最近は区のグランドを借りて練習している。
校庭よりも、使える面積が広いので、
チームとしてはとても助かっている。
ただ、タバコの吸殻や飲み物の容器が散乱しているのだけが
非常に気になっている。
この点については、また機会を改めて、
ブログで書きたいと思う。
チームはこの時期、運動会という学校行事があるために
練習開始時には半分も揃わない。
前回の練習において、
ある程度人数が揃うまで、
選手と一緒にゴミ拾いをしていた。
遅れてきた選手の一部が
各自の練習開始準備が終わっているにもかかわらず、
何もせずに談笑。
上級生やスタッフがゴミ拾いや水分補給用のボトルを準備していても
特に気にすることもなく、
談笑を続けている。
指示を出さずに、何も言わずに、
どんな対応をするのか?
何に気づくのか?
様子を見ていたが、
5分近く何もする気配も動く気配もなし。
個人的にある結論に達し、
該当選手達に、大声でゴミ拾いを指示した。
ゴミ拾いや準備が一段落したタイミングで
「全員集合!」
挨拶をした後、
選手達に問いかける。
「チームはどうやって作られる?」
「単なる人の集まりが、どうやったらチームになる?」
「監督はなんでこんなことを聞くのだろうか?」
「あんまり考えたこともないし、監督はどんな答を求めているのだろうか?」
選手達の戸惑った表情からはそんな気持ちが読み取れた。
人間の行動は意識無意識に関わらず、
何らかの動機や目的に支配されていると考えている。
〝何かをする〟という行為は
「何かをしたい」「何かをしなければならない」
という目的や動機(時には義務といった意識かもしれないが)が
根底にあるはず。
反対に、〝何もしないという行為(不作為)〟は
「したくない」「する必要がない」「あえてしない」
といった意識を表している。
選手達は今まで「チーム」ということについて
深く考えたことなどないのかもしれない。
今まで自分が監督として
「チームのために・・・」と言っても
選手達はピンとこなかったのかもしれない。
自分が考える「チーム」とは
助け合い、励ましあい、競い合える〝人の集まり〟。
もちろん、選手達もそのような漠然としたイメージを持っていたとは思う。
では、どうしたら、そのようなチームになれるのか?
ある選手は「規律を守る」と答えた。
確かに、それも「チーム」になるためも1つの方法かもしれない。
でも、自分が考える「チーム」の大前提は
一人一人の〝チーム〟になろうとする意識。
一人一人が、
この集まりを「チーム」にしていこうと考え、行動し続けることで、
単なる人の集まりが、少しずつ「チーム」になっていく。
その「チーム」に入れば、だれでもチームの一員になる訳ではない。
チームを支える意識、お互いに励ましあい、助け合う意識があってこそ、
選手は「チーム」の一員になっていく。
ただ居るだけで、自分のことしか考えない、
自分のことしかやらない、チームの為に何もせずにいる選手を
チームの一員と認めることは絶対にできない。
プレーにおいても、プレー以外の場面においても、
「チーム」のために、何ができるのか?を常に考え、
実際に行動し、声を出す、味方と言葉を交わす。
その積み重ねこそが、より強い「チーム」を作っていく。
世の中には「いいチーム」は少なくないが、
世界中の「いいチーム」は関わる人々の
積極的な意識と行動に支えられている。
「チーム」に関わる一人一人が受身だったら、
その「チーム」は自然に消滅する。
これはサッカーチームだけの話ではない。
親子にしても、家族にしても、友達にしても、恋人にしても、
お互いを大切に思い、この関係を維持したいと思い、
その努力を続けることで少しずついい関係になっていく。
初めから何もせずに、いい関係になるはずがない。
家族になろうとして、親子になろうとして、
友達になろうとして、恋人になろうとして、初めて
家族になれる、親子になれる。
友達になれる、恋人になれる。
関係を築こうとすれば、声を掛けるし、
一緒に何かをしようとする。
時には、それによって衝突することもあるかもしれない。
でも、それを怖がって近づかない、何もしない、
というのでは、関係は何も変わらないし、
関係が良くなることもない。
どんな人の集まりも関わる人達の
良くしていこうという意識と行動、努力に支えられていることを
忘れてはいけないし、
いい「チーム」ほど、一人一人の
日々の意識と努力に支えられている。
正直、今自分が指導している高校サッカー部は
まだまだ本当の意味で「チーム」になりきれていない。
悲しいがそれが現実。
それでも諦めずに、
自分も監督として高校サッカー部が
「いいチーム」に少しでも近づけるように、
日々、選手達と共に努力していきたい。
監督として、
どうしたら、高校サッカー部が「いいチーム」になれるのかを考え、
失敗を恐れずに行動し続けたい。
衝突を恐れずに、選手に言葉を投げかけたい。
校庭よりも、使える面積が広いので、
チームとしてはとても助かっている。
ただ、タバコの吸殻や飲み物の容器が散乱しているのだけが
非常に気になっている。
この点については、また機会を改めて、
ブログで書きたいと思う。
チームはこの時期、運動会という学校行事があるために
練習開始時には半分も揃わない。
前回の練習において、
ある程度人数が揃うまで、
選手と一緒にゴミ拾いをしていた。
遅れてきた選手の一部が
各自の練習開始準備が終わっているにもかかわらず、
何もせずに談笑。
上級生やスタッフがゴミ拾いや水分補給用のボトルを準備していても
特に気にすることもなく、
談笑を続けている。
指示を出さずに、何も言わずに、
どんな対応をするのか?
何に気づくのか?
様子を見ていたが、
5分近く何もする気配も動く気配もなし。
個人的にある結論に達し、
該当選手達に、大声でゴミ拾いを指示した。
ゴミ拾いや準備が一段落したタイミングで
「全員集合!」
挨拶をした後、
選手達に問いかける。
「チームはどうやって作られる?」
「単なる人の集まりが、どうやったらチームになる?」
「監督はなんでこんなことを聞くのだろうか?」
「あんまり考えたこともないし、監督はどんな答を求めているのだろうか?」
選手達の戸惑った表情からはそんな気持ちが読み取れた。
人間の行動は意識無意識に関わらず、
何らかの動機や目的に支配されていると考えている。
〝何かをする〟という行為は
「何かをしたい」「何かをしなければならない」
という目的や動機(時には義務といった意識かもしれないが)が
根底にあるはず。
反対に、〝何もしないという行為(不作為)〟は
「したくない」「する必要がない」「あえてしない」
といった意識を表している。
選手達は今まで「チーム」ということについて
深く考えたことなどないのかもしれない。
今まで自分が監督として
「チームのために・・・」と言っても
選手達はピンとこなかったのかもしれない。
自分が考える「チーム」とは
助け合い、励ましあい、競い合える〝人の集まり〟。
もちろん、選手達もそのような漠然としたイメージを持っていたとは思う。
では、どうしたら、そのようなチームになれるのか?
ある選手は「規律を守る」と答えた。
確かに、それも「チーム」になるためも1つの方法かもしれない。
でも、自分が考える「チーム」の大前提は
一人一人の〝チーム〟になろうとする意識。
一人一人が、
この集まりを「チーム」にしていこうと考え、行動し続けることで、
単なる人の集まりが、少しずつ「チーム」になっていく。
その「チーム」に入れば、だれでもチームの一員になる訳ではない。
チームを支える意識、お互いに励ましあい、助け合う意識があってこそ、
選手は「チーム」の一員になっていく。
ただ居るだけで、自分のことしか考えない、
自分のことしかやらない、チームの為に何もせずにいる選手を
チームの一員と認めることは絶対にできない。
プレーにおいても、プレー以外の場面においても、
「チーム」のために、何ができるのか?を常に考え、
実際に行動し、声を出す、味方と言葉を交わす。
その積み重ねこそが、より強い「チーム」を作っていく。
世の中には「いいチーム」は少なくないが、
世界中の「いいチーム」は関わる人々の
積極的な意識と行動に支えられている。
「チーム」に関わる一人一人が受身だったら、
その「チーム」は自然に消滅する。
これはサッカーチームだけの話ではない。
親子にしても、家族にしても、友達にしても、恋人にしても、
お互いを大切に思い、この関係を維持したいと思い、
その努力を続けることで少しずついい関係になっていく。
初めから何もせずに、いい関係になるはずがない。
家族になろうとして、親子になろうとして、
友達になろうとして、恋人になろうとして、初めて
家族になれる、親子になれる。
友達になれる、恋人になれる。
関係を築こうとすれば、声を掛けるし、
一緒に何かをしようとする。
時には、それによって衝突することもあるかもしれない。
でも、それを怖がって近づかない、何もしない、
というのでは、関係は何も変わらないし、
関係が良くなることもない。
どんな人の集まりも関わる人達の
良くしていこうという意識と行動、努力に支えられていることを
忘れてはいけないし、
いい「チーム」ほど、一人一人の
日々の意識と努力に支えられている。
正直、今自分が指導している高校サッカー部は
まだまだ本当の意味で「チーム」になりきれていない。
悲しいがそれが現実。
それでも諦めずに、
自分も監督として高校サッカー部が
「いいチーム」に少しでも近づけるように、
日々、選手達と共に努力していきたい。
監督として、
どうしたら、高校サッカー部が「いいチーム」になれるのかを考え、
失敗を恐れずに行動し続けたい。
衝突を恐れずに、選手に言葉を投げかけたい。