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つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

あたしの人生を生きたい

2020-04-12 19:21:51 | ○生き方/ありかた

東京都内の病院で新型コロナウイルスに集団感染とのニュースをたった今みました。病気を治すために病院に行った方たちが感染してしまうのは本当に切ないです。重症にならずに回復されることを祈ります。

思わず恐怖感を覚えて、呼吸が早くなりました。穏やかに過ごしてまいりたいです。みなさまもどうぞご安全に、そして生活のなかに美しいこと、心喜ぶこと見つけて、元気に穏やかに暮らしてまいりましょう。

最前線でご尽力くださる方々に、感謝申し上げます。

愛猫太陽が亡くなってからまもなく丸々1か月になる。2020年3月13日(金)午前1時50分、愛猫太陽は死んだ。悲しい。

少しずつあなたがいないことに慣れている。一緒に散歩に行かない生活、とても淋しい。

太陽が亡くなったとき、何を大切にしたいかすごい考えさせられた。何に心を注ぐか、どんな人生を送るか、考えた。

自分のありたいように、自分の感じたいように、自分の表現したいように、心を時間を使いたいとおもった。本当に大切にしたいことの優先順位をあげようとおもった。

なのに、今、コロナのニュースを消費している。気にすること、知ること、注意すること、心をかけること、大切。だけど、それとずっとニュースやSNSの書き込みをみて消費するのとは全く異なるのよね。

消費していると、目の前の大切にしたいことから、目を背けることになる。

真剣なことを考えるに慣れていなかったり、人に否定されるかもしれなかったり、誰かが離れていくかもしれなかったり、あるいは誰も共感してくれなかったり、そういう可能性を先送りできる。

だけども、それはあたしの人生じゃなし、あとですごい後悔する。わかっている。また自分と似た波動の人と縁ができるから、まずは自身が人生をしっかり生きることが大事なのよ。

こわがらないで。こわがってもいいから、表現して。生きて。

そんなことを考えています。

同じ日に書いた心境
太陽ありがとう、太陽が亡くなって1か月

臼村さおり twitter @saori_u
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日本史を学び直し(世界史選択なので本当は初めて学ぶ)―受験向け音声教材いい

2020-02-17 01:16:16 | ○生き方/ありかた

世界史に続いて、日本史を学習している。

「石川晶康のトークで攻略日本史B v.2 (実況中継CD-ROMブックス) 」を3周聞いた。ここで世界史にもう一度戻ろうかなと「青木裕司のトークで攻略世界史B v.2 (実況中継CD-ROMブックス) 」を1回聞いてから、もう1回「日本史B v.2」を聞いた。

 


今は「日本史B v.1」に移ったのだけど、ひとまず「日本史B v.2 」を聞いた感想。いやあ新鮮で驚いたし、考え方が変わった気がする。

先ほど世界史を学習した話を投稿したばかりだけど、早くも日本史の学習記録を書くのは、さっき書こうとして、あまりに感動をすでに忘れていて自分でびっくりしたから。
世界史の学び直し― トークで攻略でながら学習 時間たっぷり

いやあ忘れっぽいなあ。学んだ内容を忘れたわけではなく、学んだときの驚きの気持ちを忘れた(とおもいたい)。

だから記憶がフレッシュなうちに日本史も書いておこうと。

日本が東アジア東南アジアをかなり侵略していたことを改めて知って驚いた。なんというか事実としては知っていたのだけど、あたしの脳の勝手な記憶ではここまでじゃなかった。
また戦争に行った日本人兵士も大変だっただろうなとおもった。祖父母からは戦争の話を聞いたことがなかった。

それと女性参政権も含めて、多くの事柄が戦後のものだということが新鮮だった。当たり前だとおもっていても、当たり前のものってけっこう歴史が短いのかもしれない。

あと、(こんな人でスイマセン、)お札に顔が印刷されていると無条件に尊敬すべきというか立派な人だとおもってしまうのだけど、そういうわけではないんだなと、おもった。

土地の仕組み、身分の話、政治、経済、新鮮な話いろいろでした。

これを書くと軽蔑されちゃうかもしれませんが、「選挙に行きたい」とおもえました。選挙、正直面倒だとおもっていたし、変わらないよともおもっていた。でもそういう問題じゃないんだなあと。「〇〇しなさい」じゃなくて、その理由や背景を知ることが大切なのですね。

高校時代は世界史選択で日本史を学んだことがいえ、よくもまあ知らなかったものだなあと。

「石川晶康のトークで攻略日本史B v.2 (実況中継CD-ROMブックス) 」は大学受験向けの学習教材だから、暗記や試験対策を重視しており、その部分は社会人にあわないかもしれない。

だけど一番入手しやすい音声教材だろうし、まずは一定レベルの基礎知識があったほうが深めやすいと思うから、社会人にもおすすめ。あたし自身は聞かせていただけてありがたい。

空き時間にながらで聞き流していてテキストを参照していないこともあり、漢字がわからない。いつか時間をとってテキストをみながら学習したほうがいいんだろうな。でも今は、ただ聞けていることに満足したい。

聞いておけばどこかで情報を耳にしたり、目にしたりしたときに、受け取り方が変わるし、そのたまたまから情報を摂取できることもある気がしている。

こんな感じです。

気張らずに聞き続ける―

今読み返してみると、「いやあのデフォルメしているだけであって、ある程度は知っていましたよ。あくまでも程度の問題です」と言い訳したくなる見栄?プライド?恥の概念?は一体何なのでしょうか。。。

えいや。現在地に立脚してここから学びます。

ではまた

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やりたいのにやっていなかったことを始めると、理由や原因と向き合える

2020-01-06 23:57:47 | ○生き方/ありかた

マスだ!展のオープニングパーティに行ってまいりました。お話させていただきどうもありがとうございました。大いに刺激をいただきました。
急上昇中だけど、でも周りとの差に落ち込んだよ という日記

画廊の方があたしの作品の位置を移動してくださっていました。画像は後日アップします。

パーティに行く前に読書交換会の会場に入金。パーティ後はいくつか買い物。昨日もお買い物。世界堂で福袋を2つも買ってしまった。いや、「しまった」というのやめるー。買った!!

社会は本日から仕事始めですし、こうやってマイペースで過ごすのもあと数日かもなあ。

いつもマイペースだけど、なんというか、お正月は、とことんマイペース、そんな気がする。こんなときこそいつもと違ったことがやりやすい。

このマイペースに乗じて、ホリスティックヘルス勉強会に向けて少し準備した。人生が動いているなかで新しいことを始めるのにはパワーがいる。
ゆったりと健康についての勉強会をスタート 2020年の抱負

だから自分の人生は常に動いていても、社会生活がいつもより止まっているようなお正月のようなときは新しいことに目を向けやすい気がしている。

ずっとやりたかったけれどやっていなかったことを始めるとき、やらなかった理由または原因と向き合うことになる。

その原因は時間やしがらみ、あるいは財政や資格であることもあるけど、たいていの場合、心理的な自身の気持ちも大きい。

今回のホリスティックヘルス塾に限った話ではない。さらにいうならば、巻き込むなと思われるかもだけど、あたしに限ったことではない。

誰でも少なからずそういうところあるよね?

あたしはそういうところが多いか、あるいは少なくてもそういうことをいちいち見つめてほじくり返して、浄化させるのが趣味。(うん、だから今の仕事しているのでしょう。)

というわけで自身を見つめている。

何よりもおもうのは、今回一緒に開講してくれる講師の方や、参加を予定してくれている友人の存在がありがたい。

今実のところ、見つめるプロセスはそんなにはかどっていない。思考が進まず頭がぼーっとしてしまったり、気づくと違うことを考えていたりする。見たくないんだろうなあ。

ほぼエネルギー調整という名の浄化のみです。ふとしたときに気づきが誘発されますように。

そしてひとまず開催して、そこからまた考えることになる気がする。

ではまたー

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時間を大切にしたい、愛せること愛したいことに注ぐ

2019-12-14 22:26:42 | ○生き方/ありかた

時間の使い方について考えさせられたここ数日だった。

友人のコンサートがあって、とても行きたかったのだけど、やることが多すぎて予定を取りやめてしまった。コンサートの様子がネットに流れてきて、それをみていいなあ、行きたかったなあとおもった。

そして、心の底からおもった。ちょっと待って!! あたし、なんでこんなに貧しいの? と。

時間がほしいとおもった。時間貧乏。

確かにいろいろとやらせていただいているから、忙しくなってしまうのは当たり前にみえるかもしれない。

でも削れる時間ってあるのよね。

漫然とネットを見る時間、嫌だなあとおもいながら、興味がないままにやりとりしたり、おしゃべりしたりする時間。

さらにいうならば「あ、あの人たちに会うのか・・・、お話を聞くと心が暗くなるのよね」と、会う前から悶々としている時間、会っても嫌だったなとわざわざ反芻している時間。

そうすると集中力や心が疲れてしまって、集中力貧乏、気持ち貧乏にもなる。


認めたくないけれど、正直なところ、そういう時間がとても多い。それなのに怖くてそういう場から離れなかったりするときもある。


正確に書くと、少し前からそういうことが気になりだして、少しずつ対策を講じていたから、よけい気になったのかもしれない。

気にし始めたばかりの頃って、理想と現実のギャップが大きいじゃない? あんな感じなのだ。


そう、そして、この文章を書いていて、当然のことながら逆もあるだろうなとおもった。

相手にそう思わせてしまっていることもいっぱいあった(ある)よね。

相性もあるし、今ほど成熟しておらず、心が疲れていたときだってある。

ときにはある場で自分だけなんとなく波長が合わず、遠ざかけられて淋しいなとおもったり、嫌われたと落ち込んだこともあったなあ。

より幅広い人と波長を合わせられたらいいのかもしれないけど、波長が合いにくい出会いはいっぱいある。

世の中、人間はいっぱいいるからね。別の自分と縁がある人と出会い直せばいいことも多い気がする。

大切なのは、縁がなかったんだなとおもって、自分の軸を中心としてまた関係性を求めていけることなんだろうなあ。もちろんずっとのお付き合いもあるけれど、世の中の人間関係でそれほどは多くない。


ただ自分のことを嫌いだと、誰かに離れられときに自己否定の気持ちが強くなってしまってつらいよね。また、嫌だなと思いつつ離れられないのも、自己評価の低さゆえかもしれない。

自身のことを愛していることが大切で、今日もいっぱい自分を癒してあげたいのだー。


現在進行形で、あたし自身が経験中のことなので、多少青臭い部分もあるかもしれません。が、今はそんな風におもっているよという日記でした。


ではまた

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じわじわ来たものは、気づいたら動けないこともある

2019-09-19 23:36:39 | ○生き方/ありかた

どちらかというと夜行性。個人的には性格だけじゃなくて、きっと生物学的には日の光が苦手なのと関係している気がしている。

そこに加えて昨夜は徹夜をしてしまったから、勢い起きたら昼下がり。あっという間に夕方で、人一倍、秋の夜長になっている。

久しぶりにファミレスで夜を明かした。若かりし頃のような、遊んでいたら終電がなくなってしまい、始発までおしゃべりしていたというパターンではない。ファミレスで時間を過ごすことを目的にひとりで出向いた。

おひとり様ファミレス。

何か〆切ごとがあるとき、おひとり様ファミレスをやることがある。そういうときは、家にいると掃除をしたくなったり、お茶を入れる回数が多かったりで、なかなかはかどらないのだ。

もっとも昨日は集中するかとおもいきや、SNSを徘徊してしまってなかなか進まなかった。・・・正直、初めてではない。うー、でも家にいるよりはいいよね。

まし。ましなのだ。そして昨日についてはこれでよかったとおもっている。

少なくとも現段階では自分の行動に納得している。

けれども、人生において、どの程度"まし"を許容するかは考えどころだなとおもっておる。

塩梅やバランスは大切で、白黒つけるような話でもないけど、程度の問題。

そしてどんなことでも程度は、だんだんと増したり、減少したりする。ちょっとずつの変化
だとあたしたちには感知できず、「気づいたら・・・〇〇になっていた」という展開もありえる。

疲労がちょっとずつ蓄積して、自身の健康の常態が低下し、気づいたら疾患が発生するのもそのひとつ。否定的なセリフを言われ続けて、自己評価が低いのが当たり前になってしまうのもそう。

とネガティブなことだけじゃなくて、少しずつ筋肉がついたり、何か技術を習得したりもそうだし。うん、あと髪が伸びたりって自分では毎日みているからそんなには気づかないよね。

 
ときおり3年前のことを思い出す。三毛猫・由芽がなくなったときを思い出す。9月初めの夜、亡くなった。16年一緒にいたから喪失感がすごかった。

その晩、あたしはひとり昨日と同じファミレスに行った。

そのときね、あることを放棄しようとおもったの。でもね、実は、、、お恥ずかしながら、放棄せずにずるずると続いてしまった。

一言でいうと、あたしの癒着のなせるわざ。今はやめたけど、数年後となってしまった。

いざ、離れてみるととても体が軽い、、、けど動けなかったのよねぇ~、まあ、ケチ根性みたいなものです。

まだ大丈夫なんじゃないかとおもってしまった。


自身の寿命も、大切なひとと過ごす時間も、無限ではないから、何に自身をおくかはとても大切だなあとおもいしったのだった。

おもいしっても数年そのままだから、おもいしってはいなかったのかも
ひとまず、ここに学ぶ―。


夕べは、そんなことを思い出した。感傷に浸ったり、自分をの感情を見つめたりしたかった。

が、〆切のこともあり、進めた。

こういう話はそのままストレートに書くとなんか違う気がしていて、できれば物語とか小説みたいにしたいものだのう。(私事ですが、初めて小説書きたいという気持ちになったかも。)

 

さておき、

何かまとめて時間を作りたいときに、夜中のファミレスに行って朝までいるのは、状況が許す方にはお勧めの方法だよ。

もっともBGMのなかに会話が入ったり、音楽の日本語歌詞が気になったり、周りの席の人の会話が気になったりで集中できないこともある。

だから耳栓を忘れずに。
昨日初めて耳栓を持参してみたら、音が聞こえず快適だった。また今度機会があったときは耳栓を持っていくつもり。

ではまた

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あきらめないよ、少しずつ すぐに変わらぬやるせない

2019-07-23 21:22:01 | ○生き方/ありかた

夏の土用に触発されたのも、あるんだろうな。
夏の土用はいつかのために化石燃料をしこむよ 2019年夏の土用

先日、久しぶりに大泣きをした。きっかけは猫が体調を崩したことだけど、途中からそうなるまでの経緯とか、今すぐには変わらない自身の人生とかいろいろ考えだして、かなり泣いた。

最初はそこまで感情が決壊したわけではなく、ちょっと集中してやりたいことがいくつか続くから、集中しやすくなるためにも、一度今のタイミングで泣いてしまおうとおもった。

けれど一度吐き出そうと決めたら、だいぶ泣いたみたいで、目が腫れたよ。ガスを抜こうかなとちょっと蓋を緩めたら、おもったよりもガスの勢いがあって、一瞬蓋が行方不明になったのかも。

心や魂にとっては気持ちのよいこの作業。でも目には、文字通り負担が来るね。腫れたし、痛いしだったよ。

朝までに書きたい原稿がある状態で夜中に泣いたものだから、PCの画面を見つめにくくなってしまって辟易。短気だからちょっとイライラしたな。おでこと目の間にアイスノンをあてながら頑張った。それで痛みというか違和感は取れるのだけれど、実質的な視力としては画面がみにくくて、しんどかったー。

この目の感覚をすっかり忘れていて、そんなに泣いていなかったかなとちょっと意外だったな。


あたしたちには体があって3次元で生きている。だから何かに気づいたり、発見があっても現実はすぐには反応しない。一言でいうとその落差がくやしくて泣いてしまった感じかな。

反応が遅いのは本当にすばらしいこと(と個人的にはおもっている)だとわかっている。ラッキーなこと。だってちょっとネガティブなこと考えたら、それが現実になっていた!!なんて困るもの~。
様々な感情を味わいながら人生を歩めるのは、すぐに物事が現実化しないあたしたちの特性のおかげであり、人生にうーんと深みを与えてくれている。


しかーし。いろいろ気づくと、今の状態に確実につなげている自分が悲しくなるのよね。

あたしの場合は「やらなきゃよかった」とおもっているよりも、「やればよかった」というやらなかったことへのおもい。さらに正確に表現するなら「なんでやってこなかったんだろー」という継続してこなかったことへのもどかしさが多い。

積み重ねや継続、習慣、少しずつ変わっていくこと、とても大切だし、底力がある。そしてそれに代わるものってあまりない。体と同じで付け焼刃だと、対症療法に過ぎなくなってしまう。

継続や積み重ね、習慣が、最近の自分のテーマになっているのもあるんだろうね。しばらくこのトーンが続くかもしれぬ。なまあたたかく見守ってやってください。

同じ内容で落ち込むこともあるかもしれないし、いやきっとあるだろうけれど、それでもこれを機会にちょっとずつ積み重ねていければいいな。

自戒を込めてー
そしてちょうど流れがシンクロしている誰かの胸にも響いたら素敵だなとおもいつつ。

 ではまた

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アイデンティティー・クライシスと恒常性(ホメオタシス)=思い込みの崩壊

2019-06-07 04:39:39 | ○生き方/ありかた

第69回埼玉県美術展覧会(埼玉県展)に絵を展示させてもらっている。ありがたい。
第69回埼玉県美術展覧会(埼玉県展)、つぶつぶ猫が入選♬

夕べ、埼玉県展のウェブページをみたら、入選者名簿が公開されていることに気づき、早速覗いた。(※ボールペン画は臼村のみかも。この話はまた今度書く。)
第69回埼玉県美術展覧会(県展)入選者の入選者名簿
あたしの名前もあってほっとした。心どこかで「入選は間違えでした」って言われたり、入選があたしの勘違いだったりとおもってしまっていたんだろうね。

この感覚、初めてではない。
昨年の12月に新宿のタリーズコーヒーで個展をやらせてもらったときも似た感覚があった。搬入を終えて翌日初めて、お店に行くとき、ドキドキした。本当に店内にあたしの絵が飾られているのかな、普通にみんな座ってコーヒー飲んでいるんだよね、本当かな、と信じきれず、変な汗かきながら、新宿三丁目の駅からお店まで歩いた。
ソロ展示始まりました 何か特別なことがあるときも、何気ない日常の一瞬もすべて美しい


まだ実は埼玉県展に一度も行けていない。時間が作れるときは、個展を開催させていただいている要町のまめのきに行くことを優先するようにしていて、両方とも昼間にオープンしている会場なので2か所は厳しい。まめのきから埼玉県近代美術館まではけっこう距離もある。
埼玉県展入選記念!臼村さおりつぶつぶ個展@まめのき


まめのき自体にも去年に比べると顔を出している量が圧倒的に少なく、自身の変化を感じてる。生きているとずっと同じことはありえないから、これでいいんだろうね。いまは続けていることに満足しよう。

というのはちょっとした変化であって、たぶんいまもう少し、いやもうだいぶ、大きな変化に直面している。


大げさな表現かもしれないとおもいつつ、どうしてもほかに適切な言葉が見つからない。

たぶん、アイデンテティティクライシスの一種。

アイデンティティクライシスとは

自己喪失。若者に多くみられる自己同一性の喪失。「自分は何なのか」「自分にはこの社会で生きていく能力があるのか」という疑問にぶつかり、心理的な危機状況に陥ること。(参照:コトバンク

とのことなので、危機な感じ。

今のあたしはどちらかというと、どちらかといわなくてもとてもうれしくて、危機じゃない。だからちょっと違うのかもしれないけれど、自己同一性の喪失という意味では当てはまる。

「絵が描けない」「絵が下手」というのがあたしのアイデンティティだった。うれしくないことでも自分を保つことって、生きていく上では、安定になるのよね。
自己が立脚するポイントだし、自分自身を定義するときに役立つ。人は自分が何者かわからないと生きていきにくいもの。

なんだろうな。安定していれば、知っていれば、それ以上悪くなることはない。人間は未知のモノへの恐怖があるからね。安定していれば恐れる必要はないのだ。

あたしの美術に対する自己評価の大部分は、小学校・中学校時代に立脚している。
つまりは、地元がすべてであった時代、ふじみ野市民であるとき。

今もふじみ野市に住んではいるけれど、大人になるとだいぶ状況は変わるよね。今はまた埼玉県民という意識が強いけれど、一時は埼玉都民であった時代さえある。

だから都内(=全国)で受け入れられるのと、埼玉県で受け入れられるのは事情が異なる。あたしのなかに、大人になって自分で居場所を選べるようになったから受け入れられたと解釈しているところがあると思うんだよね。

けれどもかつての唯一の居場所であった埼玉県で受け入れられると、昔の自分を肯定してあげることができる。

つまり、ふじみ野市もある埼玉県展に入選したから、ものすごく癒されたんだとおもう。あたしの宇宙の中では、実際の展覧会の価値よりも、ずっと大きいこと。

だから、入選者名簿からふじみ野市から何人選ばれたとかカウントしたくなったのかもしれないね。14人くらいだった。


アイデンティクライシスといっても、突然不安になることもない。突然狂喜することもない。もう少し穏やかな感じ。

自分の想定と違うことに遭遇して、意外におもったり、想定の範囲ないに自身の落ち着きどころがなく思考がホワイトアウトしてしまったり、保留にしておくことが増えたりする感じかな。


気づいたら、自分が思っていたより足元が柔らかだった。「あれ?沼かしら?」と足を踏みしめる。と、「あれ?なんか底抜けた感じがしている…。次どうしたらいいんだろう? みたいな感じ。

なんだ、この鍵が掛かっているとおもったドア開くね。扉もとても軽いよ。
あれ?こっちは壁だとおもったらどうもカーテンらしく手で押したら揺れたよ、風が入ってきたよ。外に出るのもいいのかもね。ところで夜になったらカギ閉めたいんだけど。。。

漆黒の闇かとおもったら、気づけば光がさしている。喜ぼうかとおもったけれど、あれ、もしかしてこれは見方を変えらればむしろ日蔭がることに感謝するシチュエーションかもしれない。

そんな感じなのだ。

心理面におけるホメオタシス(恒常性)とも似ている。
ホメオタシス(恒常性)は、願望を妨げる敵になることもあるらしい

ではまたー

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自身の流れを微調整

2019-06-03 23:01:12 | ○生き方/ありかた

ここのところ、起きる前の眠る前に、ヒーリング、占い、エネルギーについて考えるように意識している。


アートの流れがかなり来ている。だからぼーっとしているときに、アート活動のことを考えていることが多い。

想いは現実をつくる。誰にでもいえること。(さらには、目に見えないエネルギーを送るのがあたしの本分のひとつでもあるので、思う力は人一倍強い。)

思えば思うのほど、アートの流れが急速になる。

というスパイラルの中にいる、たぶん。これはこれでありがたい話。


すべてはつながっているし、つぶつぶはエネルギーそのものという意味ではそれでいいのかもしれない。


と同時に、もうちょっと幹であるヒーリングと占いにしっかりと軸足を置きながら進みたいという気持ちが日増しに強くなった来た。

だから意識的に思う時間を作ることにしたんだ。


夜眠る前と朝起きる前は、考え始めて数日。

早速、少し流れが生まれてきた気がしている。

明日も佳い日となりますよう。

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情報交換が多いと月日を長く感じられるけど、質や量としあわせは別だよ

2019-05-30 23:51:39 | ○生き方/ありかた

ふとカレンダーをみたら今日は30日、すると10日前は20日。

なんと!!もう2か月くらい過ごしている気がする。

自分の中では20日がもっともっと前の感覚があって、ハタと手帖を見返したよ。

うん、確かに30日だから20日から10日しか経ってない。醍醐味のある日々だったんだろうね、うれしいな。

令和が始まって30日目。なんだかもっとだいぶ前から令和だった気がする。4か月前くらいが令和なイメージ。


きっとこの1か月、いろいろな経験を重ねさせていただいた。

人は年をとるとだんだんと時間を短く感じるといわれている。なぜなら新しいことが減り、以前の繰り返しになる。すると交換する情報量が少なくなるから早く感じる、という説が濃厚らしい。

この感覚、エネルギーやスピリチュアル、霊的な意味においてもよくわかる。
だからなるべく多くのエネルギー交換ができる自分であるように心がけている。エネルギーの循環がしっかり行われれば、吸収する量も発信する質も高くなる。実際、依頼をくださった方は時間を長く感じるようになるらしい。


ただ今回の時間を長く感じている現象は、エネルギー交換というよりも、実生活で新しいことが多かったからだろうな。

ただ正直なところ、うれしいことばかりではない。大変なこともあり、今でも現在進行形で切ないことがある。生きていれば、うれしいことだけというのは不自然であり、いろいろなものが混ざって当たり前だし、混ざってこそ人生。

ではあるけれど、なかなか精神的な強さ、自分の軸をしっかり保ち続ける胆力を要求されるよ。


だから、新しい経験が多かったり、エネルギー交換が多いからしあわせ、とは言いきれない!!

と今あらためて気づいた。

しあわせはとても主観的な感覚であり、本人がどう捉えるか。(つまりは、誰でもいますぐ幸せになることができる


誰かと話をするときに、情報密度が高ければ、エネルギー交換が多ければしあわせととられかねない話し方をしないように気を付けようとおもった。それはしあわせに感じてもらいやすい条件の一つに過ぎない。

だって自分に限って言えば、子どものころや10代のころ、周りのすべてが新鮮で、今よりもずっと情報交換の量が多かったはずだけど、しあわせだったかというと、うーーん、決してそうはおもっていなかった。

今振り返ると、「あ、あれはしあわせなことだな」「うれしい思い出」とおもうことがないわけではない。けれども当時はそうではなかったのだ。


さて、部屋の片づけをしようかなー。
モノが少ないと時間を長く感じると断捨離か何かの本で読んだこともあるよ。それも素敵だよね。

ではまた

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守りたい仕組み&脱出したい仕組み 体を護る、冒険する

2019-03-26 23:15:55 | ○生き方/ありかた

どんどん春めいてきている

春はカラフルに花がいっぱい咲くから好きな季節♬
水仙が美しく咲いている。

うれしいけれどちょっとドキドキ。間もなく百花繚乱になる

そうすると綺麗オーラで気分が明るくなることが多いけれど、自堕落な生活をしていると、光をみた魔女のように、自身とのギャップで「ぎゃーーーー、やられたーーー」という気分になるから。

結果的には春パワーでいい感じになるのだけれど、自堕落だと美がドンとくる感じで、衝撃が強いのだ。

楽しみだな~ドキドキだなあ~いろいろちゃんとやろー。


仕組みの大切さについて考えていた。

まず一番大切な仕組みは、なんていってもあたしたちの体。疲れてもちゃんと回復してくれる。(疲れたという感覚があることも仕組みだよね。疲れれば休もうとおもえる。)ウイルスや細菌をやっつけてくれる体の仕組みもある。
ホメオタシス(恒常性)。

また、社会の仕組みは、教育や福祉。交通ルールも仕組み。あたしたちの安全を守ってくれたり、一定のルールがあるからそれさえ守れば、意識を他に使える。
ほかにもいっぱいあるだろうけれど、いまはその話をしたいんじゃないから割愛。


いま考えていた仕組みは、あたし自身のあり方についての仕組み。

組織に所属している場合は、自動的に仕組みが機能する。例えば出社時間と退社時間、学校に通うこと。けれどもあたし自身はそういうのがないので、意識しないとついついやるべきことを後回しにしてしまう。

また、日課をしっかり日課としてこなしていないと、日課をすることに意識が必要になり、創造まで気持ちがいかない。
ついいろいろなことを目の前に来るまで放置してあせりながらやるけれど、そうじゃなくてもっと淡々とした仕組みにしておいたほうが、時間もそれ以上に(アートに限らず人生の)創造性にとってよいのじゃないかなーと。

上記はつくりたい仕組み。

そして脱出したい仕組みについても考えた。好きじゃなかったとしても、癖になってしまっているものも仕組みだよね。

その仕組みからほかの仕組みに作り替えたい。

これはちょっと大変。
快適じゃなかったとしても癖は一定の安全を保障してくれている。この癖をする限り、何かから安全に目を背けられる。好ましくないことになるにしても一気に悪くなることはないと知っている。

一方、冒険には気力や体力が肝要になる。また冒険がうまくいくとは限らない。失敗するかもしれない。

となると、あたしたちの恒常性(ホメオタシス)は癖を維持するほうが選択したくなるかもしれないよね。


体の恒常性は、あたしたちが生命体として生まれるときに持っているプログラムだから、護ることが大切。壊れる前に予防することが肝要。

けれども生き方については、壊したり、少し冒険したりする生き方が好き。それを忘れていたかもしれないな、と怖がりなあたしはおもったの。

4年前にこんな記事を書いておりました。
ホメオタシス(恒常性)は、願望を妨げる敵になることもあるらしい

いまこそ、偶然にまかせず、積極的に新しい仕組みを採用したいのだ!!

ではまた

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感情を再体験 少しずつ情報を組み替えたあとは・・・

2019-03-25 16:40:02 | ○生き方/ありかた

PCをリフレッシュしてすっきり。ショートカットや設定が消えてしまったから、まだちょっと使い勝手が悪い。ちょっとずつ整備していまいるー

ずっと書きたいなとおもっていて、先延ばしになっていた、感情を再体験するということについて書いてみる。


あたしは感情とか心の中で何が起こっているのとかを見つめるのが好き。見つめる頻度とか深さはそのときどきなのだけど、最近またブームが起きている。

見つめたときにおもうのは、心のなかで起こっていることの時空が自由すぎるということ。そのときの出来事だけはなくて、今までこうだったからということに根差して心が動く。時系列バラバラに反応する。わざわざ引っ張り出さなくてもいいのに、自動的に昔のことが引っ張り出される。そして現在とともに過去を再体験している。


自身を見つめるプロセスは、自分にとって役立つと同時に、占いやエネルギー調整という形でみなに還元できていてうれしい。

あたしたちの感情はミルフィーユのように何層にもなっていてどれが表出してくるか、どれがいま必要なメッセージかは異なる。それを読み解くサポートが占いだったり、自身の中で消化してもらう手助けがエネルギー調整だとおもっている。


どの感情も過去に残してきたもの。何気なく残したものもあれば、トラウマのように残ってきたものもある。

よいわるいを決めるのは難しい。その人の心を苦しくしているものであれば受け入れて浄化させていけばいいけれど、そのままでもいいものもある。

つい最近、ふとおもったのだけれど全部、思い出なんだよね。そしてうれしい思い出もある。うれしい思い出もあるよね。心に残っているという意味ではおんなじ。

おもえばずいぶん、自分の感情にダメ出しばかりしていたなあーと。もうちょっといい思い出にもフォーカスして、笑顔でいる時間が増えたらいいな。


いかんせん教育なのか、人間のサガなのか、はたまたあたしの癖なのか、つい悪いほうばかり気にしてしまうよね。

生き残り戦略でいうと、遺伝子を残すためにはサバイバルするためには、危険を避けることが肝要だから。悪いほうに意識が向いてしまうのはある程度仕方がないのかもしれない。

けれども、そろそろいい方向にみんなの意識を向けたほうがいいんじゃないかなとおもっている。

なぜなら、社会のありかたはずいぶん変わったけれど、体の仕組みは変わっていないから。
昔狩りをしていたときに緊張していた状態と、今ネットをみて緊張している状態、体のストレス反応は似ていたりする。

となると、ここで問題が・・・・。

狩りの緊張は短時間のものだけれど、ネットの緊張は長時間でしょう。だからあたしたちの体は本来備わっているよりも長い間緊張にさらされてしまう。当然、体調を崩したり、心が疲れてしまったりするよな、とおもう。

この体の仕組みは何百年何千年かけてかわっていくのかもしれない。けれどもそんなの待ってられない。だってあたしたちはいま生きているから。健康に生きるためには、かじ取りが必要だなとおもった。

もちろんトラウマから解放されたあとのはなし。苦しさからの脱却、それが一番。その次にも積極的に目を向けたいと思うこの頃。

だからかもしれないけれど最近ふと思い出す思い出の種類や傾向が変わってきた。・・・それがバラ色ではなく、またウツウツとしたものではあるけれど変わってきた。

感情を再体験しながらそんなことをおもっている。

ではまた

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人間はたぶん自分がイメージした世界しか現実にすることができないから

2019-03-17 23:30:27 | ○生き方/ありかた

昨日、急遽展示参加することになったミニ原画展の搬入のあとに、中華料理店に行った。

ご用達というか、行きつけのようになっている店で、そのギャラリーに出入りしているときは、よく行く。

それがとても楽しくて、そして元気になった。みんなと話してとても楽しかった。同時に、今回はある方の話を聞いていてとても元気になった。


たぶん70代か80代の方。プロとして現役で活躍されていてバイタリティあふれる。プライバシーだから書かないけれど、人生の歴史も興味深い。


すごいなーとおもうのは、未来のこと、宇宙のこと、地球のこと、将来どういう感じになるかとか、どんなふうなことが可能になるかとか、考えられているんだよね。

考えられていると同時に知識も蓄えられていて、その手に入れた情報から自身の世界観を組み立てる。さらには前向きで批判はしない。

何ができないかじゃなくて、何ができるか考える。

聞いているとわくわくしてくる。

お話を拝聴したのは初めてではなく、いつも元気を頂戴していた。

けど、今回はとりわけありがたかった。帰るとき気持ちが軽くなっていた。

だんだんと軽くなりながら、「わ!これはあたし、相当せせこましかったな」とおもったよ。


ここ数回ブログにも綴っていたように、あたし自身が恐怖という感情と縁があるというか、せせこましいこと考えていたからだとおもう。

せせこましいと息苦しい。本当は思考は大きく、行動や目の前のことを丁寧にやるとベストなんだろうけれど、つい思考までせせこましくなる。

ここのところの出来事であると同時に、過去に積み残したいろいろな出来事を感情という形で再体験していたんだろうな。人間というのはそんな簡単にはできあがらない。


あたし自身が常々言っていることですが、人間はたぶん自分がイメージした世界しか現実にすることができない。せせこましいとそれに見合った現実しかやってこない。

ということを、身をもって思い知った。思い出した。

実際に何かが起こったわけではないけれど、起こっているかのような気持ちが漂っているときあったし、体の使い方もそんな感じだから、おそかれ早かれみあったものになったでしょう。

なんかみんなにせせこましいオーラをまき散らしていたらごめんねー。すみませぬ。

もっとも自覚したのが最近であって、自覚していないだけでずっと昔からそうだったのかもしれない。うん、両方だろうな。

解説を織り込んでおくと、あたしは誰かにエネルギーを送らせていただくときはあたしのイメージで作用させているんじゃなくて、相手のイメージが変わりやすいようにサポートしている。だからイメージを描くのはその方ご自身。それはご体調、健康も同じ。

あたしは応援団であり、ガイドに過ぎない。


これからもご縁があった方が世界を描くサポートができる自分でもありたいとおもった。

創造って癒しでもあるとおもう。未来を創造するのだ。

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後ろ向きに前へ未来に進む ボートを漕ぐときのように

2019-03-15 21:52:44 | ○生き方/ありかた

先日、NHKの「100分 de 名著」というテレビ番組をみたときの話の続き☆

関連記事:
100分de名著 オルテガ「大衆の反逆」の死者とともに生きる発想とタロットカード

1冊の書物について、25分×4回、合計100分で紹介する番組で、タレントの伊集院光さんと、アナウンサーの安部みちこさんが案内役を務められている番組。

最近「100分 de 名著」が気に入っていると書いたばかりだけど、実はあれから見ていない。。。

NHKオンデマンドはお気に入りで見るときはかなりみているけど、テレビをみる習慣がないので一度離れるとテレビをみない日が続いてしまう。

今度PCからも視聴できるように契約を変えるつもりだからそしたらもう少しみるようになるのかしら。自分実験としてどうなるか楽しみー


オルテガの「大衆の反逆」の中の一節として紹介されていて、とても気になった表現があるので忘れないうちに書く。

どうも、あたしたちは 後ろ向きに未来に入る らしい。


どうもそれは彼と同じ時代の詩人ヴァレリーが

湖に浮かべたボートを漕ぐように 人は後ろ向きに未来に入っていく

と言っていたことと関係しているとのこと。後ろ歩き、後ろ漕ぎ。

いまのあたしには腑に落ちた話だった。


なんというかあたしたちは見ているのは過去。特にある程度の年齢がいくと、過去を参考にして進む。

どんな人だって幼年期に培った記憶のもとに後ろ向きに進んでいるわけだけど、生きている年月が長くなるほど過去をみる、後ろを向く割合は多くなる。


これわかる。あたし昔に比べるとこんな感じになった気がする。

後ろ向きだから怖いし、つい進むのをためらってしまうこともある。新しいことに取り組みにくくなった。


でもね、この表現に出会ったとき、後ろ向きだという事実を受容したから楽になった。無理に前向きぶらなくてもいいんだなと。


後ろ向きに(前に)進んでいる。後ろ向きだから怖いし、前はみえないし、だから、ゆっくり。でも進む。大切なのはそれでも進むこと。休んでもいい、でもまた進み続ける。

無理に前を向こうとする必要なくて、過去の経験や思い出も大切にしながら、進もう!!とおもえた。


でもね、前進する。宇宙は振動しているから進まないと苦しくなってしまうし、進むのが理でそのほうが結果的には気持ちいいから、とおもうんだ。それが生きるってことなのかなーと。


オルテガは保守の源流と呼ばれているらしく、うーん、あたしも保守的になったというか齢をとったのかもね。


先日、ある方が初めてもくもくアート会に来てくださった方に「●●やった」「▽▽やった」とかつての話をいろいろ言っているから

「あたしも最近そういう傾向あるんだけど、昔話をするのは年寄りなんですからね」と言ったら「やべー」と黙られたけれど、本当そんな感じ。

後ろ向きにかもしれないけれど、これからも進んでまいりまーす!!

ではまた

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怖かったものいっぱい

2019-03-14 18:36:06 | ○生き方/ありかた

6日ぶりに電車に乗った。ここまで電車に乗らないのいつぶりだろう。

昔は電車に乗らないと不安だった。世間のレールからどんどんはずれる気がして怖かった。


社会保険がなくなるのが怖かったこともある。短い期間しか属していなかったのにそんなに怖いんだとおもった。

学校を卒業して、就職活動しなかったら、学生という肩書がなくなるのが怖かったこともある。肩書のために放送大学に籍を置いた。そのおかげで今のあたしがある。

カバンに辞書が入っていないと怖かったこともある。毎日使うとは限らないのだけど、バッグに外国語の辞書が1冊も入っていない日は年間数日しかなかった。楽しかったけどね。

ほかにもいろいろ怖かったんだろうな。今もいろいろ怖いんだろうな。


久しぶりに電車に乗ったのでこの機会に、直接出向かなければできないことをいくつかやった。メガネの曲がりを直してもらったり、紙を買ったり。読書交換会の会場の払い込みをしたかったのだけれど今日時間作れるとおもってなかったら、そもそも予約もしてないからそれは見送り。

電車に乗らなければできないことずいぶん減った。


トップの画像は、カフェモフリーのラインスタンプを描かれている画家の茶柱立太さんが描いてくださった。表情が絶妙でハートをつかまれる。

明日は大泉学園のカフェモフリーでタロット占いをさせていただく日。お時間の許す方いましたら~


思い出した!

音楽を聴くのが怖かった時期もあった。怖い時期はとっくの昔に終わっていたけど、つい最近、音楽が好きになって楽器に惹かれる。これはモフリーさんのおかげ。
ミュージシャンの方が多く来店されるお店で、ピアノライブが定期的に開催されたり、ベヒシュタインという欧州伝来のピアノがあったりする。

何度かブログに書いているかもですが、昔は絵を描くのが怖かった。いまは、またか?と思われる勢いで描かせていただいている。怖いものだらけ。

怖い感覚は生きていくためには大切だけど、怖がっているうちに人生終わったらつまらないし、せっかくの気持ちを怖いということに使うのもいやだなあ~~

さて勇気を出してまいりますわよ

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価値観の多様性 自分と違う価値観を祝福

2019-02-22 21:15:50 | ○生き方/ありかた

佐々木大河さんの漫画「ふしぎの国のバード」(KADOKAWA/エンターブレイン )の第1巻を読みました。

ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)
佐々 大河
KADOKAWA/エンターブレイン




主人公のイザベラ・バードさんは実在の人物。世界を旅して書物に記した冒険家の女性で、明治時代の日本にも来たことがあるようです。その明治時代の旅の様子を記したのがこの漫画。
なんでもこれから滅びゆく日本の風俗を記録することが目的だったとのこと。確かに、それがいいかわるいかはさておき、滅んだものいっぱいあるんだろうな。


漫画なので楽しく読みました。


そしてこの漫画がすばらしい!!とおもったのは(1巻の)一番最後でした。

初潮を迎えた日本人女性が大人として扱われるための儀式をします。
バードさんとしては、まだあどけない子供に様々な人生の重責が課せられることを、よしとはおもえない。もし自分だったらいやだなとおもう。

けれどもその儀式に臨む少女を祝福するのです。なぜなら少女が誇らしげでうれしそうだから。本人が喜ぶから、本人の価値観を尊重し、祝福する。

これってすばらしい。
あたしたちは多様な世界で生きていますので、同じ日本人同士でもあるとよい感覚な気がしています。

あたしは昔、こういう祝福ができず、心のなかで別のことを考えたりしていたのですが、最近は心から祝福している自分に出会うことがあります。齢をとったのもあるでしょう。
最近の自分がちょうど大切だとおもっているからこそ、いいなとおもったのかもしれません。


人生、どれだけ本人がしあわせを感じる瞬間があったかが大切だとおもっています。

・・・ということさえ、あたしの個人的な価値観に過ぎないので、人に押し付けないようにしなければなりませんね。

もし自分が何かを言いたかったとしても投げかけ方というか、距離感とても大切だとおもっています。


それぞれ価値観の異なるあたしたち。
だからこそ同じような価値観の人とコミュニティをつくったりもするわけですが。そのコミュニティに癒しを感じることも、価値観が違うにもかかわらずお互いを尊重して楽しい時間を共有できるのも、どちらもすばらしいなとおもうのでした。

関係性、とても大切。

・・・はい、関係性が大切というのも、あたしの個人的な価値観です。。。

なんだか堂々巡りになりそうなのでこの辺で。

ではまた

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