12月29日、年内最後の練習を学校にて行った。
練習前に部室の掃除を練習に参加した全員で行った。
部室の掃除はかなりの年数していなかったらしく、
埃や土が部屋の中に少なからずあった。
使われていない備品も多かった。
部室の大掃除の後、校庭のゴミ拾いもしたかったが
時間がなかったので新年の練習で行いたいと考えている。
自分が今のチームに来てから、
約15ヶ月が経った。
自分が来る前は顧問の先生とトレーナーの方々が一緒になって、
中高合わせて約200人の選手達を指導していた。
正直、目が届く範囲を超えていたと思う。
顧問の先生も最低限の事、
純粋にサッカーの部分的なことしか指導できない、
規律や挨拶等は指導できない、
と言っていた。
ただ、自分が今のチームに来て
高校生を任せられた以上、
責任をもって選手を指導しなければならない。
特に、規律や挨拶もしくはコミュニケーションといった部分については
徹底的に指導したいと思っていた。
高校生が何人だろうと徹底しようと思っていた。
個人的には、
選手を成長させたい、チームを勝たせたい、
そのために、技術練習や戦術練習をするべき。
そう考えていた。
しかし、練習を見た初日に考えが変わった。
考えが変わったというよりも
すべきことの優先順位がはっきりした。
技術や戦術練習の前に
挨拶をはじめとするコミュニケーション、
チームをまとめるための規律、
人を思いやる気持ちといった人として大切なことを
伝えるべきではないか、
そう思った。
人によっては
軍隊みたいな挨拶や規律が必要あるのか?
そう言う人もいるのかもしれない。
現にそういう挨拶をしているチームがあるのも事実。
ただ、大きな声で挨拶をさせることが
“軍隊”と評価されることは
反対に違和感を感じざるを得ない。
サッカーでは105m×65mのグランドの中で
お互いにコミュニケーションを取ることが求められる。
伝わらなければコミュニケーションではない。
伝えようとすれば、
必然的に声は大きくなる。
挨拶もコミュニケーションである以上、
大きな声の方がいい。
これからも、
大きな声で挨拶すること、
大きな声でコミュニケーションをとることにこだわりたい。
同様に、チーム内のルールを守る、
無断欠席をしない、無断で遅刻はしない、
といった基本的なルールを守ることも徹底していきたい。
加えて、道具を大切にする、自分達でグランドをきれいにする、
といった部分も意識していきたい。
こう書いてくると
「挨拶や規律、道具を大切にするといったことが何になるの?」
「そんなことやって選手がうまくなるの?」
「選手はボールを触ることでこそ上手くなるんじゃないの?」
という批判を時にされてしまう。
特に、勝てない時はそう言われても仕方ないのかもしれない。
確かに、戦術練習や技術練習、ゲームやフィジカル練習といった
練習なしに試合に勝てるとは思わない。
でも、戦術や技術練習だけでも勝てるとも思わないし、
選手が成長するとも思わない。
実際、戦術練習や技術練習は
人間の身体に必要な“栄養素”だと思う。
ただ、“栄養素”だけで人間は選手は成長する訳ではない。
人間が生きていくためには“いい空気”が必要。
悪い“空気”の中で“栄養素”を摂っても
身体も心も成長しない。
練習における挨拶・コミュニケーション、規律、緊張感、集中力、
といったものこそが“いい空気”だと信じている。
道具を大切にする気持ちは
ボールを大切にする気持ちや
人の気持ちを思いやる部分に通じていくはず。
汚いグランドで練習するよりも、
きれいなグランドで練習する方が絶対に上手くなるはず。
そう信じている。
「それこそ非論理的だろ」
「なんの根拠もないだろ」
そう言われれば、返す言葉はない。
実際に、50メートルのキックは練習でしか身につかない。
ヘディングもそう。
自己矛盾かもしれないが、
今、チームでは試合毎にデータを採取している。
[誰から誰にパスが通ったのか?]
[誰がどこで相手からボールを奪ったのか?]
[誰がシュートを打ったのか?]
データを取るのは選手の狙いや気持ちは
プレーに現れるべき、
そう考えているからこそ。
それでも、目に見えないものを信じられない。
そういう理由で、データを取っているわけではない。
目に見えないものの価値を否定している訳ではない。
“空気”も“選手の内面”も目には見えない。
“挨拶”や“規律”、
“緊張感”や“道具を大切にする気持ち”
“人を思いやる気持ち”は、見えようがない。
ましてや、
それらが選手の内面にどのような影響を及ぼしているか等
知りようもない。
でも、今まで自分が生きてきた中で
大切だと信じてきた価値観にこだわりたい。
日本人が大切にしてきた価値観にこだわりたい。
日本人がこだわってきた価値観が“いい空気”だと信じたい。
もしかしたら、自分の価値観こそが“悪い空気”なのかもしれない。
自分こそが“澱んだ空気”なのかもしれない。
でも、まずは自分が信じる価値観を選手に投げかけたい。
選手から逃げずに、自分が信じる“いい空気”を作り続けたい。
選手達に“空気”を投げかけることで
反対に、選手からよりよい“空気”が来るかもしれない。
お互いによる、
いい“空気の流れ”の中でこそ、選手も指導者も成長できるはず。
また、1月4日の練習から“いい空気”の下で
新しい目標に向かって練習していきたい。
練習前に部室の掃除を練習に参加した全員で行った。
部室の掃除はかなりの年数していなかったらしく、
埃や土が部屋の中に少なからずあった。
使われていない備品も多かった。
部室の大掃除の後、校庭のゴミ拾いもしたかったが
時間がなかったので新年の練習で行いたいと考えている。
自分が今のチームに来てから、
約15ヶ月が経った。
自分が来る前は顧問の先生とトレーナーの方々が一緒になって、
中高合わせて約200人の選手達を指導していた。
正直、目が届く範囲を超えていたと思う。
顧問の先生も最低限の事、
純粋にサッカーの部分的なことしか指導できない、
規律や挨拶等は指導できない、
と言っていた。
ただ、自分が今のチームに来て
高校生を任せられた以上、
責任をもって選手を指導しなければならない。
特に、規律や挨拶もしくはコミュニケーションといった部分については
徹底的に指導したいと思っていた。
高校生が何人だろうと徹底しようと思っていた。
個人的には、
選手を成長させたい、チームを勝たせたい、
そのために、技術練習や戦術練習をするべき。
そう考えていた。
しかし、練習を見た初日に考えが変わった。
考えが変わったというよりも
すべきことの優先順位がはっきりした。
技術や戦術練習の前に
挨拶をはじめとするコミュニケーション、
チームをまとめるための規律、
人を思いやる気持ちといった人として大切なことを
伝えるべきではないか、
そう思った。
人によっては
軍隊みたいな挨拶や規律が必要あるのか?
そう言う人もいるのかもしれない。
現にそういう挨拶をしているチームがあるのも事実。
ただ、大きな声で挨拶をさせることが
“軍隊”と評価されることは
反対に違和感を感じざるを得ない。
サッカーでは105m×65mのグランドの中で
お互いにコミュニケーションを取ることが求められる。
伝わらなければコミュニケーションではない。
伝えようとすれば、
必然的に声は大きくなる。
挨拶もコミュニケーションである以上、
大きな声の方がいい。
これからも、
大きな声で挨拶すること、
大きな声でコミュニケーションをとることにこだわりたい。
同様に、チーム内のルールを守る、
無断欠席をしない、無断で遅刻はしない、
といった基本的なルールを守ることも徹底していきたい。
加えて、道具を大切にする、自分達でグランドをきれいにする、
といった部分も意識していきたい。
こう書いてくると
「挨拶や規律、道具を大切にするといったことが何になるの?」
「そんなことやって選手がうまくなるの?」
「選手はボールを触ることでこそ上手くなるんじゃないの?」
という批判を時にされてしまう。
特に、勝てない時はそう言われても仕方ないのかもしれない。
確かに、戦術練習や技術練習、ゲームやフィジカル練習といった
練習なしに試合に勝てるとは思わない。
でも、戦術や技術練習だけでも勝てるとも思わないし、
選手が成長するとも思わない。
実際、戦術練習や技術練習は
人間の身体に必要な“栄養素”だと思う。
ただ、“栄養素”だけで人間は選手は成長する訳ではない。
人間が生きていくためには“いい空気”が必要。
悪い“空気”の中で“栄養素”を摂っても
身体も心も成長しない。
練習における挨拶・コミュニケーション、規律、緊張感、集中力、
といったものこそが“いい空気”だと信じている。
道具を大切にする気持ちは
ボールを大切にする気持ちや
人の気持ちを思いやる部分に通じていくはず。
汚いグランドで練習するよりも、
きれいなグランドで練習する方が絶対に上手くなるはず。
そう信じている。
「それこそ非論理的だろ」
「なんの根拠もないだろ」
そう言われれば、返す言葉はない。
実際に、50メートルのキックは練習でしか身につかない。
ヘディングもそう。
自己矛盾かもしれないが、
今、チームでは試合毎にデータを採取している。
[誰から誰にパスが通ったのか?]
[誰がどこで相手からボールを奪ったのか?]
[誰がシュートを打ったのか?]
データを取るのは選手の狙いや気持ちは
プレーに現れるべき、
そう考えているからこそ。
それでも、目に見えないものを信じられない。
そういう理由で、データを取っているわけではない。
目に見えないものの価値を否定している訳ではない。
“空気”も“選手の内面”も目には見えない。
“挨拶”や“規律”、
“緊張感”や“道具を大切にする気持ち”
“人を思いやる気持ち”は、見えようがない。
ましてや、
それらが選手の内面にどのような影響を及ぼしているか等
知りようもない。
でも、今まで自分が生きてきた中で
大切だと信じてきた価値観にこだわりたい。
日本人が大切にしてきた価値観にこだわりたい。
日本人がこだわってきた価値観が“いい空気”だと信じたい。
もしかしたら、自分の価値観こそが“悪い空気”なのかもしれない。
自分こそが“澱んだ空気”なのかもしれない。
でも、まずは自分が信じる価値観を選手に投げかけたい。
選手から逃げずに、自分が信じる“いい空気”を作り続けたい。
選手達に“空気”を投げかけることで
反対に、選手からよりよい“空気”が来るかもしれない。
お互いによる、
いい“空気の流れ”の中でこそ、選手も指導者も成長できるはず。
また、1月4日の練習から“いい空気”の下で
新しい目標に向かって練習していきたい。