Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

6月10日~6月21日、Puerto RicoからBermudaへ

2015-06-21 | 旅行

いよいよカリブ海とお別れ、再び大西洋へ

5月30日午前11時、5日間お世話になったSan JuanのClub Nauticoマリーナを出航、一路バーミューダ島に向かう。プエルトリコは予想外に素敵な国だった。300年以上統治していたスペインと、現在まで100年以上統治するアメリカの文化や生活習慣がミックスされ、この国独自の文化が形成されている。治安はカリブの中では別格に良く、厳しく管理された自然保護によって貴重な動植物が多数生息する、とても居心地の良い国だった。

バーミューダ島までは850マイル、6日間の航程。最初の3日位は東からの貿易風を受けるやや風上へのレグ。その後は徐々に高気圧の影響で風が落ち、南に回っていく予報だ。

El Morro要塞の聳える岬を回ると、20ノットを越える東北東の貿易風が吹いていた。少しリーフしたメインとジブで6ノット以上の安定したスピードで走る。初日のデイラン(1日の航海距離)は145マイル、2日目は151マイルを記録した。順調なペースだ。

6月14日(日) 航海4日目

出航後3日間は安定した東北東の貿易風に恵まれ、デイラン150マイル近くをキープすることができた。しかし北に行くにしたがって高気圧帯に入り、風が弱くなってきた。気象予報では風が南から西に回るはずだが、風向きは逆に北東から北北東に回りキープしている。昨日からエンジンを回し始めたが、機帆走でなんとか時速5.5ノット位を維持、4日目はデイラン130マイルペースだ。

魚が釣れず、カモメが釣れた

出航以来トローリングの仕掛けを流しているが、まったく魚がかかる気配が無い。そのかわりに、疑似餌を小魚と勘違いして近づいてくるカモメが5回も掛かってしまった。針を外して逃がしてやるのだが、カモメも興奮して暴れるため、下手をするとこちらが怪我をしそうだ。早く海の中の魚に食いついてもらいたいものだがかかる気配がない。

Puerto Rico出航6日目、Bermuda島到着

6月16日午前11時すぎ、狭い水路を抜けて広大なラグーンに入り、バーミューダ諸島島北端にあるSt. George’s の入国検査用桟橋に舫いを取る。

後半の2日間は風が北東の微風に変わり、エンジンを回しっぱなしだったが、予定通り6日目の昼前に無事バーミューダに到着することができた。

バーミューダ諸島はイギリス領だが、ニューヨークから2時間のフライトで到着できる場所にあるため、アメリカの影響が強い島だ。アメリカ本土に近い地理的な関係からか、入国管理はきわめて厳しく、領海に入るはるか手前から無線で連絡を取ることを要求される。我々は事前にオンラインで入国申請をしていたため、スムーズに手続きが完了し、午後1時過ぎ、カスタムオフィスから500mほど離れた、Captain Smorkes Marinaに移動する。

バーミューダ諸島は、ほとんど平坦な大小180あまりの珊瑚礁の島々が釣り針のような形に連なって形成され、主要な8つの島はすべて橋で繋がっている。入国管理事務所があるのは北東端に位置するSt. George’s島、首都があるのはHamilton島だ。面積は三宅島とほぼ同じで、そこに7万人近くが暮らすため人口密度はかなり高い。

6月17日(水)、6日ぶりに一晩ゆっくりと寝てこの日は終日船の修理で過ごす。ブッシュが居てくれたおかげで、我々だけならとてもできないような水漏れの補修なども、すべて自分たちでやることができた。ありがたい。

翌日、バスで30分ほど揺られて首都Hamiltonに出かけた。小さな島の割にはきれいでお洒落な街並みだ。立派な大聖堂や国会議事堂、図書館や美術館などは昔の建物をきちんとリノベートして使用されている。

さすがに、バーミューダショーツ発祥の地だけあって、学校の制服は女子もバーミューダショーツが多く、街中でも、ハイソックスとローファーを履き、ネクタイを締めた正統派スタイルの人たちを見かけた。

バーミューダの建物は、倉庫や教会を含めてすべての建物の屋根は白で統一されている。壁の色は色とりどりのパステルカラー。皆良く手入れされていてとても気持ちが良い。我々が船を停泊している、St. George’sは町全体が世界遺産に登録されている、素敵な街並みだ。

St. george’s

6月19日(金)、鍾乳洞見学

バスで10分ほどのところにある、Crystal Caveという鍾乳洞を見学に出かけた。1902年にボールを捜していた少年たちによって偶然発見されたという鍾乳洞は地下200mほどの深さまであり、クリスタルクリアな水を湛えた神秘的な光景が広がっていた。水は海と繋がっているらしく、少し塩からい。

この時期バーミューダに立ち寄るヨットは、ほとんどがてまりと同じでヨーロッパへ渡る途中で寄港した船だ。

マリーナに舫いを取っていたヨットも一つ、また一つと出航していく。隣にいたお爺ちゃんたち4人が乗るMahi Mahiというイギリス船籍の船も今日出航していった。我々は「アゾレスでまた会いましょう」と言って見送る。そして、てまりの出航2日前にはほかに誰もいなくなってしまった。我々も来るべき長距離航海に備えて一週間のんびりと過ごし、英気を養った。

明日、6月22日(月)出航し、ポルトガルの西に浮かぶAzores諸島へ向かう。1800マイル、約2週間の航程だ。

 

そのほかの写真はこちらから、手まりの現在地はこちらでごらんいただけます。


5月31日~6月10日 カリブ海 Puerto Ricoにて

2015-06-10 | 旅行

カリブ海最後の訪問国、プエルトリコへ

5月31日、USバージンのSt. Thomas島から、バージン諸島最西端にあるCulebra島に移動する。この島はスパニッシュバージンと呼ばれるが、プエルトリコの属領だ。Ensenada Hondaという入り江の奥深くに錨を降ろし、上陸して10分ほど歩き空港の入国管理事務所に向かう。島も小さいが空港も小さく、セスナ機のような小型飛行機だけが離発着していた。島ではゴルフカートが乗用車として認められているらしく、レンタカーも含めて沢山走っている。歩く人達はスペイン系が多く黒人は少ない。聞こえてくる言葉もほとんどスペイン語だ。

6月1日(月) 昨日空港に着いたのが日曜日の夕方5時過ぎ。入国管理官が帰った直後で空振りに終わってしまったため、今日出直して10時過ぎにようやく入国手続きを済ますことができた。プエルトリコはアメリカの属領だが、仕事のスタイルはまんまスペインだ。ともあれカリブ海最後の寄港地であるプエルトリコの入国手続きを済ませて一安心。

泊地を入り江の入口にあるリーフ内側のアンカレッジに移動する。波は穏やかで貿易風が吹き抜ける気持ちの良い場所だ。

6月2日(火)、22マイル西にあるプエルトリコ本島に向かう。セールメーカーのブッシュが乗ってくれたので、昨年スペインで購入して一度も使った事のないジェネカーをはじめて張って走った。

10-15ノットの穏やかな追い風の中、ジェネカーを張ると、船はそれに引っ張られるように走り出す。ブッシュにセールを降ろす時の手順を確認し自分でやってみたが、心配したようなトラブルはなくすんなり回収することができた。これなら二人だけでも使う事ができそうだ。微風の追い風では強力な助っ人になる。

午前12時過ぎ、カリブ海で最大といわれるPuerto del Rey Marinaに舫いを取る。1000隻収容できるというマリーナは、ハリケーンシーズンに備えて三階建の陸置場にはびっしりとパワーボートが収容されていた。

翌日、タクシーで6㎞ほど離れたFajordの町に出かけた。小さな町だがパステルカラーに塗られた家並みがあるかわいらしい町だ。ツーリストインフォメーションに寄ると、日本から来たと聞いてびっくりされた。パンフレット類や地図など色々と渡されて、Puerto Rico滞在を楽しんで行って欲しいと念を押された。

Puerto Ricoは、コロンブスの発見以来300年以上スペインの植民地だったため、住人の80%はスペイン系の人達で、スペイン語と英語が公用語となっているが、町ではスペイン語がメジャーで英語が話せない人も多い。交通標識もスペイン語表示だ。しかし、色々なシステムは100年になるアメリカ統治の影響でアメリカンスタイルだ。商店やオフィスはシエスタタイムなしで開いているし、町のレストランはスペインと違って夕方も早くからオープンしている。しかし実際に生活している人の大半がスペイン系のため、時間にルーズでまったくシステマチックに行かないところは、やはりプエルトリコだ。

美味しい巻貝を獲る

6月4日(木)、Puerto Del Rey Marinaを出航して、首都San Juanに向かう。途中、San Juan岬を回ったところにある入り江にアンカリング。水深3-4m、風は入るが良くプロテクトされた場所だ。アンカーの効き具合を確認のため潜ってみると、砂地に沢山の巻貝が居る。拾ってくるとサザエより一回り大きく美味しそうな貝だ。

試しに一つだけ茹でて肉の一部を毒見。30分経っても体に異常は見られなかったので、再び潜って沢山獲ってきた。

6月5日(金)、アンカリングした入り江から、Puerto Ricoの北岸沿いにジェネカーを張って西進する。

正午過ぎ、スペインの植民地時代外敵から守るために造られた、El Morro要塞を回り込み、天然の良港San Juanの広大な入り江の奥にあるClub Nauticoのマリーナに舫いを取る。

                                                                          

親切なマリーナマネージャーに昨日獲った貝の写真を見せて「これは食べても大丈夫かい?」と聞くと、「こちらでは高級な食用貝で、30㎝位になるまで獲ってはいけないんだ。何個ぐらい獲ったんだ?」と言われた。取ったのは10個ちょっとだと言うと、写真は見なかったことにするよと言ってくれた。

夕食時早速身はバター焼き、肝やその他の部分は生姜醤油で煮込んで食べてみると、アワビとサザエの中間ぐらいの歯ごたえでとても美味しかった。マリーナマネージャーに感謝。

魅力的な街、San Juan 旧市街

Puerto Rico、スペイン語で「豊かな港」が国の名前になったのは、San Juanのある広大な入り江が由来とされている。コロンブスの2回目の航海で発見されたこの島は、豊富な水も食料も供給でき、船団がハリケーンでも安全に避航できるその「豊かな港」の周辺に町が築かれた。以来スペインの植民地として発展を遂げた。Old Sa Juanと呼ばれる旧市街は、突端にEl Morro要塞がある狭い半島に形成されている。今も17世紀当時の趣がそのまま残されたとても美しい街並みだ。

世界遺産に登録されている、16世紀にスペイン人によって構築されたEl Morro要塞は、20世紀までイギリス・フランス・オランダなどからの侵略を防ぎ、第二次大戦中は米軍の重要な監視ポイントとして利用されてきたという。「豊かな港」に入る航路を睥睨する位置に聳える要塞は、幾多の侵入を防いできたに違いない。

灼熱の太陽の下、何の遮蔽物もない要塞を歩き回ったあと、旧市街のカフェで一服。ラムベースに絞りたて果汁のカクテルが喉にしみわたる。

ローカルフードとゲイ・パレードを楽しむ

6月6日(土)は旧市街の美術館中庭で土曜マーケットが開催されており、食用バナナや豆類、お米など野菜を主体としたローカルフードを食べた。翌日曜日は、年に一度のゲイ・パレードがビーチ沿いのCondadoであると聞いて出かけた。こちらでも日曜マーケットが開催されており、豚の丸焼きやタコスなどのローカルフードを再び食する。昨日は野菜中心、今日は肉中心のB級グルメを楽しむ。

その後、丁度タイミングよくゲイパレードのスタートに出くわした。このパレードは、レスビアンやホモセクシャルを認めさせるデモンストレーションとして始まり、最近ではこの時期に世界各地で開催されていると言う。パレードにはゲイだけでなく、女性や子供などファミリーで参加している姿が目についた。

熱帯雨林を散策する

この島に豊富な水を供給しているのが、アメリカで最初の自然保護森林に指定され保護を受けている、El Yunqueと呼ばれる広大な熱帯雨林だ。標高700mほどの山道を車で上がり、水浴びが楽しめると言う滝壺まで片道30分ほどのハイキング。久しぶりに歩いたため、かなりこたえたが森林浴を楽しみながらのトレッキングは気持ちが良かった。

マリーナでマナティーを見た

てまりが停泊しているマリーナの桟橋には、「マナティーに注意、速度5ノット以下」という看板がある。本当に居るのかなと思っていたら見ることができたのだ。海面すれすれにゆっくりと泳ぐ姿は間違いなく体長2mほどのマナティーだった。プエルトリコにはかなり生息しているらしい。

カリブ海を離れ、大西洋横断へと向かう

6月10日(水)、一週間ほど過ごしたプエルトリコを最後にカリブ海から北上してバーミューダ島へ向かう。

今年1月3日にカリブ海南端にあるGrenadaに到着して以来約半年、アイランドホッピングをしながらPuerto Ricoまでやってきた。当初はそのままジャマイカを経由してパナマ運河を抜け、南太平洋へと向かう予定だったが、色々と考えた末、再びヨーロッパに戻ることにしたのだ。カリブ海で南の島は十分堪能したし、ヨーロッパは地中海以外にまだまだ魅力的な国々は沢山ある。それが我々の結論だった。

Bermuda島までは850マイル、約一週間の航程となる。

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