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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  まだ有る新型コロナウィルス感染確認者急増の理由 それは「温度差(寒暖差)アレルギー」

2020-12-05 20:32:11 | 新型コロナウィルスやパンデミック
 前回記事で新型コロナウィルスの「感染が急増」と表現しましたが、この記事の主旨の通り、感染が既にある程度広がっていたのだとしたら、「感染が急増」したのではなく、「感染が確認された人が急増した」ですね。
 なので「感染が急増」は「感染確認が急増」に訂正です。
 ところで新型コロナウィルス感染の症状の代表的なものの一つが咳です。
 それで咳がどのような要因によるものか、を調べてみるとまさに最近の季節が影響しているのではないか、と思えるものが有りました。
 それは「温度差(寒暖差)アレルギー」です。
 ここ1カ月位は特に気温の差が激しくて体調を崩すケースがあるので注意する必要が有る事はよくネットなどで出てきていました。
 この「温度差(寒暖差)アレルギー」の症状はいくつか有りますがその代表的な一つが咳や喘息なのです。
 なので最近になってこの「温度差(寒暖差)アレルギー」によって咳や喘息になり、それで病院に行った所、新型コロナウィルス感染の症状でも同じ事が有るのでPCR検査をしたら、以前から既に感染してはいたのがわかったが、無症状かごく軽度であり、咳や喘息は「温度差(寒暖差)アレルギー」によるもの、と言うケースが有る程度カウントされているように考えています。
 では咳や喘息が「温度差(寒暖差)アレルギー」や或いは風邪や季節性インフルエンザや乾燥空気などによるものなのか? それとも新型コロナウィルス感染による症状なのか? と言うのはどうやって判断するのでしょうか。
 これって結構わかりにくい事も有るのではないかとも思えますがどうでしょう。

仕組みとアプローチ -  感染者が急増している新型コロナウィルス 考えられる一つの要因

2020-12-05 19:09:23 | 新型コロナウィルスやパンデミック
 新型コロナウィルスの感染がほぼ全国的に急増しているようです。
 なぜ急増したのか?については様々な要因が有るかと思えますが、明らかに要因となっている可能性が高いと(個人的にではあるのですが)思える事が有るので記事にしてみました。
 それは「これまで新型コロナウィルスに既に感染していたにも拘わらず、無症状かごく軽度だった人達がこのところの寒さで風やインフルエンザ、乾燥による喉のイガイガ、その他などの症状により病院で診てもらった所、症状が新型コロナウィルスでも有り得るものである為、PCR検査をした所、感染が確認された」と言うものです。
 つまりこれまでに既に感染は広がっていたのですが、夏には少ない風邪やインフルエンザや喉のイガイガなどの症状が、たまたま新型コロナウィルスでも有り得るもので有った為にPCR検査したら「風邪であり、かつ新型コロナウィルスでもあった」か或いは「本当に新型コロナウィルスによるごく軽度な初期症状だった」と言うものです。
 と言う事は今後は冬が深まると更に寒くなるわけで風邪やインフルエンザ、喉のイガイガなども増える事になり、たまたま無症状かごく軽度で済んでいた新型コロナウィルス感染者がPCR検査によりカウントされて行く可能性と言うのはある程度想定できるかと思えます。
 重要な観点は重症者数や致死数の増加かと思えます。
 これが急増するとやはり心配です。
 ただ致死数については本当に新型コロナによるものなのか、別の病気で亡くなった方がたまたま新型コロナ感染確認されていただけなのか、新型コロナと別の病気の合併症や両方による衰弱なのか、などの詳細がわからないと判断はしにくいかと思えます。
 

仕組みとアプローチ -   出雲・石見への国替えと明智光秀

2020-12-05 10:05:20 | 明智光秀
 明智光秀が出雲、石見への国替えを信長から言い渡された事が本能寺の変の大きな要因であったとする説には同感できない事は以前の記事で書いた通りです。
 この出雲・石見への国替え命令が、それまでの明智光秀の所領を召し上げた上でのものだったとされているのですが、これって調べて見ると「明智軍記」でしか書かれていない事のようです。
 その「明智軍記」とはどういうものかと言うと、ネットで調べてみればわかる通りで、元禄年間の頃に書かれたもの、しかも著者が定かでないもののようです。
 元禄年間とは1688年 - 1702年、つまり本能寺の変から100年以上経ている時なのです。
 今で言うと現在から100年以上前とはつまり明治時代末期か大正時代です。
 現代の人が明治・大正時代の事を書いているのに同じ、しかも著者が不明、と言うのとあまり変わらないわけで、これは信憑性に乏しいとしか思えません。
 そしてもう一つ、明智光秀のそれまでの所領を召し上げる事を宣告して国替えを言い渡す程、信長は愚かとは思えないのです。
 それをもしやるのなら、信長はまず何も言わずに毛利討伐に中国方面に行かせ、信長自身のいる場所から光秀と明智勢を遠くへ引き離し、身の安全を確保してから国替えや光秀のそれまでの所領を召し上げを言い渡すはずではないか、と思うのです。
 なのに国替えとそれまでの所領没収の話をしても尚、明智光秀と明智軍をほぼ無防備な信長自身の近辺に短期間ではあるのですが、置いています。
 これはやはり「明智軍記」の記載における矛盾点ではないでしょうか。
 更に仮に万が一でも「明智軍記」通りだったとしても、以前の記事で書いた通りで当時の状況では毛利氏が殲滅されるのは明らかなはずであり、更に出雲・石見は石見銀山(朝廷が信長による実質乗っ取りに応じなければ信長はあまり銀による利益を朝廷へ献上するつもりが無かったと思っています、これが意味する事とはつまり公家衆らのリストラではないでしょうか)や水運、水産物、中国、朝鮮半島へのルートに位置するなどの「石高以外の利権(飢饉などに左右されない利点も大きい)」が非常に大きかった点で、光秀にとって悪い話ではなかったと考えています。