宮廷画家ゴヤは見た
2006年/アメリカ
‘ゴースト’たちの争い
総合 100点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
さすが巨匠ミロス・フォアマンと言うしかない。素朴な演出の妙というものを見せてもらった。
例えばゴヤが馬に乗った女王の肖像画を披露して女王の機嫌を損ねてしまった後、ゴヤが国王カルロス4世に呼ばれるシーンがある。カルロス4世は自身が作曲したバイオリンを弾いてゴヤに感想を求める。当然ゴヤは国王の下手な曲も演奏も褒め称え、国王もゴヤが褒めることは知っている。つまり国王が言いたかったことは、自分の曲や演奏が褒められるのはそれ自体が良いのではなくて、国王に力があるから褒められる。同様にゴヤの作品も彼の絵画自体が良いのではなくて、ゴヤには宮廷画家という名声があるからだということで、国王は女王の肖像画を暗に批判しているのである(勿論これは国王の勘違いであり、ゴヤは作品が認められたからこそ名声を得られたのである)。今時こんな回りくどい演出をする映画監督はいないであろう。
ラストシーンも素晴しい。ロレンソ神父の処刑をイネス・ビルバトゥアとアシリアとゴヤが見ている。アシリアはロレンソ神父が自分の父親だとは知らないため悲しむことは無い。イネスは半分正気を失っているので、他人の赤ん坊を抱いて死んだ神父の手を握って幸せそうに歩いていく。結局一番悲しみに暮れているのは‘真実’(=Ghosts?)が見えてしまうゴヤなのであるが、‘真実’が見えるからこそ宗教やイデオロギーに翻弄されない強みも持っている。
相撲協会「ノーモアYOSHIKI事件」(スポーツニッポン) - goo ニュース
よくよく考えるとおかしな話である。確か相撲というものは柔道や剣道と同様に
礼に始まり礼で終わるものではなかったのだろうか? 力士ではなくとも力士と
関わる人間ならば礼儀作法は当たり前のように学ぶはずである。特に“世話人”と
名乗っている人が礼儀作法を知らないというのは理解に苦しむ。まさか「礼煩わし
ければ則ち乱る」ということでもあるまい。おそらく今や関取の半数近くが外国人
力士であるため、彼らに付いている人々も同国人なのだと思われる。柔道にしても
そうだが、なんとなく国技が身近に感じられなくなりつつある。