アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

後期リーグ最終戦

2009年10月26日 22時33分18秒 | 指導記録
10月24日、バックアップチームの後期リーグ最終戦があった。
相手チームは小柄ながらも、技術や戦う気持ちがしっかりしているチームだった。

試合前は、
「一人一人が判断すること」
「その上でチームでプレーする為に、判断を声に出すこと」
「判断を楽しんで」
という短い指示を出して、選手を送り出した。
送り出した・・というよりも、自分が審判をやらなくてはいけなかったので、
審判という客観中立の立場から、選手達を見守ることしかできない・・というのが
正直な気持ちだった。
多少、もどかしい感じはあるが、
試合前から決まっていたことなので、
あとは選手を信じるだけだった。



試合は予想通り、厳しいものだった。
相手の球際の厳しさやボール奪取した後のしっかりとしたつなぎは
この試合の苦戦を予感させた。
相手チームは繋ぐ技術がありつつも、
スペースがあれば、ためらわずにスペースにボールを入れ、
そこにFWが走り込んでくる。

ただ、バックアップチームの選手達は
リトリートディフェンスで相手の攻撃をなんとか凌いでいく。
時折、チャンスを作るも、決定機でなかなか決めきれない。
反対に、攻め込んだ後、相手の鋭いカウンターに翻弄されてしまう。
なんとか、ギリギリのところで、相手の攻撃を跳ね返し、
そのまま、前半終了。



ハーフタイムでは、「自分達が緊張している・・ということを自覚すること」
「一人一人がもっと、声を出し、同時にチームとしても声を出していくこと」
という指示を出した。

後半は、多少緊張もほぐれ声が少しずつ出てき始めていたが、
相手も前半と同じようにしっかりとつなぎ、しっかりと戦ってきた。
膠着状態が続いたので、審判をやりながら、
選手交代で流れを変えることを試みる。
左右のDFを変え、左右の中盤の選手を入れ替える。
0コンマ何秒でも、相手の対応が遅れてくれれば、
それだけでも流れを変えるきっかけになるはず・・。

試合開始時は、4-4-2だったフォーメーションは、
4-3-3、時には4-2-3-1のようなフォーメーションになり、
相手の対応が少しずつ遅れ始める。

相手のほんの僅かな混乱から生じたほんの僅かのスペースを
FWの選手が見逃さず、ペナルティーエリアの外からカットインしながら、
素晴らしいゴールを決める。

残りの約10分をしっかり守りきり、
そのまま、1-0でタイムアップ。



後期リーグ戦の最終戦を勝利で締めくくることができた。
優勝できるかどうかは、他の試合の結果次第だが、
バックアップチームの選手達は本当に頑張ったと思う。

バックアップチームの選手を見ていると、
以前に指導していたチームの選手達のことを思い出す。

選手のレベルは決して高くはないが、とても個性的な選手達。
上手くはないが、一生懸命頑張って、プレーする。
戦う気持ちだけはどんなチームにも負けてはいない。
以前指導していたチームは正直、技術よりも気持ちが先行するチームだったが、
今のバックアップチームもそんなチームだった。



この日は、バックアップチームの選手の保護者の方々も
グランドまで応援に駆けつけてくれていた。
選手達の前半の緊張は
保護者方の応援に力が入ってしまったことも原因だったかもしれない。

試合終了後、応援に来ていただいた保護者の方々の所に御挨拶にいくと、
保護者の方の中には目に涙を浮かべている方もいらっしゃった。
たぶん、息子さんやそのチームメイトの選手達の頑張りに
感慨深いものを感じられ、感極まって涙されたのだと思う。
自分も危うく貰い泣きしそうになってしまったが、
本当にいい試合だったと思う。
本当にバックアップチームの選手達は成長したし、
彼らのプレーには、いつも熱い気持ちがあった。
彼らはどんな相手に対しても、常に戦う気持ちを持ち続けていた。
彼らの試合は全てのゲームが、見ている側に何かが伝わってくる試合だった。



これからもグランドに指導者として立ち続ける限りは
この日のバックアップチームの選手達を忘れずにいたい。

味方のミスに罵声を浴びせることなどなく、
お互いのミスを頑張ってフォローし合う。

上手くなくてもいい。
頑張る気持ちだけでいい。
テクニックがなくても、何かが伝わる試合はできるはず。

選手達を保護者の方々からお預かりしていることを忘れず、
グランドに立ち続ける限りは、選手達と真剣に向き合いたい。

誰が問題を解決するのか?

2009年10月06日 12時10分26秒 | サッカーの謎
所属している地区のユースリーグもかなり日程を消化してきている。
同時に、新人戦の地区予選の抽選会も終わり、
11月から関東大会予選兼新人戦の地区予選大会が始まる。
正直、厳しい組み合わせだが、最後までチーム全体で戦いたいと思っている。

今は、新人戦の組み合わせを見ながら、
どう戦うべきか?どう戦っていくべきか?
ということを考えている。

初戦から、いきなり厳しい戦いになることが予想される。
初戦だから温存して・・・なんて余裕は全くない。
ゲームプラン、選手の選び方、大会までの練習の方向性・・・etc。

考えるときりがないが、何度も何度も考えなければならない。
答のない問題を目の前にして、
〝あぶり出し〟のように、答が浮かび上がってくるまで、
千回でも二千回でも考えなければならない。



まだ、完全に〝答〟が浮かび上がってきている訳ではないが、
一つ方向性のようなものを感じている。

それは、
もう一度「〝チーム〟でプレーする」ということを再確認すべき・・ではないか?
ということ。

自分の中の感覚と経験が
「もう一度、〝チーム〟ということの意味を問いかけろ」
と自分自身に言い続けている・・・そんな気がしている。
「〝チーム〟とは何か?」
「〝チーム〟でプレーすることの最大のメリットはどこにあるのか?」
もう一度、その部分を根本から考え直したい・・そう思っている。



今の高2が高校サッカー部に合流してからの指導記録を振り返ると、
バラバラな選手達を如何に如何にベクトルを同じくするか?
ということに苦心していた気がする。
チームの枠組みを作り、それを如何に徹底していくか?
ということを重視していた。

それでも、細かい約束事を決め、
プレーする選手の意思とは無関係に徹底させる・・
ということはさせてきたつもりはないが、
チームのイメージや共通理解をいかに作っていくか?
そのことに重点を置いていたとは思う。

もちろん、チームの共通理解を作ることを否定している訳ではない。
チームの戦い方やプレーの方向性・・といったものは、
〝チーム〟としてプレーする為には、必要不可欠な要素でもある。

ただ、チームのプレーイメージや共通理解を作り、
仮に細かい部分についてまでイメージを共有化できたとしても、
それだけでは足りないのだとも思っている。

プレーイメージの共有化やチーム戦術の徹底だけでなく、
一人一人がチームにどのように関わっていくか?
という意識こそが、実はプレーする上で大切なのではないか・・
最近、強くそう思う。

確かに、チーム戦術を徹底できなかったら、イメージが共有化できなかったら、
一人一人はバラバラのまま、ベクトルを同一化できないし、
チームとしては機能しきれないかもしれない。

ただ、チームとしてベクトルが統一化できれば、チーム戦術を徹底できれば、
どんな試合でも勝てるのだろうか?
たぶん、答は「NO」・・。



厳しい試合や均衡した試合で勝負を決めるのは、
個人の即興性であることは少なくない。
チーム戦術もチームとして共有化すべき〝ピクチャー〟も
一人一人が判断する、ということを前提として成り立っている。

キャプテンの指示で一人一人が動いているようなら、
キャプテンの指示でしか動けないようなら、
チームとして〝絵〟を書こうとすることだけで精一杯になってしまう。
相手との駆け引きも即興性もほとんど意識することはできない。

理想は、チーム戦術やプレーイメージや〝ピクチャー〟を
一人一人がイメージしながらも、個々の判断と責任で細かい修正を重ねていく・・
そんなイメージ。

もし、アントニ・ガウディーの構想したサグラダ・ファミリアが
全体の設計図を元に建築が進められつつも、
細かい部分の加工や色づけがその場所の担当の職人に任されているとしたら、
それは理想的なのだと思う。

ガウディーの遺志を理解した上で、
責任と気概をもって、自分の仕事をやりきる意識があるのなら、
仮にガウディーが当初予定していたものでなくても、
ある意味、理想的な建築物になっていくはず。

サッカーもまた、同じ。

チームとして、ゲームプランやチーム戦術を意識しつつも、
一人一人が自覚的に、細かい修正を重ねることで、
タフであり、柔軟な〝チーム〟になっていく。

大切なのは、一人一人の意識。
一人一人がチームを支える意識を持ってこそ、
本当の意味で〝チーム〟として機能していくはず。

キャプテンだって、間違うこともある。
キャプテンだって、気づかないこともある。
サイドにいる選手が気づけることも少なくない。
GKだから気づけることも多い。
FWにしかわからないこともある。

キャプテンに指示されていないから、
「自分で何もしなくてもいいや・・」
「キャプテンに言っても、どうせ聞いてくれない・・」
もし、一人一人がそう思っていたとしたら、
それは〝チーム〟としては機能しているとはいえない。
そもそも、〝チーム〟とは言えない。



理想なのは、チームの〝絵〟を全員が理解しながらも、
一人一人が「〝チーム〟のために」「仲間のために」と考えて、
自分で判断し、自分の声で味方に伝え、自分の責任で行動すること。

確かに、この部分が強くなりすぎると、
バラバラになる可能性があるかもしれないが、
その時だけキャプテンがチームをまとめる、ということができれば、
それでいい。

受身の姿勢で言われたことしかやらないよりも、
たとえバラバラになる危険性があったとしても、
一人一人が自分の判断と責任で行動する方がよっぽどいい。

何度も繰り返すが、
理想は
チームで描くべき大きな〝絵〟を、一人一人が責任を持って書ききること。

仮に、当初の予定と違っててもいい。
気持ちと狙い、責任があればそれでいい。

やらされるのは、サッカーではない。
サッカーはマスゲームではない。

一人一人が主人公。
キャプテンだから考え、
キャプテンでなければ考えなくてもいい・・ということではない。
キャプテンというのは、単なる役割の一つに過ぎない。
本当に大切なのは、一人一人の考える意識であり、チームを支える意識。

実際に、やらされてやっても面白くない。
受身の意識の中には、相手との駆け引きは存在しない。
自分で考えるからこそ、面白い。
自分で考えたからこそ、
上手くいった時は、最高で、
失敗した時は、本当に悔しいもの。
それが大切。

自分の意思で声を出しているからこそ、
自分の声が味方に伝わる。
意思のない声は誰にも伝わらない。

鬼ごっこも缶蹴りも、
自分の意思で逃げるからこそ、自分の意思で捕まえるからこそ、
面白い。

サッカーも鬼ごっこも缶蹴りも何も変わらない。
自分の意思があるからこそ、苦しくても走れる。
自分の意思があるからこそ、相手との駆け引きも即興も生まれてくる。
自分の意思があるからこそ、頑張れる。



一人一人がチームを支える意識を持てることが出来たら、
それこそが、理想の〝チーム〟。

練習の準備や後片付けのように、
一人一人が〝チーム〟の為に気づき、自分の意思で行動し、
お互いに仲間に声を掛け、みんなでやり切れればいい。
サッカーも後片付けのようにできればいい。

今のチームに飛びぬけて上手い選手も強い選手も、速い選手も存在しないが、
それでもいい。

一人一人の存在が例え小さくても、
一人一人が仲間を支える意識を持てれば、
それがチームの武器になる。

その為にも、お互いがお互いを認め合うこと。
いい部分だけでなく、弱い部分も認め、受け入れること。
認めることで、分かり合える。
分かり合うことで、助け合える。
助け合う意識こそが、〝チーム〟になるための最後の1ピース。

キャプテンだけが、
問題解決できるわけでも、問題解決の権限を持っている訳ではない。
11人が、ベンチにいる選手達が問題解決の権限と責任を有している。
少なくとも、グランドに立っている11人が問題を解決しようとすれば、
11通りの問題解決方法が存在することになる。
11人が自分の意思で目の前の問題を解決しようとして、
細かい修正を重ねることができれば、一番いい。

理想かもしれないが、簡単に理想を諦めたくない。
勝つ為にこそ、理想にこだわりたい。

勝つ為にこそ、味方を助ける為にこそ、
一人一人が判断すること。
自分の責任で行動し、自分の意思で声を出すこと。
そういった一人一人の意識と行動こそが、
〝チーム〟を、本当の意味で〝チーム〟にしていくはず。

新人戦は、戦術だけでなく、フィジカルだけでなく、技術だけでなく、
「〝チーム〟で戦うこと」を最重視したい。
最後まで、一人一人が自分の意思を持った〝チーム〟で
新人戦を戦いたい。