アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

サッカーの本質が、オフ・ザ・ボールにある、という1つの解釈

2007年10月26日 13時52分40秒 | サッカーの謎
10月28日から、
来春に行われる関東大会の東京都地区予選が始まる。
いわゆる新人戦。



関東大会自体はもちろん全国大会はない。
代表の試合で言ったら、
アジアカップというイメージだろうか。



去年の新人戦で敗退してから、
今のチームとして新しくスタートを切った。



前回の新人戦敗退後、
高2のほとんどがサッカー部を引退した。
サッカー部を卒業した、
という表現の方が適切だろうか。



その時、残った高2も
春のインターハイの都大会でサッカー部を卒業した。



関東大会予選(新人戦)と後期リーグ戦で
ほとんどの高2がサッカー部から卒業し、
受験勉強に専念する、
というのが今のチームの慣例になっている様子。



この大会にかける選手達の思いは、
軽くはないだろう、
ということは推測するにあまるものがある。



個人的には全員を試合に出場させたいが
大会自体が一発勝負のトーナメントであり、
チーム自体も勝つために練習してきている以上、
現実的には全員を試合に出すことは難しい。



チーム自体の人数が11人でなければ
競争原理が働く以上、
試合に出る選手出ない選手がどうしても出てきてしまう。



それでも、
選手達は試合に出ることを考えて
テスト期間中も真剣に練習していた。



選手達のこのような必死な様子を見る度に
サッカーというスポーツの本質を意識する。



よく言われることであるが

『サッカー(フットボール)では
 ボールに触る時間は2分もない』

『ボールに触る時間で何ができるか?
 というのも大切だが
 それと同じ位に、
 ボールのない時に何ができるのか?
 ということも極めて大切なこと』



シュートを決めたFWが王様だとか、
ボールを持っている選手が主役だとか、
プレーの経験が少ない方や、
試合を見る機会の少ない方は
そう思うのかもしれない。



でも、
プレーするにしても、
見るにしても、
ある程度、経験のある方には
「ボールのないところの動きが試合を決める」
ということを知っている。



【オフ・ザ・ボール】の重要性は
チームの活動でも同じように考えられる。



チームの強さは、
試合に出る選手だけで測られるものではない。



試合に出れなかった選手が
どのような意識で
普段から練習しているのか?
試合を見ているのか?



試合に出場できなかった選手の悔しさは
その本人にしかわからないし、
最後の大会であれば
なおさら悔しいとは思う。



それでも、
悔しさをかみ締めている選手がどういう気持ちで
試合を見ているか?
気持ちの上で試合に参加しているのか?
普段から練習しているのか?



試合に出ていない選手の気持ちこそが
そのチームの強さのバロメーター。



確かに、試合に出れない選手に心の中に、
悔しさがなくなることはないし、
場合によっては
嫉妬等の後ろめたい気持ちもあるのかもしれない。



でも、悔しさや嫉妬心よりも
味方を応援する気持ちが
少しでもいいから上回ってほしい。



Jリーグやいろいろな国々で
クラブチームを応援しているサポーター、
また国の代表を応援するサポーターは
試合に出れなくても、
何かできることがあるのではないか。
応援はできるのではないか。
そう考えてグランドに行き、応援する。



そのサポーターの気持ちが
試合に出ている選手を支え、鼓舞する。



試合に出ている選手は
自分の持っているものを全て出し、
気持ちを入れて、
責任感をもって、
プレーすることが求められる。



試合に出ている選手が主役で
出ていない選手が脇役ということではない。



【オフ・ザ・ボール】の重要性から考えると
ボールのないプレーこそにサッカーの本質がある。
個人的な解釈ではあるが、
「チームの為にプレーする」
「人を助ける」
「人を助けて、自分も活きる」
というメッセージこそが
サッカーもしくはフットボールの本質だと考えている。



そのようなメッセージを
練習や試合を通じて、
選手達に伝えていきたいと思っている。



「チームを支える」という気持ちこそが
チームの強さを支える原動力になる。



チームが強くなるために、
一人一人が頑張って練習し、
たとえ、試合に出れなくても
純粋に試合に出ている選手を応援し、
チームを支える気持ちを持ち続ける。



理想かもしれないが、
その理想に少しでも近づけるように
今日も練習に臨みたいと思う。




マリーシアと全力

2007年10月22日 19時16分06秒 | サッカーの謎
先日、旧来の友人達と食事をしながら
サッカーの話をしていた。



その中で、「マリーシア」の話題になった。
そもそも、ブラジル人がどういうニュアンスで
「マリーシア」という言葉を使っているか、
日本人には正直なところ、よくわかっていないのが
現実ではないだろか。



このブログにおいて
以下の言葉を引用するのは2回目だと思うが
今、改めて先人の言葉を引用させていただくことにする。



元ブラジル代表キャプテンでジュビロ磐田に在籍していた
ドゥンガ氏は
その著書「セレソン」(NHK出版)において
「マリーシア」の定義を以下のようにしている。



『マリーシアとは、相手よりも早く考えること以外の何物でもない』

『相手の動揺やイライラを誘い、心理的に自分を有利にすること』

『これらのプレーが何を意味するかといえば、
 それは〝インテリジェンス〟にほかならない』
 (強調部分は個人的に付加)

『サッカーはゲーム』

『ゲームは自分に有利になるように進めるのが鉄則』



ドゥンガ氏は
サッカーを『ゲーム』と捉え、
その駆け引きを重視する。



常に『相手よりも早く考える』ことを意識し、
相手に対して優位に立とうとする。



ドゥンガ氏はその著作の中でさらに
PKのとり方やヘディングの競り方においても
マリーシアの有効性を説いている。



ただ、ドゥンガ氏は
見えないところでファールをしろ、とは一言も言っていない。



あくまでも、『ルールの範囲内で許される範囲』で、
マリーシアを意識すべきと言っている。



よくやった鬼ごっこにおいて
ドキドキハラハラした経験のある選手は
少なくないと思う。



単なる「走って逃げる走って追いかける」
というシンプルなゲームの中で、
なぜあれほどハラハラドキドキするのか?



走ることによって心拍数が上がることだけが理由ではない。
鬼ごっこの中で
ドゥンガ氏が言うようなマリーシアがあるからに他ならない。



つまり、お互いに『相手よりも早く考え』、
相手が何を考えているか?
相手が何を狙っているのか?
常に頭を使いながら、
逃げ、また追いかける。



鬼ごっこでハラハラドキドキするのは
『相手とのゲームにおいて』
〝駆け引き〟しているからに他ならない。



プレーする中で、
ハラハラドキドキすることが少なくないのは
サッカーの本質が『ゲーム』であることを示している。



ただ、うちのチームの選手も含めて
どれだけの選手が練習の中で試合の中で
ハラハラドキドキできているのだろうか。



日本人は自虐的に自らを指して
『日本人にはマリーシアが足りない』ということを
よく口にする。



でも、冷静に考えると
日本人はグランド以外で
どれだけマリーシアを意識できているのだろうか?
グランド以外で相手と駆け引きをするような場面が
どれ位あるのだろうか?



自分の世界に入って、
人との会話もない中では、
マリーシアを使う場面すら存在しない。



ラモス・ルイ氏が
『サッカーは遊び』というのは
サッカーが『ゲーム』である、
ということを言いたいのだと思う。



また、サッカーの場面においても
ボールの有る無しにかかわらず
ボールしか見れない。
顔を上げられない。
相手の目線を読めない。
といった状態では
『マリーシア』を使って、
相手と〝駆け引き〟するというレベルまで
たどりつけるはずもない。



10月28日から始まる新人戦(関東大会予選)でも
残っている後期のリーグ戦でも
『ゲーム』の中で『マリーシア』を意識して
思いっきりハラハラドキドキしてほしい。



例えテクニックがなくても
ボールのないところで
ボールウォッチャーにならずに
相手の目線をチェックして
相手の狙いを読むことで
相手と駆け引きしてほしい。



相手の良さを消し、
相手の急所を攻める、
そういった『ゲーム』をしてほしい。



相手との真剣勝負の中でこそ、
相手との『ゲーム』を〝駆け引き〟を
楽しんでほしい。



同時に、
サッカーはある意味『戦い』でもある。



選手達には、全力で戦ってほしい、とも思う。



試合で戦えるようなトレーニングを
大会までやっていきたい。



元サガン鳥栖の松本監督は
『全力に悔いなし』という言葉を
ご自身の信念にされているという。



「全力を出し切れば、
 勝っても負けても後悔しない」
という意味だろうか。



まさに至言である。



私自身、選手ともども
『全力』で新人戦に臨みたい。



ドゥンガ氏は
「セレソン」の中でこんな言葉も紹介してくれている。

『ブラジルには「1日1回ライオンをしとめる」という言葉がある』

それぐらいの集中力で毎回の練習をやるべき、ということ。



水曜日から、試験明けで
本格的に新人戦に向けて練習を再開する。



毎回の練習で、
『ライオンを仕留められる』ように。

試合で「戦える」ように。

試合で『マリーシア』を意識して
『ゲーム』の中で「駆け引き」を楽しめるように。

後悔のない内容で
「ハラハラドキドキ」できるように。



チーム全員でやりきりたいと思う。



ドリブルという技術が現代サッカーでも存在し続つづける根拠

2007年10月15日 13時58分06秒 | 技術の謎
FWやMFの選手でボールコントロールに自信がある選手は
ドリブルも得意な選手が少なくない。
そういった選手は試合中も当然、ドリブルにこだわる。



自分のこだわりに自信を持つのは悪いことではない。
自分のこだわりをもって、
自主練をしていく。
自分の武器にさらに磨きをかけていく。
上手い選手であれば、みんなやっていること。



ドリブルなどは一人で自主練のできる典型的な技術だと思う。
ドリブルの練習をドリル的にやるのは
いろいろなメリットがある。



まず、その選手に合った条件を設定し易いこと。
次に、自分のスピードでできること。
さらに、いわゆる「いい持ち方」を意識できること。
(人によっては、「パワーポイント」という表現をする人もいる)



もちろん、ヘッドアップすること、
まずは利き足を意識してやることや、
時期をみて対人練習に戻すことなど、
いくつかの注意点はあるが
育成年代には必要な練習だと思う。



実際、どこの国でもやっているし、
どの育成年代でもやれるトレーニングではないだろうか。



日本の育成年代の指導者は
特に、ゴールデンエイジの小学校の指導者を中心に
「ドリブルで仕掛ける」ということをテーマに
指導されている方は少なくない。



もしかしたら、今はその方が多数派なのだろうか?



実際の育成年代の指導者の方々も
個性や特色のある指導をされていると思うので
一概には言えないが
実際にドリブルにこだわる選手が増えてきているようにも感じる。



小学校の頃、いい指導者の方にいい指導を受け、
その経験が、そのいい思い出が
選手達のドリブルに対するこだわりとなって
高校生年代になっても生き続けている。



ドリブルを否定する気もないし、
育成年代の指導者の方々の
「仕掛けにこだわる」という気概を否定する気も全くない。



ただ、高校生年代では
自分は勝ちにこだわって指導していきたいと考えている以上、
選手達にも、技術が自分自身のこだわりが
勝つことにつながるようにその使い方を考えてほしいと思う。



今、指導しているチームでも何人か
ドリブルにこだわりをもっている選手はいる。



その選手達にも自分のドリブルに対するこだわりを
チームの勝利のために活かしてほしい。



後期のリーグ戦1部対葛飾野Bとの試合で
前半、ドリブルへのこだわりが
チームの勝利につながっていないシーンが何回かあった。



正直、ドリブルという技術は
サッカーの中においてボールを運ぶ技術としてはもっとも遅い。



「ボールは誰よりも速く走る」
「ボールはどんなに走らせても絶対に疲れない」
という言葉はブラジルでもイタリアでもよく言われる言葉。
ドリブルよりも、まずパスというのは
現在の主流の考え方であることは間違いない。
このような考え方の底流には
サッカーにおける戦術の導入という歴史的経緯がある。



戦争における戦術は
ヨーロッパにおいてサッカーの戦術に転用されてきた。



「リトリート(退却)する守備」を始め
陣形というかフォーメーションの大切さ。

「攻撃における最大限の優先順位はスピードである」
といった攻撃時の大原則。

「相手の守備陣形が整わない内に
 最大限のスピードで攻めること」という
 守備から攻撃に移るスピード。
 いわゆる攻守の切り替えのスピードの重要性。

「局面で数的優位を作ること」による局面打開という方法論・・等など。



このようなサッカーの戦術は
戦争における戦術が
露骨にサッカーに転用されている一例だと思う。



そのような現代サッカーにおける戦術的な潮流の中で、
ドリブルの存在は
「攻撃におけるスピード重視傾向」の対極に位置している。



なぜ、それでもドリブルという存在がなくならないのか?



フットボールが生まれた時から存在しているドリブルという技術が、
なぜ100年以上経った今でも相変わらず使われているのか?



ドリブルだけはフットボールが始まった時から
変わらずに使われ続けた技術という表現をすると
あたかも恐竜が現代にも生き残っているように
理解する人もいるかもしれないが、
その解釈は適切ではない。



包丁やナイフのようなものが石器時代から存在していたように
その有効性が現代においても認められるからこそ、
ドリブルという技術も現代において存在している。



マシューズやジョージ・ベストをはじめとする
きら星の如く輝く過去のスタープレーヤーに対するノスタルジーだけが
ドリブルという技術の存続している根拠ではない。



ヨーロッパにおいてサイドやゴール前で
1対1における仕掛けに選手も観客こだわるのは
中世の騎士における決闘(いわゆる[DUEL])を彷彿とさせるからこそ、
人々はドリブルにこだわるという説もある。



「ドリブルが現代のフットボールにおいても存在し続けている根拠」
という論点において、
何が通説かということを議論してもあまり意味のあることに思えないが
個人的には、
ドリブルがハイスピードで展開される
現代のフットボールシーンにおいても
その機能性が認められるからこそ存在し続けていると考えている。



では、ドリブルの機能とは何か?



ドリブルがパスに勝る位のスピードを身につけたとは思わない。
相変わらず、〝遅さ〟はドリブルの欠点であり続けている。



でも、ドリブルには遅さを補うだけの効果というか魅力がある。



それは、相手に予測されにくいという部分。



マラドーナがワールドカップメキシコ大会で
5人抜きしたのも
ドリブルの速さにイングランドの選手達がついていけなかったのではなく、
予測不能なマラドーナのドリブル技術についていけなかった、
ということが根拠になっている。



予測不能というドリブルの本質は
フットボールにおける駆け引きという部分にもつながっている。



もちろん、クサビやサイドチェンジ、
パスに変化や緩急をつけていくという意味で
パスワークによる駆け引きが現代のフットボールにおいて
その主流にあることは間違いない。



バルセロナしかり、アーセナルしかり。



それでも、ドリブルの予測不能性は
相手DFを〝不安〟に陥れる。



〝不安〟の存在は試合の駆け引きにおいて
極めて効果的なスパイスになる。



ただ、この効果的なスパイスも
使うタイミングを間違えれば、
自分自身もしくは味方を苦しめてしまう。



ドリブルというスパイスは
使う〝場所〟というお皿の上でこそ、
その機能を最大限に引き出すことができる。



ドリブルは
ゴールもしくはシュートと結びつく場面において使ってこそ、
予測不能性という機能を最大限活かすことができる。



相手DFからみれば、
自分達が守るゴール前で
敵の選択肢が2つなのか?それとも3つもあるのか?
というのはとても重要な問題になる。



[シュート]か[パス]しかないのであれば、
数的優位や守備ブロックをゴール前でしっかりと作ることで
対応しやすい。



でも、敵のボールホルダーが
[ドリブル]もできるような〝いいボールの持ち方〟をしている時は
現実逃避をして、相手のミスを祈りたくなる。



選択肢が2つから、1つ増えるだけで
守備の困難さは飛躍的に上昇してしまう。



さらに、ペナルティーエリアの中であれば
最悪、PKという結果もあるうる。



ドリブルは
その使う場面や場所を間違えない限りは
ハイスピードな現代のサッカーシーンにおいても
その予測不能性という魅力的な機能を
最大限活かすことが可能である。



後期リーグ戦1部リーグ葛飾野Bとの試合、
前半、何回か使うべきでない場面や場所でドリブルにこだわり、
悪い取られ方をしてピンチを招いてしまっていたので、
ハーフタイムに
「ドリブルを使う場面や場所を間違えないこと」という
アドバイスを選手達にした。



後半終了間際にキャプテンが
ペナルティーエリア内で積極的に仕掛け、
そのままニアサイドに試合を決定づけるシュートを決めた。



自分のアドバイスというよりも
キャプテンのアドリブというか
感覚による決勝ゴールだったと思うが
とてもいいプレーだった。



選手の感覚を大事にしながらも、
選手の努力が試合の中で結果として表れるように
これからもアドバイスしていきたいと思う。

チーム戦術とセオリー、そしてアドリブの関係

2007年10月14日 10時41分56秒 | 戦術の謎
今は試験期間中で
通常であれば練習中断するのだが
今回は試験直後に新人戦(関東大会予選)があるので
特別に学校に許可をとり、
1時間だけ練習している。



試験期間に入る前は
リーグ戦が続いていたので
ゲームをイメージしながら
紅白戦を中心に
学校外のグランドで練習していた。



紅白戦ではトップバックアップ・チャレンジャーズともに
ゲームを進行させながらテーマをシンクロしながらコーチング。



テーマは攻撃における判断の整理。



チームとして、
攻撃は「高速パスサッカー」を目指したいと考えている。
では、どのように「高速」に「ボールを動かしていくのか?」



基本は、【エイト】or【セオリー】の状況に応じた使い分け。



【エイト】は相手のDFが整っている場合の崩し方。
 (グランド全体で[8]の字を描きながら、全員でボールを動かしていく)

 ※時間をかけて攻撃する場合には、
  相手コートで[8の字]を描いて攻撃するイメージ。



【セオリー】は相手のDFにギャップのある場合の崩し方。
 (①DFの裏⇒②クサビ⇒③サイド・逆サイドへの展開、というパスの優先順位)
 ※この場合、このような判断は私個人の経験の積み重ねというよりも
  偉大なる先人達の経験の積み重ねである〝知恵〟と表現するのが適切だと思う



【エイト】もしくは【セオリー】を選択する前提として、
「相手のDFが整っているかどうか」という判断をすることが必要。



誤解を恐れずに表現すれば、
【エイト】が〝チーム戦術〟で、
【セオリー】が〝基本〟もしくは〝個人戦術〟というイメージ。



特に、
【エイト】というチーム戦術を意識するあまり、
〝基本〟である【セオリー】を忘れないようにしていく。



ただ、
【セオリー】を意識すべきという判断をしたとしても
いざFWにパスを出す段階で
相手DFのインターセプトという狙いに気づいたら
「③サイドもしくは逆サイド」に展開という選択肢を取ることになるが
この場合、
ボールをもっていない選手は
【エイト】というチーム戦術を意識して
準備をしていくことになる。



まずは、【セオリー】を考えていたとしても、
この場合には【セオリー】⇒【エイト】へ、
状況を解決するための枠組みを変換していく必要がある。



さらに、ゴール前を中心として
ドリブルや壁パス、3人目の動きという即興性の強い選択肢もある。
いわゆるアドリブ。



経験のある選手ほど、
〝チーム戦術〟〝基本【セオリー】〟〝アドリブ〟という3つの選択肢を
柔軟に使い分ける。



解決の枠組みの柔軟な使い分けは、
何を根拠にしているのか?



経験者ほど相手のゴール及びゴール前を見ている。
味方のFWを見ている。
味方のFWの近くにいる相手DFのマークのつき方を見ている。



同時に、経験者ほど局面打開のための枠組みの変換の判断が
極めて速い。



経験のある選手ほど、
攻撃における判断ミスが少ない。



失点の原因の半分は攻撃における判断ミスにある。
つまり、悪い取られ方を減らすことで
理論上は失点の半分を減らすことが可能ではないか。



経験の少ない選手に対して
経験者の判断過程を提示することで
少しでも正確な判断ができるように、
また、少しでも速い判断ができるように、
できればと考えている。



そう考えて、攻撃時における判断を整理し、
選手達にコーチングしていた。



でも、判断が単なる機械的判断で終わらないところが
サッカーもしくはフットボールの複雑さであり、
また面白いところ。



サッカーにおいては、
味方の状況・相手の状況が流動的に変わり、
状況判断の枠組み自体を柔軟に選択していく必要がある。



ただ、経験のない選手は
判断の枠組み自体を自分の中で整理できていないことが少なくない。



そういった経験不足の選手達には
「一定の判断の枠組み」自体を提示してあげる必要があるのではないか?
判断の枠組みを整理してあげることで
判断ミスからくるパスミスが減り、
選手自身が必要以上に自身喪失する機会を減らすことができるのではないか?
また、チームとしても「高速パスサッカー」をより実現することが
できるのではないか?



そのような考えの下、
紅白戦でゲーム進行とシンクロしながらコーチングしていた。



ある程度、経験のある選手達には
「サイドで〝面〟を作ること」
そのために
「攻撃時にDFラインを押し上げること」
を中心にコーチング。



詳細はまた次回以降のブログに書きたいと思う。



選手全員を毎回の練習で褒めることはできないが
選手が自分の判断に自信が持てるようにしていくこと、
また、なぜ自分がミスをしてしまったのか?
自分のミスを分析できるような物差しを提示すること、で
少しでも選手自信が成長できるようなコーチングをしていきたい。


楽しむことの意味

2007年10月11日 16時55分56秒 | サッカーの謎
「今後はフィジカル小テストは定期的に行い、
 一定の基準を超えない選手は
 罰として通常練習時に重たいフィジカルトレーニングを課す予定。
 そうならないように、自主トレも含めて頑張ってほしい。」
という計画を緊急ミーティング以前に選手達の前で話をした。



その趣旨は、以前にもブログで書いた通り、
選手達にサッカーと真剣に向き合ってほしい、
フィジカルトレーニングを自ら課すことで
メンタルの強さにもつなげていってほしい、
といった点にある。



自分の説明が足りなかったのか、
緊急ミーティングの中、
高1の2人から
『フィジカル小テストがあると、
 罰ゲームのことが気になって、
 サッカーが楽しめないので、
 クラブを退部したい・・・』
という趣旨の発言があった。



『サッカーを楽しむ・・・。』
抽象的でシンプルな言葉ほど、
解釈の幅が広がってしまうもの。



簡単に【ENJOY】という英語に置き換えられるものではないが、
【楽しむ】というのが、
どういう意味なのか?
指導者も選手も
一度は壁にぶち当たる言葉だと思う。



【遊び】なのか?
【楽しさ】なのか?
また、全く別の解釈があるのか?



もしかしたら、統一的な解釈ができる類の言葉では
ないのかもしれない。



トップレベルのフットボーラーの【楽しむ】ことと
単なるアマチュア選手の【楽しむ】ことに意味は
違うのかもしれない。



ロナウジーニョとカカ、
小野と中村、
ジエゴとセスクでは
それぞれ【楽しみ】方というか
【楽しむ】ことの意味が違うのかもしれない。



私自身、指導者としても
いつもどこかで【楽しむ】ことの意味を探していた気がする。



2002年のワールドカップで
韓国代表のヒディング監督が
試合前のロッカールームで
『楽しんでプレーしよう』ということを話したという。



ヒディング監督自身もその著書で
『アメリカ人の考え方に影響を受けた・・・』旨の
発言をしていた。



ただ、2002年のワールドカップにおける
韓国代表のプレーぶりは
地元の声援があったとはいえ、
鬼気迫るものがあったし、
ロッカールームで足が立たなくなるほどだった・・、という。



そのプレーぶりからは
ヒディング監督の言った『楽しむ』という言葉の意味は
単なる【遊び】といった意味ではないことが理解できる。
それとも『試合前は、自然と緊張してしまうのでリラックスしよう』
という意味だったのだろうか。



自分も高校サッカーで選手達を指導しながら
時折ふとした瞬間に、
【楽しむ】とは何か?
答の出にくい禅問答を繰り返していた。



それでも、突然目の前に、
【楽しむ】ことの輪郭が
おぼろげながら見えてくることがある。



【楽しむ】とは成長することではないか。
上手くなること、速くなること、強くなること、賢くなること。
今までできなかったことができるようになる。
今まで勝てなかった相手に勝てるようになる。
自分の成長を実感できたときこそ、
自分自身の中に【楽しい】という感覚が芽生えてくる。
そういうことなのではないか。



また、ある時は
相手と殴りあうような真剣勝負というか緊張感の中で
相手の裏をかいたり、
また、相手の狙いを読んだりする、
[相手との駆け引き]こそが【楽しさ】の中身なのかもしれない。
そう思ったりもする。



[自分自身の成長]と[真剣勝負の中での駆け引き]。
今、自分の中ではこの2つが【楽しむ】ことの解釈の軸になっている。



今は自分なりの【楽しむ】という言葉の意味を見つけ出した
ような気がしているが、
全ての選手が【楽しむ】ことを同じように考えているかどうかは
全く自信はない。



それでも、
【楽しむ】こと=[成長]+[駆け引き]
という解釈の基準をもって
選手に接していきたいと思う。



ただ、これからも
『人間の生きる意味は何か?』
『いい人生とは何か?』
という問いと同じように、
『サッカーを楽しむ』という問いの答を探し続けたい。



また同時に、
『いいフットボールとは何か?』
『いい選手とは何か?』
『いい練習とは何か?』
『いい指導者とは何か?』
という問いに対しても
答を探しつづけたい。



数学の解答のように完璧な答を見つけられるか、
わからないが、
答を探し続けることこそが
指導者としての自分の成長につながるはず。



指導者として、
一人の人間として、
一人の大人としての、
自分自身の成長こそが
最大の【楽しみ】になる。
そう信じたい。



【楽しみ】の存在が希望に変わり、
希望はコーチングという冒険において
足元を照らす明かりになる。



今でも試行錯誤を繰り返しているが、
これからも、失敗を怖がらずに
コーチングの冒険を【楽しみ】たい。

距離感と厳しさは何のためか?

2007年10月09日 11時15分57秒 | コーチングの謎
前回のブログで、先日行われた緊急ミーティングのことを書いた。
退部希望者の退部理由を確認していく経過を書いた。



退部理由の確認が一段落したところで
ミーティングの後半では、キャプテンから
『では、次に監督との〝軋轢〟について』という言い出しで
ミーティングの後半が始まった。



『選手の中から、要望というか〝苦情〟が出てます』
『まず、監督の考えを聞きたい』
というキャプテンの言葉を皮切りに、
選手からいろいろな意見というか『要望や〝苦情〟』が出てきた。



まずは、
『監督が選手に厳しいことを言った後、
 ほんの僅かでも改善されたら、その成長を認めてほしい』

次に、
『監督が厳しすぎる』
『監督と選手の間に距離がありすぎる』
『「やる気がないなら、辞めろ!」という言い方は止めてほしい』

さらに、
『練習メニューに関してこうしてほしい』
『先日、監督が話していた〝フィジカル小テスト〟のせいで、
 サッカーが楽しめない』

最後に、
『夏合宿でなんでチームを分けたのか?』
『合宿中、チーム毎に練習が終わる時間が違うのは何故なのか?』
『なぜ、試合中に子供をトイレに連れていくのか?』
等等・・・。



上のような意見や考えを持っている選手が挙手をして
自分に対して発言し、
それに対して自分が答えていく、
という形でミーティングの後半は進行していった。



正直なところ、最後の方は
[チームのことを選手なりに考えた上での建設的な意見]なのか?
[単なる愚痴]なのか?
が、はっきり区別されないような状況になっていった。



試合に出れない選手が愚痴を言うのは
どんなチームでもある。
ただ、それは練習の帰りに選手間で話し合うことで
自分の気持ちを収束させてほしい、と思う。



もちろん、その場では、選手一人一人の質問に対して、
簡潔に自分の考えを述べていった。



今回の自分への質問で印象的だったのは
『改善された点は認めてほしい』
『監督が厳しすぎる』
『監督が選手との距離を取り過ぎている』
『もっとボールを触る練習を入れてほしい』
といった意見。



最後の意見について、ミーティング後、キャプテンから
『もっと練習を効率的というか、全体でやるアップを少なくしてほしい』
という意見も出てきていた。



練習メニューやトレーニングの構成に関しては
【試合に勝つ】という視点が保たれるのであれば
選手達の意見を柔軟に取り入れていきたいと考えている。



ただ、
『選手を褒めること・選手の成長を認めること』
『厳しすぎる』
『もっと、監督が選手に近づいてほしい』
という意見に対しては重く受け止めたいが、
自分自身のコーチングの根幹に係わるものである以上、
慎重に考えたいし、反省も含めて冷静に対応したい。



ただ、もしかしたら、急には対応しきれない部分かもしれない、
と感じている。



選手権地区予選の初戦で負けた後、
・チームの一体感・連帯感
・競争原理を前提にした試合と同じように緊張感をもって練習する
・目の前の練習や目の前の試合や相手に集中する
ということをテーマにしてやってきた。



敗退後【一体感】や【緊張感】については
特に意識してやってきた。



『監督と選手との距離が近すぎると選手に厳しいことを言えない』というのは、
元マリノスの岡田監督をはじめとして、
指導者の感覚としてよく言われることではある。



自分も前のチームに居た時から
常に【指導者と選手との距離感】については
悩んできたし、試行錯誤もしてきた。



チームや選手によって、
その【距離感】は異なるべきなのかもしれないが
自分の基本的な考え方は
「選手との一定の距離は保つ」べきというもの。



自分自身はサッカーの指導者として
勝つことを最優先に考えてコーチングしていきたいし、
その前提に立った上で、選手と接したい。
そのために、選手の入れ替えや足りない点の指摘に対して
厳しいことも言う必要があると以上、
選手との距離感は近すぎるべきではないと考えている。



もちろん、いくら「試合で勝つため」といっても
最後まで勝ち残れるのは、全国でも1チームのみ。
勝ちを目指したとしても、
ほとんどのチームが敗ける。



それでも、勝ちにこだわりたい。
できることなら、そのチーム、その選手達に合ったやり方で
勝つことを目指していきたい、と思う。



今のチームの目標は、関東大会予選の都大会出場にある。
関東大会の都大会は全国大会がないとはいえ、
都大会に出れるのは、東京で32チームのみ。



でも、今のチームでは余裕をもって勝ち抜けるほどの力はない。
選手としても、チームとしても。



それどころか、現に選手権予選では初戦敗退、という
厳しい現状の中にチームはいる。



現時点において、選手達の目指す『都大会』というハードルは
とてつもなく高い。



初戦敗退したチームが『都大会』を目指すのは
普通に考えたら、無謀に近い。



でも、選手達の気持ちやチームの目標が『都大会』にある以上、
選手達とともに、『都大会』を目指したい。



そのためには、
100%納得した上で
選手を無条件に褒めるだけ、
というコーチングは
今の自分にはできない。



相手チームや強豪チームも勝ちたいと考えて必死にやっている以上、
選手に足りないもの、
勝つために必要なことに対して、
厳しく言うことが必要だと思う。



ただ、褒めることが、選手の成長につながることを否定する気はない。
今後は、選手の成長につながるような言葉もかけていきたい。



また、選手の意見を聞くことが選手達の自主性を引き出し、
それにより勝つことにチームが近づくのであれば、
チームのことを考えた選手からの建設的な意見であれば
これからもどんどん聞きたいと考えている。



ミーティングが終わった後、
冷静に自分の考えを振り返ったり整理したりすると
選手に対して補足すべき点や若干訂正すべき点が
あるように思われたので、
ミーティングの翌々日の練習開始時に
選手の前で補足・訂正した。



選手達に厳しいことを言ったとしても、
指導者として一人の大人として
選手の意見を聞く姿勢は常に持っていたい。



日本全国、どのサッカーチームを探しても
この日のミーティングのような意見を
選手から言われる指導者等はいないが、
選手から、子供達から絶対に逃げずに、
選手達の前に立っていたい。



試合に勝つために、選手間でコミュニケーションが必要なように、
指導者と選手の間においてもコミュニケーションが必要。



選手との〝軋轢〟を怖がらずに、
選手達に自分の考えを投げかけ、
また同時に、
選手達の意見も聞き、
お互いにコミュニケーションを保ちながら、
チームの目標に向かって、
勝つことにこだわって、
選手達ともに進んでいきたいと思う。



さらに、このミーティングで一部の選手から出てきた
『サッカーを楽しむ』という論点等、
その他の論点については
また、別の機会に、
このブログで書きたい。



どのようコーチングが理想なのか、
今の自分には、正直わからない。



でも、指導者が勝ちにこだわることこそが
選手達がサッカーと真剣に向き合うこと、
また、選手を成長させることに
つながっていく。
そう信じたい。

緊急ミーティング

2007年10月04日 17時49分54秒 | NOTE
9月30日の夜、
キャプテンから「明日の練習を話し合いの場にさせてほしい」
という連絡があった。



キャプテンと話した電話では
「高2で退部を希望している選手がかなりいるので
 退部希望の選手達も含めて、チーム全員で話し合いたい」
とのことだった。



実は、併せて自分の練習内容やコーチングの仕方についても
選手からクレームが出ていて
そのことが裏テーマになっていたのだが、
直接には言いにくかったのか?
キャプテンは電話では一切、裏テーマに言及していなかった・・・。



10月1日、朝10時から、高1の教室を使い、
結局、4時間、表テーマと裏テーマについて話し合った。



まずは、キャプテンから、
退部希望者一人一人に、退部理由を言ってもらい
話し合いは始まった。



もし、クラブに対する不満が退部理由と重なっているならば
この場でその不満を吐き出して
退部を思い留まってほしい、
できれば残ってほしい、
そんなキャプテンや他の選手達の気持ちは
痛い程伝わってきた。



表テーマに関しては、
夏休みの合宿でチームを
選手権予選を意識するチームと
8月末から始まるリーグ戦とに分けたことに
退部原因が起因しているようだった。



具体的には
後期のリーグ戦を頑張ってほしいと思っていた選手達は
リーグ戦が1試合を残して終わったので
高体連の新人戦(来年度の関東大会予選)を待たずに
もうサッカー部から退部したい、とのことだった。



夏合宿の際にも選手達には
「選手権には出場は厳しいが、
 後期のリーグ戦で結果を出して、
 新人戦出場を目指して頑張ってほしい」
と伝えたつもりだった。



しかし、選手達には
「俺達はどうせリーグ戦にしか出られない・・・」
という解釈となって伝わっていたようだった。



そのような理解を前提に
リーグ戦が8割方終了した9月30日の時点で
退部を考えた選手が少なくなかった。



厳密には、12月にリーグの優勝を決める最終戦が
まだ残っているのだが・・・。



ただ、話しが進んで行く中で判明してきたのは
退部を希望した選手達は
指導者としての自分への不満やクラブの雰囲気よりも
個人的な事情で退部を考えている選手がほとんどだったという事実。



学校の性格上、仕方ない部分なのかもしれないが
退部希望者は、
主として勉強や運動会の準備等を
退部理由として挙げていた。



個人的な理由で退部するのなら、
キャプテンもどうしようもない、という感じだった。



ただ、他の選手達の新人戦を全員で戦いたい、という気持ちと
実際に優勝を決めるリーグ戦が1試合残っているということが
退部希望の高2の選手達を悩ませていた。



一人の退部は決定したが、
未だ悩んでいる選手も少なくない。



個人的には、選手自身が納得できる結論を出してほしいと思う。



ただ、リーグ戦の実行委員としてリーグの運営にかかわっている以上、
選手の人数が足りずに、
リーグ戦の試合が不戦敗になってしまうのは避けたい。



高2の退部時期の問題は
今のチームというか学校の特色と絡んで
毎年出てきている問題。



高2の秋でクラブ活動は卒業し、
年明けからは
春の運動会の準備と受験勉強に専念していく
というのが今の学校の大多数の生徒達のクラブとの関わり方。



その是非を論じても、意味はないが
選手達には後悔のないような結論を出して欲しい。



「チームとは?」
「自分にとってサッカーとは?」
「勉強に対する考え方」
「自分の進路」
いろいろな問題が選手達の頭の中を行き来する。



でも、最後は
自分で考えて、自分で結論を出す。
そして、自分の出した結論には、自分で責任を持つ。



サッカーでは大切な考え方。



サッカーではこのような考え方を求められるからこそ、
『フットボールは子供を大人にする』と言われる。



高2の選手達はグランド外でも
大人への第1歩を踏み出そうとしている。
自分の足で歩こうとしている。



退部する選手、続ける選手、
どちらの選手も自分の結論に責任をもってほしい。
大人になるために。
成長するために。



今回の緊急ミーティングでは
裏テーマを含めて他にも色々な論点が出てきたが、
詳細については次回以降のブログに委ねたい。