アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

必要性と許容性,そのバランス

2007年09月28日 14時21分30秒 | フィジカルの謎
選手権地区予選で初戦負けして以降、

・チームの一体感
・競争原理を前提に、試合と同じような緊張感の中で練習する
・今の練習や試合に集中する、目の前の相手に勝ちきるという気持ちを持つ

というテーマの下、練習やリーグ戦を戦っている。



まずは、形からでもチームで行動するという意識をもって
練習している。



内容や選手の意識が常にチームのことを考えて行動するようになるには
時間がかかるかもしれないが、
チームで行動する意識やチームで戦う意識は
今後も絶対に意識し続けたい。



そろそろ次の段階として
「試合と同じような緊張感をもって練習」できるような環境作りを
考えていきたいと思っている。



選手達の意識に差がないと言ったら嘘になる。



選手間の意識のズレを考えた場合、
全員が競争原理を持ち、
緊張感を持って練習するにはどうしたらいいのか?



いろいろと考えてみたが、
選手一人一人のサッカーに向き合う姿勢の部分に働きかけることで
選手間の意識のズレをなくしていきたい、
そう考えている。



具体的には
チームの課題でもあるフィジカルの強化の部分から
選手達の気持ちに働きかけたい。



走ることができなければ、ボールは動かない。
走れなければ、相手からボールは奪えない。
走れなければ、味方を助けられない。
走ることはサッカーの本質につながっている。
そう信じている。



フィジカルトレーニングで
ギリギリ頑張れるハードルを設定することで
「自分は本当にサッカー部の一員として頑張りたいのか?」
もしくは
「自分はそもそもサッカーが本当に好きなのか?」
そう考えるきっかけにしてほしい。



【成長する】ということは【変わること】。



選手達が頑張らなければ、変わらなければ、
越えられないようなハードルを
練習毎のフィジカルトレーニングで選手達に課していきたいと考えている。



まずは、気持ちから【変わる】こと。



〝メンタル〟が【変わる】ことで、
〝フィジカル〟は一番最初に【変わる】。



ただ、ハードルの高さをどれ位に設定していくべきか?
この点については、トレーナーの方々やキャプテンの意見も聞きながら
冷静に設定していきたいと思う。



選手達が【変わる】べき『必要性』があったとしても、
フィジカルトレーニングの必要性があったとしても、
適切なハードルを設定することは簡単ではない。



高すぎるハードルも低すぎるハードルも
選手達の心には届かない可能性がある。



選手達が葛藤を感じながらも
越えられる可能性がある高さを設定していく。



ある意味、選手達が『許容できる範囲』ギリギリで
ハードルを設定していく。



どの位の高さなら、選手達が越えていけるのか?
選手達が壁を越えて、
新しい景色を見ることができるようになるのか?



基準の設定は簡単ではないが、
選手達の様子や頑張りを見ながら
対応していきたい。



ある意味、選手達との真剣勝負になるが、
選手達が【変わる】ことの『必要性』と
【変わる】ためのハードルの高さの『許容性』、
この2つの観点を忘れずに、
毎回の練習で冷静にハードルを設定していきたい。



選手達がサッカーと真剣に向き合うために。
毎回の練習が適切な緊張感で包まれるために。
そして、選手達の成長のために。

「ハゲタカ」最終話

2007年09月16日 02時43分13秒 | サッカーの謎
先月、NHKで「ハゲタカ」というドラマの再放送を
6話連続でやっていた。



銀行や投資ファンドをテーマにした金融ドラマ。
ドラマの中で時々本質を突くような台詞が出て来て
最終話まで録画も含めて見続けた。



最終話は特に印象的だった。



企業再生というテーマの中で、
企業とは何なのか?
企業は誰のものか?
組織とは何なのか?



企業論・組織論は
当たり前だがサッカーにおける組織論にもつながってくる。



劇中、

『所詮、あなたも会社という組織の中では単なるネジに過ぎない』
『でも、そのネジ1つに組織全体が左右されることもある』

という台詞があった。



少し社会のことが解ってくると訳知り顔で
『組織に属するということは、組織の歯車になるということ』
ということを簡単に言ったりする。



確かに、全くの的外れとはいえない、とは思う。



ただ、『組織の歯車』という単語に対して
必要以上にネガティブな意味を含めるのは
解釈の範疇として個人的には認めたくない。



「自分の役割を全うする」という意味で
『歯車』のように頑張るという意味ならば理解できなくもない。



でも、言葉の表面的な意味だけを捉えて、
「自分のことだけやれ」
「お前の代わりなんかいくらでもいる」
という意味で使われることに対しては
少なからず抵抗を覚える。



人間1人でできることなど限られているし、
また、会社でも社長の考え方1つで
会社の進む方向が決まっていくのかもしれないが、
現場に出ている1人の社員によって
その会社のイメージを判断されてしまことも少なくない。



実際に、1社員の行動や考え方に
その会社や組織の質が端的に現れる。
それはサッカーチームも同じ。
トップチームの選手だけが、そのチームを体現している訳ではない。



メンバーに入れない選手がどのような考えで
サッカーに取り組んでいるのか?
また、レギュラー以外の選手が真剣にサッカーに向き合っているのか?
1人1人の意識がそのチーム全体を左右していく。



部員1人1人のチームを支える意識こそが
チーム全体の質を高めていくことにつながってくる。



サッカーは1人では当然できない。
11人が単なる数の集まりから脱却し、
本当の意味でチームにならないと
自分達が納得できるようなサッカーなどできるはずもない。



今一度、チームで戦うことの意味やその言葉の重さを考えたい。



サッカーは1人ではできないし、
1人で試合に勝つこともできない。
マラドーナ1人で勝った試合など1試合もない。



1人1人は非力でも
チームなら戦える。
試合になる。
勝つ可能性が広がっていく。



お互いに助け合い、サポートし合う。
お互いに助け合い、補い合う意識こそが
単なる人の集まりをチームにしていく。



理想論かもしれないが
今のチームがそのような質の高い組織に、
そして1人1人がチーム全体のことを考えられるチームになるように
選手ともども頑張っていきたいと思う。

チームの目指すべき方向性と鳥人間コンテスト

2007年09月11日 22時07分10秒 | 指導記録
選手権の地区予選で敗退してから、
また後期のリーグ戦、その先にある新人戦(関東大会予選)に向けて
動き始めている。



選手権の地区予選、初戦敗退という事実を重く受け止めて、
同じ失敗をしないように、
初戦敗退の原因を分析し、修正すべき部分を少しでも改善できるように
練習からやっていきたいと考えている。



以前、このブログでも書いたが
・チームとしての一体感
・適切な競争原理に基づく緊張感のある雰囲気
・目の前の試合や今の練習に対する集中力
そういったメンタル面をまず徹底的に改善していきたいと考えている。



「チームのことを考え、仲間のことも考えて行動する」

「味方であると同時にライバルであるという意識を持ち、
 試合を意識しながら練習していく」

「今の試合や練習をやりきるという強い気持ち」

こういったメンタリティーを常に意識しながら
練習に取り組んでいきたい。



今のチームに来てからもう1年が経った。
今のサッカー部に対する印象が1年間で変わった部分もある。
中学サッカー部は顧問の先生が担当し、
トレーナーやアシスタントコーチがサポートしている。



顧問の先生の「徹底的につなぐ」という考え方のもと、
中学生は攻撃的な部分を重点的に練習している。



そういった中学サッカー部の積み重ねや
突出した個がいない、という現実を考えると
チームが目指す方向性は
組織プレーに重点を置いたものになっていくべき。



攻撃においても
個人の突破よりもチームとしてグループとして連動しながら
崩していくような形を目指すべき。



フィジカルの強さタフさ速さがないチームの現状では
一般的に日本代表が世界相手に目指すべき方向性と
同じように考えていくべきだと思っている。



具体的に、攻撃は高速パスサッカーを目指したい。
ワンタッチ、2タッチを基本に相手にタックルさせないような
ボールの動かし方ができればと思う。



守備については、
できれば奪った後の攻撃を意識した形で
組織的な守備をやっていく。



もちろん、個の部分を伸ばさずに
組織プレーと言ったって、
画に描いた餅だとは思う。



サッカーにおける組織プレーの最小単位は
攻守ともに【1対1】にある以上、
1対1は常に意識すべきテーマではある。



でも、チームが目指すべき方向性として
チームに全体による組織プレーというのは忘れずにいたい。



理想論かもしれないが、
チームとして奪った後をイメージしながら、
組織的な守備で相手からボールを奪い、
チームとしての高速パスサッカーで
チャンスを作っていく。
ボールを常に動かして、
相手に守備の狙いを絞らせずに、
相手を崩していく。



高速パスサッカーを原則としつつも
その中で相手との駆け引きを前提として
緩急というものをチームとして表現できればと思う。



こうして文字にしてみると、
イビチャ・オシムが日本代表でやろうとしている冒険の内容と
重なってくるものがある。



同時に、パスサッカー重視というのは
昔から日本におけるサッカー指導者の目指していた方向性。



パスサッカーを指向していこうとすると
ボールのある局面での数的優位の形成が必要になってくる。
数的優位もしくは適切なトライアングルの形成が
パスサッカーの前提になる。



一定の技術も必要だが、
ボールが動くというのは人も動くということ。
当然、運動量も必要になってくる。
走る量を増やしていくという点も今後は意識していきたい。



加えて、走る量の増加は守備においてもいい影響があると思う。
全体練習で走る量を増やしていき、
並行して自主トレでも選手達に頑張ってほしい。



走る練習も、その中でチームとしての一体感や競争意識、
緊張感、最後までやりきる強い気持ちを持ちながら、
選手1人1人ができるような雰囲気にしていきたい。



もし、旧知の友人がこのブログを見たら、

「大きく出たな」

「言うだけだったら、誰でもできんだよ」

「これがすぐできたら、簡単に全国だな」

「しっかり守ってカウンターで地区予選を突破することを考えた方が・・」

という感じで言われるかもしれない。



それでもいい。
あえてこのブログで、チームの目指す方向性を旗揚げをしたい。



先日、TVで『鳥人間コンテスト』という番組を見た。
いろいろなチームが時間をかけて人力飛行機を製作し、
飛距離等を競い合う。
長い時間をかけて、飛行機を作っても
離陸直後に落下してしまうチームも少なくなかった。



サッカーチームも同じではないだろうか。



理想を目指して、練習していっても
目の前の試合や大会に勝てずに
理想と現実のギャップに悩む。



相手のサッカーを壊すことだけを考えて
チームを作っていく方が精神的にはどんなに楽か。



ただ、守備を重視するサッカーは
攻撃がカウンターとセットプレーのみになる。



イビチャ・オシムの言うような
『困難でも、何かを作り上げるサッカー』はその対極にある。



禅問答のような自問自答が始まる。
「勝つためのサッカー」か?
「美しいサッカー」か?



勝つことは絶対に放棄したくはないが、
勝つために何をやるのか?
勝つために、何を積み重ねていくのか?



地区を勝ち、都大会で1勝するというのは山を登るようなもの。
比較的わかり易いルートもある。
反対に、困難なルートもある。
どちらを選ぶか。



「そこに山があるから登る」というのは
登山家のジョージ・マロリーの言葉だが、
もっと大切なのはどう登るか、
という登山家の流儀だと思う。



人力飛行機で空を飛ぼう、というのは
普通の飛行機を操縦するパイロットからすると
「なんで、わざわざ・・・」という感覚かもしれない。



でも、鳥人間コンテストに出場したチームの人々は
あえて困難な挑戦をした。
飛ぶことを夢見て。



チームによっては、何回も何年も同じような失敗を繰り返しても
また挑戦していく。



大切なのは、
チームが目指すべき方向性であり、
そのための流儀や気概ではないのだろうか。



もちろん、個人的には勝つことを諦めるつもりはないし、
選手全員に勝つことの喜びを享受してほしい、とも思う。



でも、理想を目指せば目指すほど、
その道は狭く困難になっていく。



困難に挑戦する覚悟が自分自身にあるのか。



ただ、初戦敗退というどん底にある今だからこそ、
あえて困難に挑戦したい。



今、チームには高3はいない。
高2も勉強の関係で、秋に行われる関東大会予選で
サッカー部を引退する選手がほとんど。



次は最後の大会。
高2にとっては、最後の大会だからこそ、
選手達が「これが自分達のサッカー」というものを
形にしていきたい、と思う。



選手達の記憶に残るサッカーを作り上げたい。
それが、どんなに細く厳しい道でも
あえてその困難なルートに挑戦したい。



怖がらずに、挑戦する気持ちを持ち続けたい。
自分達が深く納得するために。

サッカー部の活動と体育の授業との相違点

2007年09月05日 02時53分54秒 | NOTE
夏休みの練習における選手達の参加状況は
極めて厳しいものがあった。



塾や予備校の講習、法事や帰省、家族との旅行等で
欠席する選手が後を絶たなかった。



今のチームはサッカーをやるために入学した選手は1人もいない以上、
仕方ないのかもしれない。



また、今のチームは選手達の目標が選手権ではなかった、
という事実も少なからず影響していたように思う。



高校サッカーといえば、冬の高校サッカー選手権であるという認識が
一般的には存在するが、少なくとも現時点では
今のサッカー部の選手達にはそのような意識はなかった、という現実。



選手権の予選も他の大会と何ら変わりがない・・・という意識であれば
夏休みの極めて低い練習参加率も仕方がないのかもしれない。



9割の練習参加をクリアーしたのは
キャプテンをはじめ、部員全体からみたら約半分強の選手達。



全員が揃ったのが合宿だけ。
選手権の予選直前や予選期間中でさえ、欠席者が少なくなかった。



1年生の中には、
合宿以外にはほとんど練習に来てない選手もいる。



そういった極めて練習の参加率が低い選手とは
退部も視野に入れながら、近日中に話し合いたいと思う。



個人的には、サッカー部の活動は
学校の体育の授業とは異なる、と考えている。



そのような自分の考えを後押ししてくれる出来事があった。



選手権の地区予選の直前に都立北園高と練習試合をさせていただいた時の事。



北園高の顧問の先生は東京教員サッカークラブに所属していた時から
練習試合も含めて、お世話になっている方。



試合後に、北園高の先生から
一冊のレジュメを頂いた。
タイトルは『学校別の部活動に関する一考察』。
北園高の先生が今まで赴任した学校での部活動を総括し、まとめたもの。
北園高の先生からみた部活動のあり方に関する考察。



参考になった部分が少なくなかった。
その中でも
『部活動内にある、教育とスポーツの2重構造が
 現実の中で葛藤や諸問題を起こす原因になっている』
という件は説得力を持って自分に迫ってきた。



部活動、つまりサッカー部の活動は
学校や予備校の授業とは重なる部分もあるが、異なる部分も少なくない。



体育の授業を初めとする学校の授業とは異なる論理で
活動する部分があるということ。



『教育』はまさに読んで字の如く「教え育てる」。



サッカー部の活動も「教え育てる」という点では同じ。



ただ、サッカーというスポーツにおいては
選手本人の意思でプレーするという場所であるべき。



選手が受身の気持ちで、ただ「教えられる」だけでなく
選手自らが自分の考えを表現する場所でもあるべき。



さらに、サッカーがチームスポーツであるという点からも
体育の授業とは異なる点があるべきだと思う。



サッカー部の活動の主たるものは試合と練習。

練習は試合のために行う。

同時に、練習は1人1人の選手を伸ばすために行う。

さらに、練習はチームがチームになっていくためにも行う。



暑い時・寒い時、苦しい時・壁を乗り越えた時、
選手達が戦術的な意思統一と同様に
気持ち上でもチーム全員が1つになれるような時間を持てることこそが
チームによる全体練習の最大のメリットだと思う。



人数が多ければ、完全な一体感や
チーム全員による100%の共通理解は幻想かもしれないが
今はあえて、そういった理想を目指して
チーム全員で練習という貴重な時間を積み重ねていきたい。