玉造の大塲家住宅1
行方市の旧玉造は,江戸時代水戸藩領でした。
(霞ヶ浦湖岸はかすみがうら市の旧出島村の一部もそうですが,水戸藩領がけっこうあります。)
玉造の豪族であった大塲家は,水戸藩の「大山守」を勤めた家系で、水戸御留川の川守、霞ヶ浦48津の北津頭などもつとめた
名家です。
水戸藩主が来訪したときなどにだけ開けられた門。
こちらが通用門です。
大塲家は古民家というよりは,武家屋敷の佇まいです。
行方市の旧玉造は,江戸時代水戸藩領でした。
(霞ヶ浦湖岸はかすみがうら市の旧出島村の一部もそうですが,水戸藩領がけっこうあります。)
玉造の豪族であった大塲家は,水戸藩の「大山守」を勤めた家系で、水戸御留川の川守、霞ヶ浦48津の北津頭などもつとめた
名家です。
水戸藩主が来訪したときなどにだけ開けられた門。
こちらが通用門です。
大塲家は古民家というよりは,武家屋敷の佇まいです。
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