アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

あるダンサーからのメッセージ

2012年05月21日 02時34分19秒 | サッカーの謎
先日、NHKのテレビ番組で「課外授業 ようこそ先輩」という番組を見た。

この回の「課外授業」の講師は、
康本雅子氏。

正直なところ、
康本氏のことは全く知らなかった。

番組の中での紹介では、
康本氏は現役のダンサーとのことだった。

康本氏が、番組の中で卒業した小学校において
現役の小学生に対して伝えたかったのは
「言葉以外のコミュニケーション」の大切さ、ということだった。

「言葉以外のコミュニケーション」・・・?と思いながら
番組を見続けていた。



ここ何年か、
選手達の「試合中のコミュニケーション」
特に「言葉によるコミュニケーション」が不足している
と感じることが多かったので、
指導においても
「言葉によるコミュニケーション」ということを強調していた。

サッカーの基本である「アイコンタクト」を
「言葉」で如何に補っていくか?・・・
「アイコンタクト」を前提に
自分の判断を自分自身の「言葉」でしっかりと補充していくべき・・・
そういうコーチングを
ここのところ繰り返していた。

「しっかりと伝える」
「自分の考えや意思を仲間に伝える」
選手達のプレーを見ていると
本当に伝えようとしているのか?・・・
そう思わざるを得ないプレーや行動が多かったので、
どうしても「言葉で自分の意思を伝えること」
「言葉によるコミュニケーション」を強調していた。

そういう自分の指導上での意識からすると
「言葉以外のコミュニケーション」を強調する康本氏の「課外授業」は
「どうなんだろう・・・?」
という感じで見ていた。



番組は、「2日間の課外授業」をもとに構成されていて、
初日と2日目ではどういう変化が小学生達に表れるか?・・・
そういう視点で作られていた。

初日の小学生達の反応は、少しぎこちないものだった。
特に、康本氏が出てきた直後はそうだった。
「言葉以外のコミュニケーション?・・・」
「どうしたらいいのか?・・・」
小学生の戸惑う姿が印象的だった。

冷静に考えてみても
小学生達が「言葉によるコミュニケーション」をする機会を
日常の中で持てていない・・・ということは想像するに難しくなかったので、
小学生達の戸惑いはある意味当然なのかもしれない・・・。

初日の「課外授業」の開始直後の小学生達の戸惑いは
「言葉によるコミュニケーション」も十分に確保できていないのに
「言葉以外によるコミュニケーション」なんか正直、無理なのでは?・・・
という私自身の考えを裏付けるものだった。

実際、「言葉を使わないで、体で会話してみよう」と康本氏に言われても、
一人がじゃんけんを始めると全員がじゃんけんをしてしまう・・・
そんな状態だった。

やはり、まずは「言葉によるコミュニケーション」から始めるべきでは?・・・
という自分の考えは間違いではないように思われた。

ただ、康本氏の言葉による働きかけがあったとはいえ、
小学生の中で少しずつ変化が生じ始めていた。



小学生達の中で
「体で会話する」というのは
もしかしたら、「こういうことかな・・・」ということが
理解できてくると、
小学生達の表情が少しずつ変わり始めた。

表情が生き生きとし始めてくるというか
顔に「楽しい」という感情が出始めてくるようになっていた。

初日の後、
康本氏から生徒一人一人に宿題が出された。
「帰宅後、今日、ここでやったことをお家のひととやってみてください」

各家庭における宿題実践の映像もあった。

子供の表情もさることながら、
保護者の方々の表情が印象的だった。

保護者の方々の方がよりポジティブな感情を
体全体から表現されていた。
体全体からポジティブな感情が自然と出ていた・・・
という表現の方が正確だろうか。

2日目の最初は、初日と同じように
またギクシャクした感じだった。
特に、男の子と女の子の間で目に見えない壁が出来ていたようだった。

それでも、康本氏の喝というか熱意によって
少しずつ男女の壁というか男の子と女の子の間に存在していた
微妙な空気は無くなっていった。



番組の最後で、康本氏が強調していたのは
「言葉以外のコミュニケーション」で
「言葉によるコミュニケーション」を補える・・・
「言葉では伝えきれないもの」もある・・・
ということだった。

「言葉」では伝えきれない思いも
「言葉以外の方法」なら伝えられる・・・
「体による表現や行動」によってなら伝えられる・・・
むしろ「言葉以外」の表現の方が伝わる思いもある・・・

康本氏が強調したのは、こういうメッセージだった。



番組を見終わった後、いろいろと考えていた。
自分が選手達に言ってきたことは正しかったのだろうか?
そういう疑問が頭に浮かばなかった・・・といえば嘘になる。

でも、番組を見終わった今でも
「言葉によるコミュニケーション」を重視したい・・・
という自分の考えに間違いはないと思っている。

ただ、同時に康本氏の言わんとしていることにも
強い説得力があることも素直に感じることができた。

確かに、康本氏の言うことは当てはまる場面は
サッカーにおいても少なからずあると思う。

「アイコンタクト」自体も本質的には「言葉以外のコミュニケーション」であるし
プレーの中で「言葉以外によるコミュニケーション」を
「言葉で補う」というのは頻繁に出てくる現象といえる。

また、「味方のボールの持ち方」に反応して
「顔を出す」というのも
「言葉以外のコミュニケーション」だといえるし、
「味方の出したパス」に
2人目だけでなく3人目4人目が「フリーランニング」で反応する・・・
といのも「言葉以外のコミュニケーション」だといえる。

さらには、苦しい時間帯に、
味方を励ますような「激しいスライディング」や
味方に勇気を与えるような「オーバーラップ」や「戻ってきての守備」
というもの「言葉以外によるコミュニケーション」であり、
言葉以外の方法による「味方に対するメッセージ」だと思う。

苦しい時に、声すらも出さないのは論外だが、
味方のために声を出すだけでなく、
こういった「プレーによるメッセージ」を加えた方が
一緒にプレーしている味方だけでなく、
応援しれくれている仲間にも伝わるのだと思う。

しゃべらない・・・走らない・・・では話にならないが、
苦しい時にこそ、言葉と行動で味方に伝えるべき。

しゃべるだけでは伝わらない思いも
味方のために必死に走り、戦うことによって
深く伝わるはず。

そもそも、人に信頼される、人に信用される・・・というのは
何をしゃべったか?によってだけ決まるものではない。
実際に何をしたかによってこそ、信頼や信用は得られもの。

行動による裏付けがあってはじめて、
仲間に対する信頼が生まれる。

苦しい時に、何をしたかによってのみ、
自分自身を信じられる。



自分も、選手達に信頼されるような行動を常に意識していかなければならないし、
自分のことしか考えない口だけ野郎の指導者にはなりたくない。

そのために、チームのために、何をすべきなのか?ということを
日々考えたい。

「サッカーはコミュニケーションである」
「サッカーはメッセージである」ということを忘れずに、
これからも指導を続けていきたい。

選手達とのコミュニケーションを重ねていきたいし、
選手同士のコミュニケーションを促していきたい。

「言葉によるコミュニケーション」を
「言葉以外のコミュニケーション」で補うことの大切さを
伝え続けていきたいと思う。


新チームとしての初めての大会で得られたもの

2012年05月15日 17時45分25秒 | 指導記録
先日、インターハイ地区予選の決勝があった。

今、指導しているチームは、
高2の秋で選手のほとんどが
サッカー部を卒業してしまうので、
新高2と新高1で戦うこのインターハイの地区予選が初めての大会になる。

「スクラップ・アンド・ビルド」は高校チームの宿命だが、
クラブを卒業してしまった上級生とは個性も能力も異なるので
何をどこまで継続して、何を新たに加えていくべきか?・・・
毎年、チームが新しくなる度に迷う。



今のチームはその立ち上げにおいて、
球際の甘さが一番気になったので、
まずは「1対1」の守備から始めた。

そして、その延長として、
「オールコートマンツーマン」をチーム戦術として行った。

「オールコートマンツーマン」を採用した結果、
ボール奪取できる回数は増えたが、
その後、簡単にボールを失ってしまったり、
味方のボール保持者を孤立させてしまうことが多くなっていた。

そこで、奪った後のことも考えて、
守備の時に一人一人が「点」でアプローチするのではなく、
「点」から「線」さらには「面」で
ボールに対してアプローチするようにした。

「一人」の関係から、「二人」の関係へ、さらには「三人」の関係を意識しながら、
相手ボールに対してアプローチするようにしていった。

「点」から「線」、さらには「面」=「三角形」を
「ひとつの単位」として意識させていくことで、
ボールを奪った後に不用意にボールを失う回数は
少しずつだが減っていった。



ただ、ボールを奪った「三角形」から
そこに「4人目」「5人目」がどう絡んで
変化をつけながらビルドアップしていくか?・・・
ということについては、大会直前まで
なかなかスムーズには行かなかった。

また、大会前のリーグ戦で、
やって来たことを信じきれずに大敗してしまったり、
後半の失点で簡単に崩れてしまったり、
技術や戦術的な部分以外での脆さが気になったが
セットプレーの守備や責任感を持ってプレーすることなどを確認して
新チームとしての初めての大会が始まった。



抽選の結果、初戦はシードになってしまったが、
続く2回戦は、立ち上がりに運良く先制出来たこともあり、
なんとか勝つことができた。

ただ、勝つにはかったが、
悪い失い方から失点したり、
今までやってきた味方同士が「点」や「線」ではなく
「面」になって連動しながらプレーしていく・・・
さらには「面」同士が有機的に連動しながら
守備にも攻撃にも関わっていく・・・
という意識は時間の経過とともに薄くなっていってしまった。

3回戦となる地区予選の決勝も
やはり「やってきたこと」を信じきれない試合になってしまった。

この試合も、運良く先制することができたが、
このチームで積み重ねてきたことが
表現できた試合とはいえなかった。

試合は、
前半2点先制するも
前半のうちに1点返され、
後半、同点に追い付かれ、
延長前半立ち上がりで逆転されるも
延長後半に同点に追い付く・・・
という展開だった。

PK戦は、先に失敗するも、
相手もミスしてくれたが、
結局こちらも決めきれずに
勝ちきれなかった。



新チームになった直後は
正直、一つも勝てないようなチームのレベルだったが、
くじ運シードがあったとはいえ、
ひとつ勝てたことや地区の決勝まで行けたこと、
その地区の決勝で延長やPK戦まで行けたことは
選手一人一人やチーム全体の成長を感じることができる大会になったとは思う。

特に、地区の決勝戦で延長後半で追い付けたことは
彼らが必死に頑張ってきたことを証明するものだった。
少なからずチームの成長が感じられた瞬間だった。


ただ、まだまだ課題は山積みになっているし、
これからチームが更に前に進んで行こうとする場合には
まずメンタル面で越えなければならない山がある。

「【今までやってきたこと】を信じきれない」というメンタル面は
このチームが改善していかなければならない大きな課題だと思う。

一人一人が「自分のこと」や「自分たちのこと」を
どれだけ信じることができるのか?
また、どうしたら信じられるようになれるのか?

そのことを一人一人が日々問い続けなければならない。

そのためにも、個人だけでなく、チーム全体で
チーム内に存在している甘さや緩さを自覚しなくてはならない。

このチームは
大会当日に道具を忘れている選手が複数存在しているチームなのだ・・
ということを全員が自覚しなくてはならない。

自分達の弱さや緩さ、甘さを自覚せずに
自分達に自信を持つことなど絶対にできない。

緩い選手や甘いチームは
自分達の緩さや甘さを無意識的にわかってはいる。
なんだかんだいっても、自分の弱さや甘さに薄々気づいてはいる。

その緩さや甘さに薄々ながらも気づいているからこそ、
苦しい時や最後の最後で
自分達を信じることができなくなってしまう。

「苦しい時に自分を信じる」ためには
「最後の最後で、自分たちを信じる」ためには
自分自身の弱さや甘さ、緩さを正面から受け止めること。
ダメな自分、弱い自分を直視することから逃げないこと。

誰だって、自分の弱い部分、甘い部分は認めたくない。
でも、そこから逃げたら、結局、自分を信じられない。
最後の最後で、自分を信じられないままで終わってしまう。

自分自身の弱さや甘さを自覚し、そこから逃げずに
自ら苦しい状況を作り、その苦しい状況下で
何ができるのか?・・・ということを日々問い続ける。

「やっぱり俺はダメなのか?・・・」と思うのか?
それとも
「俺は、歯を食いしばって、逃げずに踏ん張った・・・」
と堂々と言えるのか?

日々の積み重ねにこそ、かかっている。

日々をどう過ごすのか?
日々の中にどういう意味付けをしていくのか?

ほんの僅かでも自分に自信を持てる人生と
自分を信じきれない人生と
どちらが豊かなのか?

自分を信じられない選手は
仲間を信じられるのだろうか?

仲間を信じる人生と
仲間を信じきれない人生、
とちらが幸せなのだろうか?

自分を、そして仲間を信じるためにも
一人一人が内面に存在する甘さと弱さを認めなければならない。

弱さや甘さを自覚せずに
強さを得ることなんてない。

強さとは、
信じる気持ちであり、
信じきる気持ちだと思う。

強さを求める日々の積み重ねが
自分と仲間を信じ、信じきるものになっていくためには
どういう気持ちを持ち続けなければならないのか?

監督として、選手達と一緒に、
「自らに対する問い掛け」を続けていきたいと思う。