Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

9月11日(火)~9月22日(土) クロアチアクルーズ

2012-09-22 | 旅行

クロアチアは世界一金のかかるクルージングスポット?

911日午前7時半、モンテネグロのHERCEG NOVIを出航し北に向かい23マイル走ってクロアチアのCAVTATに午前11時半入航、クロアチア入国手続きを行う。手続きは40分ほどでスムーズに完了したが、クロアチアの1か月間のクルーズ代としてまず2,365クローネ (約35,000円)取られた。ギリシャとは対照的に国策として外来プレジャーボートの受け入れに力を入れているようだが、クルージング許可を得るだけで数万円も取る国は初めてだ。クロアチアでのクルージングは何をするにも金を取られるので、ネットでクロアチアクルーズのボイコットを呼びかけているヨッティーもいるくらいだ。ここCAVTATの岸壁に自分でアンカーを打って停泊するだけで1360クローネ(約5400円)。マリーナの平均価格は11万円を超えるようだ。それでも78月はお金持ちのスーパーヨットで人気スポットはいっぱいらしい。 我々も財布と相談しながら今後の停泊地を考える必要がありそうだ。

912日(水) ドブロブニク観光

 

クロアチアで最も人気のある観光地、「アドリア海の真珠」と謳われるDUBROVNIKはてまりが停泊しているCAVTATからは湾を隔てて6マイル(約10㎞)ほどのところにあり、水上バスを利用すれば1時間ほどで旧市街のオールドハーバーに着く。海から眺める堅牢な城壁に囲まれた旧市街は、まことに絵になる風景だ。1990年代に勃発したユーゴスラビア紛争でかなりダメージを受け、一時は「危機に扮する世界遺産」リストに登録されたというが、現在は見事に修復され昔のままの景観に戻っている。近づいてみると、瓦や壁の色が褪せていない修復された場所と被害を受けなかった場所の違いはわかるが、短期間でここまで見事に修復したクロアチアの努力には感心する。

周囲2㎞弱の城壁の上をぐるっと一周すると街の佇まいと、旧市街周囲の風景が良くわかる。旧市街の外側の建物も調和のとれたデザインや色彩のものが多く、クロアチアの人達がこの世界遺産を大切に守っていこうとする努力が伺われる。旧市街のメインストリートPlaca通りの両端には広場があり、通りから左右に延びる狭い路地にはレストランやカフェが並ぶ。外敵が侵入した場合に備えて通りがすべて迷路のように入り組んだギリシャのKERKIRAやモンテネグロのKOTOR旧市街と対照的に、わかり易い街路構成になっている。堅牢な城壁に余程自信があったに違いない。それにしても世界中から来ている観光客はすさまじい数で、久しぶりに複数の日本人ツアーの人達に出会った。

 

風速60ノット(約30m)を超える猛烈なサンダーストームに出会う

913日(木) 天気予報では今日明日と天気が崩れ、特に明日は強い東寄りの風が吹く予想だったため、午前8時半にCAVATATを出航しMLJET島のOKUKLJEという小さな入り江に向かった。風は追い風から横風に変わったがジブだけで7ノットを超えるスピードで快走し午前11時半過ぎに入り江の中にあるレストランの桟橋に舫いを取った。ここは、CAVATATで隣り合わせたヨットの、上海生まれのCHENさんから教えてもらったアンカレッジだ。クロアチアのマリーナは値段が高いので、レストランが提供するビジター用の桟橋は食事をすれば無料になるため、その方が安い場合が多いという。

 

午後になると雲行きが怪しくなってきた。そのうちに大粒の雨が降り出し、雷鳴が近づいてきたと思ったら土砂降りの雨になった。あわててすべての窓を閉め様子を見ていると、それまでの西風が東寄りの風に変わり雨風ともにすさまじい勢いになった。途中で再び風が西に戻ったが約2時間雷雲が通過し終えるまでは、ただなすすべもなく船の舫いが無事でいてくれることを祈るしかなかった。風速計で見たWind Gustは何度も50ノットを超え、瞬間最大風速は60ノットを超えた。夕方になって風が収まると続々とヨットが入航してきた。この嵐の中、海上で待機せざるを得なかったヨットは、短時間とは言え命が縮む思いをしたに違いない。

夜、真っ暗な中をレストランに出かけたが、レストランの中も真っ暗だ。昼間のストームで落雷があり停電したままだという。CHENさん夫妻と共にローソクの明かりの下で限られたメニューの食事を楽しんだ。

 

KORCULAで日本艇CAVOKとランデヴー

915日(土) 朝8時過ぎにMLJET島を出航、KORCULA島へ向かう。この辺りからクロアチア北端のイストラ半島までの沿岸には大小多数の島が点在する海域だ。28マイルほど北西に走り、12時過ぎ島の北東にあるKORCULAのマリーナに舫いを取る。ここで日本艇CAVOKとランデヴーすることになっている。

我々と同じように地中海クルーズを楽しんでいるCAVOKのオーナー松崎さんは大学の先輩で、我々より1年早くヨーロッパクルーズをスタートして今年で3年目を迎えている。今年はサルディニアをスタートしてアドリア海を1周してベネチアから南に下ってきたCAVOKと、北に向かうてまりがうまく予定を合わせてミーティング地点をここに決めたのだ。

夕方6時過ぎマストに日の丸が揚がっているヨットが入航してくるのが見えた。CAVOKには80歳を過ぎた大先輩ご夫妻など3人のゲストが乗っていた。夜はCAVOKに招待され久しぶりに日本人だけでわいわいがやがやと日本食を食べながら日本語の会話を楽しむことができた。

 

16世紀の街並みで17世紀のコンサートを楽しむ

916日(日) KORCULAの旧市街を歩いていると、入口にある聖マルコ大聖堂前の広場に椅子が並べられており、今日は音楽祭の最終日でバロック音楽の夕べが午後9時から開催されることを知った。

早速チケットを購入し早めの夕食を済ませて午後915分ほど前に会場に行くと既に席はかなり埋まっていた。

それから約2時間、意表を突くアドリブ演奏からスタートして後半は伝統的なバロック音楽を楽しんだ。16世紀に建てられた建築物の中庭で17世紀のバロック音楽を楽しむという贅沢はヨーロッパでなければ味わえないものだ。

 

 

宮殿がそのまま旧市街になったSPLITの街

917日(月) 南に行くCAVOKの出航を見送った後、午前7時半にKORCULAを出航して北に向かう。

MAKARSKA1泊したあと918日(火)午後2時過ぎ、CAVTATで会ったCHENさんに教えてもらったKa�・tel Su�・uracMarina Kastelに舫いを取った。この辺りは中世の城が沢山点在するため地名にKastelがつけられたという。SPLITTROGIRの丁度中間に位置し、値段も安く静かで良いマリーナだ。

919日(水)、バスでSPLITEに出かける。SPLITは地中海に面したクロアチアで最大の町。海から眺めても高層ビルが立ち並ぶ大きな町だ。

 

SPLITの町は大きいが、見どころが集まる旧市街は昔の宮殿がそのまま街になったミニタウン。

ローマ帝国時代に建てられたという宮殿はその大半がオリジナルのまま保たれている、ヨーロッパでも貴重な例らしくその構造の詳細を見ることができる。石材を台形にカットし並べられた天井のアーチなどを見ると、当時の高い建築技術が伺える。

 

強風の一日、買い物や片づけで過ごす。

920日(木)今日は低気圧の通過で終日雨風が強いとの予報だったため出航を諦めた。風は強いが雨は明け方で止んだため午前中は近くのスーパーに、午後はバスでSPLITの魚市場に買い物に出かけた。

クルージングは見知らぬ場所を旅する「非日常」と船で生活をする「日常」の世界が常に混在する。世界遺産の街に感激し地元の美味しい料理や酒を楽しみながらも、炊事・洗濯・掃除・買い物といったルーティンワークを忘れることができない。中でも買い物は特に重要だ。観光や自然の条件の良い泊地は必ずしも買い物の便が良くない。ここMarina Kastelaはすぐそばに大型のスーパーがあるので、今日は買い物の日と決めた。ショッピングカートを持ってビールやワイン、飲料水などの重たいもの大量に買い込む。午後は昨日見つけたSPLITの魚市場に魚類の買い出しに出かけた。トルコやギリシャに比べて魚介類も生ハムなどの加工肉も種類が豊富なのがうれしい。野菜や果物の値段はトルコの5倍ぐらいはするが、それでも日本に比べればはるかに安いのだ。

 

周囲を海に囲まれた小さな町Primosten

922日(土) 昨日30マイルほど走ってクロアチア本土のPRIMOSTENという小さな町に舫いを取った。

何人かのヨッティーに是非と勧められ立ち寄ってみたが、なんとも魅力のある町だ。小さな半島に作られたこの町はわずか15分で一周できる程度の大きさだが、丘のてっぺんに教会がある素敵な風景だ。20隻程度しか舫いが取れない岸壁は夕方までにいっぱいになってしまった。

ここのところの冷え込みは厳しく、今朝の気温は10度ぐらい。最高気温も20度を少し超える程度だ。

これからベネチアまでずっと北上するので、もう夏は戻ってこないだろう。

 

その他の写真はこちらからご覧いただけます。


8月31日(金)~9月10日(月) イオニア海からアドリア海へ

2012-09-10 | 旅行

91日(土)イオニア海を横断してイタリアへ

昨日午前940分、ギリシャのKERKIRA島を出航、アルバニアとの間の狭い水道を北に抜けてギリシャ領最北端にある小さな島ERIKOUSSAに午後3時過ぎ到着した。当初はここで1泊する予定だったが、島の南側にある唯一の小さな漁港は狭くアンカーの効きも悪い。仕方なく防波堤の外に錨を降ろすが完全に南にオープンのためここに停泊するのは不安だ。天気予報では南寄りの風が吹くようなので、予定を変更してオーバーナイトでイタリア半島の踵部分にあるBRINDISIまで90マイルを一気に走ることにした。午後8時抜錨、イオニア海を北西に横断しイタリアのBRINDISI Marina91日午前11時(ギリシャ時間午前10時)に到着することができた。

アッピア街道の終点であるBRINDISIは天然の良港として古代ローマ時代から栄え、中世にはイスラムと戦う十字軍を海に送り出す拠点として重要な役割を果たした町だ。現在もこの港からギリシャ・アルバニア・クロアチアなど様々な国へ渡るフェリーが頻繁に運行している。

 

 

我々がギリシャ西岸をそのまま北上せずに敢えてイオニア海を横断してイタリアまで行き、再びクロアチアに戻るルートを取ったのには2つ理由がある。

ギリシャ西岸をそのまま北上するとモンテネグロとの間にあるアルバニアを通らなければならない。アルバニアは第2次大戦以降中国やロシア以外の国との国交を一切閉ざした閉鎖的な社会主義国家としての立場を維持してきた特殊な国。最近になってようやく民主主義を標榜する政党が政権を握りEUへの参加を目指して急速に西欧に接近し始めたが、欧州最貧国のひとつで治安が非常に悪いようなので、アルバニアに立ち寄るのを避けたかった。

もう一つの理由は、この冬に船を置くマリーナの有力候補がイタリアのBRINDISIだったので是非下見をしておきたかったのだ。ここは空港が近く日本との往復が極めて便利だ。マリーナも船の整備をする施設も複数あり、それらは港の奥にあるため、波風も当たらず安心して船を置いておけそうだ。

 

92日(日) Brindisiの夏祭りを楽しむ

この週末はBRINDISIの守護神・SAINT PATRONIを祝う夏祭りだった。昨日は海上パレードに引き続き花火大会があり、今日は町でイベントが開かれると聞いて出かけた。様々な屋台が軒を連らねるメインストリートは光のアーケード(Perrotta Luminarie)で飾られ、広場では歌や踊り・ファッションショーなどのイベントが開催されており、通りは人で溢れていた。屋台で売られている商品や提供されている食事は全く違うが基本的なコンセプトは日本の夏祭りと同じだ。昔懐かしい射的の屋台がいくつか出ていたのが面白かった。町を挙げて守護神を祝うイベントだけにその規模と盛り上がりはかなりのもので、人の往来は深夜まで続いていた。

 

地中海も秋の気配

夏の地中海の良いところは天気をまったく気にする必要が無いことだ。51日トルコのDidim出航以来雨が降ったのは最初の頃数日だけ。それも数時間。朝のうち曇っていた日も何日かあったが後は毎日雲一つない快晴の日ばかり。空気が乾燥しているので雲が全くできないのだ。しかし9月の声を聞いてから地中海もようやく秋の気配が漂い始めた。ここのところ湿度も日本並みに上昇し、雨がぱらついたり、かなり雲もかかるようになってきた。夜の気温も段々と涼しくなり、タオルケットだけでは明け方は寒いくらいだ。これからアドリア海を北に向かうので気温はもっと下がってくるに違いない。

94日の夕方5時にイタリア半島の踵にあるBrindisiを出航、再びイオニア海を横断して106マイル走りモンテネグロのBUDVA5日午前11時に到着した。今回も南寄りの穏やかな風で快適な航海だった。

 

96日(木) モンテネグロ入国で思わぬトラブル発生

モンテネグロは2006年に国民投票によってセルビアから独立した新しい国。人口は65万人、国土は福島県程度という小さな国だ。小さな国でも独立国なのでイタリアから来た我々は入国手続きを行わなければならない。

BUDVAはちいさな町だがモンテネグロでも屈指の人気リゾート地でシーズン中は入国管理官が常駐している。検疫埠頭に船を係留し、指示されたオフィスに行く。ここでvignetteと呼ばれるクルージング許可証を購入する必要がある。いつもの通り船籍証明書、保険、クルーリスト、パスポートなどを提示したが、更に船長の船舶免許を見せろと言われた。欧米ではプレジャーボートの場合免許証は不要と聞いていたので迂闊にも持ってきていなかった。日本に置いてきたと言うと、それがなければvignetteは発行できない。従ってモンテネグロの航海はできないと言う。困った顔をしているとコピーで良いから取り寄せろと言われたので、家の鍵を預けている友人に連絡をして船舶免許のコピーをメールで送ってもらうことにした。幸い友人はすぐつかまり、免許証もすぐに見つかって手配をしてくれたため、数時間後にはコピーを入手することができホッと一安心。信頼できる友人とインターネットの有難さを痛感した。

 

モンテネグロで、一番不味いパスタに出会う

BUDVAのマリーナは城壁に囲まれた旧市街のすぐ外側にある。3つの教会がある旧市街は石畳の狭い路地が縦横に走りお洒落なショップやレストランが並ぶとても雰囲気のある街。9月に入っているのに旧市街は観光客で溢れていた。

 

この町も様々な他民族に支配された歴史があるが、地理的にも近いイタリアの影響が町並みにも食文化にも色濃く残っているように見えた。我々は数日間のイタリアBRINDISI滞在中久しぶりに美味しいパスタを食べたが、その味が忘れられずここなら大丈夫だろうと思いランチでパスタを注文した。ところが出てきたパスタは味付けも茹で加減も最悪。半分も食べられなかった。食事の美味しさでは定評のあるスペインで食べたパスタが茹ですぎでひどいものだったが、それを上回る不味さだった。 我々が訪問した地中海沿岸の国は何処に行ってもピザ・パスタの看板を掲げた店が多く、ピザは美味しいものに沢山出会ったがパスタだけはいただけない。「こしのある麺」にこだわるのはどうやらイタリア人と日本人だけのようだ。地中海の国々は長い歴史の間に様々な民族に支配されたため、随所に異文化の面影が残っている町が沢山あるが、食文化という人間の根幹部分は意外にコンサバなのかもしれない。それに比べると様々な国の食を取り込んでローカライズし、ラーメンや照り焼きビーフのように世界中で親しまれる新ジャンルの食べ物を作り上げてしまう日本人の食に対する感性はすごいものだと思う。

 

アドリア海は魚が豊富?

我々は走っているときできる限り引き釣りの仕掛けを流しているが、今年はエーゲ海でかつおが1本掛かっただけ。それも取り込もうとしてばらしてしまった。ところがアドリア海に入り立て続けにカツオを釣り上げた。今日はカツオ2本とヒラマサに似た魚がかかる大漁日。久しぶりに美味しい刺身にありつくことができた。

 

98日 広大なKOTOR湾に入る

 

昨日BUDVAを出航しモンテネグロを北上、クロアチアとの国境近くにある巨大な内海KOTOR湾に入った。

湾口に近いTIVATという町のマリーナに1泊し、今日は湾の最奥にある世界遺産の街KOTORにやってきた。風も波も立たない穏やかな内海を2時間ほど走り、KOTOR旧市街の城壁の目の前にあるビジター用ポンツーンに昼前に舫いを取った。

 

周囲を高い山に囲まれ緑の多い広大なKOTOR湾の中は、まるで湖を走っているような錯覚に陥ってしまう、まったく別世界の風景だ。

 

丸ごと世界遺産に指定されたKotor旧市街は三角形の城壁に囲まれた小さな街だ。さすがにモンテネグロ随一の観光地だけあって世界中から観光客がやってくる。我々が居る間にも地中海クルーズの豪華客船が入れ替わり舫いを取っていたし、ツーリストインフォメーションには日本語のタウンマップまで用意されていた。

99日、旧市街の裏手にある海抜260mの山頂まで続く城塞に朝一番で登ってみた。そこから眺める景色は素晴らしかった。3角形の城壁に囲まれた旧市街が一望でき、広大なKotor湾のどう見ても海とは思えないスイスの湖のような風景が広がっていた。

 

910日(月) HERCEG NOVIにて

今朝KOTORを出航し13マイル走って11時過ぎ、KOTOR湾入口近くにあるHERCEG NOVIに舫いを取った。

朝靄にけむるKOTOR湾は幻想的で、絵を見るような美しい光景だった。

 

丘に囲まれたHERCEG NOVIは旧市街の城壁の残る素敵な街だ。広大なKOTOR湾の中にはこのような小さな町が点在し、鏡のようにフラットな内海を走る我々の目を楽しませてくれた素敵なクルージングスポットだった。

今日ここに1泊し、明日はいよいよクロアチアに入る。

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