アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

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2016年12月31日 22時22分29秒 | NOTE
指導を卒業した今だからこそ、強く感じることがある。指導に慣れてきて、チーム戦術の構築を意識し始める段階に入ると「このチームはどんなストーリーが描けるのか」「次の大会ではどんなストーリーを描けるのか」常にそれを考えていた。でも、指導を卒業した今だからこそ、大切なのは監督や指導者がストーリーを描いて、それを選手に熱く語り、上手くいったときに悦に入ることではない。大切なのは、指導者が一人の大人として高校生や育成年代の選手たちにすべきなのは、選手一人ひとりが自分で自分の想い描いたストーリーを自分の力と判断で描けるようにさせること。指導者が描くべきなのは、本当に描くべきなのは、選手一人ひとりが自立して自らの足で自分のストーリーを描き表現できるようになっているような未来。指導者がチーム戦術として描くのは金太郎や桃太郎程度のプロットでいい。指導者が選手に提示するのは骨組み程度でいいし、それも鋼鉄製ではなく、紙や段ボール程度の柱でいい。壁や仕切りの部分は敢えてスカスカにし、それらを選手一人ひとりが判断し、はめ込んでいく、柱を選手たちが外し、自分達で新しい柱を組み立てたっていい。指導者と選手の役割分担はそれぐらいで丁度いい。むしろ、指導者が何もせず、選手が自ら状況判断し、適切なストーリーを組み立て、実行していくように促していくこと。練習を通じて、選手が指導者の練習内容や言動を解釈するようにするのではなく、選手が自ら意味付けをし、自ら膨らませていくこと。選手一人ひとりが自らストーリーを描けるように、そういった意識を常に持てるように促していくこと。ときには逃げ道を断つような形で選手たちにストーリーを描くように強く迫っていくことも必要だと思う。最終的な完成形としては、選手と指導者がお互い自らのストーリーを描き、創り上げ、巨大なモザイクアートのように一つの作品になっていくこと。これこそが指導者のすべき仕事の一番大切な部分なのではないのだろうか。選手たちが指導者が隠し持っている正解を探すような意識を持たせることではない。むしろ、選手が常に指導者の顔色を窺うようになったら、選手が自らの創造力でストーリーを描けるはずもない。自らストーリーを描ける力こそが、選手一人ひとりの未来を切り開いていく。高校を卒業した後に、社会に出たときに、自らの力で自分の道を切り開いていくことに繋がるような指導こそが、育成年代の指導者がすべき最大の仕事。選手一人ひとりの生きる力になるような指導こそ、育成年代の指導者が忘れてはいけない境界線。そう信じている。
自分は来年一年、どんなストーリーを描こうか。指導でかかわった選手たちに負けないように、自分が納得できるストーリーを描き、形にしていきたい。