Yacht TEMARI blog  ヨットてまりのブログ

2011年スペインを出発、3年かけて地中海を一周。その後カリブ海へ渡り、ヨーロッパに戻って航海中のきままなヨットの旅です

10月16日(水)~10月26日(土) スペイン Costa de BlancaからAlmerimarへ。今年のクルーズ終了。

2013-10-27 | 旅行

1016日(水)、Cartagenaを出航してスペインCosta Blancaの海岸を南下し、Aguilasのマリーナに舫いを取った。Aguilasは庶民的なリゾートタウン。マリーナ周辺にはマンションが立ち並ぶがほとんどの窓はシャッターが閉められていて人の気配がない。まだ日中は30℃近くまで気温が上がり、夏のような日差しが照りつけるが、さすがにこの時期は海岸もほとんど人が居ない。

 

町の中心部を歩いてみると、木々や草花が巧みに配置された気持ちの良い公園があり、周囲にはカフェが並んでいる。 ヨーロッパの町を歩いていて決定的に日本との違いを感じさせられるのは、一般の道路や公園、広場など行政が監理する場所に、当たり前のようにテーブルを並べるカフェやレストランが多いことだ。店舗は近くにあるのだが、お店の中はほとんど客がおらず、皆道路に並べられたテーブルで食事やカフェを楽しんでいる。どんなに小さな田舎の町でも、中心部には必ずそうしたお店があり、コーヒー1杯の値段は150円程度、ビールでもちいさいものは200円以下で飲めるから、お年寄りや主婦達の社交場となっているし、それがまた街角の雰囲気を盛り上げているのだ。

 

日本ではややこしい法律が色々とあって、公共の場にテーブルを並べてカフェなどをやることができないらしい。世界一の高齢化社会になりつつある日本では、地方都市中心街のシャッター通り化が叫ばれて久しいが、行政も規制緩和をして、ここヨーロッパのようにお年寄りが気持ち良く語り合い、気軽に時間を過ごせるようなアウトドアカフェを、町の中心部や広場にどんどん作れば良いと思うのだが。

 

今年最後の寄港地 San Jose

 

1018日(金)、Aguilasを出航して50マイル弱先のSan Joseに向かった。San Joseは周辺をリゾートマンションに囲まれた、日本にもあるくらいの本当に小さなマリーナだ。San Joseから数マイル走ると、船乗りの間で有名なCabo de GataGata 岬)がある。この岬からMaagaのあたりまでがCosta del Solと呼ばれる地域になるが、北側に高いシェラネバダ山脈が走っているため、強い西風が吹きやすく、「西に向かう船はCabo de Gataを超えたら要注意」と昔から言われている。従ってこのマリーナは、Almerimarまでのラストラン前に一服するには丁度良いロケーションなのだ。

 

25か月ぶりにAlmerimarに戻る

 

1019日(土) 午後4時過ぎ、無事Almerimarのマリーナに入航することができた。幸いCapo de Gataを超えても、西の風はそれほど強くならず、タフなセーリングを強いられることもなかった。

マリーナには、日本人スタッフのフミさんがお休みの日にも関わらず迎えてくれて、色々と面倒を見てくれた。いつもながら有難い。夜はフミさんと定番のTapasをつまみながら話はつきなかった。Almerimarはてまりの実質的なホームポート。このマリーナにはクルーズ出発の時を含めて3回訪問し、述べ3か月近く滞在した場所なので故郷に戻ったような気持ちがした。

 

20116月にこのマリーナを出航し、足かけ3年でぐるっと地中海を回り戻ってきたのだ。

地中海クルーズに出かける前、テストセーリングでここAlmerimarから地中海の入口ジブラルタルまで往復してきたので、それを含めて地中海をほぼ完全に一周したことになる。

今年は4月末にイタリアからスタートし、175日間で5か国を回り79カ所に滞在した。3年間でトータル10,000マイル弱(約18,000km)を走破した。これは、ほぼ日本からアメリカ西海岸を往復する距離に匹敵する。

航海中大きなトラブルはほとんど無く、小さなトラブルは立ち寄ったマリーナですぐに対応してくれた。何処の国もマリーナ設備が充実しており、あらためて地中海はクルージングの初心者に優しいエリアだと実感している。

 

 

1026Almerimarにて

 

Almerimarに戻って、出発前に船の修理などでお世話になった、懐かしい顔ぶれに出会った。皆我々の事を覚えていてくれ、再会を喜んだ。Costa del Solにあるこの町はマリーナを中心に1970年代に開発された新しいリゾートタウンなので、周辺に見るべきものは何もないが、マリーナの周辺に大きなスーパーマーケットから雑貨店、幅広い種類のレストランやバールなど生活に必要なお店がほとんど揃っているため、ここに長期滞在するヨッティーにとってはとても便利なマリーナだ。

 

船を家代わりに生活している人たちも多く、3年前に居たヨッティーが今でも船で生活しているのを見かけてびっくりした。

このあと10月末までAlmerimarに滞在し、船の整備や帰国の準備をした後、フランスNantesの友人宅に立ち寄り、115日に日本に戻る。

来年は5月初めにスタートして大西洋沿岸を北上、ポルトガル、ビスケー湾のスペイン北部、フランス西部を回り秋にはカナリー諸島まで南下し、11月か12月に大西洋を横断してカリブ海に向かう予定。

 

今年のてまり航海記はこれで終了しますが、番外編としてフランス Nantes 滞在記を後日お届けする予定です。

 

その他の写真はこちらからご覧いただけます。


10月5日(土)~10月15日(火) スペイン・バレアレス諸島、Ibiza & Formentera からCartagenaへ

2013-10-15 | 旅行

Ibiza島にて

105日(土)午前7時、まだ夜も明けないうちにマヨルカ島西岸のAndratxを出航しイビザ島に向かう。イビザ島の東南にあるSanta Eulaliaまで52マイル(100㎞弱)あるので、少し早めに出航したのだ。この辺りは東経1度。グリニッジ標準時の経度と140㎞ほどしか変わらないが、スペインはヨーロッパ標準時を採用しているため、グリニッジ標準時プラス2時間となる。つまり、夜明けが遅く日が沈むのも遅いという事だ。今頃の日の出は午前8時過ぎ、日の入りは午後820分頃なので我々も生活時間を1時間ほど遅らせないと時間感覚が合わない。

 

予報では昼から風が強まるはずだったが、逆に弱くなり穏やかな航海で午後4時、Santa Eulaliaのマリーナに舫いを取ることができた。この町は静かなリゾートタウン。まだ海に入る人も居るが、さすがにビーチは閑散としており、海岸沿いのカフェでくつろぐ人たちの方が多い。

 

 107日(月)イビザ島の首都Eibizaに移動した。ここのマリーナは値段が高いので有名だが、てまりが舫いを取ったMarina Bonifachは町まで一番遠いためか、値段も良心的だ。町までは水上バスが往復しているので足の心配は無い。Eibizaの町はまだ夏の雰囲気で、各国から来た滞在客でにぎわっていた。

 

 

旅の楽しみの大きな要素の一つが食べる事だ。スペインの定番小皿料理Tapasは、我々日本人の口に量も内容も丁度良い。一皿が4~8€程度と値段も手ごろだ。Eibizaの町には多種多様なレストランが並んでいるが、我々がランチで選んだのは、やはり定番のTapasだった。

 

夏の名残が残るFormentera

 1010日(木) イビザ島を後にして、10マイルほど南にあるFormentera島に向かう。島の周辺には岩礁地帯があり、唯一のマリーナがあるLa Savina周辺の島北部には浅瀬が広がり注意が必要だ。一方その浅瀬が魅力的なアンカレッジとビーチを形成しているため、盛夏にこの島を訪れる人や船の数はすさまじいらしい。マリーナは狭く、ビジター艇が停泊できる数は限られているため、シーズン中の停泊料金は1200€以上に跳ね上がる。10月に入った今はビジターも少ないため値段も1/4位に下がり一般的なマリーナと変わらない。しかし、マリーナに隣接する桟橋には、この時期でもお客を大勢載せた大小様々なフェリーや定期船が、Ibizaだけでなくスペイン本土からもひっきりなしに発着し、この島の人気の高さを物語っている。バレアレス諸島の中で4番目に大きな島だが、他の三島に比べるとぐっと小さく、島民人口は7000人程度という。高い山が全く無く全体にフラットな地形で、行政的にはIbizaに属する島だ。

 

エーゲ海の島を思い出させる町とヌーディストビーチ

 

 

 

自転車を借りて島を散策した。

島で一番大きな町Sant Francesc Xavierはマリーナから6㎞ほど内陸に入った小高い丘にあった。町の中心部は真っ白な壁がまぶしい建物が並び、まるでエーゲ海の島に来たような雰囲気だ。マリーナのあるLa Savina周辺には浅い内潟がいくつも形成されており、その一部は塩田に利用されている。そこから北に延びる半島には美しい海岸線と岩場が続く。海岸線を歩いていくと、まったくスッポンポンの男女が日光浴したり泳いだりしているのに気が付いた。どうやらその一角はヌーディストビーチになっているらしい。しかし、海岸線はまだまだ続いており、その先には普通に水着を着た人たちが居る。そこに行くには否応なしにヌーディストビーチエリアを通ることになるのだ。そうしたエリアは、隔絶され人目につかない場所に設定されていると思っていたので正直驚いた。一方ヌーディストたちはまったく他人の視線を気にしていないようだった。(掲載した写真はその一角を通り過ぎた場所で写したもの。悪しからず) 海岸線全体に人の数は少ないが、この島にいる限りまだ夏は終わっていないようだ。

 

バレアレス諸島を後に、スペインメインランド・Costa Blanca

 1012日(土)午前10時、Formentera島のマリーナを出航、3週間過ごしたバレアレス諸島に別れを告げてスペインのメインランドに向かう。目的地Cartagenaまでは140マイル(約250㎞)の距離だ。

1013日(日)昼過ぎ、Cartagenaのマリーナに舫いを取った。終始穏やかな風でほとんどエンジンランだったため、27時間近くかかってしまった。

 

スペイン内戦の爪痕が残るカルタヘナ

 

 日本のガイドブックにはほとんど紹介されていないCartagenaは、Alicanteと共にスペインのCosta Bancaと呼ばれる地域の中心都市。1930年代に勃発したスペイン内戦では、敗戦側の重要拠点だったために市内が激しく空爆され旧市街から港周辺は著しい被害を受けたという。旧市街は建物が修復され、旧い趣のある街並みが復活しており、港の周辺はモダンな建造物や遊歩道が整備されて新しい町の顔となっている。内戦当時作られた防空壕が最近になって記念博物館として生まれ変わった。すぐ隣にある闘牛場は、激しい爆撃で破壊されたままの形で保存されている。内戦から70年も経てようやく記念博物館が誕生した背景には、スペイン国内を二分した戦争の傷の深さが伺われる。

 

豪華客船の入航

 

1014日(月)午前11時ごろ、てまりが舫いを取るマリーナのすぐ外側の埠頭に巨大な客船が横付けされた。

船から見ると、突然巨大なビルディングが目の前に建ったような感じだ。降りてきたお客に聞いたところ、バルセロナから出発してアメリカのフロリダに向かうという。航海日程は15日間、乗客は約2000人で乗務員が900人もいるそうだ。3000人という数は小さな田舎町の人口に匹敵する。船の中にはレストラン・ショップは元より図書館や映画館、床屋からマッサージなどありとあらゆる施設が備わり、それに従事する様々な人たちが働いているということなのだろう。船の大きさと言い想像をはるかに超えた世界だが、その船の乗客に我々もいずれ小さなヨットで大西洋を横断する予定だと話すと、彼らにとっても我々の世界は想像を絶する話だったようだ。

 

ここCartagenaから、この冬てまりを係留するAlmerimarまではあとわずか。今年のクルージングも残り少なくなってきた。

 

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9月23日(月)~10月4日(金) スペイン・バレアレス諸島、メノルカ・マヨルカ

2013-10-05 | 旅行

メノルカ島にて

 

 

スペイン領Islas Baleares (バレアレス諸島)といっても、あまり日本人にはなじみが無いところだと思う。大きい順にMallorucaMenorcaIbizaFormenteraという4つの島といくつかの小島によって形成される。夏涼しく冬暖かい気候と、天然のアンカレッジに恵まれ手つかずの自然が残る島々は、世界中のヨッティーを魅了して止まない、地中海の人気クルージングスポットだ。

 

924()、最初の寄港地MenorcaMahonを出航、島の西側にあるCiutadellaに移動した。この町は18世紀イギリスの統治になり首都がMahonに移るまで、Menorca島の首都だったところだけあって、旧い建物が残る趣のある町だ。こちらも奥深い入り江を1㎞ほど進んだ先にマリーナがあるが、入り江の大きさは油壷の5倍程度で、Mahonとは比較にならないほど狭い。

 

マリーナ事務所で入港手続きを終えて船に戻ると、日本人らしき女性と外国人のカップルがしきりに「てまり」を覗きこんでいる。ボクが船に乗ろうとすると女性が「えーっ、日本からこの船で来たんですか?」と日本語で話しかけてきた。イタリア人のクラウディアと寿司職人アツコさんのカップルで、3か月ほど前からCiutadellaに住んでいると言う。この町で、仕事で来た日本人には会ったことがあるが、観光で訪れる人はほとんどいないらしく、久しぶりに日本語で話ができたと喜んでくれた。

 

メノルカ島からマヨルカ島へ

昨日、926日(木)、MenorcaCiutadellaからMallorca島の北東部にあるPort de Pollensaに移動した。

広大な湾の奥にある町に近づくと、どんどん浅くなりマリーナ周辺の水深は3-4mしかない。周囲には100隻近い大小様々なヨットがアンカリングしており極めて安全な場所のようなので、我々も錨泊することにした。海底は砂地でアンカーはがっちりと効いた。

Port de Pollensaはカジュアルなリゾートタウン。町の中の案内板もメニューも英語併記が多く、会話も英語が飛び交っている。ここも英国人の滞在客が多いようだ。

バルセロナ滞在中は曇りや雨の日が多く、日中も半袖ではいられない涼しさだったが、バレアレスに来て夏が戻ってきた。久しぶりにデッキで日光浴をしながら読書をしてのんびりと過ごす。夜もタオルケット1枚で十分だ。

 

 

 

昔なつかしい、チンチン電車に乗る

 

 

928日(土)、Menorca島の北側に沿って西に向かい、Porte de Sollerに移動する。

島の北東端にあるFormentor岬からの絶景は雑誌などでも紹介されているが、海から眺めても断崖絶壁が続く島の北側の光景は見事なものだ。

午後5時過ぎ、真向いの強風の中9時間近くかかってようやくPorte de Sollerの入り江に入航、マリーナの近くに錨を降ろした。ここも周囲を山に囲まれた天然の良港だ。

 

Port de Sollerはその名の通り港に面した町。そこから数キロ内陸に入ったところに同じ名前の町Sollerがある。これは地中海では良くあることで、メインシティは安全のために内陸部に創られ、その後海に面したところに海上輸送のためのサブシティが創られたのだろう。この二つの町を結ぶ交通手段は、昔懐かしいチンチン電車だ。小学生の頃通学で乗った都電の雰囲気を持つ車両が、海沿いから住宅街を抜け町の真ん中を走る光景は湘南名物・江ノ電そのものだ。

 

Sollerの町を散策していると、トレッキング姿の人達を沢山見かけた。聞いてみると、この周辺にはトレッキングに良い標高数百メートルの山が連なり、海を見下ろす絶景ルートが色々とあるようだ。「ここから灯台のある岬のほうに行くと、マイケル ダグラス(ハリウッドスター)や有名人の家があるの。車はシャットアウト、歩いてしか行けないから是非行って見なさい。」と、イギリスから来た女性トレッカーが教えてくれた。

バレアレス諸島も、イタリア領サルディニア島同様、世界のセレブを惹きつける魅力があるようだ。

 

翌日、マヨルカ島の首都Palmaに向かう途中、文字通り断崖絶壁の中腹に一軒だけぽつんと立つ白い家が見えた。それが、マイケル ダグラスの別荘だった。

 

大聖堂が見事なPalma de Mallorca

101日(火)マヨルカ島の北岸をぐるっと回り、島の西岸にある首都Palma de Mallorcaに到着。

町に近づくと、ランドマークの大聖堂がヨットのマスト越しに見えてきた。

 

この島がイスラムから再びキリスト教徒の手に戻った13世紀に工事が始まり、370年かけて建立されたパルマの大聖堂は、その外観もインテリアも見るものを圧倒する。ステンドグラスの窓から差し込む光が柱に美しい虹模様を描き出し、祭壇の手前に吊るされたガウディの手で作られた天蓋飾がその光を鈍く反射する。その幻想的な光景にしばし呆然と見とれてしまう。

 

104日(金)、昨日マヨルカ島の西岸にあるAndratxに移動してきた。広い湾の右側に町があり、マリーナは対岸にあるため、町に近いブイに係留する。Andratxは特に見るべきところも無いちいさなリゾートタウンだが、歩いてみると通りにはお洒落なブティックや高級レストランが並び、センスの良いインテリアショップなどもある。海を望む周辺の山にはてっぺんまでびっしりと別荘が並んでおり、この町が別荘族のための様々なニーズに応える役割を果たしていることがわかる。レストランのメニューはスペイン語・英語・ドイツ語が併記され、ドイツ人が矢鱈と多いのもこの町の特徴だ。

 

明日はバレアレスで3番目に大きなIbiza島に渡る予定。

 

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