Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

SardiniaからSicilyへ From Sardinia to Sicily

2011-07-31 | 旅行

724日(日) 当初Sicily島のMarsalaに向かうつもりだったが、予定を変更し少し北にあるTrapaniに向けてSardinia南端の Marina Di capitanaを午前11時出航。平均30ノット(約15m)最大45ノットのMistralをほぼ真追手に受け、昼間はジブとステースルの観音開き、夜間はジブ1枚で平均7ノットの速度で167マイル(約310km)を走り、25時間後の25日午前12Trapaniに到着した。

標高750mの町Erice

7月26日(火) Trapani2005年スペインで開催されたアメリカズカップヨットレースに参加したイタリアチームの拠点となったため、それ以降町は活気づき訪れるヨットも増えつつあるというが、商業港で見るべきものは何もない町だったので一泊で移動するつもりだった。しかしマリーナのスタッフが是非町の後方にそびえるErice山に登ると良いとアドバイスしてくれたので行ってみることにした。タクシーで10分ほどのロープウェイの駅から一気に標高751mErice山に登る。なんの予備知識も無いまま山頂駅に降り立ち、展望台でもあると思い更に道を5分ほど登っていくと城壁のような石造りのゲートがある。その先を覗くとなんとそこに町があるではないか。そこはErice山の山頂にある城壁に囲まれた町Ericeだった。町は山頂から北斜面に向けて広がっているため、南にあるTrapaniからは全く見えなかったのだ。町の歴史は古く人が住み始めたのは紀元前だという。本格的な町が構成されたのは16世紀になってから。戦災を受けていないため、町は当時のままの雰囲気だ。映画Gran Blueで有名になったSicily東岸にあるTaorminaも断崖の上にある町だがEriceはそれと比較にならない高さ。箱根に近い標高で高原のような涼しさだ。小さな町にもかかわらず時代や宗派の違う教会が10か所以上あり、断崖絶壁に立つ城壁や宮殿の遺跡など、様々な支配者達の残した建造物が随所に残る印象的な町だった。標高750mから眺める360度の眺望も圧巻だった。思いもかけなかった素敵な町に出会い、出発の予定を1日延ばすことにした。Taorminaより余程印象が強い町だが、何故かイタリア政府観光局のHPには全く出てこない。機会があれば是非訪問することをお勧めしたい町だ。

727日(水) Trapaniを午前740分出航、50マイル先にあるシチリアの州都Palermoを目指す。

岬を回るごとに風が前に振れ、風速も30ノット以上に上がったため予定より時間がかかったが午後540Palermoの港に舫いを取った。10時間エンジンを回しっぱなしだったが停止することは無くホッとした。

728日(木) シチリアのPalermoと言えばマフィアの本拠地として有名だ。僕らが20年前にシチリアを訪れた時、空港でレンタカー屋のおやじから、「パレルモに寄るなら、走っている間でも必ず窓は閉めてロックしておけ」と注意を受けたくらい当時は危険な町だった。マフィア同士の抗争が続き日常的に町中で殺人があったようだ。しかし、今は町を挙げて脱マフィアを宣言しておりそうした不安は全く感じなかった。

PalermoSicilyの州都だけあって大都会だ。港内は東京湾並みに汚れており、町も同様にスラムあり再開発中の場所ありで決してきれいな町ではない。マリーナもすぐ隣が本船の荷揚げ埠頭だったりして落ち着かない。ただひとつ良かったのは、イタリアに入ってからインターネット環境が悪く港に着くとネットカフェ捜しから始めていたが、PalermoVordafonePC用無線LAN通信モジュールを入手できたこと。おかげで携帯電話が届く範囲ならどこでもサクサクとネットが使えるようになった。これで、ネットカフェを捜して町を駆けずり回る必要がなくなった。

温泉のある島、Vulcano

731日(日) 一昨日PalermoからSicily島北岸を東進しリゾート地Cefaluのマリーナに1泊、昨日Sicily本島の北東にあるAeolia諸島のひとつ、Vulcano島にやってきて久しぶりに錨泊中。Vulcano島は活火山で、山の中腹からは水蒸気が煙のように立ち昇っているのが見える。泊地の目の前の海岸近くには水中から温泉が吹きだしており、その向こうに泥温泉がある。早速3ユーロ払って久しぶりの温泉を楽しんだ。水温は36℃だがぶくぶく泡がでているところに行くと底から熱い海水が吹きだしている。体中に泥を塗りたくっているご婦人も居て結構皆楽しそうだ。泥をたっぷり含んだ水着はそのまま海の中の温泉でひと泳ぎすればきれいになる。

Sardiniaでのエンジントラブル以来ほとんどゆっくりとした時間を過ごす事ができなかったので、ここVulcano島での一日は疲れを癒す丁度良い機会になった。明日はここから20マイルほどのSicily本島のPorto Rosaというマリーナで、数年前から地中海をクルージング中のArco IrisⅢの垣見さん達とランデブーだ。

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Sardinia にて  In Sardinia

2011-07-24 | 旅行

7月14日(木) 昨日の午後から吹き出した西風が止まらない中、午前9時40分Bonifacioを出航。目的地はBonifacio海峡を越えてSardinia本島手前の小さな島 La Maddalena。わずか15マイルの距離だがこれでフランスからイタリアに移ることになる。

風は後ろからなのでジブだけ2/3ほど展開、それでも7ノットを越えるスピードが出る。暗礁地帯を抜け、マリーナに近づく頃には風が益々強まり、ブローで50ノットを越えた。VHF無線で呼んでも誰も出なかったので目ぼしいマリーナに入っていくと、マリネロ(マリーナスタッフ)がボートで近づいてきた。停泊の意向を告げ案内してもらい12時40分、無事Cala Margiavlpeのマリーナに舫いを取ってほっと一安心。

7月16日(土) La MaddalenaSardinia本島の北東にびっしりと並ぶ大小様々な島の中心地。NATO軍の基地として利用されていることもあり思ったより大きな町だ。夏休みなので街の中心部は夜遅くまで大勢の人達が出歩いていた。しかし、マリーナの停泊料がトイレ・シャワー無しで80?と高いので、周辺にいくらでもある天然のアンカレッジに昨日移動する予定だったが、相変わらず強い西風が収まらず移動を断念。この強風は暫く続きそうなので、魅力的なMaddalena群島での滞在を諦めてSardinia東岸を南下することにした。

715分出航、1644マイル先のLa Calletaという小さな町のマリーナに入航する。

2度にわたるエンジントラブル

717日(日) 今日は頑張って70マイル先のPorto Caralloまで走る事にして朝550分に出航。穏やかなオフショアの風を受け機帆走で7ノット。夕方には到着予定だった。ところが9時半過ぎ突然エンジンが停止した。燃料計を見ると燃料はまだたっぷりある。2時間以上かけて色々と調べたが原因がわからない。午前12時頃少しずつ風も強くなってきたので、とりあえずセーリングで行ける所まで行く事にした。20マイルほど先にArbataxというマリーナがあるのでそこを目指すが、風は完全なアゲインスト。更にどんどん強くなり波も大きくなって船は遅々として進まない。夕方ようやくArbataxに近づき、無線でマリーナにコンタクトし事情を説明して入港のサポートを依頼するが、こちらの声が聞き取りにくいのか要領を得ない。マリーナは北に開けたしっかりとした防波堤に囲まれた港の奥にある。今日は強い南風なのでアプローチはし易い。おまけに防波堤の中は風も波もほとんどない。午後720分、給油用係留埠頭のすぐ隣になんとかセーリングで着岸することが出来た。ふと周りを見回すと、てまりを係留した埠頭やその周辺の防波堤には沢山の人が集まっている。話を聞くと今日はサンタマリアのお祭りの日。船の片付けをしているうちに港には人や船が続々集まってきて数十隻の船が汽笛やフォグホーンを鳴らしながらてまりの目の前を通って港の中をぐるっと回りセレモニーが始まった。更に夜12時過ぎ、目の前の防波堤から花火が打ち上げられ盛り上がりは最高潮。必死の思いで辿りついたてまりの係留場所はまさに今日のイベントの特等席だった。

718日(月) 無線で連絡し曳航を依頼、すぐにゴムボートが来て無事Arbataxのマリーナに舫いを取ることができた。隣の船から声がかかったので、昨日走行中エンジンが止まりセーリングで港まで辿りついた事を説明したところ、その船のオーナーが横に居た男を指さして、こいつは英語も話せるしエンジンに詳しいからあとで見てもらったらと言ってくれた。渡りに船とはこのことだ。しばらくして髭面だが優しそうな顔をしたGianniがてまりに来て、エンジンを見てヤンマーは世界一のエンジンだ滅多に壊れることはないから安心しろと言う。色々ボクの説明を聞きながら一つ一つチェックをした結果、原因は燃料が来ていない事だという。燃料計を示しまだたっぷり残っていると言うと、そんなもの信用しちゃだめだ、自分でどのくらい燃料を使ったか毎回書き留めておけと言われた。その後スターボード(右)側の燃料タンクのバルブが閉まっていた事が判明、エア抜きをしてエンジンをかけて見ると見事にかかった! Gianniはプロのエンジン屋ではなく我々と同じヨットのオーナーで、たまたま友人の所有する船のエンジンをチェックしていたという。ピエモンテ州に所有するワイナリーに住み、ここArbataxに別荘と船がある。更に南アフリカにも家があり、年間3か月ほどはそちらで暮らしているというすごいお金持ちだった。エンジンの修理が終わり修理代を聞くと、そんなものはいらない別の人間が同じように困っていたら助けてやってくれと言うだけだった。何とか感謝の気持ちを表したいと思い、持ってきたてまり特製Tシャツをプレゼントしたら喜んで受け取ってくれたのだが、なんとお返しに彼のワイナリーで出来た赤白のワインをもらってしまった。ヨットの旅ではこうした人と人との出会いや助け合いが色々とあると聞いてはいたが、今回のGianniとの出会いと彼の心遣いは涙が出るほどうれしかった。

しかし、結果的にはちゃんとプロに見てもらわなかったつけが翌日に回ってきてしまったのだが・・・・・

再度のエンジントラブル

7月19日(火) 天気予報ではMistralの影響で午後から西寄りの風が次第に強まり3日間ほど続くようだ。サルディニアの南端にある州都Cagliariには是非立ち寄りたかったので、今日頑張って70M(約130km)走りCagliariまで行くことにして朝5時40分にArbataxを出航した。航海は極めて順調、Sardiniaの東南端にあるCopo di Carbonaraを午後3時過ぎに通過しCagliariまであと20Mを残すだけとなった。その後予報通り西寄りの風が強まってきた時、再びエンジンがストップ。前回同様燃料がエンジンに供給されていないようだ。オーバーヒール(傾きすぎ)が原因かとセールを小さくしてみたがだめ、エンジンがかからない。悪夢の再来だ。風はどんどん強くなり風向きも北西にシフトしまたも完全に真上りになってしまった。平均30ノット(約15m)ブローで40ノットを越える風と波の中、午後8時近くになってようやくCagliariの港に辿りついた。無線でマリーナを呼び事情を説明するが、こちらは満杯だから別のマリーナにコンタクトしてくれと言われ、そちらを呼ぶが誰も応答しない。今回も自力着岸をするしかない。幸い港の中は広いが風はかなり強い。マリーナは港内を少し南に下ったところにいくつかある。何とかうまく着岸できる場所をさがしていると、丁度一番端が空いている桟橋を見つけた。そこしかない。チャンスは一度だけ。慎重に船のスピードを殺しながら近づく。しかし桟橋に届かなければアウトだから多少はぶつかる覚悟で向かった。 真理に舫いを持って飛び降りる準備を指示し、まっすぐに桟橋に船を向けた。「今だ、飛び降りろ!」こちらはすぐに隣の船を確保し、真理が舫いを取るのを待った。「OK」 なんとか無事着岸。船の行き足が止まらず多少桟橋に乗り上げたがアルミの頑丈な船体、どうと言う事は無かった。事の成り行きを見ていた他のヨットから人が来てくれたので事情を話したところ、ここはプライベートクラブのマリーナだからオフィスには明日行けば良いだろうと言ってくれた。我々が舫いを取ったポンツーンは契約している船がたまたま居ない場所だったのだ。

7月20日(水)予報どおりミストラルが吹き荒れ、港内でも時折40ノットを越える風が吹いている。昨日は本当にラッキーだった。朝同じ桟橋の船にマリーナの管理者を訪ねると、丁度クラブの会長が来ていると紹介してくれた。事情を説明し、エンジンが直るまで係留させて欲しいと頼み、ついでにエンジンの修理屋を紹介して欲しいと言うと、近くに居たセクレタリーがすぐに電話をしてくれ、10分後に修理屋がここに来るよと言ってくれた。修理屋Carmeloはプロだった。彼はまったく英語がわからず、こちらも身振り手振りと知る限りのイタリア語で事情を説明すると一発で状況を理解し、燃料ポンプの故障だと原因を探り当てた。外した燃料ポンプを持ちかえり修理して戻ってきたのは夕方近かったがそれをつけ直して、更にファンベルトの緩みを直し色々と調べて、Perfetto!(完璧!)と笑った。2度にわたるエンジントラブル。冷静に状況を分析していればトラブルは一度で済んだはずだった。幸い2度とも無事入港できたが大いに反省をした。

 

723日(土) 「Cagliariに近づいてくると巨大な都市から排泄された排水の影響で水の色が濃いブルーから濁った薄緑色に変わってくるのがわかる」とパイロットブックに書かれているがまさのそのとおり。Cagliariは相模湾の水の色だ。港内はオイルやごみが漂い今まで入った港の中でも群を抜いて汚い。 Sardiniaの州都Cagliariは周辺の町を加えるとSardinia全人口の1/3が住む大きな町。港から背後の高台にかけて広がる旧市街を中心に石器時代から18世紀にいたる間ここに住んだ様々な民族の遺産が随所に残っている。旧市街に残る城壁やお城の一部はそのまま巧みに利用されて現在でもCagliariの生活の一部となっており、町の随所に過去の歴史が感じられる。Cagliariには大都市にありがちな汚らしい部分もあるが何故か好感が持てる町だ。SardiniaCorsica同様歴史的に多様な民族の属国となった歴史があるが、一度も「支配」されたことが無いという。それだけにSardinianの誇りは高く独自の文化を保持しているようで面白かった。 今日はエンジンの調子を見ながら10マイルほど東に行ったMarina Di Capitanaという小さなマリーナに1泊し、明日Siciliaの西端の町Marsalaまで170マイルを一昼夜かけて走る予定。

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CorsicaからSardiniaへ Islands of Corsica and Sardinia

2011-07-15 | 旅行

710日(日) 昨日、フランス・リビエラ海岸のSt. Raphaelを昼過ぎに出航、24時間後の今日正午、120M220km)先のCorsica島の州都でナポレオンの生まれた町Ajaccioに到着した。 Corsicaは様々な民族の支配下に置かれた歴史を持つだけにコルシカ人は自分たちのアイデンティティーを強調したがる傾向があるようだ。18世紀にコルシカ解放運動のシンボルとして使われるようになった、バンダナを頭に巻いたムーア人の絵柄が現在Corsicaの州旗として色々な場所に掲げられている。船は右舷側に訪問国の国旗を掲揚することが義務付けられているが、Corsicaを訪問するプレジャーボートの多くがフランス国旗ではなくCorsicaの州旗を掲げていた。

Ajaccioの町は州都と言っても中心部は歩いて回れる広さ。長く統治していたイタリア・ジェノバの時代に作られた町なのでイタリアの雰囲気がある。町の中心部には複数のナポレオン像が建てられ、通りの名前など随所にNapoleonBonapartesの名前が使われているが、ナポレオンと生まれ故郷であるこの町との関係は必ずしも良くなかったようだ。にもかかわらずナポレオンの死後、その名声を街の観光資源としてうまく利用しているコルシカ人のしたたかさが感じられる。

スペインからフランスに来て感じるのは物価の違い。フランスはスペインに比べて1.51.8倍だ。日本に比べればまだ安いが、スペインでの生活が長かったので損をしたような気がする。だが、今日ランチを食べたレストランは久しぶりに価格満足度100%だった。写真のムール貝のワイン蒸し、それだけの量で12?は安かった。

712日(火) CorsicaAjaccioを朝6:40出発、最南端にあるBonifacioまで46Mのデイラン。

気象情報では終日弱い風の予報だったが、10時頃から南の風が強まり、最大35ノットの向かい風が吹き続け久しぶりにタフな走りを強いられ午後4Bonifacio入港。 ポンツーンは満杯と言われ、手前の小さな入り江の泊地に案内された。水も電気も使えず上陸はゴムボートだ。

7月13日(水) Bonifacioの町の中心は狭い半島の小高い丘の上にある城壁に囲まれた旧市街。石畳の急な坂道を登り、城壁の門をくぐるとそこはまだ中世の佇まいが残っている、独特の雰囲気のある町。港は油壺のように完全にシェルターされた深い入り江。その奥の両岸に巨大なメガヨットから小さなパワーボートまでがびっしりと舫いを取っている。 ボートでシャワーを浴びに行った帰り、巨大な大漁旗を上げているヨットを見つけ近寄って見ると日本のヨットFUNG NPだった。 FUNGは釧路を2008年に出航しアラスカやベーリングの北極圏まで北上しながら東回りで周航しているタフなヨット。地中海もほぼ一周してきている。艇長の木村さんにはお会いできなかったが若手クルー3人から、てまりが行く予定の場所に関して色々と貴重な情報を教えてもらった。世界の海を旅している日本のヨットの数はまだごくわずかだ。その中の一隻にこんな場所で巡り合えるのも本当に偶然の成せる技。        

7月14日(木) 昨日の午後から吹き出した西風が止まらない中、午前9時40分Bonifacioを出航。湾内でも30ノット(約15m)を越える風が吹いており、周りのヨットの注目を集める中スマートに舫いをはずして出ていくことができた。目的地はBonifacio海峡を越えてSardinia本島手前の小さな島 La Maddelena。わずか15マイルの距離だがこれでフランスからイタリアに移ることになる。

風は後ろからなのでジブだけ2/3ほど展開、それでも7ノットを越えるスピードが出る。暗礁地帯を抜け、マリーナに近づく頃には風が益々強まり、ブローで50ノットを越えた。VHF無線で呼んでも誰も出なかったので目ぼしいマリーナに入っていくと、マリネロ(マリーナスタッフ)がボートで近づいてきたので停泊の意向を告げ案内してもらう。12時40分、無事Cala Margiavlpeのマリーナに舫いを取ってほっと一安心。

7月15日(金) 相変わらず強い西風が収まらない。Ls Maddelenaは思ったより大きな町。夏休みなので街の中心部は夜遅くまで大勢の人達が出歩いていた。しかし、マリーナの停泊料がトイレ・シャワー無しで80?と高いので今日はSardinia本島の安全な泊地に移動する予定だ。 今後はSardiniaの東岸に沿って南下し、その後Sicilyに渡る予定。

 

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フランス コートダジュールのSaint Raphaelにて Saint Raphael in Cote D'azur

2011-07-09 | 旅行

72日(土) Courtesy Flag(訪問国の表敬フラッグ)をスペインからフランスに変え、午前8時スペインのRosesを出航、Gulf De Lyon(リヨン湾)を横断し175マイル(約330km)走り、3日午後4時フランスのSaint Raphaelのマリーナに到着した。風は終始穏やか過ぎてほとんどエンジンを回しっぱなしの機帆走だった。Saint Raphaelは比較的庶民的なリゾートタウンだ。ビーチやマリーナ沿いにレストランが立ち並ぶ風景は何処も同じ。朝、ファーストマリンの関口さんから紹介してもらった、Alubat社認定修理業者のJean Marieとコンタクト、午後から船を上架してリフトキールシステムの不具合をチェックをしてもらう。結果はラダ―を上下する油圧シリンダーのオイル漏れとわかり交換することになった。部品の入手に数日かかりそうだ。

75日(火) Saint Raphaelから40kmほど南にある、カンヌやニースと共に日本人ならだれでも名前を聞いたことがある有名なリゾート地Saint Tropezにレンタカーを借りて遊びに行く。

Saint Tropezは端からは端まで歩いても10分で行ってしまう程度の小さな港町。しかし、その小さな港にはメガヨットがその威容を見せびらかすようにひしめきあい、メインストリートはセレブ御用達のブランドショップが軒を連ね、港沿いに高級なレストランが立ち並ぶ。ものすごい数の収容能力を持つパブリックパーキングは車で溢れていて駐車スペースを捜すのに苦労した。町を散策しているのはほとんどがカメラをぶら下げた観光客だ。まさに、真夏の軽井沢。 我々はSaint Tropezが好きになれなかった。 完全にブランド化された町は観光客で溢れかえっており、セレブはこれ見よがしに自分たちのヨットライフをひけらかしている。レストランの値段は恐らく東京と変わらないだろう。

僕らはスペインで物見遊山の観光客のほとんどいない、ゆったりとマリーンリゾートの生活を楽しんでいるヨッティーや長期滞在客のパラダイスと言えるような素敵な町を沢山見てきたので、余りに観光地化しているSaint Tropezに何か違和感を憶えてしまった。観光客のほとんど来ないシーズンはずれに訪ねていればまた印象は違ったかもしれないが。

77日(木) 船は部品待ちでドックに上がったままなので、気分を変えて電車で40分ほどのAntibesという町に行ってきた。カンヌとニースにはさまれた小さな町だが、町の中心にマリーナがあり北側に16世紀に建てられたFort Carreと呼ばれる巨大な要塞が昔のままの姿でマリーナを見下ろし、南側に旧市街がある。旧市街に入ると骨董品の露店が立ち並び路地にはお洒落なレストランやショップが点在する素敵な町だ。Saint Tropezのような有名なリゾート地と違い、あまり知られていないAntibesは観光客も少なく落ち着いて町を散策でき何かほっとした気分になった。

78日(金) 朝、Jean Marieからようやく部品が届いたと電話が入った。午後修理が終わり船を下ろしマリーナに戻る。やはりオカに上がった船は落ち着かない。 明日Corsica島のAjjaccioまで130マイルの航程を一昼夜かけて走る予定。

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Barcelona からRosesへ From Barcelona to Roses

2011-07-02 | 旅行

71日(金) 当初はBarcelonaからgulf de lyon(リヨン湾)を横断してフランスのsaint tropezまで240マイル(約430km)を2昼夜ノンストップで走破する予定だったが、リヨン湾を吹き抜けるtramontaneと呼ばれる強い北西風が数日続く気象情報を見て予定を変更し、一昨日昼間だけ走ってBarceronaから50マイルほど北のpalamosという小さな町のマリーナまで来た。昨日も昼間27マイル北へ走り、フランスとの国境に近いPorto Rosesまで移動した。このあたりはフランスが近いだけあって、フランス船籍の船が矢鱈と多い。町中でもフランス語が飛び交っており、観光客相手のお店は皆フランス語を話す。 rosesのマリーナで船片づけをしていたフランス艇は、一昨日Barcelonaをてまりと同じ頃に出て、我々と同じく北に向かって走っていた20隻あまりのレース軍団の一隻だった。話を聞くと、MarseilleをスタートしてBarcelonaまでが最初のレース。昨日Rosesまで第2レースを行い、明日最後のレースでMarseilleまで行くという。総距離370マイル(約700km)を1週間ほどかけて走るレースだ。ギンギンのレース艇もあれば、30フィートちょっとのクルージング艇をダブルハンドで走らせている船もいる。160マイルを走る日本の鳥羽レースと比べてもスケールの違いを感じてしまう。

 

明日で2ヶ月半過ごしたスペインともいよいよお別れ。 スペイン人堅気には色々と悩まされたが、振り返ってみるととても居心地の良い国だと思う。自然の美しさと歴史遺産に恵まれた美しい街並、毎日が快晴で夜は涼しい快適な気候。物価は安いし料理も美味しく人は陽気で親切。家族の絆を大切にする国民性だから普通の人でもセカンドハウスを持ち家族と過ごす時間を大切にする。人生は楽しむためにあるという生き方に徹する彼らの良いところは日本人も少し見習う必要があると感じた。国王がヨット好きなので、マリーナなどの施設は何処に行っても充実している。世界中からヨットが集まる訳だ。我々にとって、これから訪問する様々な国を評価する上で、スペインが良いベンチマークになるだろう。

明日、スペインからフランスへ。リヨン湾を横断してSant tropezに近いマリーナに向かう。  KS

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