雑居空間
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 2023年、新年一発目の城攻めとして、山梨県へ行ってきました。
 まずは韮崎市にある新府城へ向かいます。



 新府城は1581年に、武田勝頼によって築かれました。
 それまで武田氏の居城は、勝頼の祖父・信虎によって築かれた躑躅ヶ崎館でした。しかし北側に山を背負った立地のため、守るにはよくても城下町の拡大に限度があり、支配地域が広がるにつれ段々不便になってきます。
 そこで交通の要衝でもある韮崎に新府城を築くことになります。新府城は台地の上に位置している平山城で、武田流築城術の粋を尽くし、数万規模の大軍勢の運用を想定した大規模な城郭となっています。また、東西を釜無川と塩川という2本の川に挟まれており、防御と同時に水運の機能も持ち合わせています。

 ただ、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗れて以降、武田の勢いはかなり衰退していました。勝頼は織田との和睦の道を模索していたようですが、織田はそれを無視して武田領への侵攻を本格化させていきます。
 1582年に織田・徳川軍が甲斐に侵攻し、織田と同盟を結んでいた北条も軍を動かします。あちらこちらで苦戦を強いられる武田軍。織田軍が新府城近くまで進軍してくると、勝頼は巨大城郭だった故にまだ未完成だった新府城に火をかけて放棄し、岩殿城へと撤退していきます。
 しかし、岩殿城の小山田信茂が勝頼を裏切り、岩殿城への道を封鎖してしまいます。岩殿城に入れなかった勝頼は天目山にて自害。これにて戦国最強を誇った武田氏も、一巻の終わりとなるのでありました。いきがポーンとさけた。

 その後の新府城は、武田滅亡後の天正壬午の乱で一時的に利用されたこともありましたが、躑躅ヶ崎城の近くに甲府城が築かれてからは甲府が甲斐の中心となり、そのまま廃城となりました。
 ただ、焼かれたため建物は残っていないものの、大きな戦の舞台にはならず、後の中心部からも外れたために、割と良好に城跡が残されています。現在は国の史跡に指定され、それなりに整備されています。





 JR中央本線の新府駅からスタート。
 駅舎すらない無人駅だったので、ちょっと驚きました。



 新府駅から西へ1㎞ 弱ほどの所に、新府城はあります。
 道中、新府城への案内板がいくつかあるので、それに従って行けばたどり着けると思います。



私が行ったときは工事で通行止めになっている箇所があったので、迂回しなくてはいけませんでしたけどね。



 というわけで新府城に到着。新府城跡は南北に長いのですが、ここは北東部に当たり、城郭の北にある本丸の下になります。





 入口付近にあった、新府城の案内板。
 これを見ると、本丸がやたら大きいことがわかります。

 駅から新府城を目指してまっすぐ進んでくるとここに出るのですが、城跡を見学するのなら、できれば三の丸のさらに南にある大手門から順番に見ていく方が良かったと思います。ただ、そっちのルートはちょっとわかりにくいんですよね。



 ここから北東の方を眺めると、地図で「首洗池」と書かれている場所になりますが、現在は池は埋められているようです。



 鳥居をくぐって目の前の階段を上っていくと、一気に本丸まで到達します。



 階段での直登以外にも「乙女坂」という迂回路っぽい道もありましたが、まずはまっすぐ登っていきます。



 階段を上りきるとそこはもう本丸です。本丸には藤武神社という、武田勝頼を祭神として祀っている神社があります。
 いやしかし、思ったよりもキツい階段でした。山登りサボっていたからなぁ。



 本丸はかなり広々としています。



 本丸にも新府城の想定復元図がありました。下にあったやつより、こっちの方がわかりやすいですね。
 今通ってきたルートは、稲荷曲輪から本丸へまっすぐ登ってきた感じですね。



 本丸の北側には石碑などがたくさん並んでいます。
 これは武田勝頼公霊社で、武田氏滅亡後に、領民がかつての国主の恩徳を追慕して建立したものだそうです。



 勝頼以外にも、馬場美濃守や山県昌景など、周囲には家臣の名前が書かれた棒(?)が建てられています。



 本丸から北を眺めると、(多分)八ヶ岳の山々が見えます。



 やたらゴツイ霜柱。





 本丸から西にある二の丸へと下りていきます。



 ここは本丸と二の丸の間にある曲輪ですかね。



 二の丸に到着。特に何もない空間ですが、木がポツリポツリと生えていて、ちょっと整備されてないな感が。



 二の丸の南東辺りにある土塁。左側は三の丸方面に出ていく馬出しに通じる門になります。



 あまりわかりやすい写真ではありませんが、新府城の西側は崖になっています。住宅地の向こうに釜無川が流れています。





 二の丸からさらに、北西側へと下りていきます。



 井戸跡。すり鉢状の窪地の中に井戸があったようです。



 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、中央の空堀の上に、かつては木橋が設えられていたようです。



 さらに北西へ。ここは乾門。通路が折れ曲がった枡形虎口になっています。



 乾門を外から見て。



 さらに下りて、城跡の北側へ。
 北には水堀跡が残っています。北側にある水堀は東堀、中堀、西堀と3つに分かれており、ここは西堀になります。



 ここは中堀。西堀はある程度の広さがありましたが、中堀と東堀は城跡近くに細く深い水堀がありますが、その外側はあまり深くない湿地帯になっています。





 北にある水堀には2ヶ所、堀の中に突き出た出構(でがまえ)があります。



 そのまま東へ進み、最初に上ってきた神社下へ。階段ではなく乙女坂とあった参道へ進むとさらに道が二股に分かれています。左へ行くと神社へ上る道だと思うのですが、右へ行くと出構に行くことができます。



 2つある出構のうち、東側にある東出構へ。
 敵に対する攻撃用の場所だと考えられていますが、堀の水位を調節するためにものだという説もあるようです。



 東出構から見た東堀。左側に見えるのが深い堀で、その右側に広く広がっているのが湿地帯です。



 もう一本の西出構。



 西出構から北東方面を眺めて。



 出構から二の丸へ上り、今度は三の丸方面へ下りていきます。



 これは二の丸の門を南から眺めたところ。手前のエリアが馬出しとなっていて、奥にあるのが二の丸の土塁で、右側に二の丸南側の門があります。





 そこから南へ下っていくと西三の丸に出ます。
 ただ、草ボーボーで、三の丸の中へ入っていくことはできません。周囲をぐるっと回るだけですね。



 そのまま南に回り込んでいくと大手門に出ます。

 これまで見てきた本丸、二の丸、三の丸は遺構こそ良く残っていますが、そこそこ草も生い茂っていて、あまり観光地っぽくありませんでした。そんなところに、急にめちゃくちゃ良く整備されたエリアに出てビビりました。なんでいきなりこんなキレイになってるの?



 東三の丸の看板もあるのですが、ここも草ボーボー。通路が西三の丸よりも低くなっているので、曲輪の様子も良くわかりませんしね。



 東三の丸へ上っていく踏み跡があったので行ってみましたが……。



 上り切ったところで笹薮に行く手を遮られて、それ以上は進めませんでした。



 このまま三の丸を回り込んでいくとまた本丸の東側にでるはずなので、そのまま大手門へ行ったのですが、まだ帯曲輪とかあったようなので、せめて一周はしておくべきでしたね。





 高い土塁に囲まれた大手門。



 そしてその門を抜けて馬出しに出ると、目の前に富士山が現れます。
 よく、静岡側だと宝永山が入るので、富士山は山梨側から見る方がきれいだと言いますが、確かにシルエットはすっきりしていますね。甲府からだと富士山の手前に山があるので富士山は山頂付近しか見えないのですが、ここからならしっかりと見えます。ただ、方角的にどうしても逆光になってしまうのが残念ですね。



 馬出しの下には、三日月堀があります。





 下に下りて、三日月堀を鑑賞。
 この大手門と三日月堀が、観光地としての新府城としては一番の見どころです。



 三日月堀から馬出しを見上げて。



 ここから下りていきます。
 ただ、ここを下りても、ほとんど案内板もない農道みたいな場所に出るんですよね。最初の方でも書きましたが、城跡を巡るなら大手門側からスタートした方がいろいろと良いと思うのですが、ちとPRが足りていない気がします。
 あと、大手門と馬出しだけはバッチリ整備されているのですが、他の場所ももう少し頑張ってほしかったですね。予算が足りないのかなぁ……。



 この後、新府城から南へ3㎞ ほどの所にある、韮崎市民俗資料館へと移動しました。



 道中、西を見ると、南アルプスの山々がそびえ立っています。



 韮崎市民俗資料館に到着。入館料は無料です。



 ここで、続日本100名城のスタンプを押すことができます。
 図案はちょっとわかりにくいけど、西側の崖ですかね?

 韮崎市民俗資料館では1階に新府城に関する展示があり、新府城のジオラマも展示されていました。新府城へ行く前にここを訪れた方が、いろいろとわかりやすかったかもしれません。
 また2階には、縄文時代の土器や土偶などの出土品から、明治期の生活用品まで、さまざまな時代における民族資料が展示されています。それほど広くはありませんが、興味深い展示が多くて楽しめました。





 また屋外には、水車や、豪商の蔵座敷が移築されています。蔵座敷は中に入ることもできます。





 あと、ドラマは見ていなかったので詳細は不明ですが、朝の連ドラ「花子とアン」で使用されたロケセットも移築されています。ロケセットなので、見た目はボロいけど、まあまあ新しい建物なんでしょうね。
 豪商の蔵座敷も、ドラマ中では教会としてロケに使用されたらしいです。



 新府城は武田氏の本拠地にふさわしい、大規模城跡でした。
 正直、もう少し整備されているのかと思っていたのですが、割合自然が豊かな部分が多かったです。まあ、見て回る分には大きな問題はありませんけどね。あちこち歩きまわるのは結構楽しかったですし。
 大手門と三日月堀のあたりだけやたらきれいに整備されていましたが、少しずつでも整備範囲を広げて欲しいなぁと思います。特に、二の丸、三の丸周辺は。

 この後、中央本線で甲府へ移動。甲府駅の目の前にある、甲府城へと向かいました。


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