Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

8/14-25 ギリシャ Piraeusにて ZEA Marina in Piraeus Greece

2011-08-25 | 旅行

アテネの海の玄関口PireusZEA Marinaで船の整備や補修、部品の調達などを行い、その間2日間ほどアテネ観光もしたため、このマリーナには一週間の滞在になってしまった。

タクシーで15分ほど、バスと電車を乗り継いでも40分で行けるアテネでは有名なアクロポリス遺跡や古代アゴラの遺跡などを見て回った。2年前にオープンしたばかりの新アクロポリス美術館には古代遺跡から発掘された様々な物が展示されてあり、パルテノン神殿をイメージした造形に神殿の壁画などが飾られている。日本ではまだ文化が形成されていない縄文時代に古代ギリシャでは既に高度な文明が存在していた様々な証を見ると、その質の高さに驚かされる。小高い丘の上に立てられていた巨大なアクロポリス神殿も、その時代にどうやってここまで資材を運びあの巨大な建造物を建てたのかと驚かざるを得ない。一方、これまで見てきたギリシャの町は皆そうだったが、イタリアやスペインで見なれた中世のままの街並がまったく存在しない。町のごく一部に古代文明の遺跡が残されているだけだ。 これはポリスと呼ばれた都市国家間の内紛や19世紀後半まで400年に渡るトルコの支配によるギリシャ人への虐待、その後も周辺各国の内政干渉などで揺れ動いたギリシャの悲惨な歴史の結果なのだろう。つい数十年前にようやく自由主義国家として自立したばかりのギリシャという国の現実を思い知らされる。有力な産業も無く、依然として官僚主義がはびこり経済的には苦しいようだが、歴史的な遺産を生かした観光立国として生きていく道を選択したギリシャの人々は親切で明るく、ギリシャ人であることに誇りを持って生きているように思える。

天然の良港・ZEAS

我々が滞在したZEAS港は入口が狭く奥が広い、古代から利用されていた天然の良港だ。ZEA Marinaはその入口にありPiraerusの町の中心部までも近く、安全で便利なマリーナだ。

ここのところ毎日Meltemiと呼ばれるエーゲ海特有の北寄りの強風が吹き続いており一向に収まる気配が無い。アテネの町が風除けになるここPiraeusでも時折30ノット(約15m)を越える強風が吹くのでエーゲ海の真ん中はどのくらい吹いているかと思うと出航する気にならない。当初はロードス島、ミコノス島などの島々を先に回るつもりでいたがこの風のため予定を変更し、ギリシャ本土の東岸のEvia島に挟まれた海峡を北上して先にトルコのイスタンブールまで行くことにした。Meltemi9月の中旬になると収まってくるらしい。また、その頃になれば人気のある島々でも訪れるプレジャーボートの数がかなり減っていることも期待できそうだ。

食文化の違い

スペイン・フランス・イタリア・ギリシャと回ってきて感じることは、やはり食文化の違いだ。日本にも進出したフランス資本のCarrefourというスーパーは何処の国でもちょっと大きな町にはあり、一見すると何処の店でも同じような商品が並んでいるように見える。Carrefourは安くて美味しいプライベートブランドの食品類が豊富にあるので重宝しているが、そのPB商品でも国によって種類や味付けが微妙に違うのが面白い。

パンはフランス・スペインは○だがイタリア・ギリシャは×。驚いたことにイタリアまでは豊富にあった生ハムがギリシャではまったく見かけない。野菜も国によってかなり異なる。ギリシャに入っていきなりキノコ類がほとんど無くなり、そのかわりにオクラが手に入るようになった。魚はスペインから東に移動してくるにつれて、種類も極端に少なくなりギリシャでは食指が動くような魚介類があまり見当たらない。我々が船で食べる食事は和食と洋食が半々ぐらいだが、食べ慣れている野菜類が入手できないと、真理は代替品を捜すのに苦労をしているようだ。オリーブとオリーブオイル、チーズは何処の国でも安くて確実に入手できるし、果物類も安くて豊富だ。

我々が好きなビールとワインは4カ国とも安くて美味しいので助かる。両方ともできるだけ地元のものを購入するようにしているが、ギリシャのワインンでも結構美味しいものがある。ビールは一缶4080セント、ワインは49?でそれなりのワインが楽しめる。

 

明日からは再び移動する船の生活に戻ります。

 

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コリントス海峡からエーゲ海へ From the gulf of Corinth to Aegean Sea

2011-08-19 | 旅行

812日(金)夜8時頃、日本からパリ/アテネ経由26時間の長旅を経てヨット仲間のサッコとムネハルが到着。スーツケースいっぱいの日本食材を持ってきてくれた。有り難い。これで今年後半のクルーズで日本食の心配は無くなった。

813日(土)コリントス海峡のPatrasを午前9時半過ぎに出航、37マイル先のGalaxidhiを目指す。一昨日早朝30ノットの向かい風の中を通過しエンジントラブルで引き返したAndirrion/Rionの吊り橋がかかる海峡は全くの無風で穏やかだった。

1640分、コリントス海峡北側のGalaxidhiに舫いを取る。係留場所を捜していると、こっちだと空きスペースを示している男が居る。舫いも取ってくれ水・電気はここだ、燃料はいらないか?と親切に言ってくれるがマリネロ(マリーナスタッフ)では無さそうだしと思っていると、最後に10?くれと言ってきた。要するに始めてきたボートに色々と面倒見て小遣いを稼いでいるのだ。その男はパイロットブック(クルージングガイド)にも載っている有名人だった。その後ポートポリスに出向いてTransit Log にスタンプを押してもらうと入港料として10?を要求された。トータル20?だがイタリアに比べれば馬鹿安だ。

コリントス運河を通り、いよいよエーゲ海へ

815日(月) 昨日の午後Corinthの町の小さなマリーナに舫いを取る。そこからコリントス運河の入口まではわずか1マイルの距離だ。運河の通過準備ができたら1時間前にコントロールオフィスにVHFでコンタクトしろと言われたので、朝早起きして7時前にコールするとすぐ来いと言う。12時間は待たされると聞いていたので、ゆっくり朝食を取ってなどと思い何の準備もしていなかったため、あわてて出航する。運河の入口で再びコールすると、数分待てと言われ5分もしないうちにゲートが開いた。周りに運河通過を待つ他の船は1隻も居ない。てまりだけのために運河を開けてくれたのだった。ひっそりと静まり返った早朝のコリントス運河をてまりだけが通過していく。2時間近く待たされ、コンボイを組んでヨットはその最後尾からついていくとばかり思っていたので大ラッキーだ。追い潮に乗って3.2マイル(6km弱)の運河を25分で通過、エーゲ海に出た。エーゲ海側にある運河の管理事務所で通行料を支払う。てまりのボートサイズで208?。距離からすると世界一高い値段の運河という話に納得できた。しかし、カエサルの時代に造られた有名なコリントス運河を独占して通過できた経験を考えると決して高いとは思わなかった。

816日(火) 昨日はコリントス運河を通過後25マイルほど先の温泉が湧き出す港、Methanaに入港した。

港に近づくと海が乳白色に濁っている。温泉独特の硫黄臭が漂いあきらかに海中から温泉が湧き出している。てまりが舫いを取った埠頭の目の前に立派な建物があり、そこが温泉療養施設だった。午前6時から開いているというその施設で温泉を楽しんだ。個室に案内されると2つのバスタブがあってそこにお湯を注いだあとスイッチを入れると底から泡が吹きだすジェットバスだった。お湯は舐めて見ると塩辛く明らかに海水だが久しぶりにゆったりとバスタブで温泉入浴ができて気分がリフレッシュできた。

今日はMethanaから15マイルほど走りPoros島にアンカリング。ギリシャ本土との狭い海峡は波も風も穏やかで何処にでもアンカリングができそうだ。途中立ち寄った海岸には目の前に古代の遺跡があり、ギリシャをクルージングしているということを実感する。

Porosの町は島のちいさな半島にあるこじんまりとしたリゾートタウンだが世界中からプレジャーボートが集まってきているギリシャらしい素敵な町だ。海岸通りのレストランで名物のタコのグリルやムサカなどギリシャ料理を満喫、ビールやワインを飲んで4人で50ユーロ弱、一人2000円でお釣りがくる値段だった。

818日(木) 昨日はAigina島南端の小さな漁港Perdikaに停泊。今日は午後の飛行機でサッコとムネハルがパリに戻る必要があるため、午前8時前に出航して20Mほど走り、アテネに一番近いマリーナがある町PiraeusZea Marinaにお昼前に舫いを取った。Zea Marinaはギリシャでは珍しくすべてが完備した近代的なマリーナで、もちろん自分でアンカーを打つ必要もない。陸から電気取るためのアダプターを用意してくれた男が何処から来た?と聞くので日本からと答えると、俺は船員時代何度も日本に行った事がある。名古屋・大阪・広島・・・・・日本は大好きだ。こういった調子で話しかけられたのが最初はコリントス運河を渡って通行料を支払うため埠頭に停泊していた時だったが、これでギリシャに来て5人目だ。1週間足らずの間に様々な場所で同じように声を掛けられてビックリした。ギリシャ人の船員を雇っている日本の船も沢山あるようだがギリシャはそれだけ船乗りが多いということなのかもしれない。そして彼らは一様に日本を懐かしがっていた。

サッコとムネハルはシャワーを浴びたあと名残惜しそうに帰って行った。あっという間の1週間だった。イオニア海側の町からコリントス運河を越えてエーゲ海まで、距離としてはあまり走れなかったが、コリントス運河の独占通航や温泉浴、古代遺跡の前で泳いだりと滅多にできない経験ができたと思う。我々も彼らのお陰で貴重な日本食材が入手でき、普段二人でこなさなければならない色々な作業を分担してもらい大いに楽をさせてもらった。 サッコ、ムネハル本当にありがとう。

アテネに近いこのマリーナに数日滞在して、アテネ観光や今後のエーゲ海クルーズプランを練る予定。

 

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2011/08/05 イタリアからギリシャへ From Italy to Greece

2011-08-12 | 旅行

85日(金) イタリア最後の滞在地Crotoneを午前1040分出航、イオニア海をほぼ真東に横断してギリシャのPaxoiという小さな島に向かう。約140マイル・24時間の航程だ。

出航後2時間ほどは20ノットを越える風が吹いていたがその後落ち始め、最後まで強い風は吹かず86日(土)午前11時過ぎPaxoi島のGaiosに到着。ここのところロングランというと必ず後半はアゲインストの強風の洗礼を受けタフな航海を強いられたが、今回は久しぶりに楽な航海だった。

島とギリシャ本土間の海峡を抜けていくと様々なヨットが行き交っている。クリスタルブルーに澄み切った海は波もなく風も静かで、何処でもアンカレッジになりそうだ。これからのイオニア海・エーゲ海クルーズに期待が膨らむ。

Gaiosは本当にちいさな島の小さなリゾートタウンだが夏の真っ盛りとあって町も港も大賑わい。てまりは早めに到着できたため、町の中心部のまん前に舫いを取る事ができた。目の前にレストランが並びスーパーもパン屋も八百屋も歩いて数分という便利さは有り難かったが、深夜まで騒ぐ声に安眠を妨げられ痛し痒しというところだった。

 ギリシャでは施設の完備したレジャーボート用のマリーナは少なく、ここも自分でアンカーを打ちバックして岸壁に舫いを取るスタイル。今回は隣の船が岸壁から舫いロープを取ってくれたが、すべて二人でこなさなければならないので大変だ。慣れない真理に大声で指示を出しながらなんとか無事に着岸することができた。

舫いを取ってくれた隣の船にポートコントロールオフィスの場所を聞き、船の登録書類やパスポートを持ってでかける。EU内からの入国なので入国審査は不要だが、ギリシャをクルーズするプレジャーボートは毎回立ち寄った港でチェックを受けるための書類を購入する必要があるのだ。

87日(日) 朝8Paxoi島のGaiosを出航、南にあるLevkas島のOrmos Vlikos湾を目指す。

途中、ギリシャ本土とLevkas島北端との間にあるLevkas運河を通る。この運河は現在塩田として利用されている浅い海域を掘って作られた運河で全長は2.5マイルほど。幅は狭く水深は浅いところで3mほどしかないため、利用するのはもっぱらプレジャーボートだ。通行料はタダだが運河の北側入り口に本土と島を結ぶフローティングブリッジが掛けられており、毎定時毎に跳ね橋が上がる時間以外船は通行できない。てまりも橋の手前でアンカリングして45艇のヨットと共に30分ほど待った。サイレンの合図とともに浮橋が90度回転し同時に両側の橋が45度ぐらい跳ね上がって船が通航できるようになる。橋の両側で待っていた船が一斉に一列になって橋を通過していく様は中々面白かった。 運河を抜けると両側に山が迫る狭い海峡で三重県の鳥羽のあたりと良く似ている。今日の泊地はLevkas島東南にある広大な入り江Ormos Vilkos湾。完全にシェルターされた入り江は楽に千隻を越えるヨットでも収容できそうな広さだ。今日は上陸もしないで、ここでイオニア海横断の疲れを癒すことにする。

88日(月) 朝7時錨を上げて出航。イオニア諸島とギリシャ本土の間の狭い水道を抜け、コリントス海峡につながるPatraikos Kolpos湾に入り、ギリシャ本土側のMesolongionに舫いを取ったのが午後3時半だった。

 

時差のある事に気が付く

スペインのAlmerimarを出航して丁度2カ月が過ぎた。走行距離は約2000マイル(3700km)、地図で確かめると直線距離で西から東に約1200マイル(2200km)移動してきたことになる。日本なら沖縄本島と北海道東端ほどの経度差だ。東に移動した分夜明けが早く日が沈むのも早くほぼ日本と同じ感覚になってきたので、こちらもスペインタイムから1時間ほどすべての時間を前倒しすることにした。ところが、実際にギリシャでは1時間時計の針を進めなければいけなかったのだ。Mesonongionのポートコントロールオフィスの掛け時計を見てハッと気が付いた。この2日間1時間遅れた時間で行動していたことになる。うーむ、それだけの距離を移動してきたのかと少し感慨にふけった。

810日(水) 昨日はMesonongionから17マイルほど先の、コリントス海峡最大の町Patrasに移動した。ここで、ギリシャ国内をクルーズするのに必要なTransit Logという書類を入手する必要がある。ギリシャのお役所は、EUのお荷物と言われ経済破綻寸前の国らしくスペイン以上に機能していない。Transit Logを入手するため既に3カ所のポートオフィスで断られ、ここPatrasでもあっちへ行けいやこっちだと昨日からたらい回しにされ、半日かかってようやく手に入れる事ができた。しかし、経済が弱いという事は物価もスペイン同様に安いのでその点では大助かりだ。

 

またもエンジントラブル

811日(木) 明日ヨット仲間が日本から合流するので、待ち合わせ場所のCorinthまで65マイル(約115km)を走る必要があり、まだ暗い朝520分にPatrasを出航した。数マイル先に世界一の吊り橋が掛かっている幅1マイルの狭い海峡がある。その海峡に入っていくといきなり猛烈な風が前から吹いてきた。瞬間では40ノットを越える風だ。潮流も逆に流れているのでボートスピードががくんと落ちた。エンジンの回転数を上げてなんとか5ノットで橋をくぐる。その頃からエンジンが咳き込み始めた。その間隔が短くなってきたと思ったら、再びエンジンストップ。即セールを上げるが強風の向かい風で中々前に進まない。 エンジンをかけて見るとかかる。しかしときどきの咳き込みは続き、15分ほどすると再び停止。前回と症状は違うが、完全に燃料が目詰まりを起こしているようだ。このままではいつまでもつかわからないのでPatrasに引き返す事にした。帰りは追い風と追い潮に乗って、往路は2時間かかったところを40分ほどでマリーナに戻る。

日本から来るヨット仲間には何とか電話で連絡が取れたので、Patrasに来てもらうように頼んだ。マリーナオフィスに呼んでもらったメカニックにエンジンを見てもらう。一次燃料フィルターをはずしてみると、そこにはドロっとしたバクテリアこびりついていた。最初のエンジントラブルの際、スターボード側燃料タンクのコックが閉まっていた事に気が付き、その後はそちらのタンクを使用していた。おそらくそのタンクに入っていた燃料は45年前に入れたものに違いなく、底に溜まっていたバクテリアがフィルターを目詰まりさせたようだ。当面はバクテリアを分解する薬品を入れて様子を見るが、抜本的には燃料タンクを空にして掃除をする必要があるようだ。

とりあえずエンジントラブルの原因は取り除けたので、明日からはてまりでのクルージングを楽しみに日本からやってくる友人の期待を裏切らない楽しい旅にしたいと思っている。

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Sicilyからイタリア本土へ From Sicily to the Main land of Italy

2011-08-05 | 旅行

8月1日(月) 活火山の島Vulcanoで温泉や海水浴を楽しんだあと20マイルほど離れたSicily島のPort Rosaに向かい、夕方ArcoirisⅢとランデブーした。ArcoirisⅢは2008年にフランスで船を購入して以降のんびりと良い季節の間だけ地中海をクルーズしている。既に3年地中海に居る訳だが、オーナーの垣見さんは地中海がすっかり気に入って、日本に船を持って帰らず将来的にも地中海に船を置いていたいと考えているそうだ。

夕食はArcoirisⅢの垣見さん夫妻、畑中さん、伊藤さん達と情報交換をしながら楽しいひと時を過ごした。彼らはベネチアからIonia海のクロアチア沿岸を南下しギリシャに入ってからイタリアに来たので、我々がこれから向かうギリシャのマリーナ情報を色々といただき大いに助かった。

8月2日(火) Porto Rosa ~ Crotone (150マイル)

7時50分、AlcoirisⅢのメンバーに見送られる中を出航。 メッシーナ海峡を目指す。メッシーナ海峡はSicily島とイタリア本土の間の狭い海峡で北側の一番狭いところは3kmも無い。西側のティラニア海と東側のイオニア海という性質の違う海水が狭い水道で混じり合うため、潮の満ち干とともに最大4ノットの潮流が流れる場所だ。事前に調べたところ、我々が海峡を通過するのは満潮を少し過ぎてからなので、南下する我々にとっては追い潮になる。Sicily島東端のCapo Peleoroをかわしメッシーナ海峡に入っていくといきなり海面のざわめきが見え始めた。川のような流れがあちこちに見られる。鳴門海峡のようだ。てまりは追い潮と追い風に乗ってどんどんスピードを上げていく。潮にのっているためスピードはあまり感じないが、対地速度は10ノット近い。やはり4ノットの追い潮だ。遠くには名物の独特なかたちをしたカジキ漁船が数隻見える。ヨットのような高いマストの見張り台と船の長さの1.5倍はあろうかと思うバウスプリット(船首の前に張り出した長い梯子。その先っぽでカジキを討つ)は異様なかたちだ。激しく潮流のぶつかりあうこの海峡には餌を求めてカジキマグロが集まるようだ。 また、本土側の町Reggio Di CalabriaSicily側のMessinaの間は頻繁に大型フェリーが行き交い緊張を強いられた。 当初の予定では海峡の町Calabriaに1泊しイタリア本島の足の裏に沿って北上する予定だったが風も安定しているようなので、このまま150マイル先のイタリア本土の町Crotoneを目指すことにした。

予想に反した強風とトラブル

予報では、Capo ColonneをかわしてCrotoneまで最後の10マイル以外は穏やかな陸風のはずだったが、メッシーナ海峡を渡りイタリア本土側に入るといきなり180度反対方向から風が来た。それも最大30ノットと強い。午後3時頃真理が「ブームバングが外れている」と叫んだ。見るとバングをマストに固定している金具が破損していた。シートで応急修理。その後コロコロと変わる風力に合わせてメイセールの上げ下げを繰り返していたところボルトロープの破損を見つけた。メインのリーフをする際、きちんと船を風に立てず電動ウィンチで強引に巻き上げていた時にやってしまったようだ。やはり何事も手抜きは禁物と肝に銘じる。そして夜中、またまた突然のエンジンストップ。やはり二度ある事は三度あるという格言は生きていた。しかし三度目ともなると冷静に対応できる。どうやら3つあるタンクのうちポート(左)側のタンクが空に近くなるとエアを吸ってエンジンが止まってしまうようだ。 幸か不幸か風は強い向かい風だが安定しているので、エンジンは使わずできるだけセーリングで行く事にした。Crotoneまであと15マイルほどに近づいたが依然として風は強いアゲインスト。空に近くなったタンクのバルブを閉めたので、もうエアを吸って止まる事は無いハズだと信じ、意を決してエンジンスタート。83日(水)正午過ぎ。無事Crotoneのマリーナに舫いを取る事ができた。

 

Crotoneは鄙びた庶民的なビーチリゾート。日本なら西伊豆の戸田といったところ。マリーナは値段も安く親切で、マリーナスタッフに破損したメインセールとブームバングを修理したい意向を伝えるとすぐに業者を手配してくれた。イタリアにしては珍しく数時間もしないうちに業者が来てくれて、明日までに修理をしてくれることになりほっとした。エンジントラブルについてはメールでALUBAT社に症状を説明し至急改善策を提示するように依頼した。いつエンジンが止まるかわからないという状態は、経験者ならわかると思うがなんとも不安で仕方がない。原因はある程度特定できたので、当面はできるだけマメに給油をして凌ぐしかない。

84日(木) 今日はギリシャへ渡る準備。食料の買い出し、洗濯、写真の整理などをして過ごす。

夕方、修理したメインセールを運んできてくれた。その後破損したブームバングの金具を新たに作り直して持ってきてくれた。両方とも完璧だ。

明日でイタリアの滞在が終りしばらくはギリシャの海域をクルーズする。イタリアには714日から3週間滞在したことになるが、エンジントラブルから始まり様々なトラブルに見舞われたお陰でゆったりと過ごした時間が少なく、日々何かに追われているような毎日だった。イタリアはマリーナの値段も高い割に設備はお粗末なところが多いが、素敵な町や入り江も多く、来年はもっとゆったりとこの国の良さを味わって過ごしたいところだ。

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