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功名が辻 第37回

2006-09-17 | 功名が辻(小りん)
秀次が関白の位についたのは24歳の時(若い!)。当時秀吉は55歳、一豊47歳。
それから二年後、拾君の誕生により二つの派閥(太閤 v.s 関白)が誕生したそうな。
太閤圧勝のような気がするけど、当時の関白派は天下が取れると考えたのかな?。
関白の位は(太閤ではなく)朝廷から授かったもの、と考えるぐらいだから。

今週、関白が切腹すると思ってたら来週まで持ちましたね。
番組の後半に千代さえも「分かりませぬ」と答えたのが面白かったです。
ここで千代が、歴史の先を読んだ台詞を言わなくてよかった。

関白は後の世にも評価される武将になりたいと大志を頂いてたから、関白の位を返上するわけないのですね。
一豊の「人はいかなる立場になろうとも己の道を生きる事ができまする」の台詞は良かったぜよ。

タイトル通り、太閤と関白の対面が多かった(二回だけど…)。

一回目

せっかく秀吉から拾君と実娘の縁組について話を頂いたのに、
関白「若君が元服されましたら…、喜んで」
太閤「元服?。そのときわしはいくつになると思うておる(怒)。下がれ!。下がれ!、早く下がれ!。」
寿命を気にしてるのに…。

二回目

抱きかかえるシーンで拾君を泣かしてまたもや秀吉の機嫌を損ね。
太閤「なんという抱き方をするアホ~。」
さらに幼少からの人質生活を訴えるも…。
太閤「己の所業を棚に上げ、このわしに恩を売る気かー。帰れ、帰れ、帰れー。」
茶々の悪口も禁句なのよ。

太閤の失政を正そうとする姿勢も裏目ですね。
しかし、嫌なことがあったからと言って酒に酔いしれるとは小粒…。引き篭りならオイラでも出来ます。
一度手に入れた関白の職を返上することも出来ず…。

拾君(淀)は大阪城に、太閤は伏見城に、そして関白は京の聚楽第。
大名は屋敷を京から伏見に移動。太閤への服従を示します。
一豊は義理高いのではまだ京に住んで関白の補佐をしています。
太閤「(一豊)わしにつくか秀次につくか、よう考えよ(怖)。」

関白の側近達は拾君の出生に疑問を持ち、謀反を企てる始末。
関白家臣「淀のお方さまだけにお子が出来るのは奇妙と言えば奇妙…。」
「文禄の本能寺は我らが成就致しますぞー。」…って本能寺は失敗の筈では…信長は討ち取ったけど…。
部下が勝手にやったことかも知れないけど、血判状の責任は関白にあるか…↓。

その他、納得の台詞。
堀尾「わしらの立場(関白宿老)は難しい。太閤殿下のお寿命ひとつじゃ。」

来週は山内家の『拾』も何かありそう…、家を出て行くようです。
コメント (12)
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