会津若松の旅、次は400年以上の歴史を持つ伝統的な会津本郷焼を見に行きました。
会津本郷焼は、 陶器と磁器の両方が作られており、各窯元ごとに独自の技法やスタイルが受け継がれています。 そのため、一つの焼き物としての統一性がありながらも、窯元ごとに異なる個性が光る点が特徴です。 丈夫で実用性に優れた会津本郷焼は、日常使いの器として広く親しまれています。
会津本郷焼で使われる釉薬に「飴釉」があります。飴釉は文字通り飴色で光沢を持っている。この飴釉を使った代表的な陶器が「にしん鉢」で古くからにしんの山椒漬け専用として使われてきました。「にしん鉢」で有名な「宗像窯」を訪れました。
「宗像窯」の先祖である宗像出雲守式部は、767年(奈良時代)に福岡県宗像大社の神官として布教の為会津美里町(旧会津本郷町)に移り住み、宗像神社を建立し、代々神官をしておりました。当時、神官は布教活動を行う地域で生活の糧を自らの工夫によって得るのが原則であったため、会津本郷焼の産地として発展していたこの地で、1719年(享保4年)より、「宗像窯」を創業し、神官の傍ら焼き物作りを始め、文政の頃、八郎秀延の代より専業となりました。
「宗像窯」では伝統的に登り窯で焼成をしておりましたが、現在ではガス窯も併用しております。登り窯につきましては、焼き方は始めに一番下の大口で2日ほどかけてゆっくりと窯全体を暖めながら温度を上げていき、一旦大口を閉め、上の部屋の焼きに入ります。ここからの焚き方は横焚きになり、左右から二人で焚いていきます。 およそ三日三晩、不眠不休で焚き続けます。
宗像窯登り窯(町指定文化財)
宗像窯登り窯は、山の傾斜を利用して燃焼効率を最大限に高めた伝統的な薪窯です。登り窯は江戸中期に築かれたと伝えられております。現在、東北で使われている登り窯としては最古のものであり、大きさは全長約20m、幅は約5mあり、七つの窯が連なる日本有数の大窯です。
2011年東日本大震災により被害を受けましたが、「宗像窯登り窯再生プロジェクト」(代表 大塚孝義氏)により2012年に修復されました。2013年に東大寺の北河原公敬別当ご臨席のもと復興祈願式が執り行われ、同年初窯が焼かれました。そして、2017年に修復後、2回目の窯焚きが行われました。現在町指定文化財になっています。
近くには能満山常勝寺があります。こちらの紅葉も綺麗でした。
続く、、、
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