シチリアからチュニジアへ
6月14日、海は強い西寄りの風が吹いていたが、徐々に北にシフトして弱まる予報を信じて午前10時過ぎシチリアのSciaccaを出航、150マイル先のチュニジアMonastirを目指し南西に進路を取る。時折大波を被るがステイスルと1/3ほどにリーフしたメインで7ノットのスピードで快走する。当初の予定では中間にあるイタリア領Pantelleria島に寄って1泊するつもりだったが、シチリアでのんびりしすぎたためオーバーナイトでチュニジアに直行することにした。夜9時過ぎ、Pantelleria島の南を通過する。
予報どおり夜半から風は北寄りに変わり徐々に収まってきて、チュニジアをランドホールする頃にはすっかり穏やかになっていた。6月14日現地時間午前11時過ぎMonastir入港。
Monastirのマリーナは古くから欧米のヨットが冬季船を係留する場所として開発されたため、入国・通関手続きもいたって便利が良い。事前に収集した情報では税官吏やポートポリスに手土産が必要とされていた。すべてスムースに手続きが終了したので、てまりの搭載品をチェックしにきたポリスと税官吏にチョコレートを渡すと、税官吏から「俺は酒が好きなんだけど・・・・」とささやかれ、ここではまずいからあとで書類を取りに来た時にオフィスまで持ってきてくれと言われた。やっぱり、と思ったが手続きで支払った費用は5?だけだったので、ウィスキー1本とチョコレートを含めても安いものだった。
チュニジア独立の父・ブルギバ初代大統領生誕の地Monastirは、大統領の肝いりで欧米人を受け入れるためのリゾート地として発展した町。旧市街(メディナ)から巨大なブルギバ霊廟を挟んで、欧米並みのお洒落なマリーナときれいなビーチが続いている。チュニジア人は98%がアラブ系という。顔つきも、お店の店員やタクシーのしつこい勧誘もトルコそっくりだ。しかし、独立前フランスの植民地であった影響でフランス語が第2公用語になっており、かなりの人達がフランス語を話すが英語はほとんど通じない。マリーナに停泊しているヨットも圧倒的にフランス船籍が多い。我々も、ようやく少し覚えたイタリア語をフランス語に切り替えなければならないので大変だ。
6月17日(月) Monastirからローカル電車に乗ってチュニジア第3の都市で、チュニジアを代表する観光地とされるSousseに出かけた。電車は25分ほど遅れて出発、更にドアの故障で10分ほど遅れて30分の予定が1時間以上かかってSousseに到着した。旧市街(メディナ)のはずれにある考古学博物館には、極めて保存状態の良いローマ帝国時代のモザイク画がたくさん展示されており、その精緻な絵柄に見入ってしまった。しかし、旧市街のメインストリートはしつこい押し売りに嫌気がさす、安物の土産物屋がびっしりと軒を連ねる昔のアメ横のような通りで、他に見るべきところも無い。これが世界遺産?と首をかしげたくなるところだ。メディナの北東の端にあるグランドモスクは、ショールで足を隠せばイスラム教徒でなくても中庭には入ることができる貴重な場所の一つだ。
メディナの北側には遠浅のビーチが広がり地元の人たちが海水浴を楽しんでいた。肌をむき出しにした女性はほとんど見当たらない。ショールで頭を覆いロングスカートのイスラム衣装のまま海に入っている女性も見かけた。やはりチュニジアはイスラムの国だという事を実感する。
今年初の猛暑とノーアルコールランチを体験
6月19日(水)、Monasitirから60㎞ほど内陸にある町Kairouanを訪ねた。この町は北アフリカにおけるイスラム発祥の地として知られ、イスラム世界ではメッカ・メディナ・エルサレムに次いで4番目に重要な聖都とされている。ルアージュと呼ばれるミニバスで1時間ちょっと。窓を開けて走る冷房のないミニバスに入ってくる風が次第に熱風に変わり始めた。町に着くと猛烈な暑さに包まれる。真夏は50℃近くになると言うが、この時期でも35℃ぐらいはありそうだ。今まで海の涼風に慣れていた体にはきつい暑さだ。メディナの端にあるグランドモスクは世界各国から敬虔なイスラム教徒が巡礼に来るそうで、毎週金曜日は3時間の礼拝があり広いモスクは数千人の信者であふれるという。女人禁制のモスクの中で、女性が中に入って礼拝できる数少ないモスクの一つということも、訪れる信者の数が多い理由なのかもしれない。メディナの周辺でレストランを捜したが、観光客相手の店はまったく見つからず、この暑さの中でビール抜きのランチを取ることとなった。
Yasmine Hammametに移動。
6月20日(木)、Monastirから40マイルほど北にあるPort Yasmine Hammametというマリーナに移動した。波の無い穏やかな海を東寄りの順風を受けて、午後2時過ぎに入航。これだけ長いこと航海していても、本当に快適な帆走を楽しめることは滅多にない。風が弱すぎても強すぎても、また風向きがアゲインストだったりするとエンジンをかけて機帆走という事が圧倒的に多いのだ。この日は風向きも強さも適当で、数少ないセーリング日和に恵まれた1日だった。
陶器の町Nabeulと老舗のリゾートタウンHammametを訪問
てまりが停泊しているPort Yasmine HammametはHammametというリゾートタウンから数キロ離れたところにあり、マリーナとビーチ沿いに大型ホテルが立ち並ぶ一大リゾート地帯だ。マリーナ周辺にはレストランやカフェ、土産物を売るショップは沢山並んでいるのだが、生活用品を扱う店が全く無くない。
6月21日、買い物がてらバスでHammametに出かけた。途中町らしきところを通ったのだが、まだ先だろうとそのまま乗っているといつの間にか別の町まで来てしまっていた。バスの終点はNabeulというHammametから更に北に15kmほど先にある海沿いの町。メインストリートには陶器を並べた店が目につく。チュニジアでは古くから陶器の町として知られており、藍色を主体としたナブール焼き陶器を求めてここを訪れる人も多いと言う。
午後は当初の目的地Hammametに立ち寄り食料品の買い出し。何しろYasmine Hammametには小さなスーパーが1軒あるだけで野菜や果物がまったく手に入らないのだ。マリーナ周辺には豪華なリゾートマンションが林立しているが、ほとんどの窓はブラインドが降りており、生活している人を見かけない。数年前の「アラブの春」で崩壊したベン・アリ政権も20数年にわたる独裁政権の中で不正蓄財など汚職の巣になっていたようだ。巨額の資本が投下されたこのマリーナ周辺施設もまったくテナントが入った形跡のないショップが目立ち、全体としてメンテナンスが行き届いていない。マリーナの中でも花などを売り歩く子供たちが数多く、周辺には物乞いの数も多い。ここチュニジアも先が見えない経済崩壊という試練が続いているようだ。
明日6月23日から3日間ほど、陸路で首都チュニスやカルタゴの遺跡を訪問するショートトリップに出かける。
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