
夏の土用に触発されたのも、あるんだろうな。
⇒夏の土用はいつかのために化石燃料をしこむよ 2019年夏の土用
先日、久しぶりに大泣きをした。きっかけは猫が体調を崩したことだけど、途中からそうなるまでの経緯とか、今すぐには変わらない自身の人生とかいろいろ考えだして、かなり泣いた。
最初はそこまで感情が決壊したわけではなく、ちょっと集中してやりたいことがいくつか続くから、集中しやすくなるためにも、一度今のタイミングで泣いてしまおうとおもった。
けれど一度吐き出そうと決めたら、だいぶ泣いたみたいで、目が腫れたよ。ガスを抜こうかなとちょっと蓋を緩めたら、おもったよりもガスの勢いがあって、一瞬蓋が行方不明になったのかも。
心や魂にとっては気持ちのよいこの作業。でも目には、文字通り負担が来るね。腫れたし、痛いしだったよ。
朝までに書きたい原稿がある状態で夜中に泣いたものだから、PCの画面を見つめにくくなってしまって辟易。短気だからちょっとイライラしたな。おでこと目の間にアイスノンをあてながら頑張った。それで痛みというか違和感は取れるのだけれど、実質的な視力としては画面がみにくくて、しんどかったー。
この目の感覚をすっかり忘れていて、そんなに泣いていなかったかなとちょっと意外だったな。
あたしたちには体があって3次元で生きている。だから何かに気づいたり、発見があっても現実はすぐには反応しない。一言でいうとその落差がくやしくて泣いてしまった感じかな。
反応が遅いのは本当にすばらしいこと(と個人的にはおもっている)だとわかっている。ラッキーなこと。だってちょっとネガティブなこと考えたら、それが現実になっていた!!なんて困るもの~。
様々な感情を味わいながら人生を歩めるのは、すぐに物事が現実化しないあたしたちの特性のおかげであり、人生にうーんと深みを与えてくれている。
しかーし。いろいろ気づくと、今の状態に確実につなげている自分が悲しくなるのよね。
あたしの場合は「やらなきゃよかった」とおもっているよりも、「やればよかった」というやらなかったことへのおもい。さらに正確に表現するなら「なんでやってこなかったんだろー」という継続してこなかったことへのもどかしさが多い。
積み重ねや継続、習慣、少しずつ変わっていくこと、とても大切だし、底力がある。そしてそれに代わるものってあまりない。体と同じで付け焼刃だと、対症療法に過ぎなくなってしまう。
継続や積み重ね、習慣が、最近の自分のテーマになっているのもあるんだろうね。しばらくこのトーンが続くかもしれぬ。なまあたたかく見守ってやってください。
同じ内容で落ち込むこともあるかもしれないし、いやきっとあるだろうけれど、それでもこれを機会にちょっとずつ積み重ねていければいいな。
自戒を込めてー
そしてちょうど流れがシンクロしている誰かの胸にも響いたら素敵だなとおもいつつ。
ではまた
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
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