アパッチ蹴球団-高校サッカー篇:project“N”- 

しばらく自分のサッカー観や指導を見つめなおしていきたいと思っています。

なぜ、フラット4なのか?

2008年09月24日 14時29分05秒 | 指導記録
DFの分類には幾つかの分類の仕方がある。
3バックか4バックか?
スイーパーもしくはリベロを置くか否か?



今、チームではスイーパーやリベロを置かない4バック、
元日本代表監督で現ジュビロ磐田監督のハンス・オフト氏が
好んで採用した4人の横並びラインディフェンス(フラット4)
に取り組んでいる。



なぜ、フラット4なのか?



以前、このブログでも書いたように
現在チームではプレッシングをチームの拠り所にしようと
練習を積み重ねてきている。



正直、まだまだ発展途上であるし、
完成には時間がかかりそうな現状ではあるが、
新人戦まではプレスの精度を高めていく方向で
継続して練習していきたいと思っている。



プレッシングにおいては
前線からの効果的なチェイシングと同時に
DFラインをいかに高く保つか、
という視点が極めて重要になってくる。



使えるスペースを可能な限り圧縮(プレス)し、
相手ボールホルダーへの寄せ(プレッシャー)を強めていく、
というのがプレスという攻撃的な守備戦術の大前提。



スイーパーやリベロを置くやり方よりも
ラインディフェンスの方がスペースを圧縮しやすい。



もちろん、リベロやスイーパーを置いても
その選手がDFラインの高さをコントロールすることは
可能だとは思う。



でも、組織で勝負せざるを得ないフラット4に
今は敢えて挑戦したい、と考えている。



現代において
子供達はどちらかといえば
自分の世界に閉じこもりがちな傾向がある。
人と一緒に何かをする、人と協力し合って何かを作り上げる、
そういった経験が不足しているように感じている。
それは今指導しているチームの選手達も例外ではない。



フラット4をベースにしたプレッシングは
DF4人の協力や中盤の選手との連動性がなければ
機能しない。



助け合わないと機能しない戦術やフォーメーションに
チャレンジすることが
今のチームの選手達にとって
意味のあることのはず・・・そう思っている。



フラット4はDFラインをどうコントロールしていくのか?
状況に応じたライン操作が求められる。



ボールが中央にあるときは
センターバックやGKがラインコントロールしやすいが
ボールがサイドにあるときには
逆サイドのサイドバックによるラインコントロールが合理的。



センターバックだけが喋るのではなく、
サイドバックも積極的にライン操作しないと
プレッシングのための高いラインは機能しない。



サイドバックも喋らざるを得ない状況が
フラット4には内在している。



11人やチーム全体が自分から行動し、
自分から積極的に喋る。
一人一人が積極的にコミュニケーションをとるべき、
というのが私自身が指導者として目指すべき方向性。



常に受身で何かをするのではなく、
自分から動き、発言することで状況が変わるはず。
また、自分から動くことで
状況は変わるし、結果的に試合に勝つこともできる。
何よりも、能動的に動くことで
試合に勝っても負けても自分自身が納得できる。



フラット4には自分達から動かざるを得ない状況が存在している。



また、綱渡りのような高いラインキープを意識することで
相手との駆け引きも意識できると考えている。



相手の目線やボールの持ち方、ポジショニングなどで
相手の狙いを予測し、
それを前提にどうすべきか、
ということを選手には考えてほしい、
そう思っている。



相手が裏を狙おうとしているならば、
その相手の狙いを感じて、
DFラインをスーッと下げるという判断もあるし、
FWがボールしか見ていないのを確認したのであれば、
反対にDFラインをスーッと上げる、
という判断もありえる。



DFラインの操作の大前提は
相手のボールの持ち方や味方のプレッシャーのかけ方を見た上での
条件反射的なライン操作にある。



しかし、状況に応じたライン操作だけでなく、
相手の狙いを感じ、相手の状況を把握した上で
敢えて状況に反したライン操作をすることもある。



例えば、カウンターを受けた状況で
裏を狙おうとする相手のFWを意識しながらも、
相手ボールホルダーがスピードアップしようとして、
ボールタッチが大きくなった瞬間に
DF全員で相手ボールホルダーに寄せていきながら、
相手の使えるスペースを圧縮し、
ボール奪取するというやり方もある。



先日のチャンピオンズリーグのマッチデイ1、
ディナモキエフ対アーセナルの試合においても
ディナモキエフのカウンターに対してアーセナルのDFが
高いラインキープから上記のような方法で
ディナモキエフのボールホルダーからボール奪取していた。



フラット4自体もDF間だけでなく、
中盤の選手との連携も必要になってくるので
簡単ではない。
さらに、フラット4を高い位置で保とうとするのは
かなりの練習が必要になる。



さらに、
相手との駆け引きをを意識した上でのライン操作は
高度なものになる。



しかし、
フラット4におけるライン操作によって
サッカーにおいて必要な駆け引きといった部分を意識するというか
意識せざるを得ないのであれば、
リスクはあってもラインディフェンス、フラット4にチャレンジしたい、
そう考えている。



チームの失点対策と同時に得点力不足解消ということで始めた
高いラインを意識したフラット4だったが、
状況に合わせた判断をすること、
その過程で
味方と助け合うこと、
相手と向き合い相手との駆け引きを意識すること、
こういったサッカーの本質的部分と
選手自身が向き合ってほしい、
そう思っている。



できることならば、
サッカーのエスプリを選手達が意識し、
試合や練習で表現できるようになってほしい。



攻撃では、技術やオフ・ザ・ボールの質が高くないと
そもそもヘッドアップできないので
相手との駆け引きといったことは意識しにくいが
まずは守備面からやっていければと考えている。



守備が単に身体を張るだけのものでなく、
判断をベースにした知的な作業であるということを
選手達には意識してほしい。
そうすれば、守備がもっともっと面白くなるはず。



また、守備の楽しさが攻撃面においても波及していってほしい。



狙いをもって、気持ちを入れて、プレーし、
同時に相手との駆け引きを楽しむのがサッカーであり、
ボールスポーツだと思っている。
相手との駆け引きがなければサッカーではない。
相手との駆け引きの存在しない対人スポーツは存在しない。



まだまだ、道は遠いが
選手達の成長を信じてフラット4のラインディフェンスの練習を
積み重ねていきたい。

負けて失うもの、負けて得られるもの

2008年09月16日 13時58分44秒 | 指導記録
昨日、ユースリーグの試合があった。



相手は同じ高1とはいえ、試合開始してすぐに
技術的にはかなり差があるとわかるような対戦相手だった。
もちろん、スピード感も体力も
相手の方が2枚も3枚も上。



10点差を付けられてもおかしくない、
キックオフ直後の印象だとそんな感じだった。



実際、立ち上がりから20分過ぎまでは
相手に圧倒された。



たてつづけに失点する場面もあり、
選手のテンションがどんどん下がっていくのが
外から見ていてもよくわかった。



それでも、
勝ち点3が遠のくにつれて、
選手達は開き直ったのか、
少しずつ相手の技術やスピードに対応し始めてきた。



練習している前線からのプレスと
チェイシングと連動したラインコントロールを
少しずつ意識できるようになってきていた。



ハーフタイムで、
「選手達には練習してきたことはしっかりやろう」
「できれば、1点は取ろう」
ということだけを話して、
選手を送り出した。



後半立ち上がりは少しふわふわしていたが、
気持ちが落ち着き始めると、
練習でやってきたこと、
チームでやろうとしていることを意識し始めた。



外から見ていても、
「このままじゃ終わらない。終わりたくない」
という気持ちが伝わってきた。



自分が指導してきたチームに強いチームはない。



いつでも、都大会常連の強豪チームに歯が立たないことがほとんどだった。



前のチームを指導し始めた頃、
『どうせ勝てない・・・』
『俺達はどうせダメ・・・』
『どうせ・・・』
選手のそんな口癖や態度を
聞いたり、見たりしているのが辛かった。



サッカーは強いチーム、上手い選手だけのものじゃない。
弱いチームも頑張ればいい試合ができる、
もしかしたら勝てることもある。
上手くなることで、試合に勝つことで
自分達の成長を感じることができる。



サッカーで自分達の成長を感じることができれば、
サッカーがもっともっともっと好きになるはず。



好きで始めたサッカーで
叩きのめされ、プライドをへし折られ、
自分の可能性を否定され続ければ、
誰だって辞めたくなる。



適当にやって、
本気じゃない自分の姿で
なんとか自分の気持ちをごまかし続けてしまう。



絶対に違う。



自分も下手の横好きで40年近くサッカーを続けてきたが、
サッカーで自己否定されたことは一度もない。


世界中でサッカーがプレーされているのは
現実の厳しさを学べると同時に
自分の可能性を信じられるからこそ。



選手達には自分達の可能性を低く見積もらないでほしい。
自分達の可能性を信じてほしい。
サッカーを好きでいてほしい。
そう思って前のチームでも指導してきた。



自分の指導の原点というか、
根本的なモチベーションの部分を
後半の選手達の頑張りを見ていて思い出すことができた。



選手を動かすための声ではなく、
一人のサポーターとして
後半は選手達に声を出し続けた。



疲れもあったのか、
後半は選手達の声がだんだんと少なくなっていってしまったが
選手達のプレーには何かが伝わるものがあった。



「どんなに下手でも、
 どんなに点差がついていても、
 できることがある。
 伝えられるものがある。
 きっとあるはず・・・。」



そんなメッセージが伝わってくる試合だった。



結局、後半も追加点を奪われたが、
対戦相手にも、応援している味方にも、
何かが伝わる試合だったと思う。



勝ち点3は失ったが、
それ以上の何か大切なものを得られた試合だった。



人生においては
何かを得ることで失うものもあれば、
何かを失うことで得られるものもあるはず。



練習でも、試合でも
できることなら、
失うものよりも得られるものの価値や有難さが
わかるようにできればと思う。



試合に出ているいないにかかわらず、
選手達やスタッフ、応援してくれている人達に
ほんの僅かでも何かが残る時間を積み重ねていきたい。



大切な何かに気がつくことができる、
大事なものを思い出すことのできる、
サッカー部の時間がそうなれればと思う。

対話という行為の持つ意味

2008年09月14日 21時38分20秒 | サッカーの謎
今、プレスディフェンスのためのラインコントロールを
重点的に練習している。
ラインコントロールのための個々の判断を
正確に行えるようになることをまず第一に考えている。
その上で、今後は
ラインコントロールの判断の正確性と並行して
DFラインの連動性もやっていく予定ではいる。



もちろん、DFのラインコントロールが
MFのボールへのアプローチと連動できなければ
プレスディフェンスは機能しないので、
DFとMF、できればFWのスリーラインが
連動できるようにしていきたい。



DFラインのコントロールは
原則として相手ボールホルダーに適切にアプローチすることが
前提となっているので、
DFだけでなくMFやFWによる
相手ボールホルダーへのアプローチ(寄せ)をしっかり行うこと、
そのためにしっかりと相手をマークすること。
そういった基本的な部分を見直していきたいと思っている。



低く早いアプローチで相手の動きや方向性を限定しながら、
ボールに対して足を出していく、身体を入れていく。



相手から確実に意図的にボールを奪うために、
球際のシビアさをもっともっと追及していきたい。



球際のシビアさを追及するために
いい準備ができるように攻守の切り替えも追求していきたい。



まだまだ、練習を始めたばかりなので
全体的にラインコントロールもボールへの寄せも
マークのつき方も雑というかアバウトな部分も少なくない。



DFラインを上げる際の判断(いつ上げるべきか?)、
ラインを上げた後の判断(上げっぱなしでいいのか?)、
ボールへの寄せ(誰が行くべきか?)・・・など等。
判断そのものがまだまだ正確でないと感じている。



体力的な問題というよりも
判断、もっと厳密に言うと
予測そのものがまだまだ出来ていないことに原因があると解釈している。



相手のボールの持ち方、相手の目線、相手選手のサポートのつき方・・
といったことを事前にどれだけ読み取ることができるか?
相手の狙いを感じ取った上で
いかに速くやるべきことをやれるか?
さらに、相手の予測を感じ取った上で
いかに相手よりも先んじて相手の動きを抑えることができるか?
相手の狙いを感じ取った上で
その動きを限定するための仕込みをすることができるか?



どんなプレーヤーでも
次の動きのための準備を行う。
準備をしないプレーヤーはいない。



ただ、レベルの高いプレーヤーになると
一度わざとフェイクやフェイントを入れる。
相手に自分の狙いを読ませない。
自分の懐に相手を飛び込ませない。



また、技術的にハイレベルな選手になると
相手の寄せ方や出方に応じて
ボールに触る直前に自分の意図していたのと違ったプレーを選択する。
技術があり、サポートの仕方も良くて、
幾つかの選択肢を常に考えている選手だと
直前にアイデアの変更が可能になる。



技術が無くて、攻撃においては
直前で相手の裏をかくような選択ができなくても、
守備においては相手の狙いを読むことは
意識して練習を積み重ねていけば
できるようになる。
まずは守備面から【予測】という習慣をつけていきたい。



その上で【予測】の範囲が広がっていけばいい。
相手の選択肢を〝1つ〟だけ【予測】するところから
〝2つ・3つ〟の【予測】へ、
さらに、先の展開を【予測】できるようになればもっといい。



理想は、相手の【予測】を前提に
その【予測】を【牽制】し、
意図的に【限定】できるようになること。



動きやポジショニング、目線で
相手と駆け引きし【牽制】しながら、
相手の動きを【限定】できるようになるのが理想。



相手の狙いを感じ、味方の動きを感じ、
自由自在に味方と連動しながら
相手を【限定】していく。



そういった読み合いや騙し合い、駆け引きし合うことができれば
サッカーはもっともっと楽しくなるはず。



DFというポジションや守備という作業が
もっともっと面白くなる。



先日、仕事中にラジオを聴いていた。
番組のゲストは脳科学者である茂木健一郎氏。



その番組の中で興味深い茂木氏の話があった。
『対話こそ、脳を最も刺激する』



もしかしたら、サッカーおいても
同じようなことが言えるのではないだろうか?
最近、そんな気がしている。


もちろん、味方同士のコミュニケーションだけでなく、
単純な声の掛け合いや挨拶などは十分『対話』の範疇に含まれるし、
ボールの奪い合い、繋ぎ合い、球際の競り合い、
オフ・ザ・ボールでの読み合い、騙し合いも
ある意味『相手との対話』と解釈してもいいはず。



脳科学者の茂木氏は続ける。
『より良い対話をするには、どうしたらいいと思いますか?』



『それは、相手の立場や気持ちを推し量ることです』
『今、相手がどんな気持ちでいるのか?』
『相手がどんな気持ちで発言したのか?』
『相手の立場を推測、想像することで
 対話がもっともっと面白くなるし、味わい深いものになる・・・』



実際のコミュニケーションだけでなく、
プレーを通じて対戦相手とすることのできる『対話』もあるはず。



試合で行う相手との『対話』こそ、
サッカーに深みを与える最高のスパイス。



選手達には、
挨拶は『対話』の始まりであり、
試合中や練習中には味方とのコミュニケーションが必要であること。
試合そのものも相手との『対話』であり、
さらに、相手の立場や気持ちを思いやることで
『対話』がより深くなる、面白くなる、
ということを伝え続けたい。



同時に、指導者として、一人の大人として、
選手達とは『対話』し続けたい。



また、親として家族として自分の子供や家内とも
『対話』し続けたい。



家族や選手、スタッフといった
自分自身と関わりを持って接してくれている方々との時間が
『対話』によって彩りあるものになってほしい、
心からそう思う。



私自身、どんな時でも『対話』を忘れずにいたい。
また、選手達にも『対話』を忘れずにいてほしいと思う。

手段としてのオフサイドトラップ

2008年09月12日 11時13分58秒 | 戦術の謎
今、チームで失点が多すぎるという課題を抱えているので、
失点対策のひとつの方法として
プレスディフェンスについての共通理解を深めようと
トレーニングしてきている。



プレスディフェンスの目的は
相手ゴールに近い位置でボールを奪取し、
ビルドアップの手間を省き、
シュートまでの時間を短縮すること。
相手のシュート数を減らし、
反対に自チームのシュート数を増やすこと。



点を奪いにいく場合や試合の流れを変える場合には
積極的に怖がらずにプレスディフェンスにチャレンジしたい、
そう考えている。



プレスディフェンスにおける基本的発想は
意図的に〝相手の選択肢を限定〟し、
残った選択肢に狙いを定めて、
いいボールを奪い方すなわち前を向いてボールを奪う、
ということ。



では、相手からいいボールの奪い方をするために
どのようにして[相手の選択肢]を【限定】していくのか?
ここにおける[相手の選択肢]とは[相手の動き]と置き換えて、
考えるとわかりやすい。



[相手の動き]を【限定】する方法は
大きく分けて2つある。
1つ目は[使えるスペース]を【限定】させ、
結果的に[相手の動き]を【限定】させていく、という方法。
2つ目は、[動きの方向性やプレー]そのものを
直接的に【限定】させていく、という方法。



DFラインの意図的なコントロールによって、
[相手の使えるスペース]を【限定】していくのが一つの方法。
[相手の動きの方向性やプレー自体]を【制限】していく方法として、
意図的に相手の特定の選手に出させて、
その選手がボールを持った瞬間に一気に囲んでボールを奪取する、
という方法がある。



どちらの手法を取るにしても、
[相手の動き]を【限定】させていく場合、
相手の〝狙いを読み〟ながら、
相手の動きを“牽制”していく、
という発想は極めて重要になる。



[動きの方向性とプレー自体]の【限定】において、
【予測】と【牽制】は重要なキーワードになる。



もちろん、
実際の試合の中では
[スペース]の【限定】と
[動きの方向性・プレー]の直接的な【限定】は
密接不可分な場合が多い。
あまり概念的に成り過ぎると、
柔軟かつ臨機応変な判断で
相手からボールを奪うということができなくなってしまうので、
必要以上の分析や区別は
選手に対するコーチングとしてはふさわしくない、
と考えている。



どの方法を取るにせよ、
【限定】のための【予測】と【牽制】を前提に
味方と【連動】しながら、
相手からのボール【奪取】することに
プレッシングのポイントはある。




【予測】⇒【牽制】⇒【限定】⇒【奪取】



この一連の流れをいかに組織的かつ意図的
チームとして【連動】して行えるか?
流れや仕組みを選手達がニュアンスだけでも理解し、
実際に、「いいボールの奪い方」ができれば、
必要以上に概念的になる必要はない。
[スペース]の【限定】でも、
[動き]の直接的な【限定】でも、
相手からボールを【奪取】するためには
[スペース]と[動き・プレー]という2つの側面から
【限定】することが可能であることを理解できていれば、
グランド上での判断が柔軟かつ速くなる。



ここで気をつけなくてはいけないのは
オフサイドトラップの味を知ってしまうと
オフサイドトラップだけでなんとかなるような勘違いをしてしまう、
ということ。
どんな時でも、守備の基本は
ボールにしっかり寄せることであり、
味方の後をしっかりカバーし、
厚みのあるディフェンスをすること。



技術的にハイレベルでやボールを動かすテンポの速いチームには
なかなかプレスはかけられないが、
その原因は相手のボールホルダーにしっかりと
正しいタイミングで寄せきれないことにある。
ボールにしっかりと寄せきれないので
当然、ボールに対する厚みのある守備はできない。
プレスにしても、リトリートするにしても
ボールの奪い所でしっかりとボールに対してアプローチできないと
厚みのある守備はできない。



また、プレッシングの場合には
プレスバックや挟み込みなどで
相手からボールを奪う場面も少なくないので
いわゆるカバーリングしなくても守れるのではないか?
という錯覚に陥りやすいが、
プレッシングにおいても、
ボールを奪いにいく瞬間は厚みを作っておくべき。



例えば、相手のゴールキックに対して、
相手のGKが蹴る瞬間まで
最終ラインをフラットな状態で可能な限り高く保とうとするのは
相手に裏を取られないようにしながらも、
キックの瞬間にポジションを下げ、
ヘディングする際に
相手よりもゴールサイドにポジションを保てるようにするためであり、
カバーリングの状態を作りやすくするため。



プレッシングのイメージをまとめると
基本的には、正しいタイミングで
相手ボールホルダーにアプローチし、
そのアプローチと連動しながら最終ラインをコントロールし、
相手の使えるスペースを【限定】していく。
場合によっては、
オフサイドトラップで相手を【牽制】しながら、
相手の動きと使えるスペースに【制限】を加え、
少しでも高い位置で
いいボールの奪い方ができるように
チームで連動しながら組織的に守備をしていく。



大きなイメージはこのような感じだが、
具体的な方法論については
順を追って説明したい。



■まず最初に、最も危険な[DFの裏に入れられるパス]
 を相手の選択肢から削っていく。

  ※一般的に、攻撃において、
   [DFの裏へのパス]という選択肢が削られた場合、
   相手の選択肢は大きく分けて
   [FWへのクサビ]もしくは[サイドへの展開(サイドチェンジ)]
   という2種類に限定される。

  ⇒相手の選択肢を限定するということは
   相手の使えるスペースを限定する、
   ということ。



■では、<DFの裏>というスペースを限定するためには
 何をすべきか?

   時には、オフサイドトラップの活用も視野に入れながら、
   チーム(もしくはFW-MF-DFというスリーライン)全体が
   適切な距離感を保ちつつ、
   チーム全体でボールホルダーにアプローチしていくことが必要。

  ※ここで、大切なのは
   ボールホルダーへのアプローチと
   GKの動きも含めたDFラインの動きが連動すること。

   ⇒〝正しいタイミング〟で
    ボールへのアプローチと最終ラインが連動することこそが、
    プレスディフェンスの大前提。



■ここで言う〝正しいタイミング〟とは?

   ⇒最終ラインがDFの裏へのパスコースを消せるような高さを保ちつつ、
    さらにボールへのアプローチと連動して
    ラインコントロールしていくことと考えている。



■ここに言う〝DFの裏を消せるような〟最終ラインの高さとは?

   この点については
   機械的に判断することはできない。

   あくまでも、
   相手ボールホルダーのボールの持ち方や目線、
   受け手である相手FWのポジショニングや目線、
   そういったものを総合的に判断しながら判断すべき。

   ただ、〝総合的に判断する〟といっても
   一人一人の判断がバラバラになってしまっては
   オフサイドトラップを視野に入れたラインコントロールはできない。
   ある程度、共通の枠組みを持っておく必要がある。

   ⇒<DFの裏へのパスコースを消せる>ポジションということは
    仮に、相手選手にDFラインの裏へボールを入れられたとしても
    “相手よりも先にボールに触れるポジション”ということ。



■では、〝相手よりも先にボールに触れるポジション〟とは?

   ⇒相手が前を向いてボールを持っているという前提で考えると
    [相手よりも、少なくとも【3メートル後にいる】]ということ。

   相手が前を向いていない場合、
   つまり相手が横を向いていたり、
   後ろを向いてボールを持っている場合には
   相手選手からのパスが直接DFの裏に出てくる可能性は低いので
   あえて[相手よりも【3メートル後】]にいる必要はない。

   また、相手が前を向いていても、
   味方がシビアにボールに寄せている場合には
   タテにボールが出てくる可能性が低いので
   この場合もあえて【3メートル後】にこだわる必要はない。

   相手が前にパスを出せないような状況では
   味方MFや味方GKとの距離感とのバランスで
   最終ラインの高さを考えるべき。

   ただし、相手が前にパスを出せる状態でボールを保持していても
   受け手である相手FWがボールしか見ていないような時、
   つまり受け手がいい準備をしていない時には
   オフサイドトラップを狙って、
   ラインを上げていくという判断もあり得る。

   もちろん、最前列にいるFWの準備が整っていない場合でも
   相手の2列目や3列目の選手が飛び出す動きをしている時には
   オフサイドトラップをかけるべきではない。
  
   ここで注意したいのは、
   相手が前を向いてボールを持っていたとしても、
   FWがいい準備をしていたとしても
   可能な限り高い位置で最終ラインを保つ意識を
   忘れてはいけないということ。

   この意識を忘れないために
   チームでは基本となる最終ラインの高さを
   グランド上のランドマークで共通理解を共有できるようにしている。
  
   プレスの場合には【サークルエンドの高さ】を目印にしている。

   基準となる高さを意識しつつ、
   [相手のボールの持ち方]と
   [受け手であるFWと2列目の状況]を
   感じながら、
   最終ラインを微調整していく。




プレスディフェンスにおけるチームにおける仕込は以上だが、
この仕込みを前提に相手のMFやDFから高い位置でボール奪取したい
と考えている。



また、味方の悪い取られ方から
一気にバイタルエリアに侵入された場合でも、
ボールの動きと連動しながら
可能な限り高い位置で最終ラインを保つべきだと考えている。



ボールの動きと連動しながら、
ラインコントロールし、
DFラインを上げるべき時にはしっかり上げる。



もちろん、リスクは大きい場合もあるとは思うが
点を奪う為、悪い流れを変えるには
ある程度のリスクは当然必要になってくる。



我慢する状況なら、徹底的にリトリートすればいい。
我慢していて勝ちきれるならそれでいい。



でも、点を奪いに行く時には
リスク覚悟のラインコントロールをすべき。
流れを変えたい時には
危険を承知の上でラインコントロールすべき。



オフサイドルールが攻撃側に有利に改正されたため、
サッキ時代のACミランやデル・ネーリ時代のキエーボのような
積極的にオフサイドトラップを狙うチームはかなり減ってきたが、
DFラインを高く保ち相手の使えるスペースを意図的に限定していく、
というチームの方が実際には多いと思う。
特に、モウリーニョのチームやイタリアのチームには
DFラインのポジショニングに意図を強く感じることができる。



今は、高い位置でボール奪取する為
相手の動きや選択肢を牽制するための手段として
オフサイドトラップを使いながら、
高い位置で最終ラインを保つようなラインコントロールに
チャレンジしていきたいと考えている。



安定したビルドアップやFWの高い能力、球際への厳しさがないと
かなりリスクの伴う戦術であることは承知の上で
10月末から始まる新人戦までは
高い位置で最終ラインを保つことを続けていきたいと考えている。



正直、今は紅白戦を行っても、
浅いDFラインにFWが対応できなかったり、
オフ・ザ・ボールの動きが悪かったりして、
面白いようにオフサイドトラップの網に
FWの選手達が引っかかっている。



単純なタテパス、直線的なスペースへのランニング等、
短い距離で角度のついていないボールと人の動きでは
オフサイドトラップは破れない。



まだ、オフサイドトラップを視野に入れた
高い位置でのラインコントロールにチャレンジしたばかりだが、
攻撃面においても守備面においても
チームにおける課題が炙り出されてきている。



ラインコントロールのトレーニングを行うことにより
もしかしたら、自分達の課題と向き合わなければならないかも・・・
という危惧は持っていたが、
思った以上に早い段階で
その場面が来てしまっている。



攻撃面で言えば、
パスの精度・サポートの角度・追い越す動き・パス&ゴー、
守備面でいえば、
ボールへのアプローチ・ボールの動きと連動した守備
味方との距離感・相手の動きの予測・相手との駆け引き・・・といった
サッカーの基本的部分の欠落という現実と
チームは向き合わざるを得ない状況になっている。



このように文字にしてみると
サッカーにおける基本的な部分がまだまだできていない
というチームの現状が
オフサイドトラップを視野にいれた
ラインコントロールのトレーニングによって
炙り出される結果となった。



とりわけ、
足が止まってボールウォッチャーになっている、
パスした後に止まってしまう、
ボールへの寄せが遅くて緩い、
味方と連動してプレーできない、
相手の狙いを感じながら相手と駆け引きしていくことができない、
というこれらの悪い傾向というか習慣について
指導者だけでなく選手達も自覚できつつある。



でも、たとえ自分達の課題を自覚できたとしても
その課題を改善するのは簡単ではない。



ボールへのアプローチ1つとってみても
まずはボールを奪うためにどのように相手をマークし、
どのように相手からボールを奪うか?
仮にボールを奪えないとしても、
相手ボールホルダーの選択肢を
いかに限定できるようなアプローチができるか?
前を向かせないようにできるか?
顔を上げさせないようにできるか?



正しいマークから
ボールを奪えるようなアプローチ、
ボールを奪えなくても
相手の選択肢を限定できるようなポジショニング、
これをしっかりできるだけでも
最終ラインはかなり高い位置まで押し上げられ、
相手の使えるスペースもかなり限定できる。



攻撃においても
パス&ゴーや後からの追い越し、
ボールと人の動きに角度をつける、
ということを徹底するだけでも
最終ラインが上げっぱなしにもかかわらず、
オフサイドになってしまう・・・という現象は少なくなるはず。



でも、守備においても攻撃においても
実際に行うのは言うほど簡単ではない。



それでも、高い位置でボールを奪うためのラインコントロールに
チャレンジしていきたいと考えている。
ラインコントロールのトレーニングを通じて、
選手もしくはチームとして
何を見て、何を感じ、どう判断するか?
その部分を自らに問いかけることになるはず。



相手の動きの予測や相手との駆け引きを意識した上で
オフサイドトラップという武器で相手を【牽制】しながら
ボールホルダーへのアプローチと【連動】したラインコントロールで
相手の動きを【限定】し、いい状態でボール【奪取】する。



これを組織的に行おうとすると
運動量よりも、まず判断そのものの正確さや判断の速さが求められる。
今まで以上に、判断すること、それを声に出すこと。
そして、それをやり続けること。



そのために、まず今は
ボールが動く度にボールから目を切り、
ボール以外のものを見て、次の展開を予測すること。
相手ボールホルダーの目線、パスの受け手の目線、味方の位置・・等
を見ておく習慣をつけるところからやっていきたい。



今はプレスのためのラインコントロールを練習し始めたばかりなので
可能な限り高い位置にラインを保つように練習で意識させている。
たぶん、練習試合などではオフサイドトラップ破りや判断ミス、連動ミスで
失点することもこれからあるとは思う。
失敗を経ながら、チームに合ったラインコントロールができればいい。



試験期間があるので、
新人戦まであと数える位しか練習できないが、
個人もしくはチームとしての【判断】にこだわって練習していきたい。



同時に、高い位置でボールを奪うためのプレスの練習を通じて、
球際やパス&ゴー、突破のための追い越し、
といったサッカーの基本的部分を見直していきたいと思う。

個人の意思や判断は必要か・・・

2008年09月07日 14時50分45秒 | サッカーの謎
先日、紅白戦の中で小さな発見があった。



ポジショニングがおかしかった選手に対して
間接的にそのズレを指摘したところ、
その選手は自分のポジショニングに自信をもって
自らの口で、その根拠を説明した。



正直なところ、
客観的に見ると大きなズレがあったが
その時はそれ以上、そのズレを指摘し、修正するのを止めた。



もちろん、その選手を見捨てたり、
その選手の能力を諦めたりしたために
そのズレの指摘を止めた訳ではない。



ポジショニング自体は
100点満点で30点位だったが、
自分なりに考えて答を出そうとしている、
その部分を大切にしたかった。
どんなに答が間違っていても、
自分自身で答を出そうとする姿勢は評価したかった。



いつでも、自分で考えるところが出発点。
まずは自分の頭で考える。
その部分なくして、プレーしても
楽しさは半分。
また、自分で判断しようとするからこそ、
判断そのものが臨機応変かつ柔軟なものになるし、
判断のスピードも速くなる。



判断の根拠がチームの戦術やゲームプラン等に基づく場合もあれば、
個人のアドリブに基づく場合もある。



個人のアドリブや相手の狙いを感じた上での修正の判断については
マニュアルは存在しない。



いつアドリブすべきかは、
誰も教えてくれない。



自分で考える習慣がなければ、
試合の流れを変えたり、
相手のギャップやスキを突くことなどできない。



先日、昔からの友人とメールでやり取りしていた。
その中で、FWの決定力が話題に上がった。
友人は日本代表FWの決定力の無さを憂いていた。



私自身の考えとして、
戦術的なプレーや組織によるプレーを否定しないし、
個人の力が弱いからこそ、
日本代表こそチーム戦術やチームとしての戦い方を目指すべきだと考えている。



ただ、組織的なサッカーを目指すにしても、
個人の判断が事前のゲームプランやチームとしての方向性に
すべて吸収されるべきではない。



特に、ゴール前でこそ個人の判断は最大限に尊重されるべきだと思う。



言い方を変えれば、
シュートをいつ撃つか?
相手のシュートのタイミングをいかに感じるか?
シュートに関していえば、
100%個人の判断。



友人が憂いていた日本サッカーの決定力不足は
組織プレーやチーム戦術を志向した結果の副作用なのだろうか。



組織的なプレーを志向すればするほど、
ゴール前での個人の判断がスポイルされてしまっている・・・
という可能性もあるのかもしれない。



シュートに至るまでのプロセスが組織プレーに基づくものだとしても
シュートの瞬間は個人の判断に委ねられる。
どのタイミングで、どのようなコースで、
どのような強さで、どのようなキックで・・・。
このことはPKにおいても例外でない。
もちろん、GKのセービングやDFのタックルについても同じことが言える。



ゴール前において技術が必要なのは間違いないし、
攻撃側も守備側も技術的な練習を
日本サッカーは積み重ねていくべき。



ただ、シュートを撃つタイミングや
その為の相手との駆け引きについては
まさに個人の判断の場面なのだ、
ということを強く認識すべきだと思う。



もちろん、指導者である自分も反省しなくてもならない。



サッカーの醍醐味であるゴール前こそ日本の課題。
その課題は技術的な問題だけではない。
そもそも、個人が判断する・・・
という習慣そのものが存在しているのか?
指導者は選手に判断させているのか?
選手の判断を尊重しているのか?



当然、客観的に見て選手の判断に何らかのミスが存在しているからこそ、
指導者は判断ミスを修正するようなコーチングを行う。
これはイビチャ・オシム元監督でも
その他の指導者でも同じ。



選手が自分で判断しているからといって、
すべて正解なのではない。
選手がいつも冷静な判断ができるわけではない。
だからこそ、指導者が存在する。



全て選手の判断に任せておいても問題ないのであれば、
指導者は必要ない。



それでも、いつでも出発点は
選手の判断にある。



サッカーというスポーツを自らの意思で始めた時から
選手は自分で考えることを求められている。



組織で積み重ねてきたものを個人の判断で完成させるからこそ、
ゴールの瞬間に喜びが爆発する。
味方が頑張って限定してくれたシュートコースを読みきって、
シュートブロックした時は
最高の気分。



サッカーの始まりと終わりはどんな選手でも自分の意思。
また、攻撃の始まりと終わりも個人の意思と判断。
攻撃の始まりである相手からボールを奪うという行為、
つまり、タックルするタイミングも個人の判断であり、
攻撃の最後であるシュートのタイミングも個人の判断で締めくくられる。



私自身、指導者としてチームの一体感を優先し、
一人一人がお互いに助け合って
チームで何かを成し遂げたい、と考えている。



それでも、個人の判断は否定したくない。
たとえ、判断そのものはどんなに間違っていたとしても、
まずは選手の判断を受け止めたい。



その上で、判断の部分でも選手と正面から向き合いたい。
選手の判断を受け止めた上で
指導者としての自分の考えを選手に伝えたい。
時には厳しい言い方になったとしても
自分の考えを選手にぶつけたい。



それでも、議論の出発点は
選手の判断と意思にあるべき。
常に、選手に判断することを求めたい。
選手に判断することを促したい。



その上で、自分の考えを選手達に伝え、
結果としてチーム全体で納得できる落しどころができればいい。



サッカーも社会も組織と個人とのバランスで成り立っている。
自分のわがままが通る程、社会は甘くないが、
自分の生き方に対しては自分自身で意味付けするべき。
自分なりに、社会やチームに対して落しどころを見つけるべき。



他人の為に生きるということも、
誰かの為に試合に勝ちたいということも
人生の中にはある。
個人的に浪花節は嫌いではないし、
浪花節が人生において必要な時もある。



でも、自分以外の誰かが決めた人生を歩むのは悲しすぎる。
強制されてやるサッカーは辛すぎる。



どんな時でも、
自分の意思があるからこそ、
楽しいし、我慢もできる。



今後も指導者として大人として親として、
選手達に、自分の子供に、
まずは自分の考えを持つこと、
その上で仲間や友人と話し合いながら、
自分なりに折り合いを付けていくべきということを
伝えていきたいと思う。

魔法の練習・・・

2008年09月02日 12時26分26秒 | サッカーの謎
先日、高校サッカー部のスタッフで学校練習の後、
今後の指導計画について話しあった。
また同時に、選手権予選敗退までの反省も行った。
10月末から関東大会予選を兼ねた新人戦が始まる。
それまでに、試験期間による練習中断期間もあるので
思った以上に練習時間がない、という認識がある。
スタッフとは何を最優先課題とするか、
その為にどういった練習をどのような時間配分で行うか、
できるだけディテールにこだわって話し合った。



一般的に会議というのは、
意外と結論が出ないことも多く、
話し合うこと自体が目的だったということも少なくない。
でも、今回の話し合いは
一定の方向性をスタッフ間で共有することはできたと感じている。



新人戦で50人近い選手を有するチームを
どのように地区の決勝まで持っていくか?
さらに、決勝リーグで勝つようなところまで持っていくか?
何が足りなくて、何を埋めて、何を伸ばすのか?



選手を固定し、その選手達だけを徹底的に強化するというのも
1つの方法であるとは思うし、
効率的だとは思う。



でも、長い目で見るといいことばかりではないと感じている。
効率性の影には、少なからず、デメリットも存在している。



チームには様々な選手がいる。
レギュラーにすごく近い場所にいる選手、
反対にレギュラーには遠い場所にいる選手。
いろいろな個性を持った選手達がチームにはいる。
能力も個性も違う選手達がどうすれば一体感を保てるのか?
同時に、適切な競争原理の中で緊張感を感じながら練習できるのか?



今のチームで選手に伝えたいのは
チームにいる以上、
一人一人がお互いに
お互いに助け合い、
言葉を掛け合う存在であるべきということ。



チームを固定化することにメリットとデメリットが存在するように
チーム全員で同じような練習をすることにおいても
もちろんメリットとデメリットが存在する。
ポジション毎のトレーニングをしても、
同様のメリットとデメリットは存在する。



そもそも、
全ての選手を満足させるような練習は存在しない。
また同時に、意味のない練習などない。



練習は試合を想定して行うものであるが、
試合のどのような場面を想定しているのか?
それは設定によって変わってくる。



選手達がその設定の裏にある狙いをどれ位意識できるか?
ポジションによっても違うし、
選手によっても異なってくるとは思う。



単純な設定やドリル形式の単純な練習でも、
選手がその中でどのような意味を自分でつけていくのか?
それによって、練習の効果は大きく変わってくる。



引退した中田英寿選手が
2人1組の単純なキック練習においても
様々な場面を想定しながら、
いろいろなキックを蹴り分けていた、
というのは有名な話だが、
中田選手の『練習をどのように自分なりに解釈すべきか』という意識は
全ての選手にとって見習うべき部分だと思う。



また、単純な練習ほど
指導者はリアリティーをもてるようなコーチングや声掛けをすべき。



どんな練習でも、自分なりにどう意味付けをするのか?
試合でのリアリティーを意識できるのか?
その積み重ねによって、
練習の効果や選手の成長は大きく変わってくる。



練習における狙いを意識した上で
さらに、いい現象が出てくればもっといい。
指導者の狙いをいい意味で飛び越えてくれればもっといい。



そのように考えると
試合形式の練習ができない場合に、
試合の場面を切り取って
試合を意識できるような〝魔法の練習〟を指導者が考えるのは
頭の体操になるし、サッカーを分析する1つのきっかけになるとは思うが、
ただ、試合形式の練習ができるなら
試合が一番の〝魔法の練習〟だと思う。



もちろん、試合ばかりやってもヘディングは上手くならないが
試合でヘディングが出来なければ、
試合形式以外の場所や時間で
ヘディングを練習する必要性を自覚できる。



また、実際の試合では
修正能力が必要になってくるが
ゲーム形式の練習であれば
その中で修正や駆け引きというものも意識できる。



中には、パターンを欲しがる選手もいるので
そのような選手はゲーム形式の練習に対して
ネガティブな態度を見せる時もある。



選手を固定し、パターンを決め、
一時の安定感を求めても、
試合においてどれ位の効果があるのだろうか?



選手を固定してパターン練習をするなら、
同じ時間で選手を固定せずにゲーム形式の練習を通じて
チーム内にコンセプトを浸透させるやり方に魅力とリアリティーを感じる。



試合はパターンだけではない。



サッカーが最もロースコアなボールゲームであるのは何故か?
足と頭でのボールコントロールという
他のボールゲームに比べて、
ボール操作に安定感を欠くことが根拠になっている。



ボール操作が不安定な分、バスケットやバレーボールに比べて
パターンをチームとしては表現しにくい。
チームとしての戦術も表現が難しい。



やるにしても見るにしても、
サッカーの経験の少ない方がサッカーの試合を観戦すると
どういう戦術でゲームを行っているのか、
解りにくいのがサッカーというスポーツ。



練習や話し合いやミーティングを通じて
一定の共通理解やコンセプトを共有し、
足りない部分は個人の判断やアドリブ、修正能力で補う、
というのがサッカーというスポーツだと解釈している。



サッカーの本質が組織と個人のバランスで成り立っているなら、
練習においても個人の判断を奪うべきではない。
ゲーム形式の練習をするにしても
選手達には
コンセプトを意識しつつも、
個人のアドリブや修正能力を忘れないでいてほしいと思う。



上手くいかない時に
どうすればチームのコンセプトを表現できるのか?
どこを修正すればチームのコンセプトがはまるのか?
まずは相手のストロングポイントを消した方がいいのか?
いろいろな判断や修正のやり方があると思う。



何が正解なのかは誰にもわからないが
答を探そうとすることを忘れてはいけない。



パターンが上手くいかないから、今日の試合は絶対に勝てないと
白旗を揚げてしまうのか?
勝つ為にあれこれ様々な修正にチャレンジするのか?



こう修正したら上手くいきそうだな、
ということがグランドの外にいる方がわかりそうに感じることもあるが、
基本はグランドの中にいる選手達が自分自身の力で
その答を見つけるべき。



指導者がグランドの外から常に答を出して、
選手が指導者の判断を忠実に実行するというのは
少なくとも自分が考えるサッカーの本質からは遠く離れている。



練習でチームコンセプトを共有化する作業を積み重ねつつも
足りない部分は個人の判断やアドリブで補うべき。
同時に、一人の判断と声に全員が反応し、
チームとしてスムーズに修正できるのが理想。



サッカーが世界中で愛されている理由は
組織と個人のバランスが常に存在しているからこそ。
バランスの取り方が簡単ではないから、不安定だからこそ奥が深い。
単純なルールの中に存在する奥深さが世界中の人々を魅了する。



組織と個人のバランスの取り方はチームによって異なるが、
どちらだけでも上手くいかない。
組織に埋没しても、個人に依存しても、
チームは機能しない。



組織と個人のバランスの取り方は簡単ではないし、
選手も指導者も本当に悩む。
でも、組織と個人のバランスや
自分なりのバランスの取り方については
悩みながらも考え続けるしかない。
バランスにおける自分なりの落しどころを探し続けなければならないのは
サッカーでも人生でも同じ。



練習においても、
常に組織と個人のバランスを忘れないようにしたい。
そのためにも、可能な限りゲーム形式の練習にこだわりたい。
ゲーム形式以外の練習をする場合でも
個人の判断や修正能力、アドリブを奪わずにいたい。
個人が意味付けする余地を残しておきたい。



チームで助け合いながら何かを成し遂げる素晴らしさと同時に
サッカーだけでなく自分の人生についても
自分自身で意味付けすることの大切さも
選手達には伝え続けていきたいと思う。