雑居空間
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 だいぶ前になってしまいましたが、去年の9月にマツダスタジアムでカープ戦を観るべく、広島へ行ってきました。チケットを取ったのは1日だけだったのですが、せっかくなので2泊3日の旅程で、広島を中心としたあちらこちらの城跡へ行ってきました。
 広島に到着してまず向かったのが、広島の市街地にある広島城です。



 広島城を築いたのは、中国地方の覇者・毛利輝元。それまで毛利家の居城は、内陸にあった山城・吉田郡山城でした。しかし1588年に豊臣秀吉に謁見するため上洛し、大阪城や聚楽第を見て吉田郡山城が時代遅れであることを悟り、海に近い、太田川沿いのデルタ地帯に広島城の築城を決意したそうです。
 工事は急ピッチで進められ、1991年に輝元が入城。しかしその段階ではまだ未完成で、全工事が完了したのは1599年のことです。
 しかしながら、1600年の関ケ原の合戦で西軍の総大将となった輝元は、敗戦後に周防・長門に転封され、代わりに福島正則が入ります。

 正則によって広島城および城下町の整備が進められ、広島城はこの段階でほぼ完成しました。しかしながら大規模な改修を行ったことで幕府に目を付けられてしまい(元々、豊臣恩顧の武将だったこともあると思いますが)、1619年、台風被害による広島城の改修が幕府に無届だったとして、改易されてしまいます。
 代わって広島城に入ったのは浅野長晟。以降、幕末まで、広島城は浅野氏の居城として機能していきます。

 明治に入ると、広島城には広島県庁が設置されますが、後に庁舎が移動し、陸軍の施設が建てられていきます。そして1894年に日清戦争が始まると、近くに宇品港があり、山陽鉄道が開通して輸送が容易になっていたことから、広島城に大本営が設置されます。このとき広島で帝国議会が開会され、一時的に首都機能を持つことになりました。
 この時点では、天守をはじめ、門や櫓など多くの建築物が残されていました。しかし、1945年、広島城から1㎞ほどの距離に投下された原爆によって、ほぼすべての建物が倒壊してしまいました。
 戦後、天守再建の機運が高まり、1958年に開催された広島復興大博覧会に合わせて天守が復元されます。また、二の丸の表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓も復元されていき、現在に至ります。





 JR広島駅からスタート。なんか工事中で、その外観を拝むことはまったくできませんでした。



 広島駅から西へ1.5㎞ほど歩いていくと、広島城に到着します。
 ここは広島城の東側。鳥居は広島城本丸の中にある、広島護国神社のものです。



 ここからも入っていけるのですが、まずは本丸と二の丸を囲む水堀の外側を回っていきたいと思います。



 水堀の北側へ。堀の向こう側には、本丸北西角に建つ天守が見えます。



 広島城は別名鯉城とも呼ばれ、堀には鯉が泳いでいます。
 広島東洋カープの“カープ”も、この鯉城から採られた名称ですね。



 広島城の西側に立っていた、灘尾弘吉先生顕彰像。広島出身の政治家です。



 広島城の南西角。三の丸の一部が残っていたのですが、新しくできたサッカースタジアム・エディオンピースウイング広島関連の工事のため、一部通行止めになっていました。今はもう工事は終わっているはずですが。



 工事エリアを回り込んで、ようやく広島城へと入っていきます。
 ここから見えるのは二の丸の表御門。そして復元された平櫓、多聞櫓、太鼓櫓が並んでいます。



 入口に広島城内の地図がありました。
 現在の広島城跡は、水堀にぐるりと囲まれた本丸と二の丸から構成されています。一応右下の「現在地」の辺りが三の丸になるのですが、駐車場になっているなど、史跡として観る部分はありません。



 二の丸表御門から入っていきます。



 二の丸内部。広島城の二の丸は、本丸に比べるとかなり狭いエリアとなっています。



 二の丸の南側には、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓と復元された櫓群が並んでいます。



 南西角の平櫓から中に入ることができ、表御門から太鼓櫓まで中を見学することができます。
 櫓内部には二の丸に関する展示がなされています。



 二の丸にあった建物跡。
 ここは馬屋の跡です。二の丸には他にも、番所や井戸などがあったようです。



 二の丸に植えられている、被爆樹木のユーカリ。
 「被爆して生き残っているユーカリはこの木だけです」と説明書きにありましたが、そもそも被爆したユーカリがどの程度あったんだろう?



 二の丸から本丸へと入っていきます。





 本丸の入口は枡形に折れ曲がっています。



 原爆によって焼失してしまいましたが、かつてはこの新に中御門がありました。



 本丸東南角にある土塁の上に登ってみました。



 土塁から見下ろした二の丸。
 二の丸は外に向いている南側には櫓が並んでいるのですが、本丸側と接している側には防御施設がありません。広島城の二の丸はかなり小さいのですが、二の丸全体が大きな馬出しのような役割を果たしていたようです。



 本丸の中にある、広島護国神社。



 カープも地域の環境美化を応援しています。



 本丸はかなり広々とした公園のようになっています。



 大本営跡。現在は礎石のみが残されています。



 本丸の北西角に建つ、天守に到着。本来なら天守の南側、東側に小天守があり、櫓によって連結されていたのですが、そこまでは再現されていません。



 別角度から。
 城の色と言うと白かったり黒かったりするものが多いのですが、広島城は木の色をそのまま出しているのが特徴ですね。



 天守入口に、日本100名城のスタンプがあります。
 図案は広島城の天守。シンプルでわかりやすくていいですね。

 天守の中は資料館になっており、広島城や広島市街地の歴史について展示されています。



 広島城のキャラクター「しろうニャ」。
 チャームポイントは、比翼千鳥破風にみせかけた耳と、下見板張り風の首輪、らしいです。





 何か所か撮影可能スポットがあります。ここは武家屋敷の中の再現です。





 こちらは商家。
 この階段になっている箪笥、いいよね。



 最上階へ。廻縁になっていて、360°周囲を見渡すことができます。



 ただ、広島城の周辺はビルが多く、あんまり「おお、すごい」という眺望でもないですね。



 広島城の北に見える牛田山。市街地の比較的近くで標高も低いお手軽ハイキングコースがあるので、山登りルート候補として検討していました。今回は城跡巡りを優先したので、ここに登るのはまたの機会に。





 天守から下りて、本丸内部を散策。
 天守近くにならべられているのが、旧天守の礎石。



 東小天守の石垣。階段から上に登っていくことができます。



 東小天守跡から見上げる天守。



 北東角に崩れた石垣があります。一説には、城の普請をとがめられた福島正則が、取り壊したと伝えられています。



 北側の石垣は福島正則の時代に築かれたものと考えられていて、刻印のある石垣多く見られます。
 この石垣にも、丸い跡が。



 そのまま水堀沿いに天守の北側に回り込もうかと思っていたのですが、通行止めでした。



 本丸北側の水堀。



 今度は南小天守方面へ。



 南小天守側から見上げる天守。



 こちら側も、天守の北側へは入っていくことができませんでした。特に問題もなさそうだけど、なんで立ち入り禁止なんだろう? 禁止エリアの中にベンチも見えるから、以前は入れたような気もするのですが。



 西側の堀沿いに南下して、護国神社の裏から本丸の南西隅へ。ここにも櫓があったようです。





 護国神社にあった、昇鯉の像と、双鯉の像。願いを込めて鯉をなでると、ご利益があるのだとか。



 広島城には前の広島旅行の時にも訪れていたのですが、当時はさほど城に興味があったわけでもなかったので、改めて訪れることができて良かったです。
 市街地にある平城という事で、開発のため遺構が失われるというケースも多いのですが、大本営があったことで本丸、二の丸と遺構がよく残っていました。つくづく、原爆による被害が残念です。

 この後、広島城周辺をうろうろしていたのですが、9月だというのにクソ暑くなってきて予定より早くホテルに撤退しました。夜に野球観戦もあったので、昼に体力を使いすぎるわけにはいきませんでしたしね。去年の夏、暑かったよなぁ……。



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