Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

2月13日~2月22日、 カリブ海クルーズ Part Ⅴ. Antigua~St. Kitts & Nevis

2015-02-23 | 旅行

7番目の訪問国Antiguaへ

2月13日(金)、GuadeloupeからAntiguaへ向かう。42マイルの航程のため朝7時に出航。途中の海峡で体長80㎝近いシイラが掛かった。カリブ海に来てSt. Vincentで獲った沖サワラ以来2匹目の釣果。シイラはそのグロテスクな見かけのせいか、日本では魚屋にほとんど並ばないが、ハワイやカリブではマヒマヒと呼ばれる高級魚。白身でくせが無く美味しい魚だ。早速刺身、照り焼きでいただいた。

元英領Antigua & Barbudaは2つの島で構成された独立国だが、300年続いたイギリス統治時代の影響が色濃く残る国だ。我々が入港したEnglish Harbourと隣のFalmouth Harbourは天然の良港で、大航海時代イギリス艦隊の基地として重用されたところ。ネルソン提督の名前を冠した造船所が当時の面影を残して保存されている。現在はプレジャーボートの一大ベースで、広大なFalmouth Harbourのマリーナにはメガヨットがずらりと停泊している。マリーナフィーを聞いてびっくり、滅茶高いので錨泊することにした。

到着早々、フランスとイギリスの違いをいくつも体験する。入国審査では、パソコンに自分で入力しチェックも無かったフランス領の島とは大きく異なり、カスタムもイミグレーションも厳しい審査を受け、当然パスポートには入国スタンプが押される。クルーはキャプテンが入国手続きを完了するまで上陸禁止だ。English Harbourで入国審査を終え、隣のFarlmouth Harbourに移動して投錨していると、今度はコーストガードのボートがやってきて臨検を受けた。船舶書類の検査から始まり、ライフジャケットなど安全備品の確認、そしてカスタムに提出した同じ内容を再びチェックし、書類に書き込んでいく。30分ほどで終了したが、この4年間のクルーズでこれほど「まじめ」な検査を受けたのははじめてだ。厳重な入国管理で知られるイスラエルでさえ、船に乗り込んできた係官の検査は極めて形式的なものだった。それだけ、英国の伝統を受け継いでいるということなのだろうか。

ランチを食べにレストランに入ると、ほとんどの客が夢中でテレビを見ている。ラグビーのヨーロッパ選手権の中継だった。スペインやイタリア、モロッコなどでは圧倒的にサッカーが人気だが、やはりイギリスはラグビーなのだ。そして極めつけは食事の不味さ。大量のフライドポテトが付いていて大雑把な味付けはイギリスの定番だ。

カリブ海の島々は、その歴史的な背景によって文化や生活習慣が大きく異なる。それが数時間で行き来できる距離に点在するのもカリブの魅力の一つなのかもしれない。

ノルウェーヨッティーと3年半ぶりの再会

2月15日(日)、Falmouth Harbour から12マイルほど北にある、Jolly Harbour Marinaに移動。周囲は独特の明るいブルーの浅い海で、その奥の入り江に造られた天然の良港だ。マリーナのすぐ裏のビーチ沿いにはプールや個人用の桟橋を持つ豪華な別荘が並び、こちらはイギリスのセレブご用達リゾートだ。

そのマリーナの同じ桟橋に後から入ってきた船から声が掛かった。なんと、3年半ほど前にトルコ・イスタンブールのマリーナで仲良くなった、ノルウェーのヨットBijouのRoger & Elizabeth夫妻だった。彼らは2年前に大西洋を横断し、ブラジルまで足を延ばして昨年からカリブ海クルーズを楽しんでいるということだった。それにしても、この出会いにはお互いに本当にびっくりした。奇跡の出会いにラムパンチで乾杯。

2月18日(水)、カナリー諸島ラスパルマスからてまりに乗船し、約二か月半行動を共にした長尾さんが帰国の途に就いた。ベテランヨットマンの長尾さんからは色々と教えられ、大西洋横断では本当に頼もしい助っ人として活躍してくれ感謝している。

入れ替わりに中学時代からの友人北澤君がロスアンジェルスからやってきた。

人も自然もゆったりとした島、Nevisで温泉に浸かる

2月20日(金)、Antiguaを出航して西に45マイルほど走り、St. Kitts & NevisのNevis島に移動した。ここもイギリスが宗主国だった国だがAntiguaと比べて入国手続きはいたって簡単で係官はとてもフレンドリーだった。我々が日本人だと知ると、「ヨットで来た日本人は君たちが初めてだ。歓迎するよ」と言われた。

この島にはアフリカから連れてこられたグリーンモンキーと呼ばれる猿が繁殖し、人口の3倍近く居るというのでタクシーをチャーターし島をぐるっと周回する。途中2度ほど猿を見かけたが餌付けされている訳ではないので、写真を撮る間もなく藪に逃げ込まれてしまった。

Nevisは人口13000人ほどの小さな島。人々は穏やかで生活レベルも悪くなさそうだ。カリブ海の島々の中でも一番自然が残っていると言われており、しかも源泉温度108℃の温泉が湧いているのだ。町はずれの温泉場でタクシーを降りて、無料の温泉浴を楽しむ。温度は40℃前後で適温。ヨーロッパの低温温泉と違い、日本の温泉感覚で久しぶりにリラックスすることができた。

2月22日(日)、Nevisのすぐ北側にあるもう一つの島、St. Kittsの首都Basseterreに移動する。2時間ほどの距離だが、St. Kittsに近づくとスコールとともに強い風が吹いてきた。St. KittsのPort Zante Marina入港直前まで、猛烈な雨で視界が悪く、ちょっと緊張を強いられた。小さなマリーナだがスペースは広く、無線の呼びかけにもすぐに対応してくれて無事入港することができた。

マリーナ入港後町を散策する。Basseterreはカリブの島々の中でも18世紀頃の建物がそのままの姿で保存され、使用されている数少ない町だそうだ。残念ながら日曜日とあって、何処の店もシャッターが閉まり町の中は閑散としていた。

明日は再びフランス領の島St. Barthelemyに立ち寄った後、オランダとフランスが島を二分して領有するSt. Martinに向かう。

 

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2月3日~2月12日、 カリブ海クルーズ Part Ⅳ. Dominica~Guadeloupe

2015-02-13 | 旅行

MartiniqueからDominicaへ

2月3日(火)、フランス領MartiniqueからDominicaへ向かう。

出航直後、フォアステイのチェーンプレイトを留めるピンが外れかかっているのを発見。慌ててメインセイルを降ろし、余っているハリヤードで補強する。フォアステイはマストを前部で支えている大事なステイ。もしこれがはずれたら、最悪の場合マストの折損につながる。マストを後部で支えるバックステイを緩めてフォアステイのピンを入れ直そうと試みたが、バックステイを締めているターンバックルがどうやっても緩まない。プロに頼まないとだめそうなので、当面ジブセイルは張らず、メインもリーフしマストに負担を掛けないようにして、修理ができるところまで持ちこたえることにした。

貧しさが目立つ国、Dominica

                                                                          

熱帯雨林に覆われたDominicaは地形的に切り立った崖が多く、陸に近づいても水深が深く良好なアンカレッジが少ない。この特徴的な地形のお陰でDominicaの歴史は他の島と大きく異なっている。フランスとイギリスが領有権争いを行っていた18・19世紀、奴隷解放の波がアメリカから押し寄せてきた。Dominicaには周辺の島々から多くの奴隷が逃げ込み、熱帯雨林を根城にフランス・イギリスにゲリラ戦を仕掛け、三つ巴の戦いを展開したと言う。最終的に、イギリスがナポレオンに多額のお金を支払い、この島を買い取りイギリスの植民地となりゲリラは一掃された。(現在は独立)。そうした内戦のお陰で島の経済は疲弊し、他の島と比べて生活は貧しいが人々の表情は明るい。食文化や生活習慣もイギリス・フランス、そしてクレオールの文化がミックスされた独特のものが形成されているようだ。

最初の泊地とした首都Roseauのアンカレッジも水深が深く、錨泊は諦めブイを取った。上陸して町を散策したが、ここが首都?と思うほど小さな町。唯一立派な建物は大統領官邸だけだった。しかし、町の真ん前にある埠頭にはカリブ海クルーズの豪華客船が停泊し、その周辺を歩いていると、クルーズ船から下りてきたお客目当ての観光タクシーの売り込み合戦がすさまじく閉口した。

2月4日(水)、Roseauが期待外れだったので、一泊で島の北にある次の寄港地、Prince Rupert Bayに移動する。

アンカレッジはPorthsmouthという、島で二番目の町に面した入り江。上陸してみたが町どころか商店が数件ある小さな村で、気の利いたレストランも何もない。ビーチ沿いにはヨッティー目当てのバーが数件ありシャワーもあるというのでネットを繋ぎがてら夕方行って見ると、昼前から断水でシャワーは使えないという。「この国ではしょっちゅうよ」とカウンターの女性が諦め顔で言った。

Dominicaから再びフランス領の島へ

2月6日(金)、DominicaのPorthsmouthを出てIledes des Saintesという小さな島のアンカレッジに移動する。8つの小さな島で形成されるこの群島はフランス領Guadeloupeに所属する。貧しいDominicaから20マイルも離れていないが、こちらはフランスのお洒落なリゾートアイランド。教会も、家並みも、レストランやショップもすべてセンスが良く、まったく貧しさは感じられない。その違いに改めてびっくりする。

2月7日(土)、Guadeloupe本島のMarina Bas du Fortに移動。

Guadeloupe本島は、西側のBasse Terreと東側のGrande Terreという二つの異なった島が狭い水路を隔ててくっついており、実質的には一つの島として機能している。丁度蝶々が羽を広げたような形を成している二つの島の地形的な違いは明確で、Basse Terreは標高1500mの山を有する熱帯雨林を形成し、一方のGrande Terreはまったくフラットでその大半が砂糖きびやバナナなどの栽培に利用されている。

Marina Bas du Fortは周囲を完全に囲まれたラグーンの奥にあり、1000隻以上の船を収容できる、カリブでも有数のマリーナだ。4年に一度開催される大西洋横断シングルハンドレースRoute de Rhumのゴール地点でもあり、数多くのレーシングヨットが停泊していた。船のメンテナンスもトップクラスと聞き、懸案のフォアステイの修理や冷凍庫、エンジンのトラブルなどをここで片付けたいと思っている。

2月9日(月) 日曜日の昨日はすべてお休みのため、洗濯や船の整備などで過ごした。夕食はマリーナ周辺にあるレストランで久しぶりの外食。ごく普通のレストランで頼んだお勧めの一品はマグロと白身魚の刺身に、わさびとガリまでついていてびっくり。フランスでも和食は完全に定着してきているようだ。

懸案の修理に関しては、メカニックが多忙なため出航予定を一日延ばさざるを得なくなったが満足できる結果で、さすがにトップクラスのメカニックが揃っているマリーナだ。

Guadeloupe最後の寄港地Deshaiesへ

2月11日(水)、何でも揃っているMarina Bas du Fortを離れ、Basse Terreの首都近郊にある小さなマリーナに一泊。首都を歩いてみたが、観光客が全くいない。そのためかお洒落なレストランやカフェも無く、タクシーを拾おうとしたがまったく来ない。地形の関係でBasse Terreの西側には良好な港やビーチが無いせいか、観光客は昨日まで居たMarina Bas du Fortの周辺に集中しているようだ。

2月12日(木)、島の北西端にあるDeshaiesの入り江に移動する。小さな入り江は沢山のヨットでブイは満杯。アンカーを降ろす。小さな町だが、ヨッティーが主要なお客らしく、インターネットが繋がるカフェやレストラン、土産物やが軒を連ねている。首都Basse Terreではネットカフェすら見当たらなかった。土産物屋の片隅に置かれているパソコンで出国手続き完了。

明日は42マイルほど走って、次の国Antiguaの南にあるEnglish Harbourに向かう。

 

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1月24日~2月2日、 カリブ海クルーズ Part Ⅲ. St. Lucia~Martinique

2015-02-04 | 旅行

St. Luciaのお洒落なリゾートに停泊

1月24日(土)、St. LuciaのMarigot Bayから、島の北端に近いRodney Bayへ移動。途中、この国の首都Castrise沖を通過したところ、首都のある狭い湾内に豪華なクルーズシップが何隻も停泊しているのが見えた。

Rodney Bayには入り組んだ入り江の奥に、メガヨットも停泊できる巨大なマリーナがある。アメリカの不動産会社が経営する、施設の整った良いマリーナだ。対岸には個人の桟橋がある豪華な別荘が立ち並び、いかにもセレブの好みそうなリッチな雰囲気がある。

フランス領の島Martiniqueへ

1月27日(火)、St. LuciaのRodney Bay を後に、フランス領MartiniqueのMarinに移動。

出航前、Rodney Bayのマリーナにある出入国管理事務所でSt. Luciaの出国手続きを行ったが、8時オープンと書いてあるのに担当者が来たのは9時半過ぎ。日本ではあり得ないが、この国では別に珍しい事ではないようだ。

午後2時過ぎ、Marin Marinaに入航。マリーナとその周辺のアンカレッジにはものすごい数のヨットが停泊している。人口40万人のMartiniqueはフランスの海外県。今まで滞在してきたカリブの島とは色々な意味で違っていた。

まず、英語が中々通じない。マリーナに居るヨッティーも圧倒的にフランス人が多い。マリーナの施設は良いが、対応がいかにも官僚的なのもフランスだ。

ベーカリーは朝6時からオープンして美味しいバゲットやクロワッサンが並んでいるし、スーパーに行けばフランスワインやビールが安い値段で購入できる。今までの島では、ビールもワインも日本より高いので買うのを控えていたが、一安心。一番驚いたのは、出入国手続き。マリーナオフィスの横に置いてあるパソコンを使い、自分で必要事項を入力するだけ。プリントアウトしたコピーをマリーナスタッフに渡すと、ロクに中身を調べずスタンプを押してくれ、手数料5€支払って終了。イミグレーションもカスタムも人が居ないので、ノーチェックだしパスポートに入国のスタンプも押さない。「パスポートにスタンプが無いと、Martiniqueに来た記録が残らないから寂しいね」と言うと、「あなたはボートのキャプテンね?ならば特別よ」と言ってマリーナスタッフの女性が僕のパスポートにだけスタンプを押してくれた。

広いようで狭いカリブ海

Marinのマリーナに入ってくるとき、停泊していた船からこちらに大きく手を振っていた。何処かで会った船だと思い後で訪ねてみると、カーポヴェルデで一緒だったフランス艇だった。Marigot Bayでは同じくカーポヴェルデで仲良くなったオーストラリア艇とすれ違ったし、スペインのAlmerimarで知り合った艇とも2隻遭遇している。こんなに広い海でと思うが、考えてみればカリブ海に来た船は皆同じような場所に立ち寄るので、それほど珍しいことでは無いのかもしれない。

Fort de France

1月28日(水)、レンタカーでMartiniqueを探索した。島は淡路島とほぼ同じ面積があり、滞在しているMarinは島の南端近くのため北の方まで行くのは諦め、世界中から花や樹木を集めて造園されたというBalata庭園と首都Fort de Franceそして最後に、長尾さんの希望で1749年創業の老舗ラム酒醸造所La Maunyを訪問。途中首都周辺では何度も渋滞に巻き込まれ、人口が多い島という事を改めて認識した。

Martiniqueで一番人気のリゾートへ移動

1月31日(土)、一昨日Marinのマリーナを出航、Anse D'arletという小さな村の入り江に1泊し、今日はPointe du Boutの小さなマリーナに舫いを取った。このあたりは、Le Trois Ilets (三つの入り江)と呼ばれるMartiniqueでも屈指の人気リゾート地帯。ナポレオンの妻ジョセフィーヌの出身地でもある。周辺にはお洒落なショップやレストランがちょっとしたヴィレッジを形成している。周辺には様々なアンカレッジがあるが、特に人気のAnse Mitanの入り江には小さく岩で囲まれたビーチがあり、その前には沢山のヨットが錨をおろしている。

Martiniqueの元首都・St. Pierre

2月2日(月)、15マイルほど北のSt. Pierreに移動する。この町は17世紀から首都として繁栄していたが、1902年近くにあるペレー山の大噴火で壊滅した。現在はひっそりとした田舎町で、町の中心には破壊を免れた大聖堂が昔の姿のまま、今も使われている。

ここがMartinique最後の寄港地のため、出国手続きを行った。入国時と同様、手続きはツーリストオフィスに置いてあるパソコンを使って自己申告。もちろん係官は誰も居ない。これで出入国管理がきちんとできているのか、他人事ながら心配してしまう。

明日はカリブ海5番目の国、Dominicaへ向かう。

 

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