた北西の強風が少し収まった間隙をぬって、8日間過ごしたPort Yasmine Hammametから北に40マイルほど走りKelibiaという小さな漁港に移動した。チュニジア最北端にあるBizerteのマリーナが現在修復中でビジターを受け入れていないことがわかったため、ここがチュニジア最後の停泊地となる。午前中は穏やかな東風だったが、午後になると北西に変わり入港する頃には35ノットを超える強風になっていた。Kelibiaにはマリーナは無く、入ってみるとビジターが停泊できる場所は1本の桟橋に限られていて、ほとんど停泊する余地がない。色々捜した挙句、なんとかトリマラン(3胴艇)にサイドバイさせてもらった。明日・明後日と北西の強風が続く予報のため、それが収まるまでここで2日ほど待機しなければならない。停泊場所が確保でき、ひとまずほっとした。

 

チュニジアという国

チュニジアには17日間ほど滞在した。巷間言われているほどマリーナは充実しておらず、ビジターが安心して停泊できるマリーナは限られていることが、こちらに来てはじめてわかった。内陸に行けば行くほど保守的でイスラムの国という事を実感するが、懸念していた治安の悪さは首都チュニスでもまったく感じなかった。東洋人が珍しいのか、何処に行ってもすれ違う人たちから「ニイハオ」とか訳のわからない中国語らしき言葉で声をかけられたが、日本人と知ると親しみを込めて話しかけられる事が多かった。チェニスや海沿いの観光地ではビールやワインが飲めたが、内陸部や観光客があまり行かない町ではアルコール類を提供するレストランがほとんどなくスーパーでも売っていない。がっかりしたのは、町の汚さだ。世界遺産に指定されたメディナ(旧市街)でさえ建物の保存状態は悪く、裏通りにはあらゆるゴミが散乱し放置された生ごみの異臭が漂い、とにかくひどい状態だ。チュニスの中心街は、街路樹の下にカフェが並びパリの街並みを思わせる場所もあるのだが、道路に空き缶やポリ袋などのごみが散乱しているのを見ると、ここはチュニジアだという事を思い知らされる。物乞いや小物を売りつけようとする子供たちも多い。

物価はヨーロッパの1/3ぐらい。タクシーの初乗り90円、バスは40円、軽油は1L70円ぐらいだった。チュニジア通貨1,000ディナールは約60円だが、桁が多すぎるので町では1,000ディナールを1ディナールとして表示している。実質的なデノミ状態だ。公共料金が安い割にレストランや町で売られている商品は相対的に高い。やはりインフレが続いているということなのだろう。

 

7月1日(月) チュニジアからサルディニアへ

2日半続いた北西の強風が昨夜から収まったため、狭いKelibiaの港に避航していた7隻のヨットは早朝から続々と出航していった。午前7時半、てまりも最後に通関手続きを終えて出航した。Kelibiaのカスタムは要注意と何かに書いてあったが、出国のスタンプを押したパスポートを返してくれず、ポートポリスと一緒に船まで来て、なんだかんだと難癖をつけ結局一人30ディナール(約2,000円)をせしめた挙句、早く出航しろと頼んでもいないのに舫いをはずしてしまう。チュニジアは後味の悪い出国となってしまった。これから170マイル(約300㎞)、サルディニア島南端のCagliariまで30時間ほどかけて走る。幸い風は東寄りの横風なので楽な航海になりそうだ。

 

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