Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

6月14日(金)~6月22日(土)チュニジア紀行 Part 1

2013-06-22 | 旅行

シチリアからチュニジアへ

 

614日、海は強い西寄りの風が吹いていたが、徐々に北にシフトして弱まる予報を信じて午前10時過ぎシチリアのSciaccaを出航、150マイル先のチュニジアMonastirを目指し南西に進路を取る。時折大波を被るがステイスルと1/3ほどにリーフしたメインで7ノットのスピードで快走する。当初の予定では中間にあるイタリア領Pantelleria島に寄って1泊するつもりだったが、シチリアでのんびりしすぎたためオーバーナイトでチュニジアに直行することにした。夜9時過ぎ、Pantelleria島の南を通過する。

 

予報どおり夜半から風は北寄りに変わり徐々に収まってきて、チュニジアをランドホールする頃にはすっかり穏やかになっていた。614日現地時間午前11時過ぎMonastir入港。

Monastirのマリーナは古くから欧米のヨットが冬季船を係留する場所として開発されたため、入国・通関手続きもいたって便利が良い。事前に収集した情報では税官吏やポートポリスに手土産が必要とされていた。すべてスムースに手続きが終了したので、てまりの搭載品をチェックしにきたポリスと税官吏にチョコレートを渡すと、税官吏から「俺は酒が好きなんだけど・・・・」とささやかれ、ここではまずいからあとで書類を取りに来た時にオフィスまで持ってきてくれと言われた。やっぱり、と思ったが手続きで支払った費用は5?だけだったので、ウィスキー1本とチョコレートを含めても安いものだった。

 

チュニジア独立の父・ブルギバ初代大統領生誕の地Monastirは、大統領の肝いりで欧米人を受け入れるためのリゾート地として発展した町。旧市街(メディナ)から巨大なブルギバ霊廟を挟んで、欧米並みのお洒落なマリーナときれいなビーチが続いている。チュニジア人は98%がアラブ系という。顔つきも、お店の店員やタクシーのしつこい勧誘もトルコそっくりだ。しかし、独立前フランスの植民地であった影響でフランス語が第2公用語になっており、かなりの人達がフランス語を話すが英語はほとんど通じない。マリーナに停泊しているヨットも圧倒的にフランス船籍が多い。我々も、ようやく少し覚えたイタリア語をフランス語に切り替えなければならないので大変だ。

 

617日(月) Monastirからローカル電車に乗ってチュニジア第3の都市で、チュニジアを代表する観光地とされるSousseに出かけた。電車は25分ほど遅れて出発、更にドアの故障で10分ほど遅れて30分の予定が1時間以上かかってSousseに到着した。旧市街(メディナ)のはずれにある考古学博物館には、極めて保存状態の良いローマ帝国時代のモザイク画がたくさん展示されており、その精緻な絵柄に見入ってしまった。しかし、旧市街のメインストリートはしつこい押し売りに嫌気がさす、安物の土産物屋がびっしりと軒を連ねる昔のアメ横のような通りで、他に見るべきところも無い。これが世界遺産?と首をかしげたくなるところだ。メディナの北東の端にあるグランドモスクは、ショールで足を隠せばイスラム教徒でなくても中庭には入ることができる貴重な場所の一つだ。

 

メディナの北側には遠浅のビーチが広がり地元の人たちが海水浴を楽しんでいた。肌をむき出しにした女性はほとんど見当たらない。ショールで頭を覆いロングスカートのイスラム衣装のまま海に入っている女性も見かけた。やはりチュニジアはイスラムの国だという事を実感する。

 

今年初の猛暑とノーアルコールランチを体験

 

619日(水)、Monasitirから60㎞ほど内陸にある町Kairouanを訪ねた。この町は北アフリカにおけるイスラム発祥の地として知られ、イスラム世界ではメッカ・メディナ・エルサレムに次いで4番目に重要な聖都とされている。ルアージュと呼ばれるミニバスで1時間ちょっと。窓を開けて走る冷房のないミニバスに入ってくる風が次第に熱風に変わり始めた。町に着くと猛烈な暑さに包まれる。真夏は50℃近くになると言うが、この時期でも35℃ぐらいはありそうだ。今まで海の涼風に慣れていた体にはきつい暑さだ。メディナの端にあるグランドモスクは世界各国から敬虔なイスラム教徒が巡礼に来るそうで、毎週金曜日は3時間の礼拝があり広いモスクは数千人の信者であふれるという。女人禁制のモスクの中で、女性が中に入って礼拝できる数少ないモスクの一つということも、訪れる信者の数が多い理由なのかもしれない。メディナの周辺でレストランを捜したが、観光客相手の店はまったく見つからず、この暑さの中でビール抜きのランチを取ることとなった。

 

Yasmine Hammametに移動。

620日(木)、Monastirから40マイルほど北にあるPort Yasmine Hammametというマリーナに移動した。波の無い穏やかな海を東寄りの順風を受けて、午後2時過ぎに入航。これだけ長いこと航海していても、本当に快適な帆走を楽しめることは滅多にない。風が弱すぎても強すぎても、また風向きがアゲインストだったりするとエンジンをかけて機帆走という事が圧倒的に多いのだ。この日は風向きも強さも適当で、数少ないセーリング日和に恵まれた1日だった。

 

陶器の町Nabeulと老舗のリゾートタウンHammametを訪問

てまりが停泊しているPort Yasmine HammametHammametというリゾートタウンから数キロ離れたところにあり、マリーナとビーチ沿いに大型ホテルが立ち並ぶ一大リゾート地帯だ。マリーナ周辺にはレストランやカフェ、土産物を売るショップは沢山並んでいるのだが、生活用品を扱う店が全く無くない。

621日、買い物がてらバスでHammametに出かけた。途中町らしきところを通ったのだが、まだ先だろうとそのまま乗っているといつの間にか別の町まで来てしまっていた。バスの終点はNabeulというHammametから更に北に15kmほど先にある海沿いの町。メインストリートには陶器を並べた店が目につく。チュニジアでは古くから陶器の町として知られており、藍色を主体としたナブール焼き陶器を求めてここを訪れる人も多いと言う。

 

午後は当初の目的地Hammametに立ち寄り食料品の買い出し。何しろYasmine Hammametには小さなスーパーが1軒あるだけで野菜や果物がまったく手に入らないのだ。マリーナ周辺には豪華なリゾートマンションが林立しているが、ほとんどの窓はブラインドが降りており、生活している人を見かけない。数年前の「アラブの春」で崩壊したベン・アリ政権も20数年にわたる独裁政権の中で不正蓄財など汚職の巣になっていたようだ。巨額の資本が投下されたこのマリーナ周辺施設もまったくテナントが入った形跡のないショップが目立ち、全体としてメンテナンスが行き届いていない。マリーナの中でも花などを売り歩く子供たちが数多く、周辺には物乞いの数も多い。ここチュニジアも先が見えない経済崩壊という試練が続いているようだ。

 

明日623日から3日間ほど、陸路で首都チュニスやカルタゴの遺跡を訪問するショートトリップに出かける。

 

その他の写真はこちらからご覧いただけます。


5月25日~6月12日 シチリア島 南部 Ragusa~Sciacca

2013-06-12 | 旅行

マルタから再びシチリアに戻る

5月25日、マルタのGOZOを朝7時過ぎに出航、48マイル走ってシチリア南部のMarina di Ragusaに午後3時舫いを取る。Marina di Ragusaは町の名前の通り、マリーナを中心に町が広がる新しいリゾートタウンだ。マリーナ周辺を見ると、この時期まだ大半の家のブラインドは閉じたままで、ほとんどがセカンドハウスらしく町も閑散としている。

 

5月27日(月)バスで20kmほど内陸にあるRAGUSAの町に出かけた。両側を急峻な渓谷沿にはさまれた旧市街と、比較的平坦な新市街は200年以上に渡り分裂と統合を繰り返した歴史を持つ。両方とも世界遺産に指定されたネオバロック様式の建築物が沢山ある旧い街並みだ。丁度昨日までの3日間、町の守護神 St. Giorgioを祝うお祭りが開催されていたらしく、大聖堂には守護神を冠した神輿が飾られていた。日本と同じスタイルの神輿がこちらでも使われているのに興味をそそられた。

 

5月30日(木) LICATAにて

一昨日RAGUSAから35マイルほど北西にあるLICATAに移動した。深夜からの強い東寄りの風は一向に収まる気配は無くマリーナの中も大荒れだったが、気象予報では午後からは西寄りの風に変わりしばらくその風が続きそうだ。北西に移動する我々にはまったく逆風になる。朝LICATAのマリーナに電話で確認すると、あちらは南寄りの微風とのことだったので意を決して午前9時半に出航した。予報通り東の強風は徐々に弱まり、午後に入ると西寄りのやや強い風が入ってきて、午後4時前LICATAのマリーナに舫いを取るころはかなり強くなっていた。その後も毎日午後になると強い西寄りの風が吹いており、一昨日の決断は正解だった。

 

LICATAMARINA DI CALA DEL SOLEは2年前にオープンしたばかりのマリーナ。2周年キャンペーンで5月いっぱい係留無料なのが有難い。1500隻を収容するとなっている広大なハーバーは、現在まだ数本の桟橋があるだけで実際に係留している船は100隻にも満たない。付帯施設も工事中のところばかりだし、豪華な戸建て別荘も販売中なのだが一向に建設が進んでいる様子が見えない。イタリアもギリシャ同様経済危機が続いているが、このマリーナもその影響を受けているようだ。町も何処か活気が無い。シャッターが閉められテナント募集中の店舗と、カフェで時間をつぶす老人ばかりが目立つ。やはりイタリアでも日本と同じ地方の過疎化・高齢化が進んでいるようだ。

 

6月2日(月)LICATAから20マイルほど北西のSan Leoneに移動した。ここは世界遺産Agrigentoの古代ローマ遺跡に一番近いマリーナがあるところ。小さな港だがプレジャーボートを管理する複数の業者が桟橋を持っており、そのうちの一つに係留する。

 

Agrigentoの散策

Agrigentoの目玉はValle del Templi (神殿の谷)と呼ばれる古代ローマ時代の遺跡群。緩やかな丘の上にいくつかの神殿跡がかなり良い状態で保存されている。はるか東のトルコやギリシャでも多くの古代ローマ・ギリシャ時代の遺跡を見てきたが、古代ローマ人の高度な文化と広大な地域に残された文明の証には驚かされる。

翌日神殿の谷から数キロ離れたAgrigentoの町を散策した。旧市街に新しいアパートなどが混在し、特に魅力的な街並みではないし、見たかった大聖堂は修復中で入ることができなかった。

 

魚と温泉と陶磁器の町 Sciacca

San Leone4泊したあと66日(木)にシチリア北西部の町Sciaccaに移動した。

Sciaccaはシチリアでも有数の漁獲高を誇る漁港の町。最近では独特の模様の陶磁器やタイルの産地としても知られている。町を歩くと標識や階段のステップなど様々なところにカラフルなタイルが使われている。

 

マリーナの反対側にある漁港には、毎日午後になると続々と漁を終えた船が入港し、獲れた魚が水揚げされる。この町には卸売市場は無く、待ちかねたように業者が船に群がり箱単位で魚を買っていく。すぐ横に駐車している軽トラックでは、たった今船から買ったばかりの魚が小売されているので、一般人はそこで取れたての魚を買う事ができる。いつも鮮度の良い魚を捜している我々には有難い。

 

温泉を楽しむ

Sciaccaの街にあるグランドホテルには温泉が引かれている。ホテルに隣接した立派な建物は温泉療養のための施設なので、我々は温泉プールに入った。水温は35-6°程度で日本の温泉とは程遠いが久しぶりにゆったりとお湯に浸かってリラックスすることができた。

 

デンマークの船、LUNAと情報交換

 

SIACCAのマリーナに我々の後から入ってきたデンマーク船籍のLUNAは、てまりが今年のクルージングの最終目的地にしているスペインのALMERIMARから6日間かけてノンストプでここまできたという。船に招かれて一杯飲みながら色々と話を聞くと、大西洋を2度往復しクルージングを7年ほど続けているベテランセイラーだった。

年齢的にも我々と同じ世代のナンノとヨハンからは、カリブ海の様々な情報や流し釣りで大物を釣り上げる時の注意事項など、我々にとって有益な話を色々と聞かせてもらった。こうしたヨッティー同士の生の情報交換は、インターネットやパイロットブックでは得られない貴重な情報なので本当にありがたい。

ここSciaccaには既に7日間ほど滞在している。マルタからシチリアに戻って2週間。今回はここシチリアで大分ゆっくりと過ごした。日本からカードや大事な書類を受け取る必要があり、丁度シチリアに旅行で来る友人に頼んでそれを持ってきてもらった。昨日パレルモで彼らと会ってそれらを受け取り、合わせて足りない日本食材も調達できて大助かりだった。そして思いがけない楽しい時間を過ごすことができた。必要なものが入手できたので、明日613日(木)チュニジアに向けて出航する。

 

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