無名会

連 句 で 遊 ぼ う!
楽しくなければ連句ではないよね。

無名会特集5月

2015-05-20 10:48:27 | Weblog

2015年 初夏特集「好きな句」前半  2015年5月20日発行

いい季節ですね。6年前に10周年を記念して行われた初夏の連句会を思い出しました。
19名の練達の士がお見えになって巻いてくださったこと
はるか遠い昔のことのようです。

今は少人数ながら続けられていられることを嬉しく思います。
今回も時期を同じにして何かしてみたく特集を用意してみました。
題して「私の心に残っている短詩形、詩」または「私の好きな短詩形、詩」
それぞれ個人の趣向があるので、題名はゆるくとらえてもらいました。


風車(野山に自生する日本古来のもの。家の近所で)

  ∞∞∞∞∞「私の好きな短詩形5首」   坂本統一 ∞∞∞∞∞

  軽皇子の安騎の野に宿りましし時、柿本朝臣人麻呂の作る歌

短歌
1、 阿騎の野に宿る旅人打ち靡き眠も寝らめやも古思ふに
2、 ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し
3、 東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ
4、 日並皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向ふ

万葉集に見える柿本人麻呂の作品、表題詞の後に長歌が在りその内容を短歌四首に
まとめたものです。

短歌作品にしては珍しく、漢詩に云う、起承転結の形式を踏んでいます。
よく知られているのが、転首の3首目、歴史に興味のある人なら、
結首4首目も思い浮かべるでしょう。

これらの歌の詠まれたのは、持統女帝の時世、息子が草壁皇子で持統帝は、草壁の天皇誕生を期待していたのですが、若くして亡くなり、今、孫の軽皇子が草壁皇子が
行なったと同様の立太子の儀式を行なおうとしているところです。

人麻呂は、天皇家の宣伝マンで、天皇神格化に大きな役割を果たした人物ですが、
この歌では、特に4首めの「日並皇子」という表現に、よくそれが表れています。
日並皇子は、直接的には草壁皇子を指していますが、軽皇子に重なっています。
日並皇子は、神の子という訳で、両太子ともに神の御子ということになります。
歌的にみると「馬並めて御狩たたし」などから近衛軍団の閲兵式などが想像でき、
騒々しい人馬のざわめきなども伝わってきます。
軽皇子は、後の文武天皇で、奈良時代最初の天皇にということになりますが、
良くも悪しくも、人麻呂の歌は、新しい時代の夜明けを告げていると
読むこともできるでしょう。                        

5、菜の花や月は東に日は西に  蕪村
蕪村の代表句と云われているこの句は、人麻呂歌の三首目を念頭に
置いて作られたことは、疑いのないところでしょう。
時刻を逆転させ、菜の花を配して穏やかな一日が暮れようとしています。

歴史に思い入れ深く、権力者の横暴を憎んだ蕪村先生、
どんな思いを抱いて、人麻呂の作品を鑑賞したのでしょう、聞いてみたいものです。
ナルコユリ

∞∞∞∞∞ 私の好きな詩歌(句)   古谷禎子 ∞∞∞∞∞

1)月見れば国は同じを山隔なり愛し妹は隔なりたるかも  万葉集巻2-2420

2)我が背子は何処行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ 万葉集巻1-43

3)我が心慰めかねつ更級や姥捨山に輝る月を見て      大和物語156段

4)暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月  和泉式部

5)黒髪の乱れも知らず打ち伏せばまずかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部

好きな詩歌、と云われたときに すぐに口をついて出たのはこれ等の和歌でした。
万葉集は大学3年の時 古事記学者で有名な教授に万葉仮名で習いました。
その教科書を今見ています。

万葉仮名で習ってそれがとても嬉しくて、同じ下宿にいた長身イケメンの予備校生を
呼び止めて、私の部屋でこの「月みれば、、、」の歌を一緒に読みました。

そして即行恋に落ちました。彼は三つ年下でしたが、夜の花園で
私をお姫様だっこをして
アリア(当時トスカの星も光りぬが流行っていました)を
歌いながら歩き回ったり、、。
燃え上がる恋をしました。

2)の「わが背子は、、、」の歌はその少し前に就職して東京に行った恋人(後の夫)
が教えてくれました。散文的な彼が何故こんな和歌を知っていたのか不思議です。
二人で我が背子は何処行くらむ、、、と良く云っていました。

和泉式部は好きな歌人です。

以上簡単にコメントをしました。詩だと中原中也の「汚れちまった悲しみに、、、」
好きです。



∞∞∞∞∞ 私の心に残っている詩歌(句)」   星 明子 ∞∞∞∞∞

 私は無名会に入り連句に会い、それから詩歌に興味をもつようになりました。
 浅学なので今回のコメントはすぐ思い出す歌ということでお許しくださいませ。

1)戦友別盃の歌  ー 南支那海の船上にてー   大木 惇夫 

 言ふなかれ、君よ、別れを、また生き死を、
海ばらのはるけき果てに いまやまた何かを言はん。
熱き血を捧ぐる者を 大いなる胸を叩けよ。
満月を盃に砕きて暫し、ただ酔ひて勢ほへよ
わが征くはバタビアの街 君はよくバンドンを突け
この夕べ相離かるとも かがやかし南十字を
いつの夜かまた共に見ん
言ふなかれ、君よ、別れを、見よ、空と水相うつところ
黙々と雲は行き雲はゆけるを

  どこがいいの?って思うかもしれませんが戦時色一色の中で強烈でした。
  戦後は言葉を変えたりしましたけど戦争の詩ということで発表されないようです。

2)銀行員朝より蛍光す烏賊のごとくに    金子兜太

  以前から、新聞の俳壇、歌壇はずっと見て居りましたどこかでこの句に」会い
  (昭和30年後半頃)このような句もあるのかと驚きました。

3)襤褸市の隅で月光賣ってをり        眞鍋呉夫
4)密会の窗より高し梅雨の駅         眞鍋呉夫 (月魄より)
  
 中々句が出来ない時この句集を読んでからお風呂に入っていると
 どうにか浮かんできたりします。
 あとの1句がなかなかしぼりこめません。好い句ばかりで。
 それでもう一句付け加えさせていただくと、

 5)暗黒の原野を焦がす野火盛り帰国間近に夫は今宵も徹夜
 夫の海外赴任に従い任期を了えて荷造りなどで、忙しくしていた頃
 私の帰国を楽しみにしていた父の訃報が届きました。
 現地より朝日歌壇に投句しました。
 時々思い出す句でございます。

アマドコロ
いかがですか? 皆様、やるせない想いや素敵な思い出をお持ちですね。
次回も素晴らしい5首をお寄せいただいておりますのでお楽しみに!
(2,3日後になると思います。)