快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -   出雲・石見への国替えと明智光秀

2020-12-05 10:05:20 | 明智光秀
 明智光秀が出雲、石見への国替えを信長から言い渡された事が本能寺の変の大きな要因であったとする説には同感できない事は以前の記事で書いた通りです。
 この出雲・石見への国替え命令が、それまでの明智光秀の所領を召し上げた上でのものだったとされているのですが、これって調べて見ると「明智軍記」でしか書かれていない事のようです。
 その「明智軍記」とはどういうものかと言うと、ネットで調べてみればわかる通りで、元禄年間の頃に書かれたもの、しかも著者が定かでないもののようです。
 元禄年間とは1688年 - 1702年、つまり本能寺の変から100年以上経ている時なのです。
 今で言うと現在から100年以上前とはつまり明治時代末期か大正時代です。
 現代の人が明治・大正時代の事を書いているのに同じ、しかも著者が不明、と言うのとあまり変わらないわけで、これは信憑性に乏しいとしか思えません。
 そしてもう一つ、明智光秀のそれまでの所領を召し上げる事を宣告して国替えを言い渡す程、信長は愚かとは思えないのです。
 それをもしやるのなら、信長はまず何も言わずに毛利討伐に中国方面に行かせ、信長自身のいる場所から光秀と明智勢を遠くへ引き離し、身の安全を確保してから国替えや光秀のそれまでの所領を召し上げを言い渡すはずではないか、と思うのです。
 なのに国替えとそれまでの所領没収の話をしても尚、明智光秀と明智軍をほぼ無防備な信長自身の近辺に短期間ではあるのですが、置いています。
 これはやはり「明智軍記」の記載における矛盾点ではないでしょうか。
 更に仮に万が一でも「明智軍記」通りだったとしても、以前の記事で書いた通りで当時の状況では毛利氏が殲滅されるのは明らかなはずであり、更に出雲・石見は石見銀山(朝廷が信長による実質乗っ取りに応じなければ信長はあまり銀による利益を朝廷へ献上するつもりが無かったと思っています、これが意味する事とはつまり公家衆らのリストラではないでしょうか)や水運、水産物、中国、朝鮮半島へのルートに位置するなどの「石高以外の利権(飢饉などに左右されない利点も大きい)」が非常に大きかった点で、光秀にとって悪い話ではなかったと考えています。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。