アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

陰日向に咲く

2013年12月09日 03時31分30秒 | 人として
数年前に上映された「陰日向に咲く」という映画は
好きな映画のひとつ。

陽のあたらない人々を主人公にした佳作だった。

話題作ではなかったかもしれないが、
何か心に残る映画だった。



自分が今まで指導してきたチームは
全国という舞台とは無縁のチームだった。

東京という範囲においても
西が丘という桧舞台に上がることのない
陽のあたらないチームだった。

そういう陽のあたらないチームを
指導していた自分も陽のあたらない無名の指導者。



でも、誰かにみとめられようとも思わない。

誰かに評価されるためにサッカーにかかわっているわけではない。

自分の信念と哲学の下、
選手とサッカーと向き合い続けてきた。

桧舞台に上がることができなかったとしても
後悔はまったくない。

悩みつづけ、もがき続けた日々に
嘘はない。

むしろ、日陰で選手たちともがいてきた時間こそ、
自分の勲章。



今まで一緒にやってきた選手たちは今いる場所が
陰だろうともがき続けようとしてくれた。

彼らは日陰で懸命にサッカーと向き合おうとしていた。

そして仲間と、自分自身と向き合おうとしていた。

そのような彼らの頑張りに刺激を受け続けたからこそ、
自分も指導を続けてこられたのかもしれない。

自分のいる場所で懸命にもがいてきた選手たちとの時間は
指導者としての自分にとってかけがえのない時間。

彼らは日陰でも本当に輝いていた。

彼らとの時間を誇りに思う。

これから、彼らは社会に出て、
陽のあたる道を歩き続ける。

そんな彼らを陰ながら応援したい。



できることなら、日陰でもがいた時間を忘れないでほしい。

そのような苦しい時間は
絶対に一人ひとりの財産になるはず。

その経験を忘れなければ、
道に迷うことはあっても、
道を間違えることは絶対にない。

そのためにも、一緒に頑張った仲間のことは
絶対に忘れないでほしい。

彼らの友情がこれからも続いていってほしい。

日陰だったかもしれない。
苦しかったかもしれない。

でも、だからこそ、
輝いた。

その時間こそが
日向に出たときに活きてくるはず。

悩みもがいた時間こそが
人を成長させる。

これからの彼らの人生に幸運のあらんことを。

遠くから祈りたい。


4 コメント

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疑問 (17)
2013-12-13 22:59:04
ブログを拝見させて頂いている者です。

このブログを読んでいるうちに、どうしても気になったことが数点ありましたので、恐縮ですが返答を頂ければ嬉しいです。

まず、戦術面なのですが、記事の多くにプロと比較しそれを導入したい、といったものが多く見受けられるように感じました。
ですが、図抜けた選手が居ない、或いは平均的なレベルが低いチームにそれを当てはめるのは得策なのでしょうか?
どうしてもパスが上手く出来ない、ガタイが小さい、そういった癖のある選手に1つでもストロングポイントを作って、場面ごとに活かす。
戦術ありきではなくて手札から戦術を作る、そういった見方も欠かせないのではないのかという気がします。

次に「個の力」と「戦術面」なのですが、いくら「戦術面」を磨いたところで「個の力」が弱ければ強豪には勝てないのではないでしょうか。
「チームとしての練習」は確かに大切ですが、試合中には必ず1対1の局面が生まれます。それも試合を決定付ける場面の前に。
それを取れるかどうかで勝敗が決するといっても過言ではないのに、「個の力が弱いから戦術を考える」は結局逃げているのと同じなのではないでしょうか。

最後に、これは価値観の違いが大きいのかもしれませんが、どうしても自己満足で指導をしているという印象が抜けません。或いは自己陶酔と言うのでしょうか。
負けて、でもそれから学んだこともあった。というのも嘘では無いと思います。
ですが、それでも、勝てなかったという事実からは目を背けるべきではないと思っています。
勝てたらもっと学べた、もっと長い時間サッカーができた、たらればを言っても仕方ないのでしょうけど、負けた後に綺麗な言葉で飾ってしまうのは、どうしても寂しい気がするのです。


長文失礼しました。気に障る部分がありましたら、申し訳ありません。
17さん、コメントありがとうございます (バカボンのおやじ)
2013-12-16 01:46:27
まず、自分のブログを見ていただいて、その上コメントまで頂いて、本当にありがとうございます。

それから、「気に障る部分がありましたら・・」とありますが、全くそんなことはないですよ。自分なりの信念やこだわりをもって指導していれば、批判されるのはむしろ当然だと思っています。その指導者を否定的に考えている方から見れば、そのこだわりも信念も鼻につくのはごく自然なことだと思います。むしろ、批判されるようなこだわりや信念のないことの方が少し寂しい気がします。
実際、批判されない指導者なんて世界中どこ探してもいませんし、批判されて当然なのが、指導者だと考えています。本当に気にしないでくださいね。

17さんも指導の現場に立たれている方なのでしょうか?コメントの内容から推測するにそう感じますが、もし違ったらすいません。

信念やこだわりをもって指導しているつもりでも、実際その指導が気がつかないうちに自分のこだわりや信念からズレてきてしまっているというのはよくあることです。実際の自分の指導をきちんと客観的に認識できているか、といえば怪しい指導者は少なくないのではと常々感じています。少なくとも私は自分の指導を疑うようにはしていました。だからこそ私は指導記録をつけてはいましたが、でも指導記録をつけているからといって、自分の指導を常に客観的に認識し、自分の信念やこだわりに沿った方向で修正できていたとは限りません。もしかしたら、自分でも気がつかないうちに、17さんの仰るような「自己満足」「自己陶酔」に陥ってしまっていたのかもしれません。

ブログに書けること、書いてはいけないこと、書きたくないことはあるとは思いますが、自分も含めて、どんな指導者でも「組織と個の両立」は考えているはずですし、私も例外ではありません。あとは指導者ごとのバランスのとり方の問題なのではないのでしょうか。
私の表現の稚拙さの問題もあるとは思いますが、実際、私のブログを見て、17さんが「組織重視しすぎ」「個の育成軽視」「勝ちにこだわれない指導者」「選手の気持ちを考えない自己満足で自分の指導に酔っていた勘違いの指導者」と感じたのであれば、私自身の認識以上に、実際の指導をそっちの方に傾いてしまっていたのかもしれません。確かに、私の指導は戦術重視だったことは否めませんし、個の育成よりもチーム空気や雰囲気を重視し過ぎていたのかもしれません。

おそらく、17さんは「一見遠回りのように見えるけど、個を育てる方が結果的にチームを勝つ方向に持っていけるし、チームの勝利と個人の成長という両立できる」という考えなのだと思います。
自分の尊敬する指導者の方の中でも、17さんのような考えを持たれている方もいらっしゃいましすし、そのお考えはとても素敵な考えですし、尊敬に値するお考えだと思います。

確かに、「もっと個を伸ばすべきでは?」と聞かれれば、私自身、選手一人ひとりを伸ばしきれなかったような気がします。そのうえ、結果も出ないでは、私自身、クビにされても仕方のない指導者だったのだと思います。
今後、選手を指導する機会があるかどうかはわかりませんが、もしグランドに立つ機会があれば、17さんからの指摘を忘れずに「勝つこと」「個を育てること」「チームがまとまること」この3つを高い次元で両立できるように頑張りたいと思います。

貴重な提言ありがとうございました。
もしよろしければ、またいいアドバイスをお願いします。
17さんのチームの活躍を陰ながら応援しています。
本当にありがとうございました。
まとまらない文章で申し訳ありません。
失礼します。
返答 (17)
2013-12-16 09:29:06
バカボンのおやじさん、返答ありがとうございます。
遠慮無く、率直に書かせて頂きます。

まず、「個」と「組織戦術」のバランスに関してです。
これは僕の表現が至らなかったところなのですが、決して「個の力」>「組織戦術」のみだとは考えていません。
それはやはりチームとして完成度の高い方が、ポゼッションだったり、パスワークだったりと試合をコントロールできるからです。

一方で、例えば全員が30の力を備えたチームがあったとします。
そのチームが組織戦術を確立させたら、恐らくチームの力はいわゆる個の力の「足し算」的にではなく、「掛け算」的に強くなると思います。
ですが、そのチームは全員が100の力を備えた、組織戦術の確立されたチームには勝ち得ません。
だから、「個の力」は、「組織戦術」に力を入れる入れないに関わらず、必要不可欠な分野だと考えます。

「個の力」を育成した上で、格上相手に番狂わせを起こす、格下相手に盤石の試合展開をする。
こうした時に必要なのが「組織戦術」なのではないでしょうか。

例えば中東のサッカーがあります。
中東のチームと日本が戦った時、個の力があるのは間違いなく日本でしょう。
それでも中東チームが勝つことがあるのは、「堅守速攻」という確立されたスタイルがあるからです。

「堅守速攻」は、勿論最低限の能力は必要ですが、図抜けたゲームメーカーが居なくても成立する戦術だと考えます。
これはきっとそういうチーム事情から、最善策として編み出されたものなのかな、と勝手に推測しています。
その中東のチームに、日本と同じようなパスサッカーを突然要求したらどうでしょう。
恐らくは対応できない、あるいは適応するのに数年要するのでは無いかと思います。
だから高校サッカーという「短い」期間に、戦術を優先して選手に当てはめるのは厳しく、選手を見て戦術を練る方が適切なのではないでしょうか。

それと、「戦術」を重視するのであれば、「指導者のサッカーに対する知識を増やす」というのは欠かせないと思います。
指導者ライセンスをD級ではなくC、B・・・と上げていくことを目標としながら様々な戦術知識を得ていく、というのも1つの策だと思っています。

以上です。失礼致します。

17さん、度々のコメントありがとうございます (バカボンのおやじ)
2013-12-30 05:52:13
コメントのアップと返信が遅くなってしまって申し訳ありません。

指導者ライセンスについてはC級のまま、もう10年以上が経ち、その間、リフレッシュ講習は何回か受けましたが、B級へのチャレンジは、協会の推薦等が必要なこともあり諦めていた部分も正直ありました。でも、細い道ですが、その細い道を探してみたいと思います。

貴重な御提言ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
失礼します。

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