アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

全日本ユースを見に行く

2006年09月26日 15時46分29秒 | 指導記録
9月18日。
午前中、学校で練習した後、
午後は西が丘競技場に
全日本ユースを見に行った。



午前中の練習では
ヘディングの練習と1対1の守備を行った。



1対1の守備では
相手が前を向いている場合、
どうアプローチすべきか?
という点を中心にトレーニングした。



基本は【低く・速く・近く】。
アプローチでいかに
相手にプレッシャーをかけられるか?



具体的には
相手のトラップミスをいかに
奪うことができるか?



最後に
相手が後向きでボールを持っている場合の対応を
アドバイスした。



相手が後向きでボールを持っている場合、
【しっかり身体を相手につけること】
相手にロールバックさせないように
【相手の足の間から足を出すこと】。



ただ、
1対1の練習を通じて
印象に残ったのは
アプローチした時の
姿勢というか、腰の高さ。



CKの守備の時も感じた印象だったが
全体的に腰が高い。



もっと言えば、
1対1の局面において、
本気でボールを奪いにいくことを
狙っている選手が
すごく少ない感じがする。



練習後、
各自で食事を取りながら、
西が丘に移動。



滝川二高と大分トリニータユースの対戦を
Aチームの選手と見た。



試合は滝川二高が
5対1で勝った。



滝川二高は全体的に
とても鍛えられている、
という印象があった。



同時に、滝川二高は
勝利への執着心というか、
勝つために何をすべきか?
ということを
常に狙っている、
そんな印象をもったチームだった。



FKにおける記念写真、
CKの守備において
ニアポストをがっちり掴んで
相手にニアに入らせない、等
勝つための工夫が
いたるところに見えた。



球際の強さ、という個人レベルだけでなく
チームとして勝つための枠組みが
整理されている、
そんな印象を持ったチームだった。



一番、関心したのは
ボールを奪った後、
その後の展開がとても速かったこと。



個人的に
【ジャンプ】というキーワードで
選手に伝えていたことだった。




前の週に【ジャンプ】を
テーマに練習しながら、
選手にも伝えたが、
〝ボールを奪った後、すぐに相手に取られないように〟
〝いかに速くボールを動かせるか〟というのは
とても重要なことだと思っている。



滝川二高には
勝つために何をすべきか?
ということが
チームの哲学として存在していた。



うちのチームの選手達にも
滝川二高の選手達みたいな
勝利への渇望が自然と生まれることを信じて
これからも頑張ろうと思う。

【ジャンプ】

2006年09月25日 10時06分26秒 | 指導記録
9月15日。
今日は前日までの雨による、
校庭のグランドコンディション不良の為、
東尾久グランドにて練習をした。



前回の練習に引き続き、
高校生の練習を自分が仕切ることになった。



80人弱という人数を仕切るのは初めてだった。
80人を仕切るという経験はなかったが、
やるしかないと思い、
人数のことはあまり考えずに
練習を進めていった。



この日のテーマは【ジャンプ】。



【ジャンプ】というのは、
[飛ぶ・跳ねる]という意味ではなく、
[ボールを奪った後、いかに速くボールを展開できるか]
という意味。



選手にも、そのように説明し
意識するように説明した。



例えば、右サイドでボールを奪ったら、
いかに速くFWにボールを出せるか、
いかに速く左サイドに展開できるか。
または自陣内でボールを奪ったら、
いかに速く相手陣内にボールを展開できるか。



最近、サッカー協会のテーマの1つとして
【攻守の切り替え】がテーマとして上げられているが
確かに、ボールを奪った後、というのは
素人目から見ると、チャンスのように映るが、
実はそうでもないことが多い。



というのは、ボールを奪った瞬間に
全員の緊張や集中が緩むチームは
ボールを奪っても、
相手に再びボールを奪い返されて
逆にピンチになることが多い。



ボールを奪われるケースとしては
いろいろあるが、
共通しているのは
ボールを奪った後にボールが速く動かない。
ボールの動きが滞ってしまう、
ということがある。



弱いチームほど、
ボールを奪った後が
相手の守備が一番整っていないにもかかわらず、
ボールを速く動かせない。



FWからすれば、
ボールを奪った瞬間にパスをくれれば、
とても受けやすいにもかかわらず、
なかなかFWにボールが入らない、
というチームは多い。
正直、今のチームもそうだと思う。



まずは[守備→攻撃]という
【攻守の切り替え】の場面において
ボールの動かし方や展開を安定させるか。
そこからやっていきたい、と思っている。



練習では
まず少ない人数とスモールグリッドで
【ジャンプ】を意識させて、
練習の最後にフルコートゲームを行い、
大きなグランドでいかに【ジャンプ】を意識できるかを
チェックしてみた。



フルコートゲームでは何回か
サイドチェンジのような展開で
“いい”【ジャンプ】があったので、
少しは意識できたのかな、と感じている。



今後も【ジャンプ】は意識させていきたい、と思う。
自然に選手の中から『ジャンプ』
という言葉が出てくるようになってくれば、
うれしいのだが・・・。



そのためには、
選手全員の[守備から攻撃の瞬間に集中する]という
意識をもっともっと高めていく必要があるし、
同時にボールを奪った選手に対して、
味方のスムーズなサポートができるように
なっていく必要がある。



新人戦までに間に合うかどうか、
わからないが、
ぎりぎりまでいろいろな刺激の与え方で
チームに【ジャンプ】を浸透させられれば
と思っている。

食わず嫌い・・・

2006年09月24日 14時16分20秒 | 指導記録
9月13日。
今日は雨天のため、小体育館で練習。



高校生と中3の練習を任されたので、
ヘディングをテーマにして行った。
今のチームの試合を見て、
このチームはルーズボールの浮球を全然競らない、
という印象を持っていた。



選手に対するメッセージとして
浮球だけでなく、
「ルーズボールをしっかり競らなくちゃダメだよ」
というメッセージを伝えたかった。



同じ位の実力だったら、
「球際を頑張った方が試合に勝つんだよ」
「球際はしっかり競らないと、勝てないんだよ」
今までの指導経験でそのように感じていたし、
選手にもそのことを伝えたかった。



この日のヘディング練習も
フォームを固定していくという作業と同時に
実戦的に[相手に競り勝つ]という部分も加えていった。



まず、フォームの固定化という作業においては
【ヒジを必ず肩よりも高い位置に上げてから動作に入っていく】
という点をコーチングポイントにして
トレーニングを行った。



スタンディングヘッドでも、
しっかりヒジを上げておいてから、ボールを呼び込む。
【ヒジの高さ】を徹底的に強調した。



実戦的な部分では
一歩でも二歩でも
必ず助走をつけてジャンプする、
という点を強調してコーチングした。



その場で飛ばない習慣をつけていく、
そういう意識をつけさせたかった。
ヘディングの勝てない選手に限って、
全く助走しない、
という傾向がある。



選手達が苦手意識を持たせない為にも、
初めから大切なポイントは強調しておいた。



自分の今までの指導経験からしても
ヘディングに関しては
【ヒジの高さ】と【助走】を意識すれば
かなりフォームも安定してくるし、
競れるようになってくる。



ただ、実際に競り勝てるようになるには
場数というか経験や勇気、
といったものも必要になってくるが・・・。



実際、この日の短い練習時間内でも
かなりフォームがまとまってきた選手も何人かいた。
今後も継続して、ヘディング練習は続けていきたい。



自分も昔はヘディングは苦手だったし、
あまり好きではなかった。



それでも、試合中にうまくヒットできるとうれしいし、
もっと練習したい、という気持ちも出てきた。



正直、昔の自分のように
ヘディングに苦手意識を持っている選手は
少なくないと思う。
今のチームの選手はほとんどそうかもしれない。



でも、空間認知能力うんぬん言う前に
もっともっとヘディングと向き合った方がいい。



ヘディングのない試合は存在しないし、
クロスというかサイド攻撃に対する守備は
ヘディングが中心になるはず。



選手にはヘディングに対して食わず嫌いにさせるのではなく、
しっかりヘディングと向き合わせて、
苦手意識を無くさせるところからやっていきたいし、
できれば、ヘディングが得意になるところまで
やっていきたい。

試合に負けても、嬉しい・・・?

2006年09月14日 10時28分11秒 | 指導記録
9月11日、Bチームのリーグ戦があった。
相手は都立葛西南高。
選手権の地区予選では決勝までいったチーム。
テクニックのある選手がおおい好チームだった。



この日の試合前のアップは相手の都合もあって、
時間がかなりあったので、
“試合前のアップ”というよりも
“トレーニング”という意味合いが強くなった。



ただ、個人的にはBチームの選手は
トレーニングをもっともっと行ってもいいと感じていた。



先週の金曜日からチームに合流して、
Bチームの試合を初めて見たのは9月10日のリーグ戦だった。
相手は都立本所高で、試合自体は勝って終わった。



試合に勝ったことは積極的に評価したいし、
ケチをつけるつもりは全くない。



それでも、個人的には気になる点が多かった。



①ヘディングが必要な場面にもかかわらず、ヘディングしない
②いわゆる“オフザボール”(ボールのないところでの動き)の不足
 ※“オフ・ザ・ボール”で休んでいる選手が多かった。
  正直、腰に手をあてて、休んでいる選手が多かった。



“オフ・ザ・ボール”の場面において、
Bチームの選手は問題が多かった。



原因が[体力不足]なのか?
それとも、
[何をしたらいいのか?わからないのかという判断]
の部分にあるのか?



個人的な印象としては
やはり[判断]の部分に課題があるような気がしていた。
サッカーが好きで、上手くなりたくて、
もちろん、負けたくなくて、・・・。



でも、『どう動いたらいいのか?わからない』というのが、
自分が受けた印象だった。



確かに、Aチームの選手に比べると
技術では劣るかもしれないが、
フィジカルではほとんど変わらない。



でも、判断というかプレーの意図が見えにくいことが多い。



たぶん、個人レベルにおける基本的戦術という視点が
Bチームの選手には不足している。



頑張ってはいる、負けたくない、
でもどう動いていいのか?
わからない・・・。



9月12日のリーグ戦前のアップでは
顧問の先生が
ゴール前での守備の動きのポイントを整理した。



ちなみに、
この日の守備のコーチングポイントは
ゴール前での守備の判断をシンプルな形で整理すること。



具体的には
(相手がゴール正面で、ボールを持っている場合)
【ゴールを隠す】
【相手を外に追い出す】

(相手を外に追い出したら)
【GKとDFと連動して守る】
【GKは“ニア”を防ぎ、DFは“ファー”のシュートコースを切る】



その後、ヘディング練習をして
試合に臨んだ。



結果は残念ながら、勝ち点“0”に終わってしまった。



ヘディングに関しては、練習の成果が出てきてはいた。



しかし、ゴール前の守備に関しては
多分、選手達は『どうしなきゃいけない』ということは
頭の中では、わかってはいたのだと思う。



でも、身体が【反応】しない、【反応】しきれない、



相手がゴール前で“前を向いてボールを持っている”という
危険な状況にもかかわらず、
“危険”だということに【気づく】のが遅く、
当然、【反応】も遅れてしまう。



その結果、失点を重ねることになる。



その他にも、負けた原因としては
【守備から攻撃への切り替えの“遅さ”】
という課題もあったが
これも【反応】の遅さ、ということに繋がっている、
ように感じられた。



ただ、雨の中の試合だったが、
ずっと外で傘もささずに見ていたかった試合だった。
グランドの横で選手を励ましながら、応援していたかった。
残念ながら、前半で声が枯れてしまい、
後半は声が出なかったが・・・。



選手は最後まで≪戦っていた≫。
あきらめてはいなかった。
試合を投げて出していなかった。



ただ、それが嬉しかった。
まだまだ、課題は多いが
このチームの選手達に可能性を感じた試合だった。





自分が自分でなくなる時

2006年09月12日 12時48分01秒 | 指導記録
9月10日、Ⅰ部リーグ都立両国高戦があった。



試合自体は11対1で勝ったが、
気になる点はいろいろあった。



まず、気になったのは試合の入り方。
相変わらず、淡々と各自がアップしている。



フリーアップ自体は悪いとは思わないし、
選手によってはフリーアップの方がやりやすい、
という選手も多いかもしれない。



でも、正直な印象として、
選手が考えながら、
試合を意識して
身体と気持ちを作っているようには見えなかった。



前日、リーグ戦で負けているにもかかわらず。
この日の試合前のアップからは何も伝わってこなかった。



途中から、自分が声を出して盛り上げた。
選手は自分の声に少しづつ反応してくれた。



次に、気になったのは後半の雑なプレー。
大量失点で気が緩んだのか、
曖昧なプレーが多くなった。
意図の見えないプレーが多くなった。



この点についてはまだまだ今後の課題だと思う。



最後にとても気になったことがあった。
前半で交代させられた選手がいた。



『全然動けていない』というのが
顧問の先生による交代理由だった。
確かに、守備も含めて動けていなかった。



交代後、本人と少し話したが、
本人の口からも
『全然動けませんでした』
『チームにも迷惑をかけてしまいました』
『動けない自分が情けない・・・』
その選手は自分を攻めていた。



その姿を見て、とても辛かった。



自分も高校時代、腰を痛めたことがあった。
腰を痛めた後はスピードが極端に遅くなった。
夢の中で、いくら走っても全然スピードが出ない、
そんな夢を見たことが何度もあった。



その選手の姿と自分の高校時代が重なった。



その選手は基本的にまじめな選手みたいなので、
これからは様子を見ながら、
慎重に対応していきたい、と思う。



できる限り、その選手の背中を押せたら、
いいのだが・・・。



【見守ること】、
【背中を押すこと】、
指導者にできるのはその2つだけかもしれない。
そんなことを感じた1日だった。

勝つことの意味は?

2006年09月11日 00時36分22秒 | サッカーの謎
9月10日、今日は新チーム合流2日目。
いきなり試合。
この日はリーグ戦、2試合。



チームは人数が多いので、
リーグには3チームがエントリーしている。
Ⅰ部に1チーム、Ⅱ部に2チーム。



今日はⅠ部リーグの試合に帯同した。
対戦相手は、都立城東高B。



前半は相手の早いプレッシャーに
かなり面食らっていた。



正直、試合前の様子を見ていて、
ある程度、予想はついていた。



選手の試合の入り方、テンションの上げ方、
試合前の顧問の先生からの指示を聞く時の選手の様子。
先生の顔を見ない選手がいたり、
下を向いてボールを触っている選手もいる。



チームに帯同して、試合を見るのは初めてだったので、
黙って見ていた。



[試合前、先生の指示を聞く]ということが
どんなに大切な状況か、ということに
【気づけて】いない。



わかっていても、
[目を見てしっかり話を聞く]という【反応】ができていない。



[試合前に戦う気持ちをしっかり準備することの大切さ]に
【気づけ】ない。
[戦う準備]という【反応】は、もちろんできない。



何が原因なのだろうか?
試合を見ながら、いろいろ考えていた。



ハーフタイム。
顧問の先生が爆発した。
『こんな試合やっていても意味なんかない』
『やめちまえ』
『勝手にやってろ』



今、考えると
顧問の先生は試合前、
わざとゆるいテンションを作っていたのだと思う。
気持ちの中では
「おまえら、こんな試合の入り方でいいの?」
「相手にやられちゃうよ」
そう言いたい気持ちを抑えて、
試合前は、あえて淡々と話していたのだと思う。



顧問の先生は
選手に「失敗から学べ」ということを伝えたかったのだ。



後半は少し気持ちが引き締まったようにも見えたが、
自分の目には、
本質的には何にも変わっていないように映っていた。



大差で勝っていないにもかかわらず、
怠慢なプレー。
あいかわらず、しゃべらない、助け合わない。
【気づけない】【反応しない】。
気持ちが伝わってこない・・・



そうなのだ。
このチームには決定的に『勝とう』『絶対に勝つんだ』
という意識が決定的に足りないのだ。



別に勝たなくてもいいなら、
頑張る必要なんかない。
【気づく】必要もないし、
【反応する】必要もない。



サッカーというのは品評会ではない。
個人個人が自分の技術を披露する場ではない。



ルールの範囲内で死力を尽くし合うのが
スポーツだと思う。



目の前の相手に勝つためにはどうしたらいいのか、
ということを常に意識しながら練習する。



実際の試合においては
目の前の相手にどうしたら勝てるのか、
持っている技術・判断・体力を使い、
さらに全員で力を合わせて
なんとか勝ちをもぎ取る。



個人としても、チームとしても
持っているものを全て出し尽くして、
お互いに勝ちを目指す。
それがサッカーというスポーツだと思う。



もちろん、負けて学べるものもあるが、
それはあくまでも、
勝ちにこだわっている、
という前提があってこそ。



勝ちにこだわるからこそ、
真剣になる。
勝ちにこだわって、
一生懸命がんばるからこそ、
勝った時に本当に嬉しいし、楽しい。



『勝っても負けてもどっちでもいい』、
そんな中途半端気持ちでやったら、
勝ってもうれしくないし、
負けても悔しくない。



顧問の先生がハーフタイムで指摘したように
相手にも失礼なのだ。
一生懸命に勝とうとしてやっているにもかかわらず、
相手がどうでもいい、というテンションでやっていたら
どんな気持ちだろうか?



うちの選手はそういった相手の気持ちに
【気づけて】いなかった。



出ている選手は
出ていない選手がどんな気持ちで味方の試合を見ていたのか?
ということに【気づいて】いたのだろうか?



『勝っても負けても、どっちでもいい』、
そんなテンションでやっている味方の試合をベンチで
見ていなくてはいけないリザーブの選手の気持ちに、
グランドの中にいる選手達は
どこまで【気づけて】いるのだろうか。



[現実:勝つこと]vs[理想:美しさ]。
というステレオタイプな構図でとらえがちだが、
[美しさ]も“勝とう”という気持ちの裏付けがなかったら、
見ている人も、もちろん相手も、
そして本人さえも何も感じないのではないのだろうか。



選手達に試合後、聞いてみた。
「いいサッカーって何?」
「どんなサッカーがやりたいの?」
何人かに聞いた。



お互いに答は違っていた。
同じ答を求めた訳ではない。



自分は指導者として、とことん“勝ち”にこだわりたい、
と思ってはいる。
しかし、勝つためにどんな汚い手を使っても、
いいとも思わない。



勝利の方程式として、
[カウンター][プレス][セットプレー]があると思うが、
方程式は、それだけでもないはず。
今のチームには、このチームの勝利の方程式があるはず。



大切なのは、
【どう勝つか?】ということではないのだろうか。



「勝ちゃーなんでもいい」とは思わない。
【自分らしく勝つ】ことが大切なのだ。



何が“自分らしい勝ち方”なのか?
その答は今はまだわからないが、
勝ち続けながら、
その答を選手達と探していきたい。

サッカーにおける状況判断とは?

2006年09月10日 21時28分13秒 | 判断の謎
9月8日、新チームでのコーチとしての活動が始まった。



顧問の先生の計らいで、
初日は挨拶と見学だけになった。



2時半過ぎに学校入りして3時から練習開始。
3時に全員集合してから、
全員の前で挨拶した。



第一印象はとても大切だが、
このチームのことは練習試合を通じて、
また、夏休みに行われた地区予選の様子を見ていて、
とても気になっていたことがあった。



まず、コミュニケーションがとても少ないということ。
正直、チームとしてのまとまりが欠けているように思えた。



ただ、この点については前にいたチームとは人数が異なり、
今のチームには80人近い人数がいるので
単純には比較できないし、
いろいろなチーム事情があるのかもしれない、と
外から見ていた時は漠然と考えていたが・・・。



でも、初日、チームの様子を見ていた時、
はっきりと気づいたことがあった。



挨拶代わりにキャプテンに聞いた。

「このチームの目標は?」

『都大会出場です』

「なるほど。」
「じゃあ、地区予選を勝ち抜く為のこのチームの武器は?」
「何で勝負する。何で勝ち抜くつもり?」

『チームの武器は【集中力】と【状況判断】です』

「【集中力】と【状況判断】・・・、」
「じゃ、聞くぞ。【状況判断】とは何だ?」
「簡単に説明してくれ。できれば一言で説明してくれ。」



キャプテンは挨拶をただ聞くつもりだけだったのか、
【状況判断】という言葉を端的に説明することができなかった。



もちろん人によって【状況判断】という言葉については
いろいろな解釈はなりたちうる、のかもしれない。



でも、15年高校生や中学生を指導してきて、
自分なりに【状況判断】という言葉・概念においては
自分なりに出来上がった解釈がある。



あくまでも、サッカーでの【状況判断】ということではあるし、
自分の解釈ではあるが、
【サッカーにおける状況判断】の本質とは、
【気づくこと】と【反応すること】、
この2つだと思う。



“試合中に起こりうるさまざまな状況”に
【気づけるか】?



そして、気づくだけでなく、
いかに【反応】できるか?
ということが大切だと思う。



【反応】というと違和感がある方もいるかもしれないが、
サッカーにおいては
≪じっくり熟考して、結論を出す≫
という思考過程ではない。



時間もスペースもない状況においては、
まず、【反応】する。



もし、【反応】や判断、選択肢が間違っていたとしても、
その“間違い”に【気づき】、
また修正した【反応】をする。



その繰り返し、だと思う。



挨拶代わりに
こういう話をしたら、
選手によってはいまいち理解できない、
という顔をしていた。



でも、自分が信じるものについては
選手に繰り返し何度でも伝えたい。



すぐには【気づけ】ないかもしれない。
すぐには【反応】できないかもしれない。



でも、【気づくこと】【反応すること】が
選手の成長につながると信じて。



そして、チームにおいては
まず、[挨拶]を通じて、
【気づくこと】【反応すること】の大切さを伝えていきたい。



顔を上げて、仲間に【気づく】、先生に【気づく】、
相手のチームの指導者に【気づく】、父兄に【気づく】・・・。



【気づいた】ら、相手よりも早く【反応する】=挨拶する。
さらに、そのことにより、
チーム内のコミュニケーションがもっともっと増えて、
毎日少しづつでも、いいチームになれるように。


『優先順位』はどうやって生まれるのか?

2006年09月05日 12時33分42秒 | コーチングの謎
先日、短い時間だったが、
日大東北高サッカー部の指導者
(B級コーチのライセンスを持たれている方)と
話す機会があった。
短い時間だったが、
とても刺激を受けた密度の濃い時間だった。



日本代表のこと、
ジーコのこと、
オシムのこと、
トルシエのこと、
現在のチームのこと、・・・etc。
いろいろなことをただ喋り合った。
何も飲まず、何も食べず、
ただサッカーの話だけをし続ける、
短い時間で・・・そんな時間だった。



彼は現在、日大東北高サッカー部で
とにかく“ドリブル”にこだわっている、
と言っていた。
特に、ゴール前では
『とにかく仕掛けろ』と選手には指導している、
とのこと。



ドリブル練習でも、
[身体の中心にボールをおく]ように、
【アウトサイド】でのドリブルを重視しているとのこと。
【アウトサイド】でドリブルすることで、
[ボールを身体の中心に置きやすくなり]、
その結果、
[相手のプレッシャーをどちらにもかわせる]。



さらに、
【アウトサイドでのドリブル】の延長線上で、
【アウトサイドでの“パス”】にもこだわっている、
とのこと。
【アウトサイドのパス】は
[相手に読まれにくい]。



彼は“自分のこだわり”には
具体的な根拠と強い信念があった。



日大東北高の先生の話を聞きながら、
お会いする直前に、
たまたま読んだサッカー雑誌の記事を思い出していた。



記事の内容は
宮澤ミッシェル氏がU-16日本代表監督の城福浩氏に
“指導者としての城福氏の考え方”をテーマに
インタビューしたものだった。



オシムと同じように、
『人もボールも動く“ムービングフットボール”』を
掲げる城福氏の考えを解析する、
というような宮澤氏の意図も見えたが、
城福氏は冷静に語っていた。



(以下は城福氏の発言概要)
『たとえば、
10人の指導者が試合を観ていたとして、
 「チームの課題を10個挙げろ」
と言われたら、
たぶん、10人の指導者が
ほとんど同じ課題を抽出するはずです。

でも、
その10個の課題について、
どれからトレーニングすべきか?
 「優先順位をつけてください」
と言われたら、
10人の指導者の優先順位のつけ方は
誰一人として一致しないと思います。
それが指導者(の個性や価値観)だと思います。』
※但し、上のカッコ内は自分による脚注



極めて冷静な意見をインタビューで述べていた。



ジャーナリストに
必要以上に、
オシム氏と同一上のベクトルで語られることに対して
極めて冷静に対応していた。



その冷静さ、というか腹の坐り方が、
素晴らしかった。



日大東北高の先生も
『日本はまだまだ個人の部分を上げていかなくちゃいけない』
という確信を持っていた。



「勝つ、ということにたいしてはどう思う?」と聞くと、

『確かに、負けるのは悔しいけど、
それでもドリブルによる仕掛けにこだわるんです』
『時間はかかるかもしれませんが、
個人が仕掛けてドリブルで勝負できるようになることが、
勝つことにつながるようにしていきたい』



「いろいろなこだわりがあって当然だけど、
なぜ“ドリブル”なの?」と聞くと、

『自分がやってて、楽しいからです』
『駆け引きが楽しいし、裏を取るのがおもしろい、からです』
『いろいろ山の登り方はあると思うけど、
自分は“ドリブル”で山を登ってみようと思ってます』



日大東北高の先生の答は
とても明確だった。
『自分が好きだから・・・。』
聞けば、選手時代はFWをやっていた、とのこと。



たしかに、指導者が面白い、と思わなければ、
選手にも伝わらないのかもしれない。



指導者の言葉が説得力を持つのは
自分の信じている価値観を伝えようとする時
なのかもしれない。



選手時代の経験や、それまでの経験を通じて、
指導者としての【価値観】が形作られ、
具体的にはトレーニングやキーファクターにおける
【優先順位】という形で
指導者の【個性】は現れる。



でも、本当に大切なのは
【情熱】なのかもしれない。



日大東北の先生からは話している最中ずっと、
熱いモノが伝わってきた。



自分も頑張ろうと、と思った。



短い時間だったが、
とても刺激的な時間だった。


演劇とフットボールの関係。トルシエ、オシム、そして自分。それぞれの解釈

2006年09月02日 20時34分10秒 | サッカーの謎
「チーム戦術」と「個人の戦術や技術」との関係について
フィリップ・トルシエは
[6:3(残りの“1”は「運」)]、と言っていた。



山本昌邦は
[5:5]、と表現していた。



今までは
[チーム戦術]と[個人]の関係について、
[何:何]、という具体的数値は
どこからくるのか?
正直、よくわからなかった。



どんな基準で
[何:何]、といえるのか?



そもそも、「戦術」という言葉の定義自体、
昔はよくわからなかった。



でも、今では【戦術】というものが
どういう機能を持つのか、
ようやく自分の感覚として理解できるようになった。



【チーム戦術】と【個人(戦術・技術)】との関係が
自分なりにではあるが、見えてきた。



現時点において、
トルシエの、[6:3:1]理論、というのは
自分の感覚にかなり近い。



フットボールにおいて、最低限必要なものは
グランド・ゴール・ボール・味方・敵・レフリー、そして試合時間
の7つ。



このうち、動くものは5個。
レフリーを除くと4つ。
つまり、方程式でいう変数は4つある。



4つも変数があると
計画的な【戦術】というものは存在しないのではないか?
という気もするが、
実際は11人が意図を持った集団として機能するためにも
【チーム戦術】が必要。



[11]が[11]で終わるのか?
それとも、[11+α]になるのか?



個人の意識やメンバー同士の関係もあると思うが
【チーム戦術】の有無が大きな分かれ目になると思う。



例えば、
舞台で演劇をやるのに、
前衛的な例外を除いては
やはり原則として【台本】が存在するはず。



フットボールにおける【チーム戦術】と
舞台における【台本】は
同じような意味をもっているのではないのだろうか。



フットボールも基本的には【台本】に従って
試合を進めるべきものだと思う。



もし仮に、【台本】なしに、
試合がうまく行ったら、
本当にすばらしいことかもしれない。
際立った個人の能力があるか、運の良さ、
場合によっては神話やおとぎ話のように
一定の共通理解がすでに存在している、
という特殊な事情があった場合に限られると思う。



ただ、実際はチーム事情によっては
【台本】を作る時間や“稽古”をする時間が十分にない、
というケースも十分考えられる。
代表チームはその典型的な例かもしれないが・・・。



【どう攻める】
【どう守る】
【こうなったら、どうする】
【こうされたら、どう対応する】
・・・・・etc。



勝つためには
基本的な“枠組み”がやはり必要。
ただ、【台本】だけではないのも事実。



演劇における【台本】と【チーム戦術】には決定的に違う点がある。
【台本】は役じる側と見る側をつなぐもの、ではある。



しかし、【チーム戦術】の場合、
“味方をつなぐもの”ではあるが、
“相手には読まれるべきもの”ではない。



当然、勘のいい敵には
【チーム戦術】という【台本】を読まれてしまう場合がある。



敵に【台本】を読まれた場合、
どうすべきか?



そこは、もう【個人】で解決するしかない。
では、どう解決するのか?



先日、NHKのラジオで《失敗》をテーマにして
元プロ野球選手・元宝塚の役者・学者などをゲストにして
トーク番組をやっていた。



その中で印象的だったのは
元宝塚の役者が
『失敗はアドリブになって、芝居のスパイスになる場合がある』
『お客さんによっては、アドリブが面白くて、
 毎日同じ芝居を見に来る人がいる』
と語っていたのはとても印象的だった。



つまり、
『「誰かが台詞を飛ばす」等
[想定外の事情]が発生した場合、
その発生した[想定外の事情]を
周囲の人間やその場にいる人間が
いかに上手く処理するできるか?
その【対応力=アドリブ】が面白い、
のだと観客は言う』
とのこと。



“フットボール”もまさに“芝居”と同じだと思う。



フットボールの場合、
同じフィールドに「絶対に負けたくない」と思っている敵がいるわけで、
【台本】通りに試合が進む方が少ない、のかもしれない。



ただ、試合が【台本】通りに進むかは
“技術”の要素は大きい。



高い“技術”をもっている選手の多いチームは
少なくとも、攻撃においては
自分達の【台本】通りに試合を進めらる可能性は高いはず。



でも、相手チームに守備の上手い選手がいた場合はどうだろうか?
いくらしっかりした【台本】があっても、
“技術”だけではどうしようもない気がする。
そういう場合はどうするのか?



そういう場合でこそ、【個人】の能力が求められる。
つまり、【個人の“アドリブ”による“対応力”】で、
局面を打開するしかない。



さらに、コンビネーションや3人目のユニットによる
【瞬間的なアドリブ】による局面打開が
必要になる場合も多いかもしれない。



あらかじめ、予想される【アドリブ】を
想定して練習することもあると思う。



クラッシック音楽では
同じ曲を演奏しても、
演奏者が異なれば、
当然、ニュアンスや音色が異なる、という。
それが面白い。



選手を束ねる【チーム戦術】があったとしても
それで全ては絶対に解決しない。
必ず、【個人のアドリブ:対応力】が必要になる。



場合によっては、コンビやグループによる【アドリブ】が
チームを助ける力になる。



自分の頭で、考えること。
自分から、まず動くこと。走ること。
自分からしゃべること。要求すること。
イビチャ・オシムはこういうことを言っているのだろうか。



人生でも、フットボールでも、
常に困難な局面は存在する。
でも、困難な時こそ、
【考えろ】
【走れ】
【助け合え】
【話し合え】



「“考えて”“走る”」ことで、
相手に困難な状況が生まれるかもしれない。
相手にとって、危険なスペースが生まれるかもしれない。



「“話しながら”“助け合う”」ことで、
困難な状況を解決できるかもしれない。
失点を防げるかもしれない。



【アドリブ】で困難な状況を打開できたら、
本当に最高なのだと思う。



さらにオシムは言う。
【アドリブ】で困難な状況を打開するためには
『リスクを負うことも必要だ』と。



困難を打開する勇気と、
リスクを負う覚悟。
人生においても、フットボールにおいても、
前触れもなく、突然に求められるもの。



『なんとかする』とする気持ち。
『勝つ』という強い気持ち。
『逃げない』という立ち向かう気持ち。
こそが必要なのだと。



選手がこういった気持ちを持って、
【アドリブ】が出来るチームは
本当に強いと思う。



ちなみに、一番練習しやすい【アドリブ】は
ドリブルだと思う。
ドリブルの本質は【アドリブ】だと思うのだが、
どうだろうか・・・・・。



いずれにせよ、
“チームとしての【台本】作り”と
“個人の【アドリブによる対応力】”と
練習において、両方が両立できれば、
一番いいのだが。



練習における【チーム】と【個人】の時間的な比率も
[6:3]が自分にとっては理想なのか・・・・・
今後、自己検証していきたい、と思う。



ただ、練習をする際も、
指導者自身も【アドリブ】を忘れてはいけないと思う。



その日の天気、選手の様子、チームの置かれている状況、等など
さまざまな状況を肌で、指先で感じて、
柔軟に、怖がらずに、勇気をもって、
【対応】していきたい。

心理学・仏教・コーチング、それぞれの深い森

2006年09月01日 12時17分20秒 | コーチングの謎
今年の夏は、サッカーの指導上の参考になればと思い、
心理療法の本をかなり読んだ。



もともと、乱読・積ん読・走り読みの方なので
どこまで心理療法のことが知りえたか、
ということについては自信がない。



また、現実的にも1カ月位の読書で
心理療法の本質すら垣間見ることができていない気がする。



でも、個人的にはとても興味深い本が多く、
自分なりに、コーチングの参考になる部分はとても多かった。



特に、河合隼雄氏(心理学者・臨床心理士・文化庁長官)の著作は
個人的にすごく興味をもって
読み進めることができた。



心理学の本もそれなりに読んだが、
心理学及び心理療法の世界はとても複雑で
いろいろな議論や考えが錯綜している、
という印象をもった。
フロイト、ユング、A・エリスにC・ロジャース、etc。



玄侑宗久氏(僧侶・小説家)の仏教や禅に関する著作を
読んだ時にも感じたが
仏教の世界も議論が錯綜して
1つの理論や考え方が『絶対』ということはまったくない。
浄土宗に浄土真宗、真言宗・臨済宗・曹洞宗に日蓮宗。



ただ、心理学も仏教も、
その道を信じる人達が
いろいろな考えや解釈をされている。



その中には、
心に深く刺さったり、
染み入ってくるフレーズも少なくない。



漠然と何かコーチングに参考になればと思い、
読み始めた心理療法や心理学、仏教の本も
今思えば、何か意味があった気もする。



コーチング及び指導の世界も
指導者一人一人が
自分の信念や知識・経験や直感に従いながら
毎日現場に立っている。



共有できる一定の知識や信念はあるかもしれないが
選手の前では揺らぐことなく一つの主張を貫く。
チームを勝たせるため、選手をのばすために。



僧侶が信者を
精神的に救いたいのと同じように、
臨床心理士が患者を
精神的な部分で治療したいのと同じように。



自分の信じるもので、
目の前の大切な人に
何かできればと信じて、
心理療法士も、僧侶も、コーチも
その場所にいるのだと思う。



しかし、自分は悟りはないし、信仰すらない。
臨床心理士のような技術や知識・経験もない。



コーチとしての自分は
選手をどこまでレベルアップできるか?
チームをどこまで勝つチームにすることができるか?
正直、自信はないし、実績もない。



しかし、選手のそばに寄り添っていることはできる。
本気で彼らと接することはできる。



もちろん、自分自身、
指導者としてのコーチングスキルを上げていく努力は
指導者でいる限り、継続していかなくてはならない。



ただ、今できることを最大限にしていきたい。
背伸びせず、等身大のコーチングで、
選手に接していきたい、と思っている。



僧侶が悩める人に、道を示す。
また、臨床心理士が
自分のスキルや五感、知識や経験をフル動員しながら
クライアントである患者を治癒していこうとする。



コーチも僧侶も臨床心理士も本質的には
あまり変わりがないのではないか。



人間という“深い森”が対象である以上、
正解なんてないのかもしれない。



答はあるのかもしれないし、
ないのかもしれない。



もしかしたら、
見えないだけで、
近くに答はあったのかもしれない。



答を探し続けることが
実は“答”なのかもしれない。



みんな手探りで毎日、
何かを求め、
何かを探している。



今までの自分もそうだった気がする。