アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

成長するために必要なのは何か?

2009年01月31日 12時57分35秒 | メンタルの謎
最近、
上級生のFWの選手達のサッカーノートの質が
少しずつ上がってきている。



ノートから、その選手の悩みが伝わってくる。



ノートから悩みが伝わってくる時は
プレーの質が変わり始めるサイン。



どんなレベルの選手でも、
悩みの見えない選手は成長し続けているとは言えない。



悩むからこそ、成長する。



自分なりのイメージが出来つつも、
自分のプレーを客観視することできる選手こそ、
その2つのギャップに悩んでしまう。



でも、それでいい。



悩むからこそ、
そのギャップを必死で埋めようとする過程で、
選手は成長する。



『もっとこういうプレーができたら・・・』
『こういうプレーがしたい・・・』
『ゴールを決めたい・・・』



自分の内なる欲求や
心の叫びに似た衝動が強ければ強いほど、
悩むことになる。



その悩みを無くすことはできないが、
練習によって、
その悩みを小さくすることはできる。



でも、ある悩みを小さくすることは
時として、別の悩みを生み出すことになる。



『もっと、こういうプレーもしたい』
『こういうプレーもできるのではないか?』
サッカーを好きでやっている限りは
悩みは常に存在し、
無くなることはない。



悩みと成長はコインの裏表。
悩みの存在は、
同時に成長の可能性の存在。



練習するのは、
悩みから逃げるためではない。



悩みながら練習を重ねることで
自分の成長を実感できる。
そのために、練習する。



できることなら、
悩みを持ちながら練習しつつも、
瞬間瞬間を楽しめればいい。
プレーを、ゲームを楽しめればいい。



理想や悩みと上手く付き合いながら、
その日の練習や試合、
相手との駆け引き、
味方とのコンビネーション、
ボールとの関係を楽しめればいい。



アマチュアに引退はない。
プレーに完成はない。



だからこそ、
悩みは常に存在するものだが、
それは、常に成長できる可能性がある、ということ。



何時からでも、何歳からでも、
成長することはできる。



FWというポジションで勝負したい、
と選手が思うのであれば、
FWとして求められる役割の中で、
自分なりの答の出し方を
いかにすることが出来るか?



誰かの真似でなくていい。
自分の武器で、
自分の感性で、
勝負すればいい。



自分なりの色の付け方でいい。
自分なりの意味付けでいい。
自分なりの解釈でいい。



特に、
シュートやゴールに関しては
タブーはない。
やってはいけないことなんてない。



最後は自分自身の感性を信じればいい。
自分の感覚だけを頼りにすればいい。



フィニッシュに至る過程で
自分自身の感性を信じるためにも、
どんなに悩んでも、
選手達には自分自身の可能性を信じていてほしい。



また、
シュートの瞬間に自分自身の感覚を信じるためにも、
常に試合でのシュートをイメージしながら
練習を重ねてほしい。



自分も監督として
選手の悩みも失敗も受け止めながら、
選手が自らの可能性を信じられるような言葉を
掛けていきたい。

frontier spirit

2009年01月28日 12時13分32秒 | 人として
先日、練習試合の後、
自分とチームのトレーナー、都立北園高のサッカー部の先生、
そして、以前のチームで一緒に仕事をしていて
今は東京ヤクルトスワローズで2軍のトレーナーをしている方の
4人で食事をしながら、いろいろとお話をさせていただいた。



北園高の先生の
岩のような揺ぎ無い信念で指導に当たられている話、
プロという厳しい世界で戦っているトレーナーの方の話など
熱い話が聞けて、
とても楽しい時間だった。
あっという間に4時間近くが過ぎていた。



それぞれに次の日の仕事もあったので、
名残惜しい気持ちながらも、
お互いの場所、それぞれの道で頑張ることを確認して
その場は御開き、となった。



熱い気持ちを持った人達との話は
自分の中の何か忘れていたものを
思い出させてくれる。



指導において何が一番大切なのか?
この日の居酒屋で再確認できた気がしている。



新年早々に
大学時代のサッカーの友人達と集まった時にも
同じような話になった。



その後も、
その友人の一人とその時の話題について
メールで議論の続きを行っている。



練習試合の後の居酒屋における熱い話し合い、
新年会も兼ねた大学時代の友人とのサッカートーク。
メンバーも話題も全く異なるが、
両方に共通しているテーマは同じだった。



「人を動かすのは、人の情熱だけではないか・・・」



その本人が内なる情熱に突き動かされるのはもちろん、
周囲の人間も、その熱さに触発されて、
気がついたら自分の中にも熱い気持ちが生まれていた・・・
というのはよくあること。



そのうちに、
お互いがお互いの熱さにされに触発され、
もっともっと熱くなっていく。



居酒屋トークでは
愚痴や皮肉といったものは一切なかった。
大学時代の友人との新年会もそうだった。



そこにいた人達は
それぞれが熱さを持ち、
何かを感じ、
何かを変えていこう
という気概を持っていた。



北園高の先生は
静かだけれでも熱い、まるで赤々とした炭火のような情熱で
チームを変えようとしていた。

スワローズのトレーナーの方は
所属のトレーナーの方々と一緒に
<トレーニングとケアを統合する>ような
新しい枠組みを作ることに挑戦していた。

チームのトレーナーの方も
選手達をこうしていきたい、
という信念をもっていた。

大学の友人の一人は
危機感をもって
日本サッカーはこうしていくべきではないか、
と話していた。

もう一人の友人は
埼玉で小学生を指導しているが
小学生の指導ではもっとこうしていきたい、
と話していた。



皆、自分の中の何かに突き動かされて
挑戦し続けていた。



金銭のためだけでなく、
もっと深い、内なる動機に突き動かされて
前へ前へと進もうと
もがいていた。



あたかも、開拓者精神をもった人々のように。



指導に正解なんてない。
目の前の選手達がどうすれば成長できるのか?
どうすればチームが強くなるのか?
誰も教えてくれない。



『サッカーなんてのは教えるものではない』
という意見もある位、
サッカーにおける指導・コーチング自体、
あたかも
「〝誰もいない場所〟〝道なき道〟を進んでいく」
ようなもの。



高村光太郎も
『道程』という著作の中で

『僕の前に道はない
 僕の後に道は出来る』

と語り、
生き続けること、困難に挑戦し続けることにおける
気概を表現した。



【frontier spirit】



ありふれた言葉かもしれないが、
いま一度、
その言葉の意味を噛み締めたい。



居酒屋で御一緒させていただいた方々、
新年会であった旧友達。
彼らも自分の場所で、
自分なりの【frotier spirit】をもって、
前に進もうとしていた。



自分も
熱い気持ちをもって、
前に進みたい。



チームで掲げた都大会ベスト16という目標は
簡単ではないし、
都大会に出ていないチームが掲げる目標としては
ある意味、無謀といえるかもしれない。



それでも
チームで決めた目標なら、
なんとか成し遂げたい。



日々の練習でも、
少しでも目標に近づきたい。



気概と勇気をもって、
グランドに立ち続けたい。



スタッフは全員、
仕事を持ちながら、
グランドに立っていて、
時間的にも経済的にも
本当にギリギリのところで
指導に携わっている。



今の時代、
グランドの外では
厳しいことは少なくないが、

「諦めずに、気概と勇気をもって、
 困難に挑戦することが大切なんだ」

ということを忘れずにいたい。



自分も含めたスタッフの行動で
「〝目の前の困難〟に対してどう立ち向かうか」
ということを選手達に伝えたい。



「愚痴をいうのではなく、
 我慢や忍耐など精神的な強さを持ちながら、
 一歩でも前に進もうとする気持ちが大切なんだ」
ということを行動で伝えれば、と思う。



同時に、
スタッフから選手に伝えるだけでなく、
選手の頑張りに刺激を受け、
選手の情熱からも学びたい。



選手とスタッフが
お互いに熱い気持ちを持ち、
チーム全体で、
一歩ずつ、1ミリずつでも、
前に進んでいければ、
と思う。



今のチームの挑戦が終わる頃、
お互いの気持ちの中に
何かが残るような挑戦を続けたい。



日々、挑戦を続けるために
最も必要なのは
熱い気持ち。



どんなに不器用でも、
どんなに失敗しても、
諦めない強さ、
挑み続ける強さこそが
壁を打ち破る原動力。



どんなに下手でも、
身体能力が低くてもいい。
お互いに助け合いながら、
声を掛け合いながら、
熱い気持ちでプレーしていけるチームに
なっていきたい。

試合に優劣があるのか・・・?

2009年01月26日 14時14分34秒 | サッカーの謎
新チームになってから、
チームの人数は40人を越えるようになった。
練習試合に行っても、
1試合フルで出場する選手は多くはない。



もちろん、
全ての選手が同じ時間出場できるようにできればとは思うし、
可能なら全ての選手に1試合70分のゲームは経験させたい。



ただ、
相手チームの人数やグランド使用可能時間の関係もあり、
なかなか理想的なスケジュールでまわすことはできてはいない。
ほとんどの選手は30分だけとか、
少ない場合には30分以下の場合もある。



昨日も練習試合をさせていただいたが、
お伺いした学校の先生の御好意で
『3チームでどうですか?』
という提案をいただいた。



『そうすれば、選手の出場時間も増えるでしょう』
その気遣いが嬉しかった。



最後の方はグランドの関係もあって、
『B戦は20分で』ということだったが、
『人数を減らして、9人制にすれば、
 選手も沢山ボールを触れるし、
 運動量も確保できるでしょう』
という提案までしていただいた。
本当に有難かった。



そういった対戦チームの先生によるお気遣いがあったにもかかわらず、
選手達は長い時間の試合になることに対するストレスや
だらけた雰囲気をちらつかせていた。



試合をしていない時間は
トレーナーの方にトレーニングをお願いして、
自分は試合に出ている選手の様子を観察し、
時には外からコーチングしていた。



いわゆる2試合以降の試合に出ている選手達の様子が
いまいち集中しきれていなかったり、
コートの外でトレーニングしている選手達が
狙いをもって、試合に繋がる練習をしているとは
感じにくくなってきたので、
きつめの口調で選手達には自分の考えを伝えた。



「負けていい試合なんかない」
「消化試合なんかない」
「常に狙いをもって、気持ちを入れてプレーする」
「そうすれば、たとえ負けたとしても、何かが残る」
「今日の試合が次に繋がる」



サッカーは上手い選手だけのものではない。
技術的に優れている選手だけでチームが構成されているわけではない。
下手でもいい。
弱くてもいい。
常に狙いをもって、気持ちを入れて、プレーする。



できれば、
相手との駆け引きを楽しめるように。
ボールとの関係を楽しめるように。
味方との連携を楽しめるように。



サッカーの本質や楽しさは
一部の才能のある選手に与えられた特権ではない。
サッカーを選んだ全ての選手が手にし得るもの。



出場時間に長短はあるかもしれないが、
出場した試合で
選手達に何かが残るようにできればと思う。



昨日の練習試合でお世話になった
都立北園高の先生の心遣いに感謝したい。


新しい風

2009年01月19日 12時33分59秒 | 指導記録
昨年末で上級生がクラブを卒業し、
年明けの練習から
中学3年生がチームに合流してきた。



進学校なので勉強や学校行事との兼ね合いもあり、
高校で続ける選手は
そんなに多くないのでは?と考えていたが、
予想を上回る20名を越える選手が
高校サッカー部の方に参加の意思を表明してくれた。



実際に、4月になって高校の授業が始まったら、
『やっぱり勉強が・・』という考えを持つのかもしれないが、
それはそれでいいと思っている。
たとえ、短い期間だとしても、
高校サッカー部に在籍している間は
サッカーと真剣に向き合ってほしい。
そう思っている。



幸いにも、
中学3年生の選手達は
中学サッカー部とは勝手の違う中、
懸命に高校サッカーに馴染もうとしてくれている。



選手によっては、
最後まで続けられない選手も
居るかもしれないが、
期間の長短にかかわらず、
少しでも充実した高校サッカー部の活動にしてもらいたいと思う。



昨日、
新チームになって初めての練習試合があった。



全てのゲームで勝つ、ということはできなかったが、
中学3年生の選手は
多少なりとも高校サッカーの雰囲気を知ることができたと感じている。



それと同時に、
高1の選手達も
新しい学年がチームに合流したことで
また新たな刺激を受けているようだった。



高1の選手達は
『同じポジションの中3の選手には負けたくない』
という感情もあるだろうし、
『自分のポジションで何が自分の武器になるのか』
自分のプレーや長所を見つめ直すための
いい機会になるかもしれない。



中学3年生だけの選手で組んだ試合では
基本的なコミュニケーションが足りないために、
悪いボールの失い方も少なくなかった。



〝コミュニケーション〟については
時間をかけて言い続けてきたこともあって、
高1の選手達のレベルに、
まだまだ中3の選手達は届いていない、
という印象だった。



ただ、
印象に残るプレーも幾つかあり、
今後の可能性を感じることもできた。



新チームがどんな選手達で構成されるにしても
【チームの一体感】
【一人一人の責任感】
【コミュニケーション】
という部分は今まで通りに、
今後も継続してこだわっていきたい。



チームの目標とチームの現在位置には
まだまだ隔たりがある。



その隔たりを埋めていくために、
攻撃におけるチーム戦術の構築や
オフ・ザ・ボールや判断、基本技術における個人のレベルアップ、
相手に競り負けないフィジカルの強化に
取り組んでいきたいと考えている。



チームとしての練習の積み重ねと並行して、
学年にかかわらず、
選手間でお互いにいい刺激を与えられるような雰囲気は
保ち続けたい。



チームのプラスになるような適切な競争原理が
チームの目標達成のための起爆剤になればと思う。



同時に、
自分もサッカーの指導者として
選手達と共に成長していきたい。



松永章 中村俊輔 ジャンルカ・トト・富樫

2009年01月13日 11時18分43秒 | 技術の謎
1月12日は高校サッカー選手権の決勝があった。
チームの選手達もかなりの人数が見に行っていた。
見に行かなかった選手もいるので、
その選手達と決勝戦と同時刻に校庭で練習を行った。
この日の練習に参加したのはいつもの半分の人数。
人数の少ない分、普段できない練習をやろうと考えていた。



普段のシュート練習などでキックの質や精度について
改善の必要を感じていたので
この日はシュートの精度や
インステップキックによるミドルシュートを
徹底的に練習した。



千本、とまではいかないが、
この日の練習終了までに
一人200本位は蹴っただろうか・・。



本来、このような練習はチームとしてはできないし、
今のチームのように週3回しか練習できないチームでは
なおさら200本以上のキック練習を確保するのは厳しい。



でも、もし1日200本蹴ることを続けられたら、
3ヶ月でキックは劇的に変わる。
たぶん、1ヶ月続けるだけでも変わるはず。
この日の練習だけでも
多少なりとも良くなった選手は少なくない。



先日、古い友人達と食事をしながら話す機会があった。
その中で、友人の一人から
松永章氏の話を聞かせてもらった。



松永章さんは
日本リーグ時代に日立製作所に所属し、
得点王にもなったことのある選手。



松永さんは60歳近い今でも、
インステップキックで60メートルは飛ばす。



松永さんは
その練習もチームとしてではなく、
自主練としてキックの練習をしていたとのこと。



誰よりもキック練習をする、というのが
松永さんの考えだったらしい。



1日300本以上、蹴った日もあったのだろうか。
たしかに、それだけ練習すると
上手くなると思う。



自分なりのフォームも作れるだろうし、
力の入れ具合や、反対にどこは力を抜いたらいいのか、
ということも自分自身の感覚として理解できるはず。



また、毎日かなりのキックを蹴ることで
キックに必要な筋力も身に付く。



特に、長い距離のキックを練習することや
速いミドルシュートを蹴る練習を重ねることは
それ自体が適切な筋力トレーニングになる。



60メートルのインステップキックを蹴ろうとする時、
歯を食いしばって、力でボールを飛ばす・・、
という感覚はないはず。



インパクトの瞬間にだけ、
必要な力を入れて蹴っている、
という感覚だとは思う。



ただ、
自分の持っている筋力を効率的に使えるようになるためにも
回数をこなす必要がある。



別の友人は食事の席で
『野球の遠投にも意味があるように、
 サッカーでも遠距離のキック練習に意味があるのではないだろうか』
と話していたが、その通りだと思う。



キックはキックをすることでしか身に付かない。
長い距離のキックは長い距離を蹴り続けることでしか、
身に付かないはず。



野球については何も知らないし、
全くの素人だが、
野球のピッチャーが投げ込みをするのには
必ず意味があるはず。



ボールの精度で勝負するという点では
野球のピッチャーもサッカープレーヤーも変わりはない。



にもかかわらず、
野球ほど〝蹴り込みをした〟という話は聞かない。



サッカーにおいては
オスグットやシンスプリントについてはよく聞いたとしても、
蹴り過ぎによる危険性についてはなかなか聞かない。



もちろん、
野球やテニスのように、
ヒジや肩を壊すまでボールを打ったり、投げたりすることが
いいわけではない。



たぶん、
野球においては今でも
疲労や怪我をコントロールしながらも、
〝回数をこなす〟
という作業は続けられているのではないだろうか。



感覚の習得や必要な筋力の獲得のためにも
〝数をこなす〟ことは
絶対に必要だと思う。



サッカーでも、野球でも、
技術以外にも練習すべきこと、身に付けるべきことはあり、
練習の全てをキックの練習に費やすことはできない。
ただ、技術の習得には練習量が必要。
このジレンマをどう解消すべきか。
やはり、キックの練習は個人に委ねるべき・・
ということになるのだろうか。



欧州で活躍する中村俊輔選手もFKの練習も兼ねて、
自主練を積み重ねたという。



自主練を重ねられること自体、才能だと思うが、
中村俊輔選手にとってキックの自主練は
苦行ではなかったはず。



地道なキック練習を重ねることが
純粋に楽しかったからこそ、
自主練を続けることができたのではないだろうか。



ボールは丸いが、
アマチュアの選手にとって、
自分のイメージ通りに
ボールはなかなか動いてはくれない。



自分の思ったイメージでボールが飛ぶ・・・、
ゴールと同じぐらい気持ちがいい。
もし、イメージ通りのキックで
ゴールできたら最高の気分。



フィジカルのない中村選手がどれだけの練習をしたのか、
知る由もないが、たぶんかなりの練習をしたはず。



FKの練習などをする過程で
飛距離の出るキックも身に付けていったのではないだろうか。



自分のイメージ通りにボールを蹴りたい、
自分の納得するキックをしたい。



自分自身の欲求に従い、
地道な練習を積み重ねて、
チャンピオンズリーグでマンチェスターユナイテッド相手に
直接FKを決められるようにまでなった中村選手。



硬いボールをインステップキックで
足の甲に乗せる感覚で蹴ることで
自分もびっくりする位のキックができることがあるが、
このようなキックの時、
自分自身の感覚としては
ほとんどボールの硬さを感じていない。
むしろ、ボールを軟らかいものとすら感じる。



この感覚を
故ジャンルカ・トト・富樫氏は
『オッパイキック』と表現していた。



ボールの硬さを気持ちよく感じ、
自分のイメージ通りにボールが蹴れる。



富樫洋一氏が感じたのと同じ感覚を中村俊輔選手も感じている。



でも、常にその感覚を味わうためには
回数をこなすしかない。
地道な練習の先でしか、
その感覚は理解できない。



回数をこなさなくても、
偶然に『オッパイキック』のような感覚を味わえることもあるが、
続けてその感覚を味わえることはない。



同じような感覚を味わうためには、
練習を積み重ねるしかない。



「もう一回、あのキックを蹴りたい」
「あの感覚を忘れないようにしたい」
自分の中の衝動があったからこそ、
松永章さんや中村俊輔選手は
地道な自主練に臨んでいたのだろうか。



試合に勝つという観点からしても、
相手DFの前から打つミドルシュートを持っている選手は
ゴールが増えていくし、
FKで決められる選手はゴールが多いはず。



そういった選手がチームにいれば居るほど、
チームは勝てるようになる。



選手一人一人が自分のイメージ通りのキックができるように、
キックの楽しさがわかるように、
キックが一人一人にとっても、チームにとっても
武器になるように、
機会を見つけて、
また〝千本キック〟をやりたいと思う。



最後になりましたが、
ジャンルカ・トト・富樫氏こと、
富樫洋一氏の御遺徳を偲び、
哀悼の意を表します。

新しい旅の始まりに・・・

2009年01月02日 15時00分43秒 | 指導記録
年内最後の練習は
参加した選手全員で
ミーティングをして、
その後、ミニゲームを行って
終了した。



ミーティングは全員参加が大原則だとは思うが、
帰省などでかなりの人数が参加できていなかったので、
とりあえず参加した選手で意見を出し合い、
また全員参加した中で
今後の方向性を決められればと考えている。



ミーティングでは
まず目標設定と
そのためにやるべきことを洗い出し、
優先順位をつけていく、
という作業を中心に行った。



やらなければいけないことは
たくさんあるが、
ある程度絞り込みつつ、
いかに優先順位をつけていくか?
という視点は忘れないようにした。



また、
その過程で選手全員がある程度納得した上で
結論を出せるか?
という視点も重要になる。



先を見据えた上で
方向性を決めていくという作業は
簡単ではない。



チームの活動というのは
大きな船で荒れた海を航海するようなもの。



細かな舵取りはできたとしても、
軽自動車のように簡単にUターンしたり、
スィッチバックできるものではない。



少なくとも大きな方向性や骨太の方針を決め、
その方向に従って進んでいかないと
転覆や大事故に遭う可能性もある。



少なくとも、
決定した方向性が
チームの目標達成に近づいている、
という実感が持てるものでなければならない。



勝つ為に、何が必要なのか?
考えれば考えるほど、
あれもこれもしたくなるし、
足りない点ほどよく目についてしまう。



話し合った結果、
結局、どの方向に進んだら、
目的地に到着できるのか?
それすらわからなくなり、
とりあえず出発する・・・
ということも往々にしてある。



方向性が決まっても
それが自分達らしいスタイルであるのか?
ということも大きな問題。



チームによっては
目標達成よりもまず先に
自分達のスタイルは何なのか?
ということの確認作業から入ることもあると思う。



スタイルにこだわるあまり、
全く目標達成できなくなってしまう・・・
ということもあるかもしれないし、
反対に、
目標達成にこだわるからこそ、
自分達のスタイルにこだわる、
ということもある。



今は、
目標達成のために
どのようなスタイルが最も適切なのか。
そのような発想で方向性を決めたいと考えている。



まず、
どこを目指すのか?
を決めた上で、
今いる選手達であれば、
どのような船で航海すべきか?
どのような船を作るべきか?
ということを考えたいと思う。



「いかだ」でいいのか?
「ボート」?
「帆船」?
「クルーザー」?
・・・etc。



もちろん、
航路を修正することもありうるのと同様、
途中で、船体を強化したっていい。



今の船体では
最短距離の荒波を越えられないから、
少し遠回りでも
今ある船体が航海に耐えられるように
迂回しながら目標地を目指す、
という発想もある。



ただ、
時間的な制約は確実に存在する。
いつまでに目標地に着かなければならないのか?
という逆算の発想を忘れるべきではない。



チームという船に
乗っている選手達が、
その船から降りる時は確実にやってくる。



船を降りる時に
目的地に到着しているのか?
それとも・・・。



新チームになって、
航海を始めようとする今こそ、
目的地に到着できるような航行計画を
冷静に考えるべき。



もちろん、
どんな航行計画を立てても、
その計画通りに進むことはないかもしれない。



たぶん、
凪の海ばかりではない。
追い風ばかりではない。
向かい風も、嵐も、大時化の時もあるはず。



予定通りに進まないかもしれない航海の過程で
一人一人が
「船で旅をする」というのはどういうことなのか?
そもそも、何のために「旅」をするのか?
ということと向き合うことになる。



根本的な疑問を自分自身に問いかける中で
自分の弱さや強さや、
仲間のいることの意味を
深く知ることができるかもしれない。



たぶん、
これからの旅は簡単ではない。
寒くて、きつくて、苦しいことは間違いない。



ただ、
本当の船旅を違い、
いつでも船を降りることはできる。



選手達は旅をするために存在しているわけではない。
今の学校には大学進学という目標をもって、
入ってきた。
無理して、苦しい航海などする必要などないし、
むしろ航海などしない方が
大学進学のために勉強する時間は
確実に確保できるはず。



自分も、
身体のことを考えたら、
仕事をしながら、
家族と過ごす方が
よっぽど楽。



年齢を考えたら、
こんな苦しい航海などしない方がいいに決まっている。



でも、
何故か苦しい道をいつも選んでしまう。



苦しくて、辛いことの方が多いのは間違いないが、
サッカーという旅が
日々の生活に彩りを与えてくれる。



自分の無力さを痛感し、
辞めたくなる時も少なくない。



それでも、
旅の途中で
選手達が成長し、逞しくなるのを
目の当たりにすると
本当に嬉しくなる。



また、
目標達成できた時は
何事にも替え難い喜びがある。



もしかしたら、
選手達も同じかもしれない。



苦しいかもしれないが、
友達と一緒に同じ船に乗り、
航海を続ける過程で
助け合い、認め合える。



そして、
そのことが自分にとって意味があると
感じているのかもしれない。



新しいチームになって始める航海は
簡単なルートではない。
乗る船も豪華客船ではない。



小さい船でも、弱い船でもいい。
全員で助け合って、
悠々と進めればいい。



この旅の終わりがどんな結末になっているかは
誰にもわからないし、
最短航路やベストルートなど誰も教えてくれないが、
この航海に意味があると信じ、
目的地に辿り着けると信じ、
旅を始めたい。



手探りでも、
選手と一緒に
目的地に向かって進んでいきたい。



監督と選手、立場は違えど
同じ船で一緒に旅をする以上、
話し合い、助け合って、
航海していければと思う。



選手がいなければ、
船は進まない。
船頭がいなければ、
迷うこともある。



立場は違えど、
同じチームという同じ船に乗る以上、
話し合い、助け合えればと思う。
いい見本は見せられないかもしれないが、
経験でチームの力にはなれるとは思う。



もしかしたら、
事故や病気など何らか事情で
自分がこの船を突然降りなくてはならない時が来たとしても
後悔しないように
日々の航海や毎回の練習が
少しでも充実したものになるように、
旅を、サッカーを、ゲームを、
少しでも楽しめるように
していきたい。



受身でする旅はなく、
やらされるサッカーではなく、
毎回の練習を自分なりに楽しめるように、
この旅に、毎回の練習や試合に、
自分で意味を付けられるように、
自分の経験や考えを言葉にして、
選手達に伝えていきたい。



理想論かもしれないし、
ほとんどできないかもしれないが、
一緒に進んでいくこの航海が
少しでも充実したものになるように
目指すものがある有難さと、
成長を感じることの喜びと、
その日のプレーを楽しむことを
チームという船に乗る全員が
常に感じられるようにしていきたい。