アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

始まりこそ、原点や初心を見直すべし

2013年01月22日 03時35分54秒 | サッカーの謎
去年の大掃除をもって、上級生はクラブを卒業し、
下級生と中3で新チームが指導することになった。

中学3年生は、まだまだ高校サッカー部に慣れる段階であり、
高校サッカーに慣れていく段階。

今、チームとしては基本的な部分の見直しとともに
選手の能力や個性を慎重に見極めようとしている。

リトリートディフェンスを中心に
まずは守備のチーム戦術を構築していこうと考えてはいるが、
ディテールは選手の個性をベースにして決めていかなくてはいけない。

選手の能力の見極めはチーム戦術に大きな影響を及ぼすものである以上、
その見極めはどうしても慎重になる。

選手の能力を前提に、どういう形なら構築していくことが可能なのか?
さらにプラスアルファとしてどれぐらいなら青写真として描けそうなのか?
この新チームの武器や強みはどこにあるのか?
自分たちが決めた目標から逆算して
どのような枠組みを作っていくべきか?

監督としての経験とイマジネーションが問われる場面ではあるが
形式的に判断するのではなく、具体的な思考で判断していきたい。

山に登るルートはいくつもあり、
また目的地に向かう航路もいくつもあるが
どのルート、どの航路を取るかは
急激な方向転換ができるものではないので
冷静かつ慎重に判断したい。

チームミーティングを行って
「リトリートディフェンスの構築からスタートする」
という方向性だけは選手たちに示したが、
ディテールについてはまだ詰められない。

先日、新チームとして初めての練習試合があったので
その時の情報を前提にこれから少しずつディテールを積み重ね、
チームとしての枠組みをより明確にしていきたいと考えている。



ただ、その練習試合で気になることがあった。

チームの完成度や勝敗については全く気にしていないが、
試合中に声を掛け合う回数が極端に少ないことは
非常に気になった。

失点しても何らの修正し合う声もなし。
ミーティングで決めたリトリートのイメージを共有化しようとする掛け声もない。

「繋がり」どころか「繋がろうとする意識」もない。

「11人」が総和の「11」にすらならない典型的な事例。

このチームの将来に希望が見えるような試合ではなかった。

お互いがお互いに依存し、
一人ひとりが自分から積極的に声を出すことはなかった。
選手たちの動きから「チーム」を感じることはなかった。
まるで体育の授業や個人参加のフットサルのような試合だった。

もちろん、1試合で全てを見極め判断できる訳などないが、
初めての試合だからこそ、
そのチームの深い部分が見えることもある。

そのチームが抱えている課題は
立ち上げの時だからこそ
より明確にわかる。



自分がチームの監督として感じたのは
このチームの一人ひとりがもっている、
また持とうとしているサッカーに対する気持ちの部分。

サッカーをやらされているのだとしたら
自分から声を出すことも自分から動くこともない。

サッカーが「つながり」を意識しないものであると考えているならば、
当然「チーム」というものを意識することなどないし、
「つながる」ために声を出したり、
修正の声を出す必要性など感じることはない。

新チームの選手たちにとって
「サッカー」や「高校サッカー」
「チーム」や「仲間」というのは
どういう存在なのだろうか・・・?

義務?
それとも「やっぱり俺たちはダメなんだ」という絶望を感じるための道具?・・・
正直、そういうことを考えてしまう試合だった。



サッカーに関わってもう40年以上経つが
自分にとってサッカーというものはどういうものなのだろうか?

なぜ、40年もサッカーに関わっているのだろうか?
もちろん、40年以上サッカーに関わっている人間など
東京、日本という狭い地域にも星の数ほどいるし、
世界に目を向ければ数え切れない人間がいるはず。

一言でサッカーに関わり続けている理由を説明するのは簡単ではないが、
単に利益になるとかならないとか打算的なものではないはず。

もっと根源的で情緒的なものだと思うし、
感情的で衝動的なものなのかもしれない。

「サッカーのことをつい考えてしまったり」
「気がつくとサッカーのことを考えていたり」
「サッカーへの気持ちがなんとなく湧き上がってくるもの」であり
「突然やりたくなるもの」なのかもしれない。

選手一人ひとりがどういう気持ちでサッカーと関わろうとしているのか?
それは選手によって違うかもしれない。

個人差があって当然だが、
計算や建前であってほしくない。

もしかしたら、新チームの立ち上げというのは
自分がどいう気持ちでサッカーをしようとしているのか、
自分の中でサッカーがどういう存在なのか、
確認するいい機会なのかもしれない。

新チームの始動が自分の深い部分を確認する機会というのは
なんだか矛盾しているようであるが、
正直そう思う。

私自身も高校サッカー部の監督として、
またサッカーに関わる一人の人間として
サッカーに対する自分自身の気持ちを問い掛け続けたい。


大掃除とともに・・・

2013年01月03日 04時03分59秒 | 人として
年末の30日に部室の大掃除とともに
年内の活動を終了した。

上級生は全員、この日の大掃除をもって
クラブを卒業した。

大掃除前の2日間、
東京大学のグランドにおいて
小さな大会があった。
大掃除前のプレーとしては
上級生にとって
最後の時間となった。



大会は6チームが2グループに分かれて
それぞれ予選を行い
2日目に最終的な順位決定戦を行う・・・というもの。
また、同時にBチームもAチームと同じような形で
予選と順位決定戦を行う形式だった。

部員は上級生と下級生で50人弱いるので
できれば全員出場させてやりたいと思いながらも
時間も含めて均等に出場させてあげることは
正直、かなり困難だった。

それでも、2日間の中で全員が何らかの形で出場できるようにしつつも、
1日目の予選は可能な限り結果にこだわった。

Bチームの方は優勝決定戦に出場すること叶わなかったが
Aチームの方は何とか優勝決定戦に出場することができた。

2日目の順位決定戦は主催してくれた東京大学の体育会の方々が
細かい配慮をしてくれたこともあり、
雰囲気のある試合になった。

BとAの両チームとも残念ながら
順位決定戦で負けてしまったが
選手たちは最後まで勝ちにこだわってくれた。

特に、Bチームは今までキャプテンマークをつけたことのなかった選手に
あえてキャプテンマークを巻いてもらった。

キャプテンマークを巻いてくれた選手は
なかなか高体連の大会では出場機会に恵まれず
ベンチ入りすることも難しかったが
それでも練習では手を抜かずに必死に頑張っていた。

普段の練習で手を抜かなかった選手こそ、
サッカー部を卒業する試合でキャプテンマークを巻くにふさわしい。

陰ながらチームを支えてくれた選手をゲームキャプテンにすることに
なんの躊躇もなかった。

チームを支えてくれたそういった選手たちに
最高の舞台を用意してやりたいと思っていたし、
そういった選手たちになんとか気持ちよく
クラブを卒業させたいと思っていた。

常に考えていることではあるが、
Aチームの選手たちには
支えてくれた選手たちの為に戦ってほしいし、
その選手たちの為にこそ
勝ちにこだわってほしい。
そう思っている。

この大会では
Bチームの試合では
Aチームの選手達がBの選手達のことを
必死に応援してくれた。

Bの選手達はその応援に応えようと懸命にプレーした。
結果として負けてはしまったが、
仲間の為にやりきりたい・・・という気持ちは
十分に伝わってきた。



勝てはしなかったが、伝わるものがあったのなら
それでいい。

勝ってバラバラになるなら、
負けてまとまる方がいい。

チームは誰のためにあるのか?
一部の上手い選手達の為にあるのではない。
応援する側とされる側が物理の法則のように
決まっているわけではない。

上手いとか上手くないとかで線引きするのではなく、
自分以外の誰かの為にプレーする意思があるか?
そういった選手達のためにこそ、
チームは存在する。

自分のことしか考えない選手達に
チームというものは必要ない。

チームというからには
それが単純な個人の総和以上の存在であるべき。
単なる個人の総和しかないのであれば
それはチームとはいえない。

卒業していった上級生の学年も
なかなかまとまれなかったが
上級生がクラブの卒業を意識するにつれて
本当の意味で「チーム」に近づいていった。



もしかしたら、個人の総和でしかなかった集団が
「チーム」になれたとしたら
それはある意味試合での勝利以上のものがあるのかもしれない。

何が本当の意味での勝利なのか?

難しい問題だし、答はないのかもしれない。

でも、選手一人ひとりが繋がろうとし、
実際につながれたのであれば
それは勝利と呼ぶにふさわしいのではないのだろうか?

もちろん、試合での結果としての勝利は
全員を繋いでいく力がある。
反対に負けてバラバラになることも少なくない。

それでも、まずは繋がることを意識すべきだし、
全員が繋がろうとするからこそ、
試合の結果としても出てくるはず。



上級生はクラブを卒業してしまったが、
下級生と中学3年生で
高2の選手達が残していってくれたものを大事にしていきたい。

上級生が「チーム」とは何か?と悩んだ日々、もがいた日々を
忘れないためにも「チームであること」にこだわり続けたい。