終着駅-トルストイ最後の旅-
2009年/ドイツ=ロシア
コメディーに見えてしまう理由
総合 40点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
悪妻として名を馳せてしまったレフ・トルストイの妻であるソフィアと夫との具体的な有様を見ることができると期待していたのだが、結局ソフィアが悪妻と言われる原因は良く分からなかった。
トルストイの著作権を巡る妻のソフィアと彼の一番弟子ウラジミール・チェルトコフの対立がシリアスに見えず、笑いを誘う理由は、ソフィアと12人いる子供たちの関係が具体的に描かれていないために、著作権を失うことでソフィアが困窮してしまう原因がはっきりせず、まるでソフィアがただ我儘で強欲にしか見えない一方、チェルトコフと社会との繋がりも描かれていないために、チェルトコフが本当にトルストイの全著作権をロシア国民に還元しようとしているのかはっきりせず、青年のワレンチン・ブルガコフを雇ってソフィアの言葉を全て書き留めさせるようなことまでして、まるで私利私欲のためにトルストイの著作権を奪ったかのように見えるからである。俳優陣の熱演にも関わらず伝記映画として残念なものになっている。
ベルサイユ宮での村上隆展中止を=ルイ14世の子孫が仮処分申請へ―仏(時事通信) - goo ニュース
フランスは不思議な国でクロード・モネやピエール=オーギュスト=ルノワールなど
偉大な印象派の画家を輩出しているのも関わらず、当時の多くのフランス人たちは
彼らの作品の良さが理解出来なかったために、印象派の画家たちは不遇をかこつ
羽目に当初追いやられた。そのような自国の歴史を知ってか知らずかモダンアート
の第一人者である村上隆のベルサイユ宮殿で開催されている作品展が「宮殿への
冒涜だ」として中止を求める仮処分をベルサイユの行政裁判所に申請するらしい。
しかしそのことは結果的に村上隆の作品を無視することができないということで、
印象派の画家たちと同じような扱いを受けているのだから、“認められた”ことに
等しくなるというのもまた歴史上繰り返される皮肉であるのだろう。
仙谷氏、陳謝連発 自身の答弁も蓮舫氏撮影も「不適切」(朝日新聞) - goo ニュース
「語るに落ちた」仙谷氏 過去の言葉をお忘れか(産経新聞) - goo ニュース
「新聞利用は最も拙劣な質問」→野党時代にしてました(産経新聞) - goo ニュース
自民党の山本一太参院政審会長は仙谷由人官房長官が野党時代の平成16年の
日本歯科医師連盟(日歯連)によるヤミ献金事件をめぐり「(自民党の国会議員に
よる関与が)少なくとも新聞報道にはある」などと質問していたことを紹介し、正式な
謝罪がない場合は辞任を求めると発言したことを明らかにして、結局それに対して
仙谷官房長官は「私の質問もある意味で拙劣だったことになる」と認めて、陳謝する
ことになったのだが、具体的にどのように反省しているのか訊ねる記者に対する
「ノーコメント」の大連発は果たして本当に反省しているのか甚だ疑問を感じる。
それにしても仙谷由人といい、前内閣官房長官の平野博文といい民主党からの
官房長官は碌でもない人物ばかりなのだが、内閣官房長官という重職にはせめて
日本語が正確に把握出来る人物が望ましいと思うよ。
エクスペンダブルズ
2010年/アメリカ
‘ホモソーシャル’の中の女性について
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
『桜田門外ノ変』(佐藤純彌監督 2010年)において井伊直弼を斬首するシーンは史実を元にしているようだからともかくとしても、関鉄之介の愛人である‘いの’の拷問シーンは、そこまでして描く必要があるのかと感じて、正直引いてしまった。この作品の制作に携わった人が誰もこのシーンに疑問を感じなかったのだとするならば、おそらく映画の制作現場が相変わらず‘ホモソーシャル’であるからだろう。
シルヴェスター・スタローン監督の『エクスペンダブルズ』も相変わらず暑苦しい男たちばかりを集めた‘ホモソーシャル’作品であるのだが、いつものスタローン作品と違う点は、女性に対する懺悔の念が感じられるところにある。恋人であるレーシーを放ったらかしにしていたために彼女に寂しい思いをさせていたことに気がつくリー・クリスマス。橋から飛び降り自殺をしようとしていた女性を止めることをしなかったという後悔を語るツール。そして自分のタイプではないサンドラを命がけで助けるバーニー・ロスを初めとする傭兵部隊「エクスペンダブルズ」のメンバーたち。結局、‘ホモソーシャル’から抜けられないとしても、ようやくそのことに気がついた監督としてのシルヴェスター・スタローンを私は高く評価したいと思う。
橋下知事、首長の育休取得に異議 「世間知らなさすぎ」(朝日新聞) - goo ニュース
広島知事「大きなお世話」 育休に苦言の橋下知事に反論(朝日新聞) - goo ニュース
橋下知事「中国、信頼できぬ」 万博招待の中止に激怒(朝日新聞) - goo ニュース
橋下知事、やっぱり上海へ 中国側「手違い」再度招待(朝日新聞) - goo ニュース
湯崎英彦広島県知事や倉田哲郎大阪府箕面市長の育児休暇取得に対して、
大阪府の橋下徹知事が「(育休を取る)機運を醸成するというが、休もうと思っても
休めないのが今の日本の現状だ。世間を知らなすぎる」と批判しているが、確かに
湯崎知事の言う通りに“大きなお世話”だと思う。休もうと思っても休めないのが今の
日本の現状であったとしても、休もうと思って休めるようになった時に休めない現状
であったとしたら、それは行政の問題になるはずであり、日本の縦社会ではまず
首長が見本を示さなければなかなか新しい取り組みが定着しないのが現状であり、
意外と船長がいなくても船は勝手に動く。橋下徹は相変わらず思ったことをすぐ口
に出さなければ気がすまないようで、ただの手違いに対しても激昂してしまい、
「(中国に対する信頼は)ほぼゼロ」として中国に“マイナス2万点”を付けてしまう
のであるが、“マイナス2万点”を付けてしまった国に石原慎太郎だったら絶対に
行かないと思うけれど、のこのこ行くことにしてしまう橋下徹はまだ甘い。
ビートルズ青・赤盤が世界再発売1、2位(日刊スポーツ) - goo ニュース
引き続きポップスの話である。1973年にリリースされたザ・ビートルズのベスト
アルバム『ザ・ビートルズ 1962年~1966年』(通称赤盤)と『ザ・ビートルズ
1967年~1970年』(通称青盤)がオリコンの18日付デーリーアルバムランキング
で、青盤が1位、赤盤が2位となった。ちなみに3位だったJUJUの『Request』も
“懐メロ”である。この売り上げの良さがやはりザ・ビートルズというネームバリュー
によるものなのか、あるいは最近のポップスのように緻密に作り込まなくても
売れるということを証明しているのかは定かではないが、今のポピュラー音楽の
流れを絵画の歴史に例えるならば、印象派から古典派へと逆行しているように
感じる。今こそ印象派、つまり軽いロックンロールの復活を切に望む次第である。
桜田門外ノ変
2010年/日本
不明確な主人公の人柄
総合 50点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
作品の前半で壮絶な襲撃のシーンを、後半で‘逃走劇’という物語の組み立ては悪くないと思うが、主人公の関鉄之介のキャラクターが明確に定まっていないことは問題だと思う。
関鉄之介は、農民の出身ながら大切にしている妻の関ふさと息子の関誠一郎がいるにも関わらず、‘いの’という愛人を囲っていることが、井伊直弼の襲撃の実行隊長を務めながら、絶えずおどおどしているにも関わらず、鳥取藩一の剣の達人を瞬時に斬り殺してしまうことと同様に、関鉄之介の人物像を不安定にしてしまい、感情移入しにくい。
更に問題のシーンは作品の冒頭とラストに映される国会議事堂である。桜田門外の変が起こった根本となる要因は尊王攘夷の思想であるのだから、映されるべきものは国会議事堂ではなくて元江戸城であった皇居でなければならない。このすり替えは映画としては致命的である。
しかし何れにしても登場人物の名前などが丁寧に字幕まで添えられて説明されているので桜田門外の変の教材ビデオとしては良くできていると思う。
最近のソングライター、「本当にひどい」=エルトン・ジョン(トムソンロイター) - goo ニュース
「いまどきのソングライターはかなり酷い。そのせいで何を聞いても同じに聞こえる。
現在のポップにはさほど感激しない」と言うエルトン・ジョンの気持ちははなんとなく
分かる。決して彼が年老いたから分からなくなったということではないと思う。
例えばエミネムの新曲「Love The Way That You Lie」も素晴らしい曲だと感じるが、
余りにも重くて繰り返し聴きたいとは思わない。リンキン・パークのニューアルバム
『A Thousand Suns』も悪くないと思うが、“核戦争”をテーマとしたアルバムを何度も
聴こうとは思わない。おそらくニルヴァーナが現れた辺りからロックは重くなって
しまったのだが、今ならニルヴァーナの曲さえ軽く感じるほど酷くなっていると思う。
だったら誰が好きなのかと訊かれたら私もレディー・ガガと答えてしまう。彼女の
曲にはまだユーモアが残っているから。最近人気のオーディション番組は、本物の
スターを作ろうとは思っていないと思うけれど。
アイルトン・セナ ~音速の彼方へ
2010年/アメリカ
本物のサーキットの狼
総合 0点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
「アイルトン・セナ財団」公認の作品である以上、偶像としてセナが描かれていることはやむを得ない。チームメイトだったアラン・プロストとの確執を中心とした物語はほとんど既知のものであり、例えば1994年のサンマリノGPで起こった事故の真相に迫るとか、離婚した原因などは全く語られることはないが、アイルトン・セナのファンしか見ることはなく、欠陥とはならないのであろうから、作品の善し悪しを判断しようがない。実は私も彼のファンだから。
プロストよりも‘信仰度’が高いセナが事故死してしまうという皮肉と同時に、もう一つだけ印象的なシーンがあった。セナが初めてF1ワールドチャンピオンになった1988年に、ブラジルのテレビ番組に出演した際、司会者が当時のセナの恋人だったシューシャ(Xuxa)だったのであるが、彼女がセナにキスをした時に、ふざけて「~年の分」として何度も彼の顔にキスをして、それが1993年で終わったことである。1994年にセナが事故死したことを考えると、この時点で彼の死が暗示されているように見えた。
文芸賞で受賞取り消し=ネットのアイデア借用(時事通信) - goo ニュース
2010年10月16日のスポーツニッポン紙によると、新鋭の詩人に贈られる第19回
「詩と思想」新人賞に選ばれた秋田市内の中学3年生の14歳の少女の詩が、
インターネット上の投稿サイトに掲載された詩を模倣した作品だったことが分かり、
賞を開催している土曜美術社出版販売(東京都)が15日、賞を取り消したと発表
したらしい。作品を選考するのにもかなりお金をかけているのだから、一層のこと
模倣されたものに賞を与えてもいいのではないかとも思うのであるが、なかなか
そうもいかないのであろう。バレることを想定しないままに応募してしまう人の気が
知れないのであるが、それにしても文芸賞の選考委員は発表前によく気がついたと
感心してしまう。