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ビジネスにも料理にも役立つ“ネタ”が満載!社労士・診断士のコンサルタント立石智工による経営&料理ヒント集

報道に見る:刑事と民事の狭間(ライブドア編)

2006-01-20 | 経営実務
さて、一昨日に引き続いて「ライブドア」の話題。次々と“新事実”が報道をされていますが、このブログでは少し違った角度から考えたいと思います。というのも、今回の“事件”は、「刑事的視点」と「民事的視点」でずいぶん様相が異なる印象を受けるためです。

奇しくも、愛読ブログである47th氏のふぉーりん・あとにーの憂鬱磯崎先生のisologueと、で、それぞれ大変興味深いコメントがありました。

まず、47th氏のエントリを紹介します。
ただ、それでも、ひとたび「責任」や「刑罰・行政罰」の世界の話として、それが「違法」かと言われれば、それは別の話ではないかという疑問が残ります。例えば、法律の世界でも、「明文では明らかではないけど、趣旨から考えると違法とされる可能性のある取引」というのは、いくらでもあり、まさに、その典型の一つがライブドアがニッポン放送株式買収の際に用いた「ToSTNET-1を用いた時間外取引」だったわけです(この辺りの詳細は過去記事(これとかこれとかこれとか)をご参照下さい)。

過去記事の中でも書きましたが、件の事件以前の段階で、こういう取引についての多くのビジネス・ロイヤーの立場は「OKを出すべきではない」ということだったと思います。ただ、他方で、実際にそれが起きたときに、それが「100%違法になる」というものでもありません。
その意味では、あれは我々からみれば「制度の穴」だったわけで、それを「利用すべきでない」とは言えても、実際に利用した人間を必ず「法律違反」に問えるかというと、そういうわけでもないと考えていたわけです。(最終的には、なぜか金融庁長官の解釈でお墨付きが出てしまったような形になってしまった後で法律改正がなされたわけですが・・・)

(上記は一部の抜粋です。本体はこちら


一方で、会計士である磯崎先生はこう述べています。
会計原則でいう「真実」とは、「絶対的な真実」とは違って、業種・業態や人間の判断によって若干ゆらぐ性質の「相対的真実」である、てなことが言われ、「罪刑法定主義」とか「租税法律主義」というのとは違って、(明文の)ルールに沿っているかどうかが問われるのではなく、会計の目的(大原則)にそっているかどうかが問われると考えます。もちろん、「相対的真実」なので、人によって若干考え方が違う面はありますが、「企業の財政状態や利益を適正に表示すること」は大原則中の大原則。にもかかわらず資本取引と損益取引を混同して利益を大きく表示しようというのは、会計で最も避けなければならないことなわけです。つまり、財務諸表論の1時間目で習うようなお話。

いくら明文のルールに書いてなくても、会計士100人に聞いて100人ともが「なんじゃそりゃ?」と言う会計処理や表示は、「公正なる会計慣行」とはいわないと思います。

(同じく一部抜粋です。本エントリはこちら


この二つを読み比べてみて改めて感じたことは、まず「会計原則や会計基準など、会計に関する話はあくまでも『民事(私対私の関係)』の話である」ということです。

今回の事件は、磯崎先生も御指摘の通り、“会計を通じて、企業は自ら真実の姿を明らかにする”という「企業会計原則」の根本的概念を踏まえると、恐らく何らかの「企業会計原則に従わなかった行為(特に資本取引・損益取引区分の原則)」があったというように判断するのが合理的なのだと思います。この面で言えば、これにより損害を被った者がいたとしれば、ライブドアに対して「不法行為による賠償責任」を請求できる余地は十分に用意されていると思われます。(ただ、「相当因果関係」があると認められる範囲がどこまでかということの判断は難しそうですが・・・)

一方、この話をそのまま刑事罰を与えるということにつながってよいのかどうかについては、議論の余地があるのではないかということも感じます。

刑事罰という制裁を与える行為は、「国から民に対する強制的公権力の行使」です。しかし、この制裁行為が「権力を持っている人の気分」で無制限に濫用されてしまっては、民主国家の基本である「自由」を大きく損なってしまうことになってしまいます。そこで、憲法では第31条にて
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
という「罪刑法定主義」を定めているのです。

そこで問題となるのが、「会計的にアウト=刑事的にもアウト」という等号関係が成り立つのかどうかということです。

この点について、47th氏のエントリで

ただ、それでも、ひとたび「責任」や「刑罰・行政罰」の世界の話として、それが「違法」かと言われれば、それは別の話ではないかという疑問が残ります。
(中略)
法律家というのは、(中略)本能的に国家権力がフリーハンドを持つことに強い警戒感を持っているので、「粉飾」という概念が事実上捜査機関に大きな裁量を与えてしまうんじゃないかということもまた非常に気になるわけです。これは、「何で弁護士は大量殺人犯を弁護するのか?」というのと少し似ているのかも知れません・・・(まあ、ライブドアは大量殺人犯ではないわけですが・・・)

と述べられている通りかと存じます。

個人的には磯崎先生・47th氏どちらの御意見も大変素晴らしいものであると感じています。ただ、それでもなお、国家が公権力を行使することについては、民事のそれとは異なるより厳格な条件で運用されるべきことであると思っていますので(そのための罪刑法定主義ですし)、報道が事実だったとしても、その事実を持って「ライブドアが刑事的な訴追・罰を受けるべきかどうか」いう話は切り離して考えるべき問題であると感じています。

報道が事実だとあくまで仮定した場合ですが、ライブドアは民事的な責任(例えば上場廃止なども含めて)を負ってしかるべきとは思います。しかし、刑事的な罰を受けるべきかどうかというと、会計慣行に沿っているかどうかではなく、あくまで証券取引法における刑罰規定と厳密に照らし合わせて判断されるべきなのではないかと、私は考えます。

実はこのあたりの話は「ヒューザー」の話題にもつながっています。明日のエントリでは「行政行為」も含めた観点から、ヒューザーの“報道”について見ていきたいと思います。


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