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 沼田城に行った後、群馬県前橋市に移動。前橋城と石倉城へ行ってきました。



 元々は長野氏の居城・箕輪城の支城として、利根川の西に石倉城が築かれていました。
 しかしながら1534年に利根川が氾濫し、石倉城の本丸・二の丸などを崩壊させてしまいます。そこで残された三の丸を中心として、前橋城の前身となる厩橋(まやばし)城が築かれました。

 この厩橋城もまた沼田城と同じく、関東の大大名の勢力争いに翻弄されます。詳しくは省きますが、後北条、上杉、武田、織田などが入れ代わり立ち代わり入ることになりますが、秀吉の小田原征伐の後は徳川の支配下に入ります。

 江戸時代には徳川譜代の酒井重忠が厩橋藩の藩主として厩橋城に入り、厩橋城は厩橋藩の藩庁となります。
 重忠の時代に厩橋城は大規模な改修がなされ、近代城郭として生まれ替わります。さらに、時期は明確ではないのですが、後に厩橋の地は前橋と改められ、厩橋藩は前橋藩に、厩橋城は前橋城となります。
 しかし前橋城もまた石倉城と同様、近くを流れる利根川の氾濫に悩まされます。水害により城郭がダメージを受け、御殿の移動や城郭の改修、河川工事など、多くの工事を余儀なくされました。

 1748年に酒井氏は姫路へ転封となり、替わりに前橋藩には、姫路から幼少の松平朝矩がやってきます。しかし松平氏も水害に苦しめられ、ついには前橋城を破却して武蔵の川越城に転居してしまいます。川越は以前から松平領だったのですが、藩庁が前橋から川越に移動したことで、1768年に前橋藩は川越藩となります。
 城を失った前橋の領民は、藩主の前橋城復帰の嘆願を始めます。それを受けて、川越藩主もまた、幕府に前橋への帰城嘆願を何度か幕府に提出していきます。
 この動きが実を結ぶのは、幕末の1863年になってから。この頃には外国に対抗するための軍事増強の必要があったことや、治水技術の向上で利根川のリスクが低減していたこともあり、1867年に前橋城が再建されます。これにより、川越藩の藩庁は前橋城となり、川越藩も再び前橋藩に戻りました。

 前橋藩が戊辰戦争で早い段階から新政府軍に付いたため、前橋城は戦火にさらされることなく、明治時代には前橋県、後に群馬県の県庁となります。
 一等地にある平城の宿命として、遺構はそれほど残されていませんが、現在も前橋城の跡地は群馬県庁として利用されています。



 で、沼田駅から新前橋駅に移動し、そこから徒歩で石倉城から前橋城と見て回り、前橋駅から東京へ戻る予定だったのでした。しかし、石倉城へは新前橋駅から北へ行かなくてはならないのに、間違えて東の方に移動し、前橋駅方面に出てしまいました。
 仕方がないので順番を変更して、前橋城から石倉城へ、そして新前橋駅から東京へ戻ることにしました。

 そんなわけで、まずは前橋城へ。



 前橋城本丸があったところには、現在、群馬県の県庁が建っています。



 群馬県のマスコットキャラクター・ぐんまちゃんの石像。少し前にアニメやってましたけど、いい感じに頭のネジが外れていて面白かったです。
(追記)調べたら、今、ぐんまちゃんのシーズン2をやっていたんですね。1クールだとするともう半分以上進んじゃっていますけど、次回からチェックしたいと思います。



 ウマの埴輪。群馬だからウマをフィーチャーしてるんでしょうか?





 埴輪の近くに、現在の地図と、幕末に再建された前橋城の縄張りとを対照した図がありました。城跡を巡る際に、一番欲しい情報ですね。まあ、遺構はほとんど残っていないんでんすけど。



 県庁の東側にある土塁跡。本丸の東部にあった土塁です。この右側が二の丸で、かつてはその間に水堀があったようです。
 階段が付いていますが、「土塁保護のため通行をご遠慮ください」と看板が立っているので、登ることはできません。





 北側にも土塁があります。本丸北側にあった高浜門跡でしょうか。



 県庁の北側は前橋公園として整備されています。そしてその西部には、前橋城をさんざん悩ませてきた利根川が流れています。



 前橋公園の北部には臨江閣があります。
 臨江閣は明治に建てられた迎賓館で、国指定の重要文化財となっています。



 前橋公園内にも土塁跡があります。こちらの土塁は上に登ることができます。



 土塁の東側。地図上では柳原口内と書かれている場所ですね。



 その近くには、楫取素彦(かとり もとひこ)の像が立っています。楫取素彦は群馬県の初代県令。この像は、生糸を直接輸出するため渡米する新井領一郎に、楫取素彦の妻・寿が、寿の兄である吉田松陰の形見の短刀を渡すシーンを再現しています。4人いますが、素彦と、寿と、領一郎と、あと一人は領一郎の兄・星野長太郎だそうです。
 楫取素彦の最初の妻・寿と、二番目の妻・文は共に吉田松陰の妹で、文は大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公となっています。この像が制作されたのも、大河ドラマが契機になったようです。
 「花燃ゆ」の内容はそこまで憶えていませんけど、そういえばドラマ後半では群馬を舞台にして、富岡製糸場の話をやっていましたね。幕末から明治を舞台にしたそこまで有名でない女性が主人公ということもあって、明治に入ってからの話がどうも「八重の桜」と微妙に混ざっちゃうんだよなぁ。序盤は長州と会津で、対照的な藩を舞台としているんですけどね。



 土塁の上から県庁を見上げて。

 前掲の前橋城の図によれば、他に前橋城の遺構として、車橋門跡と車橋地下石積というものもあるようなのですが、それは前橋駅方面に戻っていかなくてはならないので、今回はパスしました。



 続いて、県庁から利根川をはさんで反対側あたりにあったという、石倉城へ向かいます。



 中央大橋から利根川を渡っていきます。今はすっかり穏やかな川となっていますね。



 橋を渡って400mほどの所に、石倉城二の丸公園と名前の付いている公園があります。



 この辺りに石倉城があったようですが、遺構は見当たりません。



 公園の片隅に、石倉城鳥瞰図があります。
 とは言え、現在の地形とどのように対応しているのかはちょっとわかりませんね。利根川も、現在の川の位置とは変わっているでしょうし。

 写真は撮っていませんでしたけど、隣には石倉城址の石碑もあります。



 近くには石倉城外堀公園もありますが、ここも広場と遊具があるだけで、遺構はありません。



 これにて、2022年のお出かけ記録は終了です。

 正直、前橋城は遺構がほとんど残っていないのでそれほど期待しておらず、ウォーキングのためのエクスキューズみたいに考えていたんですよね。でも、今ある土塁や利根川などから、なんとなく往時の姿が想像できて、思っていたよりは城跡として楽しむことができました。


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