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風林火山「決戦前夜」

2007-11-25 | 風林火山
風林火山「決戦前夜」

忍城主の成田、関東管領の就任式で下馬せず挨拶する男。
成田家は源義家に対しても馬上からの会釈を許された家柄だったそうです。
…ん~、「義家>>>謙信」だから、下馬せんでもえぇてか。
宇佐美が「(政虎の行動を見て)不味い!」って叫ぶけど、先に教えとけよ!。
そんな事も知らんのかな?と謙信は関東の武士達に見限られたそうです…。
謙信の神がかり的な信仰に嫌気がさしたのか…、それとも北条が強いのか?、小田原城を包囲していた10万の兵は解散しました。
謙信も自分の驕りを察し、「その罪はわしの罪。わしが報いを受けねばならぬ。」
越後へと帰る政虎(謙信)でしたが、脱走した成田の妻を忍城まで届けたそうです。

一方、北信濃では武田が城を一つ落としました。
しかし、重臣、鬼美濃は弓に撃たれて…終に退場か?

伝べぇは敵城にて内応者を募った働きにより、碁石金を貰いました…。
ん~これってどれくらいのボーナスなのかな?。

ここで分からんことが一つ。
城を一つ取った武田軍。
謙信が越後に戻ると聞いて、武田も兵を引きます。
しかしですねぇ、関東から戻って兵馬が疲れている時こそ、決戦ではないのか?、一旦戻ってどうするよ…、武田も兵を集めて越後に戻る謙信を攻めるか、もしくは留守の越後へとなぜ攻めないのか?。

一方、危機を脱した北条家は宴会。
いつも海の幸が美味しそうな北条家。
ハマグリ食べたい~。

上州の長野業正も今回の放送にて退場。
病死だそうです。
真田幸隆は、その死を聞いて涙を流します。
が、その長野の城を取ったのは幸隆だそうな…。

勘助の屋敷では、香坂とリツの縁組の話がありました。
ん~、最終回までに結ばれるのか有耶無耶にされるのかはわからんが、リツは香坂の元に嫁ぐようですね。
越後最前線の海津城を守る香坂に嫁がせるとは…、勘助は本当に越後に勝つ気だったのでしょう。
まぁ、イケメンで智謀、信玄の覚えも目出度い香坂に嫁がせるのはなかなか良い案です。
香坂もリツを気に入ったようで…たぶん、気の強い所が気にいったのでしょうね、香坂もきっとMだから(爆)。
香坂「人を慈しむ心、それこそが山本様の奥義と心得る…。」
いやぁー、香坂は良い事を言いますねぇ~。
勘助の後継者は香坂なのですね。
確かに勝頼にも長く仕えたし…筋書きとしては良い後継者です。

関東から越後に戻った政虎にも少し変化があったようです。
慈愛にも目覚めたようですけど、戦国時代からカタカナのイロハニホヘトってあったのか?、あったんでしょうね…?。

関東出兵からわずか二ヶ月で信濃へ兵を進める越後。
決戦こそ望む所。
コバルト色というか、蒼い鎧を纏った政虎がカッコイイー。
我こそが毘沙門天成り~、いざ出陣じゃ!。
これが勘助、最後の戦?…。

次週、いざ川中島

来週はもう12月。
あと三回だっけ?。

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トミー

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6 コメント

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こんばんは! (ぱるぷんて海の家)
2007-11-25 21:38:55
>香坂もきっとMだから
そーか!そーだったのですか?
じゃ、晴信クンはドS?

いよいよ全てが終わりに近づいてきましたね。
あと三回は少し淋しいです。
返信する
ぱるぷんて海の家さんへ (トールギス)
2007-11-25 21:46:25
こんばんは!。

晴信は少年期はMで、信虎を追放してからはSです。

あと三回とは淋しいですね。
篤姫は再来年にして、1月から直江兼続を放送して欲しいぐらいです。
返信する
こんばんは (Hiro)
2007-11-25 21:58:57
いよいよ川中島ですね
あと3回ですか、寂しいですが見届けたいです
返信する
Hiroさんへ (トールギス)
2007-11-25 22:10:04
そうです。
再確認しました。
12月16日が最終回です。

主人公が負ける(死ぬ)戦が最後ですから、どう描かれるのか、楽しみでもあり、不安でもあります。
返信する
生き残った香坂 (琉河岬)
2007-11-25 23:44:42
こんばんは!

>確かに勝頼にも長く仕えたし…筋書きとしては良い後継者です。
私が香坂を応援したい事の一つに「長篠の戦い」で討ち死にしなかったことを挙げたいと思います。
信玄のお世話になった重臣の中で、勝頼を見限り長篠でヤケクソ気味に戦死(爆)していった方と比べて、病死するまで武田家を盛り上げていこうとした姿勢は馬場らとは『違った意味』で忠臣といえるからです。

堅い話&長くなって申し訳ないです。
返信する
琉河岬さんへ (トールギス)
2007-11-26 22:12:22
>堅い話&長くなって申し訳ないです。

いえいえ、勉強になります。
有難う御座います。

歴史の真実、その人たちの本当の真意を分かるのは難しいですが、色々考えるのは面白いですね。
返信する

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