Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

5月18日(金)~26日(土) ALANYA~TASUCU

2012-05-27 | 旅行

5月18日(金) 68マイルの長丁場のため、まだ暗い4時過ぎにKEMERを出航した。8時ごろから風が吹き始め、10時過ぎには良い風になり予定より早い午後3時過ぎにALANYAに入航。ポンツーンにはここからてまりに乗ってもらう、僕のスキークラブの先輩で日本ではヨットのオーナーでもある岡野さんが待っていた。

 

5月19日(土)~21日(月) 世界遺産CAPPADOCIAへ小旅行

朝4時、以前に行ったことがあるという岡野さんを船に残して他のEMYRメンバー達とともにバスで600㎞離れたCAPPADOCIAへ出発した。EMYRのオプショナルツアー最大のイベント、2泊3日のカッパドキアツアーの始まりだ。

途中。扇舞教団として知られ彼らの儀式であるセマー(扇舞)は今でも伝統的な舞踊として続けられているメヴレヴィー教団の霊廟であったメヴラーナ博物館に立ち寄った。現在のトルコはイスラム教が主体の国だが政教分離と完全に宗教の自由が認められている。同時に政治的な思想を持つ宗教は厳しく取り締まられており神秘主義のメヴレヴィー教団は解散させられ現在は博物館として一般開放されている。しかし熱烈な信者が今も数多くいるようで沢山の信者がかっての霊廟に礼拝に訪れ、メヴラーナの棺やムハンマドの髭が飾られたガラスケースに群がり、そこに手を触れて泣き叫ぶ人たちも数多くみられた。

 

カッパドキアはイスタンブールと並んでトルコで最も人気のある観光スポットとして知られている。自然の生み出した様々な造形、数千年の昔からその恵みを生かして、暑さ寒さや外敵の攻撃から身を守る居住空間として利用してきた証が残されている、驚くほどのスケールの大きさと見たこともない造形群にただ目を見張るばかりだ。

 

旅行2日目は一番やりたかった熱気球でのカッパドキア見学。 夜明け前の午前4時半にホテルを出発し気球の離陸地点に向かう。標高1000mの高原の朝は寒い。熱風を吹き付けて次々にバルーンが立ち上がる。一つのバルーンに乗客最大24人が詰め込まれ、熱風で膨らんだバルーンはゆっくりと空に浮かぶ。周囲を見ると次から次へと気球が上昇していく。その数60数機。地上で待っている間は寒かったが、狭い空間に詰め込まれ、すぐ近くで焚かれるガスボイラーの熱で飛行中は思いのほか暖かい。

空から眺めるカッパドキアの不思議な造形美とその中に溶け込んで浮かぶ沢山の熱気球の姿は本当に絵を見るような情景だった。

 

更に驚いたのは熟練パイロットの操縦技術だ。 気球は風任せで何処に降りるかはその日の風次第だと思っていたのだが、高度や様々な地形の変化によって作られる大気の流れの変化を的確に知り、時には上昇し時には深い谷間に入りながらあらかじめ決められたランディングスポットに気球を運んでいくのだ。そして、そこに待っているわずか数メートル四方の車に牽かれた台の上にピンポイントでランディング。パラグライダー歴20年、「ベテランパイロット」を自称する僕の目から見ても、そのテクニックは驚嘆するものだった。カッパドキアで遊覧飛行をする気球のパイロットになるためには、500回以上の飛行履歴が必要なのだそうだ。

 

523日 ALANYA から BOZYZI (63マイル)

昨晩はALANYA MARINAの招待でドレスアップが要求される2回目のディナー。いつもの通り食事の中盤から参加者たちのダンスが始まる。やはり欧米人の楽しみにダンスは欠かせないのだろう。

 

我々はBOZYZIまで63マイルの長丁場が控えており、カッパドキアツアーは連日朝4時起きというハードスケジュールだったため早々に退散してベッドに入った。

 

540分出航。まったくのべた凪の海をエンジンで走る。1時間ほどすると風が出始め、最初は陸からの風が10時ごろには南に変わりその後南西に回って時間を追って強くなった。途中から目的地までは完全な追い風。ブローで最大50ノット(約25m)の風が吹きマックス10ノットを超えるスピードで快走し午後3時過ぎBOZYAZI のちいさな漁港に到着した。次々と先行艇を追い越すてまりの安定したダウンウィンドセーリングに、入港後沢山の人たちから「すごい走りだね」と声をかけられ満足。

 

525日(金) BOZYAZIからTASUCUへ (53マイル)

今日は53マイルと前回より短いレグだが午後から強風が予想されたため全艇早めの到着を指示された。

ほとんどの船は朝5時から6時過ぎにスタート。午前中は風が強くなったり弱くなったり安定しなかったが昼を過ぎると西寄りの風が徐々に強まり時折40ノットを超えるようになった。コースはほぼ東なので追い風。早々とメインセールを降ろし、ジブとステースル2枚で快走する。港が見える頃には突風が50ノットを超えるようになった。

チームキャプテンからの指示で、当初の予定を変更して同じTASUCUにある大きい方の商業港に各自アンカリングをすることになった。港の中もものすごい風が吹いており安全なアンカリングポジションを探すのに苦労した。

強風のため上陸もままならず、今日のウェルカムパーティーはキャンセルになり皆船の中で過ごすしかなかった。

 

526日(土) TASUCU ハーバー

7時過ぎ、昨日の風が嘘のように収まり静かになったTASUCUの商業港から西側にあるレジャーボート用ハーバーに移動する。岸壁にずらりと並んだEMYRの参加艇はなかなか壮観だ。

TASUCUは小さな漁港の町でリゾートタウンではないが、年に一度のこのイベントのために町を挙げた歓迎体制が敷かれているようだ。

明日は64マイル走ってキプロス島に向かう。

その他の写真はこちらからご覧いただけます。


5月7日(月)‐17日(水) トルコ・Marmaris~Kemer

2012-05-19 | 旅行

57日・8日 トルコ・Marmarisにて

トルコ南岸は山に囲まれていきなりドロップオフした複雑な地形が形成されており、天然の良港が沢山ある。周囲を山に囲まれ大きな入り江に面したマルマリスもそのひとつで、昔ロードス島を攻めたオスマントルコの兵站を担う拠点だったところだ。現在はトルコでも有数のリゾートタウンとしてにぎわっている。ロードスなどの島と比べて格段に温度が高く乾燥しているのに驚いた。北からの涼風Meltemiが陸を超えて回り込んでくる間に乾いた暖かい風になってしまうためだろう。トルコのサントロぺと言われるBodrumほどお洒落な町ではないが、町に隣接するNestle Marmaris Marinaの周辺にはブティックや小洒落たレストランが立ち並ぶ。停泊料もトルコではかなり高いほうだが、マリーナは活気に溢れヨットも人も頻繁に出入りして気温とともに真夏を思わせる賑わいだ。

 

GocekEMYR(東地中海ラリー)のグループに合流

59日(水) 午前7時過ぎMarmarisを出航、45マイル走って午後3時過ぎGocekに到着した。風も波も終始穏やかで1度もエンジンを切ることができなかった。

Gocekのマリーナを無線で呼び出し、EMYRの参加艇だと言うとラリー参加艇のために確保されたバースに案内してくれた。我々が舫いを取り終える頃に続々とラリー艇が到着してきた。Didimのマリーナで一緒だったフランス艇VANILLE、昨年Cesmeで知り合った南アのカタマラン艇TINA-TWOも到着、早速TinaEMYRの参加者達を紹介してくれるが一度ではとても覚えきれない。

1990年に始まったEMYRは今年で23回目を迎える。当初はトルコ国内の小さなラリーだったが年々規模が広がり、現在はイスタンブールをスタートしてトルコ南岸を巡り、キプロス、シリア(今年は政情不安のためスキップ)、レバノン、イスラエル、エジプトを2か月かけて回るビッグイベントに成長した。参加艇も一時は100艇近くを数えたこともあるという。今年は中東情勢を不安視してか参加艇も33艇にとどまったがそれでも参加人数は100名を超える。 てまりの隣に舫っていたMASHONAのオーナーで、ラリーオーガナイザーの一人としてEMYRに欠くことのできない人物Davidから、「君たちは3艇目の日本人参加艇だ」と言われた。最初の参加艇は20年前に参加したパワーボート・ハイドレンジャー、2番目は3年前に参加した杉原さん達のハーモニーⅥ、そしててまりだ。

ヨットのラリーは自動車のラリーとは違い速さを競う競技ではなく、むしろヨットのグループ旅行といった方がふさわしい。主催者は完全なボランティアだが様々なスポンサーを付けて寄港地のアレンジからオプショナルツアーまですべて手配してくれる。マリーナの係留代は参加費に含まれ、更に各マリーナはこのラリーを大事なプロモーションと捉え歓迎パーティーなどで最大級のもてなしをしてくれる。

今回は船の大きさによって3つのグループに分けられ、我々はグループ2に配属された。参加艇の出発時間は自由だが、係留作業をスムーズに行うためグループごとに決められた時間に目的地に到着する必要があり早すぎてもいけない。また4時間ごとに無線での交信が義務付けられており自艇の位置とトラブルの有無などをレポートする。

今回の参加艇クルーは102名のうち約半分がイギリス、20名がフランス、その他はベルギー・アイルランド・トルコ・オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ・デンマーク・南アフリカ・日本・シンガポール・ルクセンブルグといったところが数名ずつ。共通言語は英語だが様々な言語のやり取りが飛び交っている。

アジアからの参加艇はてまりだけなので他の艇からの関心も高く、我々も色々と気を使わなければならない。

 

511日(金) GOCEKからKASへ 

午前6時半、他のラリー参加艇と共にGOCEKを出発、52マイル先のKASに向かう。風は終始穏やかだったが途中から追い風になり、我々がセールを観音開きに展開するとスピンやジェネカーを張る船が出てきてスピードを競うように走り始めた。やはりヨット乗りは風が吹き出すと元気になるようだ。

午後4時半、KAS MARINAに到着。KAS MARINAは昨年オープンしたばかりの新しいマリーナ。町にも近く施設も整っていて気持ちが良い。出来立てのマリーナなので歓迎の度合いにも気合が入っていた。

512日(土) オプショナルツアーに参加

今日はEMYRが用意してくれたオプショナルツアーに参加、古代ローマ時代この地域の首都だったXanthosPatras、そして深い渓谷のSaklikentなどを巡るツアーに参加した。朝9時から夕方4時半に戻るまで貸し切りバスにガイド付きランチ付でゆったりと回るツアーで一人25?はかなり良心的な値段だと思った。 こうしたツアーが各寄港地ごとに用意されている。参加は自由だが内容と値段を見ると十分に安いので、今後もできるだけ参加するつもりだ。

513日(日) マリーナから徒歩10分ほどのKasの町を散策した。周囲を切り立った山に囲まれ、小さな港までの傾斜地にこじんまりとまとまった、感じの良いリゾートタウンだ。レストランの値段表示はポンドとユーロを併記してある店が多く、ここも英国やユーロ圏のお客が多いことがわかる。トルコの有名なシーサイドリゾートの大半がまだ圧倒的に外国の客で維持されている。EMYRもトルコからの参加艇は1艇だけだ。最近の経済成長著しいトルコだが、欧米諸国に比べるとまだまだ生活のゆとりが少ないということなのだろうか。

514日(月) EMYR参加6日目。KASからFINIKEへ 

35マイル東のFINIKEまで、GOCEKから途中参加したてまりにとっては2回目のクルーズ。他の船は6時過ぎからどんどんマリーナを出ていく。我々がマリーナを出たのは後ろから3番目、8時20分に出航した。FINIKEのチェックインタイムは午後4時以降と言われているのであまり早く出ても時間を持て余してしまう。他の船は途中のアンカリングスポットで船を停めて泳いだりのんびりと過ごしていたらしいが、我々はまだこの気温ではとても海に入る気にはならず、ゆっくりと時間調整をしながらクルーズし午後3時過ぎに到着。マリーナ入口にアンカリングしてスタンバイ。4時半過ぎ第2グループ3番目に舫いを取ることができた。

517日(木) KEMER

昨日FINIKEから41マイル走ってKEMERに移動した。天気は時々雨が降る曇天だったが、久しぶりに30ノットを超える強い風が吹いた。最初の14マイルはやや前からの風だったが、岬を超えてKEMERまでは真追手の風。てまりが得意とするジブとステースルの観音開きで快走。先行艇を次々と抜き去った。

今日のチェックインタイムは午後2時半の予定だったが、風が良くほとんどの船が時間より早く到着するため先着順に入港することになった。 我々は到着予定時間から逆算してかなり遅くスタートしたが7番目に舫いを取ることができた。オーガナイザーの適切な判断に感謝。

今日はオプショナルツアーで近くの山にケーブルカーで上る予定だったが、山は雲に覆われて悪天候が見込まれたためキャンセルとなったため、午後から買い物がてらKEMERの町を散策した。

KEMERの町はトルコの中でも比較的新しいリゾートタウンのようだ。町並みは新しくきれい。マリーナのすぐ隣から湾を囲むようにビーチが広がり、そこは既に夏の賑わいを見せていた。

夜マリーナ主催のディナーパーティーが開催された。男性はネクタイとジャケット、女性もドレスアップが義務付られている。パーティーの半ばを過ぎたころ参加国の代表が国旗を持って簡単なスピーチをするようにと言われた。いきなり言われたため気の利いたジョークの一つも言えず通り一遍の挨拶になってしまい反省。

そして、明日はALANYAまで68マイル(約130㎞)の長丁場だ。

 

その他の写真はこちらからご覧いただけます。

 


5月1日(火) 2年目の地中海クルーズに出航

2012-05-08 | 旅行

 

51日(火) トルコ Didimからギリシャ領Kalimnos島へ向けて初航海

まだ終わっていない修理があるのだが、クルージングに支障のあるものではないので、それはまたDidimに戻ってきた時にやってもらう約束をして、朝9:40 約半年お世話になったDidimのマリーナを出港、26Mほど離れたギリシャ領Kalimnos島に向かう。

波も風も穏やかで初航海にはうってつけの天気だ。午後3Kalimnos島到着。4隻のヨットが舫いを取っていた岸壁に着岸したが午後6時を過ぎる頃までに続々とヨットが到着し広い岸壁はあっという間に埋まってしまった。Kalimnos島はスポンジ海綿を獲るダイバーの基地として有名な島で、ギリシャのドネカネス諸島の中ではRhodes, Kosに次いで3番目に人口の多い島だ。今日はメイデイで祭日のためお店はほとんど休み。街の中はひっそりと静まり返っていた。

5月2日()-4日(金) KOS

5月2日、Kalimnos島から17マイルほど走ってKOS島に移動。Kos Marinaに舫いを取る。マリーナは設備も整っており町にも近く気持ちが良いところ。

KOS島は医学の父ヒポクラテスの生地として知られているが、町のシンボルは14世紀に聖ヨハネ騎士団によって建造されたCastle of the Knights。 そのほか町の中には古代ギリシャの遺跡や20世紀初頭イタリアの植民地時代に建てられた瀟洒な建物など、この島の複雑な歴史を物語る遺跡が数多く残されている。緑が多くゆったりと作られた町並みは自転車でのんびりと散策するのに丁度よい大きさだ。まだシーズン前で町は静かだが7・8月は世界中から集まる観光客であふれ返るらしい。

我々がEMYR(東地中海ラリー)参加前にギリシャの島に来たのは、船と我々のシェークダウンと同時に酒と肉類の買い出しという大事な目的がある。

トルコはイスラムの国。基本的に豚肉を食べないため、ハムなどの加工食品も高くて不味い。アルコール類も税金が高いらしく、スコッチウィスキーが15,000円ほど、330mlの缶ビールが150円ぐらいだ。ワインも500円ぐらいからあるが飲めたものではなく、1500円程度出さないとだめ。それに比べるとギリシャではビール180円、ワインも5600円で飲めるものがあるし、1500円も出せばかなり上等なものが手に入る。

KOSのマリーナにあるスーパーは船までのデリバリーサービスがあるので、そこでワインとビールを大量に仕込んだ。これで、約2か月間イスラムの国々を回る間もアルコールに不自由せずに済みそうだ。

 

5月4日(金)‐6日() SIMI

5月4日、40マイルほど南東に下りSIMI島に移動。SIMIタウンの1マイルほど北には小さな島があり、その間の水道は幅が50m、水深が浅いところは4m弱しかない。小島をぐるっと回ると30分以上余計にかかるため、ドキドキしながらその水道を通過した。

SIMIの町は典型的なギリシャのリゾートタウン。 海岸沿いにはレストランや土産物屋が並び、家は崖にへばりつくように建てられている。急な階段を上り下りする以外に道路が全くない家も多く、大きな買い物袋を抱えた奥さんが汗だくになりながら階段を上って来るところに出会った。景色は良いだろうが生活するのは大変そうだ。

海沿いの道を歩いていると、昔船員の頃何度も日本に行ったことがあるという漁師に声をかけられた。翌日漁から戻ってきた船に行って獲れたての魚を買うことができた。久しぶりに刺身にありつける。

 

5月6日(日)‐9日(水) RHODES

5月6日 朝7時15分SIMIの港を出航、RHODES島に向かう。距離は25マイルしかなかったのを45マイルと勘違いし朝早く出たので10時半には着いてしまった。RHODES島はドデカネス諸島最大の島で、エーゲ海に浮かぶギリシャの島々の中でもトップクラスの人気の観光地なのだがマリーナが無い。かなり以前に300隻規模の収容能力を誇るマリーナの建設が着工されたが、経済破綻の影響で4-5年前に工事がストップされたままいつできるか目途も立っていないという。

レジャーボート用の広い港はあるのだが、ほとんどのバースがチャーターヨットに占領されている。我々も空いていたバースに着けたところ、チャーター管理のオヤジが怒鳴り込んできて他に移動しろという。色々話して1泊だけならOKということになったが、風も強くなってきていたので動かさずに済んでほっとした。

RHODES島最大の見どころは、まるごと世界遺産に指定された城壁に囲まれた旧市街。16世紀に対イスラム最前線基地のひとつとして、聖ヨハネ騎士団が築城した。攻め寄せる十万人のイスラム軍に対して市民を含むわずか数千人で城を守り、約半年間の攻防の末落城した顛末は塩野七生ファンの方ならご存知「ロードス島攻防記」に詳しく記されている。

昨年から地中海の様々な町で城壁に囲まれた旧市街を見てきたが、この城壁のつくりの見事さは他を圧するものがある。ここでイスラム教対キリスト教の激しい戦いが行われた事に思いを馳せ胸に迫るものがあった。今はレストランや土産物屋が立ち並ぶお洒落な観光地に変貌した旧市街だが、随所に当時の要塞の名残を留めており、散策して飽きない素敵な町だ。

5月7日(月) RHODES島からトルコ MARMARIS (21M)

当初はRHODES島に3日間ほどいる予定だったが、泊地の事情と何故かWIFIが全くつながらず必要なメールチェックができなかったため、仕方なく24時間の滞在で午前11時過ぎRHODESを離れ、対岸のトルコ・MARMARISに向かった。 明後日GocekEMYR(東地中海ラリー)に合流するためMARMARISには2日ほど滞在予定だ。

 

そのほかの写真はこちらからご覧いただけます。