つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

エネルギー調整、大地の声、水の流れ、読書、ネコ、占い☆ 他、私的な記録。

お知らせ

3月15日(金)、3月31日(日)、15時からカフェで占いしています@大泉学園Mo.free

本と思い出の交換「東京読書交換会」@池袋
面白かった本も、読まないままにインテリアと化してしまった本も、残念ながら相性が悪かった本も、すべて歓迎いたします\(^▽^)/
  ※開催予定は3月23日(土)@としま振興プラザ、2019年4月12日(金)@東京芸術劇場、です☆

アート展示情報
・2019年4月3日(水)~4月6日(土)モンパル会展@練馬春日町図書館

仕事後はアート活動「もくもくアート会」
集まって黙々と各自のアート制作する集まりです。
  ※3月は試験的に30日(土)もやります。


埼玉ビジネスウォッチ(テレビ埼玉)にて特集されました(かなり前の映像ですがまたいつかという祈りも込めて)⇒こちら

エネルギーサロン・タンタン

石田衣良著「4TEEN(フォーティーン)」(新潮文庫) 読書感想

2019-03-25 21:58:55 | 本の感想/読書日記
石田衣良さんの小説「4TEEN(フォーティーン)」(新潮文庫)を読んだ。

4TEEN (新潮文庫)
石田 衣良
新潮社


第129回(2003年上半期)直木賞受賞作とのこと。面白かった。カバー写真は菅野健児さん。中学生ってけっこう大きいんだなとおもった。まさに体は大人、心は子ども。よくあらわれている。

小説の主人公は同じ公立中学校に通う、中学生4人組、舞台は東京中央区の月島あたり。短篇が8本入っていてどれも彼らが主人公。どの話から読んでも大丈夫。

石田衣良さんは池袋のイメージが強く、池袋によく行く埼玉県人のあたしは親近感を持って読んでいた。今回もちょっと池袋の登場を期待していたけれど、今回は、東京都中央区の月島あたりが舞台だった。新鮮。

あまり土地勘のない場所。銀座・新富町界隈のそばなんだね。銀座には絵を描くようになってからよく行くけれど、銀座のすぐそばなのに、小説の雰囲気はだいぶ違う。

ちょうど先週、ミニ原画展にタオルを追納するために向かっているときに、有楽町の中で読んでいた。と、陽気のいい日だったからついうとうとしてしまい、目覚めたらちょうど月島だった。月島は降りようとおもっていた新富町の次の駅で本当に近いんだね。


主人公らのバックグラウンドはみな異なる。健康状態、学力、体力、財力、すべて。公立中学校ならではの醍醐味だなと思いながら読んだ。

あたし自身も義務教育は公立学校だったけれど、子どもだったり、自分が生きるので精いっぱいだったりで醍醐味を感じる余裕はまったくなかった。けれども、いまおもうと、いろいろな子どもがいた。正確にいうと、いた気がする。

うっすらと残っている記憶を頼りに、小説を読みながら自身の過去を旅させてもらった。

まったくもって自分のことしか見えてなかった面もあるから、いい旅だった。


自転車で新宿まで移動するシーンが出てきて、東京の地理を感じながら読んだ。新宿まで自転車で行ってそこで2泊する。親には千葉でキャンプをすると伝えて、実際は歌舞伎町でエロ体験。今だったら出版されないのかもしれない。

続編の6TEEN(シックスティーン) も機会を見つけて読むつもり。

6TEEN(シックスティーン) (新潮文庫)
石田 衣良
新潮社


よい旅をどうもありがとう!

ではまた

感情を再体験 少しずつ情報を組み替えたあとは・・・

2019-03-25 16:40:02 | ○生き方/ありかた
PCをリフレッシュしてすっきり。ショートカットや設定が消えてしまったから、まだちょっと使い勝手が悪い。ちょっとずつ整備していまいるー

ずっと書きたいなとおもっていて、先延ばしになっていた、感情を再体験するということについて書いてみる。


あたしは感情とか心の中で何が起こっているのとかを見つめるのが好き。見つめる頻度とか深さはそのときどきなのだけど、最近またブームが起きている。

見つめたときにおもうのは、心のなかで起こっていることの時空が自由すぎるということ。そのときの出来事だけはなくて、今までこうだったからということに根差して心が動く。時系列バラバラに反応する。わざわざ引っ張り出さなくてもいいのに、自動的に昔のことが引っ張り出される。そして現在とともに過去を再体験している。


自身を見つめるプロセスは、自分にとって役立つと同時に、占いやエネルギー調整という形でみなに還元できていてうれしい。

あたしたちの感情はミルフィーユのように何層にもなっていてどれが表出してくるか、どれがいま必要なメッセージかは異なる。それを読み解くサポートが占いだったり、自身の中で消化してもらう手助けがエネルギー調整だとおもっている。


どの感情も過去に残してきたもの。何気なく残したものもあれば、トラウマのように残ってきたものもある。

よいわるいを決めるのは難しい。その人の心を苦しくしているものであれば受け入れて浄化させていけばいいけれど、そのままでもいいものもある。

つい最近、ふとおもったのだけれど全部、思い出なんだよね。そしてうれしい思い出もある。うれしい思い出もあるよね。心に残っているという意味ではおんなじ。

おもえばずいぶん、自分の感情にダメ出しばかりしていたなあーと。もうちょっといい思い出にもフォーカスして、笑顔でいる時間が増えたらいいな。


いかんせん教育なのか、人間のサガなのか、はたまたあたしの癖なのか、つい悪いほうばかり気にしてしまうよね。

生き残り戦略でいうと、遺伝子を残すためにはサバイバルするためには、危険を避けることが肝要だから。悪いほうに意識が向いてしまうのはある程度仕方がないのかもしれない。

けれども、そろそろいい方向にみんなの意識を向けたほうがいいんじゃないかなとおもっている。

なぜなら、社会のありかたはずいぶん変わったけれど、体の仕組みは変わっていないから。
昔狩りをしていたときに緊張していた状態と、今ネットをみて緊張している状態、体のストレス反応は似ていたりする。

となると、ここで問題が・・・・。

狩りの緊張は短時間のものだけれど、ネットの緊張は長時間でしょう。だからあたしたちの体は本来備わっているよりも長い間緊張にさらされてしまう。当然、体調を崩したり、心が疲れてしまったりするよな、とおもう。

この体の仕組みは何百年何千年かけてかわっていくのかもしれない。けれどもそんなの待ってられない。だってあたしたちはいま生きているから。健康に生きるためには、かじ取りが必要だなとおもった。

もちろんトラウマから解放されたあとのはなし。苦しさからの脱却、それが一番。その次にも積極的に目を向けたいと思うこの頃。

だからかもしれないけれど最近ふと思い出す思い出の種類や傾向が変わってきた。・・・それがバラ色ではなく、またウツウツとしたものではあるけれど変わってきた。

感情を再体験しながらそんなことをおもっている。

ではまた

真梨幸子著「殺人鬼フジコの衝動」(徳間文庫) 読書感想

2019-03-24 23:43:05 | 本の感想/読書日記
真梨幸子著「殺人鬼フジコの衝動」(徳間文庫)を読んだ。

殺人鬼フジコの衝動 (徳間文庫)
真梨幸子
徳間書店



怖い話。読んだあとの後味も悪い。沼田まほかるさんや湊かなえさんよりももっと悪い。だけど真梨幸子さんのほかの著作も読みたい!とおもった。

カバー写真は嶋本麻利沙さん、カバーデザインは印南貴行さん・河野朱美さん(THOMAIN)。
この頃、小説の表紙絵に携わっている方を検索する癖がついた。絵を描くおかげでヴィジュアルアートに興味があるのだ。

嶋本麻利沙さんは透明感のある写真を撮られる写真家の方だった。鳥かごとバラの花びらをその透明感で撮影した写真を加工している、カバーデザインが秀逸。凍えた感じ。またフォントが怖さを際立たせている。


「殺人鬼フジコの衝動」を読むと、常識は人によるというのがよくわかる。タイトルのとおり殺人を繰り返す女性の話。快楽ゆえというよりは、恐怖心からどんどん常識が侵食される。

そして誰の中にも狂気があり、その人にとってはそれが普通。

話を大きくすると違う文化で育った人の当たり前や普通のことが、あたしたちと大きくかけ離れていても自然なんだなとおもった。宗教の違う国、経済環境の違う国など。

話を身近にすると、同じ日本でも育った環境が異なれば、考え方が大きく異なるのは当たり前なのかもしれないね。


だから親は子どもでどこを育てるか考える。うーんどういう育ち方がしあわせかはわからない、本当にわからにゃい。


あたし自身について考えてみると、やっぱり育ちにも親の価値観は大きく投影されている。親の癖でそうなってしまった部分、親があえて選んでやった部分、両方ある。ひとついえることは、いまはそんなあたしとこの人生やっていこうとおもっていて、自分から何を生み出せるかわくわくしている。

子どものころの育ち方を自分で選べない。選べないけれど、どうやって育ってきたかを大人になってから見つめなおし、置き換え、今の自身の価値観というかこうありたいという世界観と混ぜるといいんじゃないかなとおもうよ。

いまは寿命が延びた。今後どうなるかはわからないけれど今のところ伸びている。科学技術の発展で人が一生の間にできることとても増えた。だから昔は育つときに獲得した価値観でそのまま人生を終えたかもしれないけれど、いまは再選択し続けること大切になってきているんじゃないかなあ。

そんなことを考えながら、あとは自分の個人的なことを振り返りながらこの本を読んだ。


あたしはどちらかというと不幸なこともよいように置き換えるという発想が強い。よく言えばポジティブかな。

だから 沼田まほかるさんや湊かなえさんの小説を読んでいるときは、自分が嫌われる理由に出遭う気がする。彼女らの小説の登場人物はきっとあたしのこと嫌いな気がして、わわわわ、あたしよくこれやるよね、すいません!!とおもいながら読んでいる。


人間誰しもそうなのかもしれないけど、いつの間にか嫌われていることがある。あたしもあり、昔は気になったけれど最近は強気なのかさほどでもない。
むしろ人に非難されるのが怖くて萎縮してしまっていた時期があったから、また嫌われるくらい動けるようになってきたなとうれしくおもったりすらしている(すいません)。

それでも嫌われたいわけでは決してない。だから彼女らの小説を読むと自分が嫌われるポイントがわかる気がして、だから勉強の意味でも読んでいる。


ほんとう、できる限り嫌われずでも自分を表現したいなあ。そんなときアートってすごくいい。人の気分を害することが少ない気がする。だからあたしはアートに惹かれるだとおもう。

ではまた

イラストレータ立ち上がらない問題から脱出 PCリフレッシュ

2019-03-24 22:43:29 | つぶつぶタンタン
PCをメンテナンス中♬

細かい設定は残っているけれどだいたい整って、ほっとしている。

DTP系ソフト、イラスレータが立ち上がらなくなってしまって、いくつかの手を試したけれど事態が改善しないのでPCそのものを簡易リフレッシュした。

気分すっきり!!ということにしておこう。


1週間ほど前のことだった。

イラストレータを立ち上げようとしたら、立ち上がらない。途中でフリーズしてしまう。「フォントを読み込んでいます」というところで止まってしまう。取り急ぎプリントアウトしたいものがあったのだけれど仕方がないからひとまず手書きで対応。

ネットで調べてみてそれっぽい対策をとるけれど、事態は改善されない。インストールしたフォントを削除したり、ほかにもいくつか試した。でも変わらない。

ひょっとしたら数日たったら動くようになるかなと期待したけれど、残念ながら変わらない。

イラレ(イラストレータ)をインストールし直すことにした。ところがアンインストールして再度入れようとしたらうまく入らず。

何でだろう、、、とおもいつつ仕方ないなと、アドビのソフトを全部削除して入れなおそうとしたけれども、インストーラが初期化のプロセスで止まってしまう。

取り急ぎプリントアウトしたいものがあったので旧マシンでプリント。

カクナルウエハ、仕方がないPCそのものをリカバリーしようと決心して今日を迎えた。
PCのメンテナンスは興味のある分野じゃないので、放置しがち。だからいざ手をつけなきゃとおもうと、不安でちょっとストレスだったよ。

結果から書くとなんとか成功した。イラレも無事動く、思ったより簡単だった。やってよかった。そんな感じ。
けれども再設定が必要になることいろいろ出てくるとおもうから、PC関連のことはしばらく余裕をもって臨もう。

今は工場出荷状態まで戻さなくても、自分のファイルは残したままPCをリフレッシュできるのね。

いくつか入れなおさないといけないソフトがあったり、まだやらなくてはならない細かいことはあるのだけれど、昔よりずいぶん簡単になったなあ。たいていのことは調べればネットに出ているしね。

あとウィンドウズのアップデイトを繰り返さずに済んでありがたい。どうも更新された状態にリフレッシュされるみたい。更新&再起動を繰り返さなきゃいけないのかなとおもっていたからうれしい。

メンテナンスをまめにせず放置していると、科学技術が発展して新しい機能が出ても見逃している。だから今回このやり直しで結果的にいろいろアップデイトできてよかった。

特にブラウザの拡張機能は収穫だった。

一番の痛手はブラウザのブックマークが消えてしまったこと。調べものするときメモ代わりにしていたから、、、わっ!!!ちょっと痛い。

その分、たっぷりと新しい情報を吸収するように努めるね、どんな情報が入ってきてどんな思考回路になるんだろう。楽しみ。

自分のなかの当たり前をちょっとずつ拡大していってる

2019-03-22 23:47:55 | 創造&表現
急遽参加させていただいているミニ原画展、おかげさまで好調。

関連記事:小さな作品を描いたから、急遽来週はミニ原画展@銀座 搬入終えたよ

少しずつ絵やグッズをお買い上げいただけるようになってうれしい。

意識しているのは、毎回展示のために何か新しいことをやろうとしている。最初の背伸びは大変だけれど一度やるとある程度当たり前になる。だから自分のなかの当たり前をちょっとずつちょっとずつ拡大していっている。

人にもよるんだろうけれど、このやり方いいかなとおもっている。エネルギ―調整していてよくおもうんだけれど、やっぱりじわじわ少しずつ変わっていくって底力になる。


少しずつできることをじわじわ戦略は、展示の途中でもやるー。初日は未完成で最終日までに完成させるというのは初日に来てくれたお客様や場に失礼だからやらない。それとは別の意味で、なんというか、ベストのレベルを上げる感じ。

明日が最終日だけれど、今日の夕方にいままで展示したことがない作品2枚と、ミニキャンバスのイーゼルを2つ持っていった。新作2枚はミニ原画には少し大きいかなとおもって初日にはもっていかなかったのだけれど、場所もあったし大丈夫そうだからと追加したのだ。



この2枚は、社会人のためのアトリエ、もくもくアート会中に描いてあった。
もくもくアート会のおかげでこういう作品があってありがたい。どちらかというとチャンスをもらってからその場に合わせて描くことが多いけれど、チャンスがあったときにいつでも飛び込めるように準備ができていたいとおもっている。

これはアート活動に限ったことではなくて、きっといろいろなことにいえることだね。


あとは短い時間でも時間が作れそうなときはなるべく在廊するようにしている。行って10分くらいで帰るときもあるから顔を出すという表現のほうが近いのかな。行く前は面倒だなと思うこともあるけれど行くとたいていいいことがある。


また、今回の展示でありがたかったなとおもっているのは、10代4人衆と一緒に展示させていただいていること。制服姿で在廊されている高校2年生の切り絵作家、19歳にて1児の母の水彩画ペン画作家。この二人がダントツで売れている。
たまたま売れているわけではなく、発想が豊かでクオリティも高い。


争うものでもないけれど、クオリティが高くて、売れていて、年齢もあたしよりずっと若い。となると将来同じやり方でマネできる可能性はゼロに近い。

そこがいい感じ。なんというか同じやり方をやってもどうしようもないので、あたしの道を淡々と進むしかないんだなと素直におもえるから。

誰かと一緒に展示したり、どこかで展示に拝見したりすると、つい追いつきたくなってしまうんだよね。でも確かに学ぶことは大切ではあるけれど、追いついても何も起こらない。

起こるのかもしれないけれど、なんというか寿命を考えたら、子どものころからずっと書き続けている人のまねをあたしができるわけない。

けれどもあたしなりの表現の仕方があるわけであって、だからそこを淡々とやろうとおもう。ああやって圧倒的にやってくれると、潔くなれるからありがたい。


表現活動となるといつもより若干熱量が高いな。

ではまた~