Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

てまりブログをアマゾンのキンドル本で出版しました。

2021-04-10 | 旅行

8年間にわたり書き綴ったブログですが、旧いページは写真が削除されたりして見ることができません。

そこで、このブログをまとめたデジタル本をアマゾンのキンドル本として発行しました。

タイトルは 風とともに世界を巡った8年間1,337日の旅

興味がある方はご購入いただければ幸いです。

価格は600円、アマゾンのkindleUnlimitedに登録されている方は無料です。

キンドル本を購入するにはアマゾンの会員登録が必要です。

購入したキンドル本はお使いのパソコンやタブレット、スマホなどで閲覧可能です。


ヨットてまりの航海が表彰されました

2019-02-13 | 旅行

 

先日沼津で長距離航海懇話会のイベントが開催されました。この団体は長距離航海を目指す方々とすでに経験した人たちが情報交換することを目的に設立されました。このイベントで「ヨットてまり」の8年間の航海を通じて経験した様々なことをお話しさせていただきました。

そして、てまりの航海に対してこんなトロフィーと表彰状をいただきました。ありがとうございました。

 

 


ヨットてまり、8年間のクルーズ総括編

2018-10-10 | 旅行

2011年6月8日、スペイン南部にあるAlmerimarマリーナを出航、足掛け8年間に及ぶヨットてまりの航海が始まった。

コリントス運河

ギリシャs教の聖地 Mount. Atos

イスタンブール

2011年 Almerimarからバレアレス諸島、バルセロナ、コルシカ・サルディニア・シチリア島を経てトルコ・イスタンブールを訪問、トルコ・Didimに船を置いて帰国。

航海日数 142日、訪問国数 5か国、航海距離 3,200マイル

EMYR(東地中海ラリー)

エルサレム 嘆きの壁

クロアチア

2012年 トルコ・Didimからエーゲ海を南下、東地中海ラリーに参加しトルコ南岸からキプロス島を経てイスラエルを訪問。その後エーゲ海まで戻り、ミコノス島などエーゲ海の島々を訪れたあと、アドリア海を北上、クロアチアからイタリア・ベネチアまでクルーズ、イタリア南部Brindisiに船を置いて帰国。

航海日数 182日、訪問国数 6か国、航海距離 3,600マイル

マルタ島

チュニジア

2013年、Brindisiからシチリア島を経てマルタ島に渡る。シチリアに戻ったあとチュニジアを訪問、サルディニア島からコルシカ島を経てイタリア・フランス沿岸を西に向かい、バレアレス諸島を経て、スペイン・Almerimarマリーナに戻る。

航海日数 182日、訪問国数 5か国、航海距離 2,600マイル

2014年は秋からスタート、大西洋を横断してカリブ海へ

カナリー諸島Las Parmasの日本人会

カーポヴェルデ

 

前年末スキーで複雑骨折をしたため夏のクルージングを断念し2014年11月1日、スペイン・Almerimarを出航。地中海を出てモロッコ西岸を南下、カナリー諸島・カーポヴェルデを経てカリブ海のグレナダへ。出航が遅れたため年越しの航海となり、グレナダ到着は翌年1月3日となった。

航海日数 61日、訪問国数 4か国、航海距離 3,950マイル

グレナダからプエルトリコまでのカリブ海クルーズを楽しんだあと、再び大西洋を横断しバーミューダ島・アゾレス諸島を経てヨーロッパに戻る

グレナダからアイランドホッピングをしながら北へ向かう。2月末船の修理のためSt. Maartenに寄港、身内の不幸もあり一時帰国しクルーズの再開は5月20日からとなる。カリブ海の北の島々をクルーズ後、6月10日プエルトリコを出航しバーミューダ島・アゾレス諸島を経て、7月21日ポルトガルのリスボンに近いCascaisに到着。

その後、ポルトガル・スペイン・フランス西部沿岸を北に進み、9月末ブルターニュ地方のArzalにあるメーカー指定整備工場に船を預けて帰国。

航海日数 183日、訪問国数 20か国、航海距離 5,440マイル

フランス・ブルターニュからイギリス南部・ベルギー・オランダを経て北欧へ。寒い夏を過ごす

 6月10日、フランス北部を出航、イギリスの南岸を東に向かう。この辺りは潮の干満差が大きく、大潮では水位差が12mに達するところもあり、潮の流れが速い。多くのマリーナには堰があり、干潮時は船の出入りができない。

ブリッジが開くのを待ってうろうろするヨット

オランダ・ドイツの運河を通りバルト海へ

イギリス南部からベルギーを経てオランダへ。オランダ・ドイツにはすべての橋が跳ね橋となっており、マストがあるヨットでも通過できる運河がある。そのルートを通ってバルト海へ入り、スェーデン・デンマークをクルーズ、ドイツ北部の町Flensburgにある整備工場に船を置いて9月初旬帰国。

この夏は25℃を超える夏日は2日間だけで、あとは寒い夏を過ごした。地中海で北欧の人たちをたくさん見かけるのは、この寒さで納得。

航海日数 83日、訪問国数 9か国、航海距離 1,800マイル

この年はマストをはずして、ヨーロッパ運河の旅を楽しむ

船を置いた場所はドイツ北部、バルト海沿岸のデンマークに近いところ。そこから3日ほどバルト海を南下し、ドイツ・Lubeckから運河に入る。その後オランダ・ベルギー・フランスの河川や運河を通って地中海に向かった。海とは全く異なる運河の旅は別世界の旅。とても貴重な体験だった。

残念ながら、ゴールまで残り600㎞ほどのフランスの川で座礁し舵を大きく損傷、走行不能となり船はトラックで地中海まで運搬されることとなり、8月半ばで運河の旅は終了となった。

航海日数 70日、訪問国数 5か国、航海距離 1,090km

最後の年はフランス・Port Napoleonからリビエラ海岸・コルシカ・サルディニア島・バレアレス諸島を巡り、ホームポートのスペイン・Almerimarに戻る

6月10日、ローヌ川河口近くにあるマリーナを出航し、地中海で最もセレブな町が集まるリビエラ海岸を東に向かう。その後はコルシカ島・サルディニア島・バレアレス諸島の島々を巡り9月下旬スペインのAlmerimarに戻って8年間のクルージングを終えた。

航海日数 96日、訪問国数 3か国、航海距離 1,350マイル

日常と非日常が混じるヨットでの生活

ヨットのクルージングと言うと、青い海を風任せで優雅に走る、あるいは波をかぶりながら大海原を航海するというところがイメージとして浮かんでくるに違いない。しかし、それはほんの一部でしかない。クルージング中はヨットが家となり、年間5か月あまりをそこで暮らしているのだから、日常生活そのものだ。その日の航海を終え、目的地に着いてまずやることは買い出し。市場やスーパーを捜して食料品や生活用品を仕込むことから始まる。逆に言えば、家と共に移動しているからこそ、長期間にわたって旅ができるのだ。飛行機や列車を利用する旅ではせいぜい2-3週間が限度ではないだろうか? 一方、クルージングは旅そのものでもある。初めて訪れる国や町での新しい出会いと感動は、非日常の世界。ヨットの旅の良いところは、気に入った場所に好きなだけ居られること。自由に予定を組めること。悪い点もある。船には、厳しい航海にも耐えられるよう様々な機器が搭載されているが、そうした機器がかなりの頻度で故障する。トラブルへの対応はクルージングの宿命だ。地中海や西ヨーロッパに居る限り、大きなマリーナに行けばほとんどの故障は修理可能だが、僻地ではそうはいかない。応急処置だけして、修理可能なところまでなんとかたどり着くといったこともある。てまりもカリブ海で様々なトラブルが発生し、結局きちんと修理ができたのはヨーロッパに戻ってからだった。

海の上での耐乏生活、沢山の出会いは貴重な経験

マリーナに居る限り日常と変わりない生活ができるが、いったん海に出るとそこには厳しい制約が待っている。水も電気もふんだんに使えばすぐになくなるため、ケチケチにならざるを得ない。久しぶりに上陸し、たっぷりのお湯でシャワーが浴びられることの幸せ感は普通の人にはわからないだろう。

我々は8年に及ぶクルージングを通じて、色々な国で沢山の人たちと出会い、普段の生活や普通の旅では得られない貴重な経験や体験をさせてもらった。この経験を生かして、残り少ない人生を少しでも世の中の役に立つことを考えながら生きていきたいと思っている。

これで、「ヨットてまり」のブログは終了とさせていただきます。皆様から沢山の励ましや、暖かいコメントをいただきました。ブログを通じて知り合った方々もいます。このブログが少しでも皆様の役に立てたと思うとうれしさでいっぱいです。ご愛読ありがとうございました。

2018年10月10日 関山 光二


ヨットてまり8年目のクルーズ さよなら「てまり」

2018-10-02 | 旅行

8年間住んだ「我が家」の整理は、想像以上に大変

9月23日(日)、Almerimarに到着して4日が過ぎた。船の整理に追われる毎日だ。この8年間毎年4-5か月、狭いとはいえ一つの家として日本に居る時と同様の生活ができるように、日本から色々なものを持ちこみ、現地でも購入してきた。その生活用具の整理は、一軒の家を売却するのと同じくらい大変だ。加えて、日本に持ち帰るのはかなりコストがかかるため、必要最小限のものにとどめざるを得ない。他のものは売るか、誰かにあげるか、捨てるかということになる。売れそうなものは、For Saleのプレートを貼っておく。自転車は苦労なく売れた。最大の課題は船だ。地元のブローカーを紹介してもらい、そこを通じてマーケットに出す。少しでも高く売れるように必死になって船をきれいにし、ペンキの剥がれなど目立つ部分はお金をかけてでも修復する。一方船に関連する部品や用品以外は、すべて処分するしかないのだ。

忙しい毎日を癒してくれるのは、安くて美味いタパス

1,000隻ものヨットを収容できるAlmerimarのマリーナは、係留場所に沿って様々なレストランが立ち並ぶ。ランチタイムや夜になると、人気の店はヨッティー達でいっぱいだ。我々も昼間の作業に疲れ果てたときはそうした店で「ちょい軽」をやる。ビールもワインも一杯3€程度で、一杯飲むごとにタパスがタダで付いてくるのだから、ついつい行ってしまう。船に戻ってソバでも食べれば十分の夕食だ。

住み慣れた船からアパートに引っ越し

2014年大西洋横断に備え、ここAlmerimarでジェネレーター修理の部品待ちのため1か月半ほどの滞在を余儀なくされたことがある。その時紹介してもらった不動産屋で、同じアパートの部屋を借りて9月24日に引っ越した。船の中は整理中の荷物があふれ、足の踏み場もない状態なので仕方がない。6月12日以来、ほぼ3か月半ぶりに陸に上がって寝た。本当に「ヨットてまり」での生活が終わったことを改めて実感した。

9月25日は十五夜。良く晴れた空に満月が浮かんでいる姿を見て、何故か日本が恋しくなった。

日本人の生き方に疑問を感じる

「てまり」で訪問した国は45か国に上るが、何処の国でも日本よりゆったりとした時間が流れているような気がする。びっくりするのは、マリーナで出会うヨットで若いファミリーが多いことだ。中には生まれて1年もたたない子供を連れた家族もいる。そうした若いカップルが、どうやって一ヶ月単位の休みが取れるのか不思議だが、それが許される国が欧米では多いと言うことだ。

日本人はどう考えても働き過ぎだ。正規の労働時間内で仕事を終え、休む時は最低でも一週間単位できちんと休むという当たり前の生活をする欧米人的なライフスタイルを、我々日本人も理解し実践できる社会制度に改革するべきだと思う。

日本人大集合

日本に長距離航海懇話会というヨットの団体がある。ロングクルージングを目指す人たちのために、それを既に実行した人たちの経験を通じて情報を共有するという趣旨で設立されたものだ。

9月26日、ちょうどAlmerimarに船で来ている、うめぼし、Buena Vista,てまりに加えてポルトガルに船を置いている、Alcoirisの垣見さんとイタリアに船を置いて帰国途中の若尾さん夫妻、更に日本からも5人が集まり、総勢13名の日本人がAlmerimarに大集合するイベントが開催された。26・27日の会食、28日は講演会などがおこなわれたが、これだけのヨッティーが地中海に集まるというのは画期的なことだ。

フミさんに長距離航海懇話会から感謝状と記念の盾が送られた

フミさんという人が、ここAlmerimar marinaに居るからこそできたイベントだ。今後ももっと多くの日本人セイラーが地中海クルーズを楽しんでもらいたいと思う。

さようなら「てまり」

9月30日(日)昨日までで船の整理、ヨットブローカーとの打ち合わせなどを終えて今日最終的な後片付けを行った。これで8年間連れ添った「ヨットてまり」ともお別れだ。また良いオーナーのもとで元気に走ってくれることを祈って別れを告げた。

マドリードで最後のスペインを楽しむ

10月1日(月)「てまり」とAlmerimarに別れを告げて、Almeriaから飛行機でスペインの首都Madridに向かった。スペインは過去かなり色々なところを訪問したが、唯一Madridだけは行ったことがなかったのだ。Madridは標高650mの高原にある。内陸性の気候のため寒暖の差が激しいと聞いていた。今日の気温は最高24℃、最低10℃ぐらい。地中海に面したAlmerimarに比べるとかなり低い。

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予約したアパートメントは旧市街に近い便利な場所のため、早速夕食がてら旧市街を散策。レストランには矢鱈とTAPASの看板が目に付く。メインストリートは各国からの観光客でいっぱいだ。

今日の夕食は、Museo del Jamon (ハムの美術館)という店。一階ではあらゆる種類のハムやサラミが売られており、二階にはレストランがある。レストランではハム類だけでなく、タパスからステーキまで豊富なメニューがあり、しかもバカ安。日本の居酒屋だ。

スペイン人は生ハムが大好き

スペインでスーパーや市場に行って感じるのは、何処にもあの生ハムの足が大量にぶら下がっていることだ。Museo del Jamonは専門店だけあって、その種類はすごい。スペインの生ハムの最高峰はJamon de Iberico。普通の生ハムと比べると、本物のイベリコハムは価格が7倍ぐらいする。それでもJamon de Ibericoはスペイン人にとって最高のごちそうのようだ。

緑と旧いアーキテクチャーに囲まれた町・マドリード

 

翌日、二階建ての観光バスのチケットを買い観光スポットを回ってみた。市内には広い公園が沢山あり、緑に囲まれた道路沿いには様々な様式の建築物が立ち並ぶ。皆きちんとリノベートされ、素晴らしい町の景観を維持している。新市街を行くと、有名なサッカーチーム、リアル・マドリードの拠点であるスタジアムが見えてきた。ヨーロッパ各国のサッカーに対する思い入れは半端ではない。

今日のランチは、タパスとピンチョス。ピンチョスはバスク地方定番の、パンの上に様々な素材が載った小皿料理。旧市街にあるサンミゲル市場はそうした小皿料理とお酒を出す店が立ち並ぶ観光スポット。自分の好きな小皿料理とお酒を買い、スタンドで楽しむ。半分以上の客は立ち食いだ。

10月3日(水) マドリード滞在も今日で最後。明後日には4カ月ぶりの日本に戻る。

次回で「てまりブログ」は最後となります。8年間のクルーズを振り返ったレポートをお届けする予定です。

 


ヨットてまり8年目のクルーズ Part-11, 最後の航海を終えスペイン・Almerimarに入港

2018-09-21 | 旅行

Cartagenaで楽しい夕食会

9月13日(木)Alicanteからてまりに乗った義弟夫妻の長男夫婦がロンドンから訪ねてきた。久しぶりに大人数で楽しい夕食会となった。ここで義弟夫婦は船を下り、陸路スペインの家族旅行を楽しむことになる。

てまりは翌9月14日(金)30マイルほど先のAguilasを目指して朝8時過ぎにCartagenaを出航。海は穏やかで追い潮に乗り、艇速は6ノット以上をキープしていた。昨日Aguilasのマリーナに電話をしたところ、マリーナは満杯で明日にならないと停泊できるかわからないと言われている。

午前10時過ぎ、次の目的地Garruchaのマリーナに電話を入れてみると、いつでもどうぞとの返事。そのままGaruchaまで足を延ばすことに決定。幸い順風に乗って艇速を維持することができ、午後4時前にGaruchaのマリーナに入港することができた。着いてみると、広いマリーナはかなり空きスペースがある。「いつでもどうぞ」に納得。

ここのところ外食が続いたので、今日の夕食は久しぶりに和食。先日購入したオオトロ鮪、冷奴、鰯の塩焼きに友人が持ってきてくれた日本酒。やはりいつ食べても和食が一番腹に落ち着く。

深夜の大雨で船内は水浸し

深夜12時過ぎ、激しい雨の音で目が覚めた。熟睡していて雨の降りだしに気付くのが遅れ、開けていた窓から雨が吹き込んで周囲は水浸しとなってしまった。朝起きてもどんよりとした曇り空。 そして予報どおり昼前に再び猛烈な雨が降り出した。たまの雷雨以外まったく雨を気にする必要が無かった地中海の夏も、どうやら終わりに近づいてきたようだ。

最後の寄港地、Almeriaに到着

9月16日(日)、朝8時前Garruchaを出航した。風は穏やかな陸風から次第に東に振れて追い風になる。午前10時過ぎ、Almeriaのマリーナに電話をする。ここもAguilas同様当日にならないとバースの空きがわからないと言われていたのだ。OKの返事が出たので、バックアップと考えていたSan Joseをパスして52マイル先のAlmeriaを目指した。

沖からみたSan Joseの町

12時半過ぎSan Jose沖を通過。ここは8年前、てまりの購入を決めて初めてのテスト航海で訪れた場所。何もないリゾートタウンだがその時のわくわくした気持ちを思い出した。

陸を見ると、南スペイン独特の白い家並みの村が目立つようになってきた。

終始追い風に乗り午後4時、想定より早くAlmeriaのマリーナに入港。

ここが、てまりクルーズ最後の寄港地。最終目的地Almerimarまであと21マイルを残すだけとなった。

巨大な城塞遺跡が残る港湾都市Almeria

日本のガイドブックでもあまり紹介されていないAlmeriaは、人口20万人を擁するアルメリア地方の中心都市。20世紀半ばごろまで、鉄鉱石の積み出し場所として活用されていたらしく、その積み出し用の鉄道線路が当時のままの姿でマリーナ入口に残されている。

小高い丘の上には巨大な城塞Alcazabaがある。10世紀にこの地がイスラムの支配下になった時に建築された城塞は長い城壁をもつ広大なものだ。その後キリスト教徒によって取り戻されたのちにも増改築がなされたようで、この城塞はグレナダにあるアルハンブラ宮殿同様、イスラムの建築とヨーロッパの建築デザインがミックスされている。

9月18日(火)明日がてまりラストランということもあり、旧市街のレストランに出かけた。レストランのディナーがスタートする午後8時半に予約したが、我々以外誰もお客はいない。9時半頃になってようやく他の客が入り始めた。本当にスペインの夕食時間は遅い。

てまり航海最後の日を迎える

9月19日(水) 快晴。海は風も波も無く穏やかだ。  Almerimarまで残り21マイルを5.5ノットのスピードでトローリングをしながらのんびりと走る。小さめだがカツオが立て続けにヒット、上出来だ。

てまり、Almerimar入港の瞬間 うめぼし増田さん撮影

午前11時半過ぎ、Almerimar周辺の見慣れた景色が見えてきた。

防波堤を回り込んでマリーナに入っていくと二人の日本人が手を振っている。マリーナスタッフのフミさんと、ヨットうめぼしの増田さんだった。

午前11時50分、Almerimarの受付桟橋に舫いを取る。8年間に及ぶ、ヨットてまり号のクルージングが終わった瞬間を迎えた。

 

夜はフミさん増田さんと、4年ぶりに戻ってきた、「てまり」のふるさとAlmerimarで無料タパスを楽しみながら歓談。アルメリア県の主要都市では、アルコール飲料一杯に無料でタパスが付く。日本の小皿料理程度の量だが、お店によっては20種類ほどの中から好きなものを選べるのがうれしい。今日も2軒のお店を梯子し、ビールとワインを2杯ずつ飲んでタパスをつまむと、それで十分な夕食だった。

日本からシングルハンドで世界一周を目指して航海中の増田さんにびっくり

Almerimarマリーナスタッフのフミさんと共に我々を迎えてくれた増田さんは、2015年1月木造の28フィートのヨットで日本を出航し、インド洋から喜望峰を回って地中海に入り、地中海を周航して9月中旬にAlmerimarに到着したというシングルハンドセイラーだ。途中大波を食らってろっ骨を骨折したり、様々なトラブルを乗り越えてここまで来たすごい人だ。ヨットうめぼしブログはこちら

8年間で走った距離は地球一周プラス

8年の間にてまりで訪れた国は45か国。航海日数(停泊期間も含む)は992日。

地球の赤道上をぐるっと一周すると約4万キロあるそうだ。てまりが走った距離は約22,600マイル(海里)。キロメートルに換算すると41,810キロ。地球一周よりも長い距離を走ったことになる。何度も計算し直したが、間違いない。そんなに長い距離を走ったという実感はまったくなく、正直なところびっくりした。

ここAlmerimarは、ヨットてまりを購入した場所。まさにてまりのホームポートだ。船を購入した2010年から今回で5回目の訪問。今までの滞在期間は4カ月を超える。これから船の後片付け、船を売却するための相談、日本に持ち帰る荷物の整理などやることは山ほどある。しかし、フミさんという頼もしいマリーナスタッフが居る、慣れ親しんだここAlmerimarで、美味しいタパスとワインを楽しみながら、てまりクルーズの締めくくりを楽しもうと思っている。

次回が、ヨットてまりブログの最終回となりますが、日本帰国までのレポートをお届けします。


ヨットてまり8年目のクルーズ Part-10、スペイン・バレアレス諸島からメインランドへ

2018-09-12 | 旅行

イビザ島最後の夜に美食を堪能

9月2日(日)イビザ島を離れる前日の夜、Sant Antonのマリーナレストランでプチ贅沢なディナーを楽しんだ。8月いっぱいバカ高いイビザ島のマリーナ料金を節約するためアンカリングで過ごしたご褒美だ。沈む夕日を眺めながらCAVAを飲みロブスターを食べて1か月半の島めぐりの旅を締めくくった。

オートパイロットのトラブルが発生

9月3日(月)本土まで56マイルというロングディスタンスのため、早朝7時半に出航。出航直後流していたトローリングで30cmほどのカツオが釣れた。その後は穏やかな海を機帆走でのんびりと走っていたが、あと20マイルほどで目的地と言うあたりで突然オートパイロットが効かなくなった。色々とセッティングを調整してみたが直らない。仕方なく交代で舵を取りながら残りの3時間ほどをしのぎ、午後5時前Puerto de Javeaのマリーナ入港。

9月4日(火)オートパイロットのチェックや修理の手配などで時間を取られ、Javeaの町に出かけたのは夕方になってからだった。人工的に造られたと思われる数百メーターのビーチの向こうにマリーナが見える。町は意外に大きく、スーパーが4軒もある。そのうちのひとつに入って肉売り場を見ると、”WAGYU”と書かれた牛肉があった。他の国のスーパーでも見かけたこともあるが、もちろん本物の和牛ではないし日本の肉ですらない。ご存知の通り、日本でも「和牛」と呼べるものは厳しい基準がある。どこかの会社が”WAGYU”を商標登録してしまったのだろうか? 和牛神話が世界に浸透してきているという証なのかもしれない。

オートパイロット修理のため、予定を早めてAlicanteへ

9月5日(水)、喫緊の問題はオートパイロットの修理。メーカーのスペイン代理店にコンタクトし、Alicanteのディーラーを紹介してもらった。そこが修理の対応可能という返事をもらい、予定を早めてAlicanteまで足を延ばすことにした。午前7時40分出航、穏やかな風の中、午後3時半Alicanteのランドマーク、独特の形をした岩山Santa Barbara城が見えてきた。午後4時過ぎAlicanteのマリーナに入港する。

セレブ御用達の豪華なマリーナ

受付ポンツーンに船を舫いマリーナオフィスに行くと、そこはまるで豪華ホテルのレセプションのような雰囲気だった。巨大なマリーナにはメガヨットが何隻も停泊できる専用ポンツーンがあり、隣にあるヨットクラブと合わせると2000隻近いヨットが係留されている。

Alicante県の県都であり、スペインでも重要な港湾都市Alicanteは観光スポットとしてもにぎわっていた。すでに9月半ば近いのにマリーナに隣接するビーチは人で一杯だ。

9月6日(木)午前中、メールで連絡をしてあった修理業者がスペインでは珍しくほぼ時間通りに来てオートパイロットの修理をしてくれた。幸い、心配していたような重大な故障ではなかったためホッとする。

夕方、標高166mのSanta Barbara城にエレベーターで昇ってみた。山の上から見るとマリーナの広さとそのロケーションが良くわかる。この町の行政はヨットに力を入れているようで、世界一過酷なヨットレースとして知られる、VOLVO OCEAN CUPレースのスタート地点としてこのレースを前々回からサポートしている。マリーナのそばにはVOLVO OCEAN CUPのミュージアムまである。Alicanteにとって、ヨットで来るビジターは重要な顧客のようだ。

マーケットで極上マグロをゲット

9月7日(金)オートパイロットの修理が予想外に早く終わり、その後2度ほどマリーナを出てテストしてみたが問題が無さそうだ。時間ができたので早速マーケットに買い出しに出かけた。2フロアーある公設市場には魚・肉・野菜など沢山の店が並んでおり覗いて歩くだけでも楽しい。一軒の魚屋で美味しそうなマグロの切り身を見つけた。値段はキロ56€(約7,000円)と良い値段だったが、思い切って800gほど購入。早速夕食で少し食べてみたが、最高のオオトロだった。

弟夫妻が来訪

9月10日(月)夕方、真理の弟夫妻が到着した。ここからCartagenaまで乗船する。

翌日30マイルほど先のCabo Raigを目指して朝8時半過ぎに出航。予報では北東の強風が終日続くとなっていたが、出航時は南の微風だった。30分ほどして上空を見ると、エアポートから北東に向いて飛び立った飛行機が見えた。そろそろ来るかなと思っていると予報通りの北東風が入り始め30分も経たないうちに平均25ノット以上の強風になった。目的地は西南西の方向のため風は追い風だ。ジブセール一枚で8ノット近いスピードで走る。サルディニアに渡って以降微風続きだったため、久しぶりに大時化の航海となり、5時間ほどでCabo Raigのマリーナに到着。マリーナ入口で船が動かなくなり、水深計を見ると2.4mを示していた。キールが砂にめり込んだようだ。あわててキールを上げて脱出、無事マリーナ入港。

マリーナは日本の標準的な規模の本当に小さなマリーナで、停泊している船はほとんどがパワーボート、ヨットではてまりが一番大きい。やはりこの水深では大型のヨットは入れないようだ。

スペイン海軍基地のある港湾都市Cartagena

9月12日(水)雨がぱらつく曇り空の中、Cabo Raigを午前8時半過ぎに出航。昨日の強風の名残でうねりは残るが風は穏やかな海を走り午後2時半、Cartagenaのマリーナに舫いを取る。

紀元前にさかのぼるというこの町の歴史は多彩だ。1900年代に発生したスペインの内戦で、海軍基地があったため町はかなり破壊されたようだが、町を歩いてみるときれいに修復され町中にその面影は残っていない。今もスペイン海軍の重要な拠点となっている港湾都市だ。

今日は9月13日、てまりのクルージングも残すところ1週間となった。9月20日には2011年に出航した母港Almerimarに戻って8年間のクルーズを終了する予定。


ヨットてまり8年目のクルーズ Part-9、 スペイン・バレアレス諸島 クルーズ その2

2018-09-02 | 旅行

バレアレス諸島最大の島Mallorcaに渡ると、船も人も更に増えてきた。8月22日(水)Port Cristoで堀川夫妻をピックアップし島の東岸を南下する。島の南岸は岩場が続き、数マイルごとに大小様々な入り江があるため、最高のクルージングスポットになっている。10マイルほど南に下り、広大な入り江のPort Colmでアンカリングし昼食。すると小さなボートが近づいてきて、お前はPosidoniaの上に錨を下ろしているから別の場所に移動しろと言われた。渡されたパンフレットを読むと、その海草は地中海独特のもので、二酸化炭素を吸収し酸素を発生、海岸の浸食を守り海中の生物体系保全にも役立っているという。海底が白っぽい砂地に移動。

ここで堀川夫妻は下船、バレアレスに来てからにぎやかだった船はまた二人だけに戻った。午後、今日の停泊地Petro Mallorcaまで5マイルほど走る。

ここでアンカリングする予定で良さそうな場所を探して見ると、停泊中の船はすべてブイを取っている。ブイに係留している船に聞いて、無線でマリーナにコンタクト、小さなボートが近づいてきて予約をしているかと言われ、ノーと答えるとすべて満杯だと言われてしまった。しかし、ここでちょっと待っていろといわれ、ボートは別の係留場所に行って5分ほどで戻ってきて、ついて来いとのしぐさ。なんとかブイに係留することができた。あとで泳いでみると、海底はPosedoniaがびっしりと生えている。ガイドブックではアンカリング禁止とは書いていなかったのだが、こちらでも自然環境保護の取り組みが年々厳しくなってきているようだ。

マヨルカ島の首都Palmaへ

8月24日(金)Mallorcaの最南端を通過し北上、Sa Rapitaのマリーナに一泊したあとPalmaに向かう。

バレアレス諸島最大の町Palmaにはマリーナも沢山ある。正午過ぎ、事前に予約をしておいたPort de Mallorcaに舫いを取る。

8月25日(土)Palmaの中心街まで海に沿って3㎞ほどを自転車で出かける。久しぶりに大都会に来たという実感がする。その海沿いの半分以上がマリーナだ。

マーケットでシーフードのタパスランチを楽しむ

Palmaは大都市だけあって、常設マーケットが二つある。その一つに買い物がてら出かけた。生鮮食料品はほぼなんでも入手でき、中にはカウンターの小さなレストランがいくつかある。ショーケースに並ぶタパスと生ガキを注文、白ワインとともに楽しむ。寿司の看板を出す店もあるが、のぞいてみるとあきらかに日本のそれとは異なるものが並んでおり食指が動かない。インターネットのグルメガイドで調べると、Palmaだけで60軒以上の日本料理店が載っているが、恐らくその大半が日本人以外の経営する、我々から見ると偽物和食屋だ

パルマの町がすべて眺望できるベルベル城

8月26日(日)日曜日はスーパーもほとんどのお店も休みのため、暑くなる前の朝、マリーナから15分ほどひたすら階段を登り、丘の上にあるベルベル城に出かけた。14世紀に建てられたという城からはパルマの町と港が見事に一望できる。あらためて港に占めるマリーナの数と停泊するヨットの数に驚く。日本では有り得ない光景だ。

8月27日(月)朝8時過ぎ、Palmaを出航してマヨルカ島西端の町、Port D’Andratxに向かう。終始微風の穏やかな海の中昼過ぎに到着、予約しておいたブイに係留する。Andratxは小高い丘に囲まれたリゾートタウン。丘にへばりつくようにリゾートマンションやホテルが立ち並ぶ。

マヨルカ・イビザの係留料の高さにあらためて驚く

Andratxのブイ係留料は1泊45€、前回10月初旬に来たときは22€だったので、スタッフに倍以上だねと聞くと、9月頭まではオンシーズン料金と言われた。これから行くイビザ島のいくつかのマリーナに電話で問い合わせたところ、8月いっぱいは、安くても一泊150€、高いところは200€と言われた。我々の経験では地中海のマリーナの平均価格は、「てまり」のサイズで60€前後、過去一番高かったマリーナでも123€だった。この値段を聞いて、8月中はアンカリングで我慢し、9月に入ってからマリーナに行く事にした。

8月29日(水)マヨルカ島のAndratxを後にしてイビザ島を目指す。今日の目的地まで48マイルを順調に8時間半で航海、午後4時半Cala Portinatxに錨を下ろす。海底は砂と海草が入り交じりアンカーをきちんと効かせるのに苦労した。

翌30日は4マイルほど西のSan Miguelの入り江に移動する。北に開いた狭い入り江の奥が海水浴場になっている。風はオフショアの南寄りの風なのだが、なぜか常時うねりが入り、船が激しくローリングする。更に日中は観光客を乗せたゴムボートを猛スピードで引っ張るモーターボートが、停泊中の船の間をすり抜けるように突っ走る。船は更に揺らされ極めて居心地が悪いアンカレッジだった。

8月31日(金)イビザ島北岸を西に向かう。イビザ北岸も切り立った断崖の見事な光景が続く。

今日もマリーナは我慢してイビザ島西岸のCala Saladaにアンカリングする。ここも入り江の奥は海水浴場になっており、8月末というのにまだすごい人だ。しかし、昨日のSan Miquelのようなうねりは入ってこず、風も穏やかで安眠することができた。

Sant Antoniでようやくマリーナに係留

9月1日午前9時、3マイルほど南にある、Sant Antoniのマリーナに向かう。途中電話でコンタクトし係留の意向を伝えると、係留のウェイティングリストに入れておくから12時半ごろまで待てと言われた。この6日間、イビザに来て一度もマリーナに舫いを取っていないため、バッテリーも上がり気味、水もだいぶ少なくなってきた。もし入港を断られたら、水だけ補給してイビザを離れ本土に渡るしかないと考えながら、マリーナ近くに錨を下ろして待機。すると12時過ぎマリーナから電話が入り入港OKという返事。正直ホッとした。係留料も9月に入ったため1泊82€とリーズナブルだ。早速スーパーへ買い出しに行き、船では扇風機を回しふんだんに水と電気が使える、普通の生活の有難さを改めて実感した。

カジュアルなリゾートタウンSant Antoni

9月2日(日)Sant Antoniの町をぶらついてみるが、旧市街があるわけでもなく、海沿いにはマンションが立ち並び、一歩入ると怪しげなバーやクラブ、タイや中華、ケバブなどカジュアルなレストランなどが軒を連ねるリゾートタウンだ。こんな小さな町でもマリーナの存在感は大きく、マリーナの外にも沢山の船が錨を下ろしている。今日一日こちらで疲れを癒し、明日は早朝出航して、スペイン本土に向かう。


ヨットてまり8年目のクルーズ Part-8、スペイン・バレアレス諸島クルーズ

2018-08-20 | 旅行

イタリア・サルディニアから、スペイン・メノルカ島へ

8月13日(月)朝7時20分に、サルディニア・Algheroのマリーナを出航、穏やかな海を西に向かい192マイル(約360㎞)先の、スペイン・バレアレス諸島のひとつ、Menorcaを目指す。

最初の24時間は、穏やかなアゲインストの風の中、エンジンとメインでほぼ5.5ノットをキープ、14日朝から風が北にシフトし徐々に強くなりエンジンを停止、セーリングに切り替えた。

深夜から雷光が見られたが、雷雲が近づいてきて海は荒れ模様となってきた。幸い風は真横より後ろのため、船は時折8ノット近いスピード快走。午後3時過ぎ、Menorca東端にあるMahonの静かな湾に入ることができた。航海時間32時間弱、かなり良いペースの航海だった。

スペインの美味しい料理を堪能

30時間以上のロングランの疲れを癒すべく、マリーナ近くのレストランを予約。パエリアを頼もうとしたら前日の予約でないとダメと断られたが、シーフードを中心に美味しい料理を楽しんだ。スペインの料理はイタ飯同様、日本人の口に合うものが多い。レストランは午後8時開店が一般的だ。我々が予約した午後8時には他に誰も客が居ない。周囲のレストランも閑散としていたが、食事を終って帰る10時頃にようやく席は埋まり、その時間に子供連れで入ってくるお客が居るのに驚いてしまう。

バレアレス諸島と言っても日本人にはなじみが薄いが、マヨルカ・イビザ・メノルカ・フォルメンテーラの4つの島で構成され世界中から観光客が押し寄せる魅力のある島々だ。Mahonの町は二番目に大きいメノルカ島最大の町。旧市街が城塞に囲まれた高台にあるのは、コルシカのBonifacioと同じだ。Mahonの入り江は広大で奥が深く、ヨットだけでなく巨大な客船も立ち寄ることができる、天然の良港だ。

更に二人の友人が合流

8月16日(金)同じヨット仲間の堀川夫妻が合流した。6人で夕食。二日続けての外食は久しぶりだが、人数が多いと色々なものが楽しめて幸せになる。

翌17日、Menorca南岸を西に向かい、途中の入り江で堀川夫妻をピックアップ、船が鏡のように海底の砂に写りこむということで人気のCala Macarollaに立ち寄るが、船が多すぎて別の入り江にアンカリング、水浴びを楽しんだ後Menorca島西の町Ciutadellaに向かった。二つあるマリーナに再三電話をしたが、結局満杯で断られてしまい、すぐ近くの入り江に錨を下ろす。

居心地の悪いアンカレッジで不安な一夜を過ごす

その入り江はすぐ近くにフェリー乗り場があるため、フェリーが発着するたびに激しく揺れてあまり心地良くない。おまけに雷がゴロゴロと鳴り、また突風と大雨が降らないかと気が気ではない。明日帰国するムー&ムネハル達との最後の夕食会も、アンカリングが不安で船を空けることができず、残念ながらお流れとなってしまった。夜になって予想通り激しい雨と雷そして強風が吹き付け、数時間ごとに起きてアンカーの効きを確認する一夜を過ごした。

メノルカ島からマヨルカ島へ

8月18日(土)朝ヨット仲間二人が帰国し、Ciutadellaのマリーナは今日も満杯で停泊できないとわかったため、Menorcaを諦めてMallorcaに渡ることにした。夜中から吹き始めた北寄りの強風は朝になっても収まらない。セールを小さくして出航、横からやや後ろ寄りの風のため、うねりは大きいがスピードは7ノットを越え、マヨルカ島北東端にあるAlcudiaまで34マイルを5時間半で走り切った。

バレアレス諸島最大の島・Mallorca

Alcudiaのマリーナに停泊している船のフラッグを見ると、ロシアなど東欧諸国から北欧、アメリカなど様々な国旗が掲げられており、町を歩いていても各国の言葉が飛び交っている。

海沿いから数キロ中に入った旧市街は日曜日でもほとんどのお店が開いていて、狭い通りも旧市街を囲む城壁も人でいっぱいだ。

マリーナに隣接して7㎞ほどにわたり広大なビーチが続き、ビーチ沿いはホテルやホリデイヴィラ・マンション・豪華な別荘などが並ぶレジデンシャルエリアだ。

夜、ホテルに泊まっている堀川夫妻と待ち合わせ、夕食がてら町を散策。週末とあって広場では民族舞踊が披露されていた。

Mallorca島東岸を南下

7月21日(火)3日間過ごしたAlcuidaを後に東に突き出た半島をぐるっとまわり、マヨルカ島東岸を南下する。出航時ほとんどなかった北寄りの風が昼近くには徐々に強まってきた。午後1時過ぎ、Port Crestに舫いを取る。ここは油壺のように深く入り組んだ入り江の中にマリーナがあるため、中は波も風も入らない。町は何もないリゾートタウンだが、静かなマリーナはホッとする。

まだしばらく、バレアレス諸島の旅が続く。


ヨットてまり8年目のクルーズ Part-7、イタリア サルディニア島

2018-08-10 | 旅行

サルディニア西岸を南へ

8月2日(木)サルデイニア最北部のSant Teresa di Galluraから南西に向かい、Isola Rossaに入港する。サルディニアは、北東部にあるMaddalena諸島とその周辺が最も人気のあるクルージングスポットだが、西岸は魅力的なアンカレッジが少ないためか、クルーズする船の数はぐっと少なくなる。

Isola Rossaは海岸近くに貸別荘やリゾートマンションが並ぶ小さなリゾートタウンだ。

翌日連日快晴の暑さに参り、久しぶりにマリーナ隣の海水浴場でひと泳ぎ。リビエラ海岸の人気リゾートと違い人もまばらで、透明度の高い海は快適だった。

野生のロバとクリスタルブルーの海に囲まれた島Isola Asinara

8月5日(日)Port Torresに2泊したあと、Isola Asinaraに向かう。ここは島全体が国立公園として自然保護地区となっており、島とその周辺は厳しい規制がある。島に一般車の乗り入れ禁止、島周辺のアンカリングも禁止で、指定されたブイか桟橋に係留するしかない。我々はPort Torresで係留許可証を購入し、1泊目はブイを取り2泊目は桟橋に移動した。

自転車で、船を停泊しているCala Reale周辺を散策する。ここにはレストランが一軒と教会があるだけでお店が一軒もない。乾燥した島は豊かな緑とは程遠く灌木とブッシュばかり。脇道に入ると野生のロバが道を歩いている。移動手段は、徒歩か自転車かバス。道路も滅多に車は通らない。

午後からミニバスでクリスタルブルーの海沿いにCala D’Olivaに出かけた。

ここが島一番の町のようだが、歩いても建物に看板というものが一切ないため、そこが何なのかわからない。監視塔がある建物を見つけ、かつての刑務所だとわかった。昔この島は組織犯罪人を抑留する刑務所があったそうだ。

  

他に見るべきものは何もないので、バス停近くのバーでローカルビールを飲みながら帰りのバスを待つ。この島はサルディニア本島から10マイルほどしか離れていないため、ヨッティー以外の人たちは一日3便あるフェリーに乗って日帰りで海水浴を楽しみに来るようだ。

8月7日(火)Isola Asinaraを離れ、8マイルほど南下して、サルディニア本島のStintinoに向かう。マリーナに無線でコンタクトするが、スペースが無いと言われ結局マリーナ近くにアンカリングすることとなった。メールで予約の連絡を入れていたのだが、パイロットブックで調べた送り先がコーストガードだったらしく届いていなかったようだ。日本で同じような状況が起これば、コーストガードはマリーナにそのメールを転送するか、正しいメールアドレスを教えてくれるかしてくれると思う。そういう「日本の常識」が残念ながら、こちらでは通用しないのだ。

日本の有名デパートでも売っているチョコレートキャンディーをもらう

Stinginoの入り江で錨泊中、すぐ近くにアンカリングする船からテンダーが近づいてきて声を掛けられた。日の丸を見て来たと言うダニエルは製菓会社のオーナーで、日本の有名デパートでも売られているという自社のチョコレートキャンディーを、日の丸を掲げた「てまり」に敬意を表して持ってきてくれたのだ。

スペインの雰囲気が漂う町・Alghero

 8月8日(水)Stintinoは1泊で切り上げてサルデイニア西岸を南下し、37マイル先のAlgheroに向かう。途中の景色は、人を寄せ付けない切り立った断崖が続く。追い潮に乗りAlghero手前の入り江でアンカリングしランチを食べひと泳ぎしたあと、午後2時過ぎAlgheroのマリーナに舫いを取る。スペインやイタリアはフランスと違いほとんどのマリーナは民営で、複数の業者が同じ港にあるマリーナを個別に管理しているところが多く実に複雑だ。 Algheroには5つほど違うマリーナがあり、いくつか事前に連絡を取った結果、旧市街からは一番遠いが一番安いSer Marというマリーナに舫いを取った。

Algheroは歴史上スペインの支配下にあった時期が長いこともあり、スペイン・カタルニア地方の影響が色濃く残る町だ。レストランのメニューにはパエリアがあり、城壁に囲まれた旧市街のたたずまいはスペイン的な附雰囲気がある。

イタリアでも夏祭りでお神輿の準備中

8月10日(金)Algheroからバスに乗って1時間ほど、サルディニア第二の都市Sassariに遊びに行った。昼から出かけて行ったため、商店はほとんど昼休み中。町は海からやや離れた内陸部にあるためか、観光客もほとんどおらず死んだような静けさだった。

唯一町のあちこちで目立ったのが「キャンドル」というお神輿。燭台をイメージしたカラフルなデコレーション神輿が町のあちこちで準備されていた。話を聞くと今日午後6時から、メインストリートで一斉にそれらの神輿が練り歩くお祭りがあると言う。是非見ていけと言われたが時間がないのであきらめた。

神様が違っても日本の夏祭りと同様、神輿を担いで練り歩くという神事がイタリアの田舎町でも開催されると聞いて非常に興味深いものがあった。

日本からヨット仲間二人が到着

8月11日(土)Algheroの別のマリーナに移動。こちらは旧市街の目の前にある便利なところ。夕方、昔からのヨット仲間、ムーとムネハルが到着した。日本からほぼ25時間かかったという。

彼らには気の毒だが、12日はたった一日のイタリア滞在を、ここAlgheroで時差ボケ解消も含めて楽しんでもらい13日(月)早朝出航、今年一番長い約200マイルを走り、スペイン・バレアレス諸島のMenorca島を目指す。


ヨットてまり8年目のクルーズ Part-6、コルシカ島からサルディニア島へ

2018-08-01 | 旅行

イタリアから再びフランスへ

7月21日(日)、イタリア本土とコルシカ島の中間にあるる島Isola Capraiaからコルシカ島北部のBastiaに向かう。

予約していたBastiaのPort Togaマリーナ入口から無線で連絡しようとしていると、待ちかねていたように小さなボートが手招きして迎え、係留場所まで誘導、係留をサポートしてくれた。滅多にない出迎えにビックリする。

Bastiaはコルシカ島と本土を結ぶフェリーが到着する町。港には3隻のフェリーが停泊していた。

自転車で買い物がてら町を散策。レストランのメニューを覗いても、パン屋でパンを買ってもここは間違いなくフランス。コルシカはナポレオンが生まれた島として知られているが、この後向かう南にあるサルディニア島はイタリアだ。歴史書を読むと、サルディニアとジェノバは同じ国家であったこともあるなど、この辺りの複雑な統治遍歴がうかがわれる。

地中海の夏は日本の高原の気候

Solenzaraで見た満月

7月24日(火)Port de Taverna、25-26日Solenzaraとコルシカ島東岸を南下する。二つの町は共に小さなリゾートタウンだ。

日本は厳しい暑さが続いているようだが、こちらも本格的な夏の陽気になってきて、日中の日差しは強烈だ。しかし湿度が極端に少ないため、日陰を吹く風は爽やかで夜に入るとぐっと涼しくなり、熱帯夜とは縁が無い。電気屋で加湿器がついている扇風機を売っているのを見て驚いた。日本とは逆に加湿する必要があるほど乾燥しているのだ。

フランス料理にも豚の生姜焼き

Solenzaraのレストランで久しぶりに外食をした。こちらの料理は量が多すぎるため、我々はいつも前菜とメインを一品ずつ頼み、それをシェアして食べることにしている。たまに変な顔をされることもあるが、だいたい理解してくれて、お皿を一枚用意してくれる。今日メインで頼んだ、イベリコ豚のソテーは一口食べて、豚の生姜焼き!とわかった。醤油以外にフルーツ系のソースを使っているらしく、多少甘いがベースは醤油と生姜。フランスのスーパーには普通にテイクアウト用寿司が並んでいるが、ここまで日本の味付けが浸透しているのに驚いた。

歴史が刻まれた町,Port Vecchio

7月27日、Solenzaraから更に南下してPort Vecchioの広大な湾の奥に錨を下ろす。マリーナは狭く混雑しているが、水深が浅く奥の深い広大な入り江は何処も最高のアンカレッジだ。

翌日テンダーを下ろして町を散策。マリーナを中心に海沿いにはずらりとレストランや土産物やが並ぶ観光地。そこから見上げる高台にある、城壁に囲まれた旧市街を歩いてみると昔の面影を残す路地や建物が並んでいる。天然の良港であるこの町は時代と共に支配者が入れ替わる複雑な歴史を持つ町だ。

コルシカ島で大人気の町ボニファシオ

7月29日、Port Vecchioから少し南に下ったところにあるSant'Amanzaという広大な入り江にアンカリングして一泊したあと、30日コルシカ島南端にあるBonifacioのマリーナに入港した。途中の海域は岩礁や暗礁が点在する危険な海域だ。

断崖に囲まれた狭い水路を入っていくと突き当りにマリーナがある。観光シーズンのピークを迎える今頃は人も船も大混雑。事前にウェブサイトから予約をしていたためすんなり停泊場所に案内してもらえたが、狭いスペースに停泊させるのは大変だった。

日中は湾の一番奥に停泊する観光船が通過し、マリーナにはヨットがひっきりなしに出入りする。それをコントロールするマリーナスタッフの小型ボートが大忙しに走り回る。更に近くのレストランから流れるライブ演奏が深夜まで続く。ともかく騒がしい場所だ。

コルシカではサラミのような干し肉が沢山ある

マリーナから階段を登って城壁に囲まれた旧市街に行く。町はジェノバ共和国統治時代の旧いたたずまいが残り、見下ろすとマリーナのある奥深い入り江の様子が良くわかる。周囲を断崖絶壁に囲まれた高台にあるこの町は、かつて何か月にも及ぶ外敵からの攻略に耐えたという、確かに難攻不落の天然の要塞だ。

コルシカからサルディニアへ

コルシカとサルディニアの間は8マイル(約5㎞)程度しか離れていない。その間を走るBonifacio 海峡は西の強風が吹くことが多いと言われている。

8月1日(水)朝8時過ぎ、Bonifacioのマリーナを出航、サルディニア北端にあるSant Teresa di Galluraに向かう。幸い海は穏やかで10マイル離れたマリーナまでは2時間半ほどで到着。再びイタリアに戻ってきた。

Sant Teresa di Galluraのマリーナも細長い入り江の最奥部にあり風もうねりも入らない。高台にある町からは、コルシカ島が見え、今日出航してきたBonifacioの町も見えた。これからしばらく、再びイタリアの旅が始まる。