アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

心理学・仏教・コーチング、それぞれの深い森

2006年09月01日 12時17分20秒 | コーチングの謎
今年の夏は、サッカーの指導上の参考になればと思い、
心理療法の本をかなり読んだ。



もともと、乱読・積ん読・走り読みの方なので
どこまで心理療法のことが知りえたか、
ということについては自信がない。



また、現実的にも1カ月位の読書で
心理療法の本質すら垣間見ることができていない気がする。



でも、個人的にはとても興味深い本が多く、
自分なりに、コーチングの参考になる部分はとても多かった。



特に、河合隼雄氏(心理学者・臨床心理士・文化庁長官)の著作は
個人的にすごく興味をもって
読み進めることができた。



心理学の本もそれなりに読んだが、
心理学及び心理療法の世界はとても複雑で
いろいろな議論や考えが錯綜している、
という印象をもった。
フロイト、ユング、A・エリスにC・ロジャース、etc。



玄侑宗久氏(僧侶・小説家)の仏教や禅に関する著作を
読んだ時にも感じたが
仏教の世界も議論が錯綜して
1つの理論や考え方が『絶対』ということはまったくない。
浄土宗に浄土真宗、真言宗・臨済宗・曹洞宗に日蓮宗。



ただ、心理学も仏教も、
その道を信じる人達が
いろいろな考えや解釈をされている。



その中には、
心に深く刺さったり、
染み入ってくるフレーズも少なくない。



漠然と何かコーチングに参考になればと思い、
読み始めた心理療法や心理学、仏教の本も
今思えば、何か意味があった気もする。



コーチング及び指導の世界も
指導者一人一人が
自分の信念や知識・経験や直感に従いながら
毎日現場に立っている。



共有できる一定の知識や信念はあるかもしれないが
選手の前では揺らぐことなく一つの主張を貫く。
チームを勝たせるため、選手をのばすために。



僧侶が信者を
精神的に救いたいのと同じように、
臨床心理士が患者を
精神的な部分で治療したいのと同じように。



自分の信じるもので、
目の前の大切な人に
何かできればと信じて、
心理療法士も、僧侶も、コーチも
その場所にいるのだと思う。



しかし、自分は悟りはないし、信仰すらない。
臨床心理士のような技術や知識・経験もない。



コーチとしての自分は
選手をどこまでレベルアップできるか?
チームをどこまで勝つチームにすることができるか?
正直、自信はないし、実績もない。



しかし、選手のそばに寄り添っていることはできる。
本気で彼らと接することはできる。



もちろん、自分自身、
指導者としてのコーチングスキルを上げていく努力は
指導者でいる限り、継続していかなくてはならない。



ただ、今できることを最大限にしていきたい。
背伸びせず、等身大のコーチングで、
選手に接していきたい、と思っている。



僧侶が悩める人に、道を示す。
また、臨床心理士が
自分のスキルや五感、知識や経験をフル動員しながら
クライアントである患者を治癒していこうとする。



コーチも僧侶も臨床心理士も本質的には
あまり変わりがないのではないか。



人間という“深い森”が対象である以上、
正解なんてないのかもしれない。



答はあるのかもしれないし、
ないのかもしれない。



もしかしたら、
見えないだけで、
近くに答はあったのかもしれない。



答を探し続けることが
実は“答”なのかもしれない。



みんな手探りで毎日、
何かを求め、
何かを探している。



今までの自分もそうだった気がする。


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