山梨県甲府市にある、要害山城と、その支城である熊城に行ってきました。
山梨県を訪れたのは、今回が初めてです。山梨県は立地的に他の県への通り道になりにくいので、電車で通過したことすらなかったんですよね。
甲斐の守護大名だった武田信虎が、1519年に本拠地を甲府の躑躅ヶ崎館に移しました。そしてその翌年に、詰城として要害山城を築きました。
その頃武田は駿河の今川と争っており、今川軍が甲府に迫ってきていました。そのため正室の大井夫人を要害山城に避難させていたのですが、その時に要害山城で、後の武田信玄が生まれたそうです。
要害山城は直接戦闘の舞台とはなりませんでしたが、武田滅亡後は豊臣配下の加藤光泰が甲府に入って甲府城を築城。江戸時代以降も甲府城がその地の中心となり、要害山城は廃城となりました。
要害山城へは、JR中央本線の甲府駅からスタートします。甲府駅から北へ2㎞ちょっと行ったところに躑躅ヶ崎館跡である武田神社があり、そこからさらに3km ちょっと行った山中に要害山城はあります。

甲府駅から武田神社までは、武田通りをまっすぐ進めば到着します。

武田通りには武田家の家臣のイラストと解説が書かれた箱みたいなものがたくさん並んでいます。東京電力のマークがついているから、変圧器でしょうかね。

あんまり美化されていなくて、みんな悪そうな顔しているのがいいですね。

25分ほどで武田神社というか、躑躅ヶ崎館に到着。ここは要害山城へ行った後に、またじっくり見学する予定なので、まずはスルーして先を急ぎます。

武田神社の東側から山道に入っていくのですが、武田神社の東側には躑躅ヶ崎館の遺構が残っています。現在の武田神社は南側が正面なのですが、躑躅ヶ崎館はこの東側が大手口だったようです。
要害山城へ行く前にこの辺をウロウロしたのですが、それはまた躑躅ヶ崎館の記事で。

その先にある階段を登っていきます。

階段を登りきると、竜華池があります。
ここは農業用に作られた人工のため池で、ブラックバスが放流されいるので釣り人も大勢訪れます。

ここからは甲府市街が見渡せます。この段階ですでに、甲府駅から100mくらい標高が高くなっているんですよね。

竜華池へ登る階段の途中に、要害山へのルートがあります。ここから山道に入っていきます。

登り始めだけちょっと急登でしたが、それ以降は特に急な部分はありません。

途中いくつか分岐もあるのですが、ちゃんと看板もあるので間違える危険性はそんなにないと思います。

ただ、途中なぜか地面が濡れている箇所があって、ちょっと滑りやすくなっていました。この日を含め、数日間は雨は降っていなかったはずなんですけどね。水が湧きだすところがあったりするんでしょうか。

ここが一番危なかったところ。トラバース気味になっていて足元が悪そうなところに限って、下が濡れているんだよなぁ。

部分的に足元が怪しいところもありましたが、全体的には楽に歩けるかと思います。

1時間弱ほど山中を進むと、一旦車道に出ます。

ここから急な舗装路を登ります。ここ、本当に急で、手すりを使わないと危なかったです。
滑りやすさのせいか、急坂の場合、土の道より舗装路の方が歩きにくいですよね。

幸い、舗装路はそれほど長くは続かず、じきに土の道となりました。

階段があったんですけど……。

結構ボロボロ。

その先で、ようやく要害山城の入り口にたどり着きました。

史跡の境界線。ここからが要害山城となります。

要害山城は尾根の上に築かれた連郭式の山城なので、ほぼ一本道を進んでいくことになります。場内はよく整備されていて、武田神社から要害山城入り口までの山道よりも、はるかに歩きやすいですね。
ただ、傾斜は何気にキツくなっています。あちこち見て回るためにちょいちょい足を止めていたから何とかなりましたけど、サクサク進もうとすれば結構大変だったかもしれません。

途中、石積み跡も残っています。

ポイントポイントでは看板が立てられていて、竪堀とか土塁とか、遺構が分かりやすくなっています。

ここは門跡。門の先で右に折れていて、虎口になっています。

その先にあるのは不動曲輪。

その名の通り、不動様がいます。
ただ、この武田不動尊は江戸時代後期に建てられたものだそうで、城として使われていたときに不動曲輪と呼ばれていたわけではありません。
で、ひとつ失敗したんですけど、不動曲輪の先で左右に道が分かれていました。なぜかこの分岐は先で合流していると勘違いしていたので、合流したらそこからもう一つのルートを歩こうと思ってしまいました。なので、そのまま右のルートを進んだのですが、実は反対の左のルートは行き止まりで、井戸があったんですよね。
そんなわけで、その井戸はスルーしてしまいました。要害山城を再訪する機会は多分ないと思うのですが、もしまた訪れることがあったなら、次は忘れずに井戸も見ていきたいと思います。




不動曲輪の後も、門、曲輪、竪堀、門、曲輪、竪堀と、防御線が連続して現れます。ただでさえ山登りで大変なのに、数多くの防衛ラインを突破していかなくてはならないわけで、ここを攻めるのもなかなかしんどそうですね。

いくつの曲輪を乗り越えたのかもよくわからなくなってきた頃、ようやく最後の門跡が登場。主郭部に到着しました。

案内板によれば、主郭部は東西73m、南北22mの長方形で、ひときわ広い空間となっています。ここには比較的規模の大きな建物が建てられていたようです。

主郭部の片隅には、武田信玄公生誕之地の碑が建てられています。

そしてここが、山梨百名山のひとつでもある、要害山の山頂になります。
要害山の標高は780m。史跡の入り口からの比高は180mくらいあり、なんだかんだ険しい山なんですよね。

本丸のぐるりには土塀があります。

土塀の上から。眺望はそんなにありませんね。

ここは主格部の東側にあるもうひとつの門跡。主格部を通り抜けて、要害山城を東へと降りていきます。

門跡のすぐ脇には、深い竪堀があります。ここの竪堀は石積みで固められていますね。

こちら側も、曲輪や竪堀が連続して、防御が固められています。

防御施設の数は西側と比べて少なめなのですが、その代わりに尾根がやせていて、大軍での侵攻を妨げています。

ルートを外れて左に進んだところにこの辺りの最高点があるようなので、ちょっと行ってみました。

まあ、何にもありませんでしたけどね。
多分誰も来ないだろうから、ここでちょっと休憩しました。
これで要害山城を一通り見終わったのですが、要害山城の近くにある、支城の熊城にも寄ってみることにします。
熊城は要害山城のすぐ南側にある尾根上にあります。ただ、一般的な登山ルートではないので、ちょっと注意が必要です。

要害山城から東へ下りていくと、ルートが分岐しています。ここを深草観音・岩堂峠方面へ進みます。

この少し先で、ちょっと滑りやすくて危険な地点がありました。斜面をトラバースするような感じなのですが、途中平らな部分がなくて、滑り落ちそうでした。

で、熊注意の張り紙の辺りで、登山道から分かれて尾根に入っていきます。
web で調べた時には、土管を利用した灰皿が目印と書かれていたのですが、それは見当たりませんでした。撤去されたのかな?

やせ尾根もありますが、それほど危険でもありませんね。


それなりに踏まれているので、バリエーションルートというほど歩きにくくはないのですが、それでも普通の登山ルートではないので、滑りやすかったり、道がわかりにくかったりするところもあります。基本的には尾根の上を進めばいいのですが、下り基調なので、どちらに下りればよいのか迷うところもありましたね。
普段山歩きするときにはYAMAP を使って位置確認をするのですが、YAMAP は人がよく通るルートが赤線で表示されるだけなので、正規ルートではなく線が引かれていないところを歩くときにはちょっと心もとない。なので、少人数の踏み跡でも表示されるヤマレコを参考にして歩きました。

やがて、熊城の目印である、大きな堀切が現れます。

堀切の底から。

熊城は要害山城と違って整備されていないので、堀切もワイルドに乗り越えていかないといけないのですが、それでもそれなりに訪れる人はいるようで、堀切の横に登るための踏み跡が付いています。


熊城も要害山城と同じく尾根上に作られた連格式の山城なので、尾根を進んでいくたびに堀切や竪堀などが次々に現れます。

石積みで補強されている場所もあります。





この、木に赤いペンキが付いている辺りが、熊城の終わりとなっています。
でかい堀切があったり、畝上竪堀があったり、なかなか見所のある城です。もっと整備されて、訪問しやすくるなると良いんですけどね。
現状でも訪れることは可能なのですが、けして道が良いとは言えないので、熊城へ行こうと思われる方は、十分に注意してください。

石のゴロゴロしているところを下りていきます。ここも石が不安定で、足を滑らせやすくなっています。

舗装路に出ました。ここは要害山の入り口へ続く、急な登りの舗装路のすぐ近くです。

登ってきたときと同じ山道で戻ろうかとも思ったのですが、一度歩いたところだし、この後の躑躅ヶ崎館の見学時間をなるべく取りたかったということもあり、普通に道路を歩いて戻ることにしました。

甲府市街が一望できます。この辺りは何気に、甲府駅周辺よりも、まだ200mくらい高い位置にあるんですよね。
そして何より、右奥に見える南アルプスの存在感よ! この写真だとそこまでわからないかもしれませんが、肉眼で見ると「でかい」という感じがものすごかったんですよね。標高が高いというだけではなく、横幅も奥行きもあって、圧倒的な質量を感じました。やっぱり奥多摩や奥武蔵の山々とは迫力が違います。
まあ、私はあんまりハードな山登りをするつもりはないのですが、山好きの人がアルプスに惹かれるというもよくわかります。いずれ、どこかの山の端っこだけでも、登る機会があったりするんですかねぇ。

躑躅ヶ崎館に寄る都合上、ちょっとイレギュラーですが、甲府駅スタートで、要害山城、熊城を回り、武田神社でゴール。行動時間は4時間。移動距離は11.8㎞、累積上りは789m、累積下りは724mでした。

躑躅ヶ崎館を見て回った後、甲府駅北口のすぐ近くにある、甲府市藤村記念館へ。ここで続日本百名城のスタンプを押すことができます。
ここで要害山城のガイドマップも入手できるので、可能なら先にここへ来た方が良いかもしれません。私はここで地図を見て、井戸をスルーしちゃったことに気づきました。

図案の上側はふもとから見上げる要害山城で、右に立っているのは武田信玄公生誕の地の碑だと思うのですが、下の建物は何だろう? 今は残っていないけど、要害山城の主郭部にあったという建物ですかね?
確かにシンボル的なものが存在しない城ではありますが、もう少しなんとかならなかったのかなぁ……。
山梨県を訪れたのは、今回が初めてです。山梨県は立地的に他の県への通り道になりにくいので、電車で通過したことすらなかったんですよね。
甲斐の守護大名だった武田信虎が、1519年に本拠地を甲府の躑躅ヶ崎館に移しました。そしてその翌年に、詰城として要害山城を築きました。
その頃武田は駿河の今川と争っており、今川軍が甲府に迫ってきていました。そのため正室の大井夫人を要害山城に避難させていたのですが、その時に要害山城で、後の武田信玄が生まれたそうです。
要害山城は直接戦闘の舞台とはなりませんでしたが、武田滅亡後は豊臣配下の加藤光泰が甲府に入って甲府城を築城。江戸時代以降も甲府城がその地の中心となり、要害山城は廃城となりました。
要害山城へは、JR中央本線の甲府駅からスタートします。甲府駅から北へ2㎞ちょっと行ったところに躑躅ヶ崎館跡である武田神社があり、そこからさらに3km ちょっと行った山中に要害山城はあります。

甲府駅から武田神社までは、武田通りをまっすぐ進めば到着します。

武田通りには武田家の家臣のイラストと解説が書かれた箱みたいなものがたくさん並んでいます。東京電力のマークがついているから、変圧器でしょうかね。

あんまり美化されていなくて、みんな悪そうな顔しているのがいいですね。

25分ほどで武田神社というか、躑躅ヶ崎館に到着。ここは要害山城へ行った後に、またじっくり見学する予定なので、まずはスルーして先を急ぎます。

武田神社の東側から山道に入っていくのですが、武田神社の東側には躑躅ヶ崎館の遺構が残っています。現在の武田神社は南側が正面なのですが、躑躅ヶ崎館はこの東側が大手口だったようです。
要害山城へ行く前にこの辺をウロウロしたのですが、それはまた躑躅ヶ崎館の記事で。

その先にある階段を登っていきます。

階段を登りきると、竜華池があります。
ここは農業用に作られた人工のため池で、ブラックバスが放流されいるので釣り人も大勢訪れます。

ここからは甲府市街が見渡せます。この段階ですでに、甲府駅から100mくらい標高が高くなっているんですよね。

竜華池へ登る階段の途中に、要害山へのルートがあります。ここから山道に入っていきます。

登り始めだけちょっと急登でしたが、それ以降は特に急な部分はありません。

途中いくつか分岐もあるのですが、ちゃんと看板もあるので間違える危険性はそんなにないと思います。

ただ、途中なぜか地面が濡れている箇所があって、ちょっと滑りやすくなっていました。この日を含め、数日間は雨は降っていなかったはずなんですけどね。水が湧きだすところがあったりするんでしょうか。

ここが一番危なかったところ。トラバース気味になっていて足元が悪そうなところに限って、下が濡れているんだよなぁ。

部分的に足元が怪しいところもありましたが、全体的には楽に歩けるかと思います。

1時間弱ほど山中を進むと、一旦車道に出ます。

ここから急な舗装路を登ります。ここ、本当に急で、手すりを使わないと危なかったです。
滑りやすさのせいか、急坂の場合、土の道より舗装路の方が歩きにくいですよね。

幸い、舗装路はそれほど長くは続かず、じきに土の道となりました。

階段があったんですけど……。

結構ボロボロ。

その先で、ようやく要害山城の入り口にたどり着きました。

史跡の境界線。ここからが要害山城となります。

要害山城は尾根の上に築かれた連郭式の山城なので、ほぼ一本道を進んでいくことになります。場内はよく整備されていて、武田神社から要害山城入り口までの山道よりも、はるかに歩きやすいですね。
ただ、傾斜は何気にキツくなっています。あちこち見て回るためにちょいちょい足を止めていたから何とかなりましたけど、サクサク進もうとすれば結構大変だったかもしれません。

途中、石積み跡も残っています。

ポイントポイントでは看板が立てられていて、竪堀とか土塁とか、遺構が分かりやすくなっています。

ここは門跡。門の先で右に折れていて、虎口になっています。

その先にあるのは不動曲輪。

その名の通り、不動様がいます。
ただ、この武田不動尊は江戸時代後期に建てられたものだそうで、城として使われていたときに不動曲輪と呼ばれていたわけではありません。
で、ひとつ失敗したんですけど、不動曲輪の先で左右に道が分かれていました。なぜかこの分岐は先で合流していると勘違いしていたので、合流したらそこからもう一つのルートを歩こうと思ってしまいました。なので、そのまま右のルートを進んだのですが、実は反対の左のルートは行き止まりで、井戸があったんですよね。
そんなわけで、その井戸はスルーしてしまいました。要害山城を再訪する機会は多分ないと思うのですが、もしまた訪れることがあったなら、次は忘れずに井戸も見ていきたいと思います。




不動曲輪の後も、門、曲輪、竪堀、門、曲輪、竪堀と、防御線が連続して現れます。ただでさえ山登りで大変なのに、数多くの防衛ラインを突破していかなくてはならないわけで、ここを攻めるのもなかなかしんどそうですね。

いくつの曲輪を乗り越えたのかもよくわからなくなってきた頃、ようやく最後の門跡が登場。主郭部に到着しました。

案内板によれば、主郭部は東西73m、南北22mの長方形で、ひときわ広い空間となっています。ここには比較的規模の大きな建物が建てられていたようです。

主郭部の片隅には、武田信玄公生誕之地の碑が建てられています。

そしてここが、山梨百名山のひとつでもある、要害山の山頂になります。
要害山の標高は780m。史跡の入り口からの比高は180mくらいあり、なんだかんだ険しい山なんですよね。

本丸のぐるりには土塀があります。

土塀の上から。眺望はそんなにありませんね。

ここは主格部の東側にあるもうひとつの門跡。主格部を通り抜けて、要害山城を東へと降りていきます。

門跡のすぐ脇には、深い竪堀があります。ここの竪堀は石積みで固められていますね。

こちら側も、曲輪や竪堀が連続して、防御が固められています。

防御施設の数は西側と比べて少なめなのですが、その代わりに尾根がやせていて、大軍での侵攻を妨げています。

ルートを外れて左に進んだところにこの辺りの最高点があるようなので、ちょっと行ってみました。

まあ、何にもありませんでしたけどね。
多分誰も来ないだろうから、ここでちょっと休憩しました。
これで要害山城を一通り見終わったのですが、要害山城の近くにある、支城の熊城にも寄ってみることにします。
熊城は要害山城のすぐ南側にある尾根上にあります。ただ、一般的な登山ルートではないので、ちょっと注意が必要です。

要害山城から東へ下りていくと、ルートが分岐しています。ここを深草観音・岩堂峠方面へ進みます。

この少し先で、ちょっと滑りやすくて危険な地点がありました。斜面をトラバースするような感じなのですが、途中平らな部分がなくて、滑り落ちそうでした。

で、熊注意の張り紙の辺りで、登山道から分かれて尾根に入っていきます。
web で調べた時には、土管を利用した灰皿が目印と書かれていたのですが、それは見当たりませんでした。撤去されたのかな?

やせ尾根もありますが、それほど危険でもありませんね。


それなりに踏まれているので、バリエーションルートというほど歩きにくくはないのですが、それでも普通の登山ルートではないので、滑りやすかったり、道がわかりにくかったりするところもあります。基本的には尾根の上を進めばいいのですが、下り基調なので、どちらに下りればよいのか迷うところもありましたね。
普段山歩きするときにはYAMAP を使って位置確認をするのですが、YAMAP は人がよく通るルートが赤線で表示されるだけなので、正規ルートではなく線が引かれていないところを歩くときにはちょっと心もとない。なので、少人数の踏み跡でも表示されるヤマレコを参考にして歩きました。

やがて、熊城の目印である、大きな堀切が現れます。

堀切の底から。

熊城は要害山城と違って整備されていないので、堀切もワイルドに乗り越えていかないといけないのですが、それでもそれなりに訪れる人はいるようで、堀切の横に登るための踏み跡が付いています。


熊城も要害山城と同じく尾根上に作られた連格式の山城なので、尾根を進んでいくたびに堀切や竪堀などが次々に現れます。

石積みで補強されている場所もあります。





この、木に赤いペンキが付いている辺りが、熊城の終わりとなっています。
でかい堀切があったり、畝上竪堀があったり、なかなか見所のある城です。もっと整備されて、訪問しやすくるなると良いんですけどね。
現状でも訪れることは可能なのですが、けして道が良いとは言えないので、熊城へ行こうと思われる方は、十分に注意してください。

石のゴロゴロしているところを下りていきます。ここも石が不安定で、足を滑らせやすくなっています。

舗装路に出ました。ここは要害山の入り口へ続く、急な登りの舗装路のすぐ近くです。

登ってきたときと同じ山道で戻ろうかとも思ったのですが、一度歩いたところだし、この後の躑躅ヶ崎館の見学時間をなるべく取りたかったということもあり、普通に道路を歩いて戻ることにしました。

甲府市街が一望できます。この辺りは何気に、甲府駅周辺よりも、まだ200mくらい高い位置にあるんですよね。
そして何より、右奥に見える南アルプスの存在感よ! この写真だとそこまでわからないかもしれませんが、肉眼で見ると「でかい」という感じがものすごかったんですよね。標高が高いというだけではなく、横幅も奥行きもあって、圧倒的な質量を感じました。やっぱり奥多摩や奥武蔵の山々とは迫力が違います。
まあ、私はあんまりハードな山登りをするつもりはないのですが、山好きの人がアルプスに惹かれるというもよくわかります。いずれ、どこかの山の端っこだけでも、登る機会があったりするんですかねぇ。

躑躅ヶ崎館に寄る都合上、ちょっとイレギュラーですが、甲府駅スタートで、要害山城、熊城を回り、武田神社でゴール。行動時間は4時間。移動距離は11.8㎞、累積上りは789m、累積下りは724mでした。

躑躅ヶ崎館を見て回った後、甲府駅北口のすぐ近くにある、甲府市藤村記念館へ。ここで続日本百名城のスタンプを押すことができます。
ここで要害山城のガイドマップも入手できるので、可能なら先にここへ来た方が良いかもしれません。私はここで地図を見て、井戸をスルーしちゃったことに気づきました。

図案の上側はふもとから見上げる要害山城で、右に立っているのは武田信玄公生誕の地の碑だと思うのですが、下の建物は何だろう? 今は残っていないけど、要害山城の主郭部にあったという建物ですかね?
確かにシンボル的なものが存在しない城ではありますが、もう少しなんとかならなかったのかなぁ……。
要害山城の登山ルートの起点にあります。
ああ、積翠寺でしたか。ルートの都合で積翠寺には寄らなかったので、わかりませんでした。
御教示いただき、ありがとうございました。
山城好きな先人達の歩いた跡がうっすらと見えました。ありがたやありがたや。
なお、甲府駅→要害山城→熊城→甲府駅まで、小生は5.5時間かかりました(苦笑)。
私も熊城へ行く前はいろいろ調べたのですが、どうもはっきりとはわからなかったんですよね。行ってみたらまあまあ何とかなりましたけど。
お役に立てたようでなによりです。