栄光ゼミナールと言う大手学習塾がJR東日本の電車の中に出した広告のコピー『なぜ数学を学ぶの?』
このコピーをチラッと見て、気に掛かっていた。
栄光ゼミナールの答えは『社会に出たら数学なんかいならい、という人もいます。 数学は直接暮らしに役立つものではありませんが、その論理的な考え方は人生の様々な局面で大きな力になります。』。
何を言うかだ。 『数学が直接暮らしに役に立たない?』。 ふざけるな。 数学を使わずにどうやって生活してくんだ?
せいぜい高校生までの数学なんて、数学と言うほどのものではない。 ただの算数である。 因数分解も三角関数も微分・積分も確率・統計も普段の生活で使うだろうが。
5%勾配の坂道。 これをタンジェントを知らずしてどうやって理解する?
12×13をどうやって暗算する? 小学校の筆算でするんか? (10+2)×(10+3)=10×10+(2+3)×10+2×3=156で計算した方が楽だろう。
微分が分からなくて、どうやって自動車のアクセルとブレーキを踏む意味を理解できる?
積分が分からずにどうやってお風呂の湯を溜める?
確率・統計が分からずどうやってデジパチするんだ? 選挙速報を楽しめる?
論理なんて難しいことを言わなくても自然に使ってるだろう。 ただ、意識してないだけで。
これは、一般生活の話。
仕事になったら、もっと使うだろうが。 日本は製造業でもってる国である。 物を作るのは経験だけでもどうにかなるが、非常に効率が悪い。 美しい理論があるだけで、経験に頼らない物づくりができる。 その基礎は数学だ。
トルストイの『戦争と平和』を読んでみるがいい。 ロシアの貴族の子女が家庭教師から習うのはフランス語と世界史と数学と書いてある。 夜な夜な社交パーティーに行く貴族の娘が昼間は微分・積分を『教養』として勉強してたんだ。
18世紀でそうだぞ。 21世紀の現代に生きている人間が数学を実生活で使わないなんてありえない。
確かに、高校生までに習う数学は退屈である。 ひたすら計算問題。 わけの分からない証明問題。 虚数ってなんだ?
退屈だろう。 その通りだ。 でも、野球部で素振りとキャッチボールとノックはひたすら練習するだろうが。 サッカーだってドリブルの練習は『ボールは友達』になるまで練習するだろう。
なんで、数学を友達にしないんだ。
実は、私はその理由になんとなく分かりかけている。 言ってしまうと、高校で数学や物理を教えている教師は、自分が教えている物が社会のどこで使われているか知らないのである。
斜面を摩擦係数μですべる消しゴム(箱)。 摩擦力が垂直抗力Nに比例する? それを知ってなにがうれしいか? 何もうれしくはない。 でも、垂直抗力Nに比例するということは、接触面の広さに影響されないと言うことだ。 実は接触面の状況は摩擦係数μに入っている。 でも、μを一定として考えるだけで、Nと角度の関係だけで問題を考えることができる。 これは、物理の問題であるが、関数という数学の知識なしには理解しえない。
これが何の役に立つか? 私はこの式を知っているだけで、実験をせずに、設計をしてきた。 何の設計に使えるか? イメージしにくいだろうか、ネジ(ボルトやナット)の設計はこの考え方が基礎になる。 ボルトを作るたびに実験して締め付けるわけにはいかない。 摩擦係数が一定という考えを使うことでネジの設計ができる。
ネジだけでこうだ。 そうなると、多くの部品が集まった自動車一台作るというのは数学の塊であることになる。より複雑な飛行機も船もロケットもそう。 コンピュータはもちろんだ。 テレビを見る事だって、音楽を聴くことだって数学に絡んでいる。 知らなければ済むことだが、知っていれば物の見方は異なる。
『なぜ数学を学ぶの?』なんて質問はナンセンスなのである。 社会で必要だから学ぶのである。 たとえ、自分の専門の仕事にすぐに必要ではなくともだ。
ちなみに、あなたの高校時代の数学と物理のテストの点数があと20点高かったら、今と違う人生を送ってたと思わないだろうか?
もっと、打算的に話をしてもいい。 天下のトヨタやソニー(その子会社や孫会社でもいい)に理系で入社することはそれほど難しいことではない。 ただし、文系で入ろうと思うと大変だ。
せめて高校卒業レベルの数学は社会生活で必須なのである。 たぶん、英語より重要だ。
英語は社会にでても勉強する場は幾らでもある。 でも、数学を独学で勉強しなおすのはとても大変なことだ。 それなら、今学んでおけば、後々苦労は少ない。
数学を学ぶとはどういう事か? 数学とは人類が見つけた宇宙全体で共通に通じる言葉である。地球上ではない、宇宙一般で通じるのである。 計算問題の繰り返しは、文字の書き取りを何度もするのと同じである。 証明問題は文法の練習問題である。 虚数とは数学という言語の文字の一つである。 日本語に平仮名、片仮名、漢字があるのとさして変わりはない。
栄光ゼミナールの電車広告のコピーは数学を道具として使っている人たちに対して、極めて失礼なものである。 論理性なんて高尚な言葉よりも、社会で使うから今勉強する。 それだけである。
数学と国語は幾ら勉強しておいても損は無い。 英語に時間を割くなら、数学に時間を割いたほうがいい。 自然と、英語の成績も上がるはずである。
高校生まで(実際は工学部2年生くらいまで)は数学でなくて、算数である。
世の数学・物理教師の方々、あなたが教えている数学がどれだけ社会で使われているか一度勉強したほうが良いですよ。
ちなみにあなた方は2階の線形常微分方程式の一般解と特解をすぐに導出できますか? 特解の出し方を2つ以上示せますか? できないなら、数学・物理教師の看板を下したほうがいい。 その程度もできないならね。
このコピーをチラッと見て、気に掛かっていた。
栄光ゼミナールの答えは『社会に出たら数学なんかいならい、という人もいます。 数学は直接暮らしに役立つものではありませんが、その論理的な考え方は人生の様々な局面で大きな力になります。』。
何を言うかだ。 『数学が直接暮らしに役に立たない?』。 ふざけるな。 数学を使わずにどうやって生活してくんだ?
せいぜい高校生までの数学なんて、数学と言うほどのものではない。 ただの算数である。 因数分解も三角関数も微分・積分も確率・統計も普段の生活で使うだろうが。
5%勾配の坂道。 これをタンジェントを知らずしてどうやって理解する?
12×13をどうやって暗算する? 小学校の筆算でするんか? (10+2)×(10+3)=10×10+(2+3)×10+2×3=156で計算した方が楽だろう。
微分が分からなくて、どうやって自動車のアクセルとブレーキを踏む意味を理解できる?
積分が分からずにどうやってお風呂の湯を溜める?
確率・統計が分からずどうやってデジパチするんだ? 選挙速報を楽しめる?
論理なんて難しいことを言わなくても自然に使ってるだろう。 ただ、意識してないだけで。
これは、一般生活の話。
仕事になったら、もっと使うだろうが。 日本は製造業でもってる国である。 物を作るのは経験だけでもどうにかなるが、非常に効率が悪い。 美しい理論があるだけで、経験に頼らない物づくりができる。 その基礎は数学だ。
トルストイの『戦争と平和』を読んでみるがいい。 ロシアの貴族の子女が家庭教師から習うのはフランス語と世界史と数学と書いてある。 夜な夜な社交パーティーに行く貴族の娘が昼間は微分・積分を『教養』として勉強してたんだ。
18世紀でそうだぞ。 21世紀の現代に生きている人間が数学を実生活で使わないなんてありえない。
確かに、高校生までに習う数学は退屈である。 ひたすら計算問題。 わけの分からない証明問題。 虚数ってなんだ?
退屈だろう。 その通りだ。 でも、野球部で素振りとキャッチボールとノックはひたすら練習するだろうが。 サッカーだってドリブルの練習は『ボールは友達』になるまで練習するだろう。
なんで、数学を友達にしないんだ。
実は、私はその理由になんとなく分かりかけている。 言ってしまうと、高校で数学や物理を教えている教師は、自分が教えている物が社会のどこで使われているか知らないのである。
斜面を摩擦係数μですべる消しゴム(箱)。 摩擦力が垂直抗力Nに比例する? それを知ってなにがうれしいか? 何もうれしくはない。 でも、垂直抗力Nに比例するということは、接触面の広さに影響されないと言うことだ。 実は接触面の状況は摩擦係数μに入っている。 でも、μを一定として考えるだけで、Nと角度の関係だけで問題を考えることができる。 これは、物理の問題であるが、関数という数学の知識なしには理解しえない。
これが何の役に立つか? 私はこの式を知っているだけで、実験をせずに、設計をしてきた。 何の設計に使えるか? イメージしにくいだろうか、ネジ(ボルトやナット)の設計はこの考え方が基礎になる。 ボルトを作るたびに実験して締め付けるわけにはいかない。 摩擦係数が一定という考えを使うことでネジの設計ができる。
ネジだけでこうだ。 そうなると、多くの部品が集まった自動車一台作るというのは数学の塊であることになる。より複雑な飛行機も船もロケットもそう。 コンピュータはもちろんだ。 テレビを見る事だって、音楽を聴くことだって数学に絡んでいる。 知らなければ済むことだが、知っていれば物の見方は異なる。
『なぜ数学を学ぶの?』なんて質問はナンセンスなのである。 社会で必要だから学ぶのである。 たとえ、自分の専門の仕事にすぐに必要ではなくともだ。
ちなみに、あなたの高校時代の数学と物理のテストの点数があと20点高かったら、今と違う人生を送ってたと思わないだろうか?
もっと、打算的に話をしてもいい。 天下のトヨタやソニー(その子会社や孫会社でもいい)に理系で入社することはそれほど難しいことではない。 ただし、文系で入ろうと思うと大変だ。
せめて高校卒業レベルの数学は社会生活で必須なのである。 たぶん、英語より重要だ。
英語は社会にでても勉強する場は幾らでもある。 でも、数学を独学で勉強しなおすのはとても大変なことだ。 それなら、今学んでおけば、後々苦労は少ない。
数学を学ぶとはどういう事か? 数学とは人類が見つけた宇宙全体で共通に通じる言葉である。地球上ではない、宇宙一般で通じるのである。 計算問題の繰り返しは、文字の書き取りを何度もするのと同じである。 証明問題は文法の練習問題である。 虚数とは数学という言語の文字の一つである。 日本語に平仮名、片仮名、漢字があるのとさして変わりはない。
栄光ゼミナールの電車広告のコピーは数学を道具として使っている人たちに対して、極めて失礼なものである。 論理性なんて高尚な言葉よりも、社会で使うから今勉強する。 それだけである。
数学と国語は幾ら勉強しておいても損は無い。 英語に時間を割くなら、数学に時間を割いたほうがいい。 自然と、英語の成績も上がるはずである。
高校生まで(実際は工学部2年生くらいまで)は数学でなくて、算数である。
世の数学・物理教師の方々、あなたが教えている数学がどれだけ社会で使われているか一度勉強したほうが良いですよ。
ちなみにあなた方は2階の線形常微分方程式の一般解と特解をすぐに導出できますか? 特解の出し方を2つ以上示せますか? できないなら、数学・物理教師の看板を下したほうがいい。 その程度もできないならね。
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