快気分析

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仕組みとアプローチ -   山崎の戦いの謎 明智光秀は何故ハシゴを外されたのか その2

2019-05-19 08:00:04 | 明智光秀
 イエズス会が明智光秀を見放した理由について考えられる状況は他にも有ったかと思います。
 それは光秀が信長から出雲、石見に国替えを命じられた時の事ですが、石見銀山の利権をイエズス会に渡すような密約を光秀はイエズス会と進める気がなかったのではないか?と言う事です。
 おそらくイエズス会は何とか石見銀山の利権乗っ取りかそれに少しでも近付ける可能性が無いかどうかを光秀に水面下で交渉したのだと思います。
 しかし光秀は信長に忠実な為、答はNOだったわけでそれで秀吉にイエズス会は加勢した、と言う事で秀吉が織田家から政権を奪い(乗っ取り)更に力を増した頃である1584年には黒田孝高がキリシタンの洗礼を受け1586年には毛利氏は実質キリスト教正式容認となります。そして1585年には蒲生氏郷がキリシタンとして先例を受けます(洗礼名はレオン)。
 こうして秀吉が実質支配してからキリシタン武将が増え、しかも毛利氏が御料地として朝廷代行で管理していた石見銀山の利権は毛利氏か、既に毛利氏と親しかった秀吉の手から離れなかったのでした。
 スペイン・ポルトガル勢は石見銀山の利権を直接手に入れると言った事はなかったのですが、秀吉による日本国内での軍事的制圧に関係する戦乱や朝鮮出兵などで必用な武器弾薬などを介して間接的に石見銀山から生まれる利益を吸い上げた、と言うのが実態ではないでしょうか。


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