アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

選択肢と優先順位

2017年11月02日 19時21分09秒 | 指導記録
サッカーにおける選択肢と優先順位について、例えば攻撃時つまり自分たちがボールを有しているときもしくは奪った瞬間は、①シュート②相手DFの裏のスペース③ゴールに最も近い味方の足元(くさび)④前を向いている味方へのパス⑤サイドへのパス、といった選択肢と優先順位が基本にはなるが、もちろん、この優先順位自体も局面に応じて入れ替わるし、そもそも選択肢自体もまだまだ考えられる。たとえばドリブル突破、もしくはキープのためのドリブルをどこに入れるか、という問題もあるし、バックパスを選択肢として考えるか、という問題もある。さらに、サッカーというのは時間に幅のあるゲームなので、そこには駆け引きという考えが当然入ってくる。最初は敢えて優先順位の低い選択肢を選んでおいて、ここぞという場面においては、一気にシュートや裏狙いに切り替える、というのはよくあること。また、セオリー通りの優先順位でプレーしていた前線の選手がいきなりドリブルでかき回す、というプレーもよくある駆け引きの一つだといえる。一方、DFにおいては、攻撃時の選択肢とは全く逆の優先順位が存在する。まずはシュートを打たれないこと、裏を取られないこと。こういったことがDFとしてはまず意識すべきプレーとなっていく。

ただ、こういった選択肢と優先順位に基づいた判断はあくまでもスタート地点に過ぎない。相手の人数、味方の人数、プレーしているエリア、点差、残り時間、相手との力関係、試合自体の意味、天候やグランド状況など、さまざまな要因によって優先順位は変わってくるし、別途、考慮すべき選択肢も出てくる。大切なのは、機械的に判断して満足するのではなく、状況に合わせて柔軟に、かつ主体的に判断すること。相手の目線やポジショニングなどを注意深く観察し続け、自分たちにとってまた相手に対して効果的なプレーは何なのかを常に考え、判断、選択し、試合の中で、検証し、次の判断につなげていくことが大切。

ここまでの判断にある程度慣れてきたら、更に次のステップに入ることを意識していくことになる。具体的には、選択肢の中にあえて空欄を設けたり、判断自体の枠組みをどう考えていくか、ということを意識していかなければならない。まず、「選択肢の中に空欄を設ける」というのは、例えばDFであればここで相手を止めないと試合に負けてしまう、というような状況においては「何が何でも絶対に止める」という最後の最後ともいえるような選択肢をえらぶことになる。仮にカードをもらったとしても、絶対に止める、というプレーを選べるか。それはDFとしてとても大切な部分だと思う。以前、ワールドカップでウルグアイのスアレス選手が相手のシュートを手で止めて、レッドカードを受けて、退場になったことがあったが、それと同じような選択肢を最後の最後に自分の中で持ち続けられるかどうか。FWであれば、シュートを打った後に、そのこぼれ球を必ず詰めるとか、つねにこぼれ球を狙うという選択肢はDFの「何が何でも絶対に止める」という最終選択肢と同じようなものかもしれない。

次に、「判断自体の枠組みをどう考えていくか」という部分については、例えば、サッカー自体をその選手自身はどう考えるのか、サッカーというゲーム自体をどういった視点で捉えるか、というその選手による色付けのようなものだと言っていいかもしれない。サッカーを美しさととらえるのか、1対1のバトルと捉えるのか、戦術的なものとして考えるのか、心理戦として考えるのか。選手がどういう眼鏡をかけてサッカーを見るかによって、選択肢の隙間や最終選択肢の中身をどう考えるか、優先順位をどう変化させていくか、という判断も選手個人によって、大きく変わっていく。たとえば、サッカーを心理戦と考えた場合「相手の選択肢が読めない」とか「相手が何を考えているのかわからない」こういった印象を相手に与えることも、優先順位の中で高い位置を占めていくことになる。

更に経験を積んでくると、蓄積してきたパターン認識を前提に、柔軟に選択肢や優先順位を操作できるようになるが、もちろん、それが常に正解だとは限らない。勝ち続ける選手もチームも存在しないことを考えると、正解のない苦しさからは逃れる術はないのだと思う。教条のごとく、常にどんな状況においても同じような選択肢と優先順位で判断できればある意味こんな楽なことはないが、レベルが上がれば上がるほど、カオスとも思えるような複雑な状況の中での思考の柔軟性や修正の速さが常に求められ続ける。そして、その常に変化し続ける状況の中で、自ら考え続け、自ら修正し続ける意識がなくなってしまうと、目も足も動かなくなり、出足が常に相手よりも遅れるというプレーとして表れてしまい、結果的に目の前の相手にざっくりやられるという結果になってしまう。結局、どんな価値観をもってプレーしていても、自らの頭で考え続けなければならない、というサッカーにおける判断の本質的部分からは絶対に逃れられない。むしろ、この部分をある意味楽しめるようになるのが、理想的な状態であり、更に頭で判断するだけでなくそれを皮膚感覚的な領域にまで引き上げることのできる選手がレベルの高い選手ということになるのだと思う。

もしかしたら、レベルの高い選手というのは、グランドの中だけでなく、それ以外の場所においても、試合中と同じように、主体的な意識を持って柔軟に判断し、素早い修正を繰り返しているのかもしれない。かく言う自分自身が、グランドの内外で、何も考えないようなパターン思考になっていないか、既定の選択肢と優先順位に気が付かないうちに飲み込まれていないか、一度、冷静に検証し、足元を見つめ直してみたいと思う。