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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 明智光秀らしくない無謀な襲撃が起きたのは何故か

2018-12-02 20:53:44 | 明智光秀
 本能寺の変が桶狭間の戦いと似た点が有る事は以前に記事にしましたが、一方で全く異なる点も有ります。
 桶狭間の戦いでは今川義元だけでなく多くの指揮官クラス、そして一般兵もかなり落命、負傷したのですが、本能寺の変では落命したのが織田信長、信忠らと、指揮官クラスら少数であり、兵も極僅かに過ぎません。
 残った織田家の信孝や信雄、戦闘のノウハウを知りつくしている重臣や指揮官クラス、そして一般兵らも殆んど残っているわけで、本能寺の変で襲撃など起こしても結局最終的に明智方は勝てないのではないか、となるのですが、では何故こうした襲撃事件が発生したのか?を考えて見たいと思います。
 実際に本能寺で信長を襲撃したのが斉藤利三を主力とする部隊ですが、これは理解できます。
 以前に記事にした通り、信長は斉藤利三に切腹命令を下していたようです。
 似た例では徳川家康の祖父である松平清康が家臣の阿部正豊に切りつけられて落命した事件が「森山崩れ(守山崩れと書かれる事も有る)」ですが、家臣は主君が自分を処刑するのではないか?と過敏になって追い詰められる心理になったケースは当時少なくなかったと思われます。
 信長から切腹命令を以前に受けた事が有る斉藤利三が「森山崩れ」と同様な事をするのは考えられる事なのではないでしょうか。
 実際に信長が直接的に処刑とかをするので無くても、例えば毛利攻めなどに動員させ、危険度の高い戦闘に放り込む、言わば「捨て駒」に使う可能性も主君を恐れる家臣は考える事だってわけです。
 また荒木村重が1578年に信長に謀反を起こした件もこのパターンに近いかも知れません。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%87%8D

荒木村重
(中略)
謀反
詳細は「有岡城の戦い」を参照
天正6年(1578年)10月、三木合戦で羽柴秀吉軍に加わっていた村重は有岡城(伊丹城)にて突如、信長に対して反旗を翻した(理由は後述)。一度は糾問の使者(明智光秀、松井友閑、万見重元)に説得され翻意し、釈明のため安土城に向かったが、途中で寄った茨木城で家臣の中川清秀から「信長は部下に一度疑いを持てばいつか必ず滅ぼそうとする」との進言を受け伊丹に戻った。秀吉は村重と旧知の仲でもある小寺孝隆(官兵衛、のちの黒田孝高)を使者として有岡城に派遣し翻意を促したが、村重は孝高を拘束し土牢に監禁した。

引用終了

 多くの家臣らは信長の性格を大体わかっていたのではないでしょうか。
 ああ、そしてまたあの中川清秀が出て来ました。
 この人、荒木村重に言ったのと同じ事を斉藤利三に言ったのではないでしょうか。
 天正8年(1580年)に秀吉と交わした内誓紙が残っている中川清秀が秀吉の指図で斉藤利三を煽った、そんな構図が浮かび上がります。
 
 それでは伊勢貞興が部隊の主力となり織田信忠を二条新殿で襲撃したのは何故なのでしょう。
 これも以前に記事にした通りで当時は鞆にいて毛利氏に保護されていた征夷大将軍、足利義昭が密使などを使って直接、間接で伊勢貞興ら旧室町幕府奉公衆らに働きかけていたと見ています。
 ただこれだけでは残る織田勢全体を伊勢貞興や斉藤利三ら、そして巻き込まれた明智光秀が殲滅できるはずはないわけで、やがて織田信雄、織田信孝らの跡継ぎ、そして殆んど温存されていた重臣や指揮官クラスや兵がやがて反撃に転じるて明智方が不利となる事は目に見えているのです。
 そうであるならば斉藤利三のように切腹命令を受けた事が有るわけでもない伊勢貞興までが言わば自殺行為のような事を何故したのでしょうか。
 この点が暫く疑問だったのですが、様々な事象を想定すると辻褄が合うようなロジックが構成されて来ます。
 それは征夷大将軍、足利義昭が「毛利氏と協力して上洛する目途が立った」、と思い込んでそれを伊勢貞興らい伝えていたた可能性です。
 足利義昭が上洛できれば明智光秀も「足利義昭を追放した信長を討った」と言う大義名分を得られるわけで、これならば細川藤孝、忠興親子、そして筒井順慶らも明智方に与した可能性は高かったと考えられます。
 そして毛利氏は秀吉が京都へ戻れないように秀吉方との戦闘を長引かせれば、上杉氏、北条氏、高野衆、伊賀衆、雑賀衆の一部なども明智方になびいて国内は騒乱状態になっていたかも知れません。
 毛利氏はそうした偽情報を足利義昭に信じ込ませ、足利義昭は秀吉と毛利氏の共謀関係を知らずに「征夷大将軍として上落できる手はずは出来てるから」と伊勢貞興らに襲撃命令を下していた事は十分想定できます。
 ただ既に毛利氏と秀吉の言わば共謀グループは足利義昭を実際には上洛させないようにして明智光秀のハシゴを外した状態にした上で、こうしたプロセスの殆んど全てを把握していた秀吉は「中国おお返し」をして山崎の戦いで大勝出来た、と言う事だと(個人的な見方に過ぎませんが)考えています。
 
 
 

仕組みとアプローチ -  去年から発生したM7.0以上の地震について考える

2018-12-02 09:20:33 | 地震 津波
 前回はアラスカで発生したM7の地震について記事にしましたが、これに関連して去年と今年の現時点までに発生したM7.0以上の地震が世界でどうだったのか?についてEMSCで調べてみました。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2018-11-30 17:29:26.2 61.33 N 149.94 W 31 7.0 SOUTHERN ALASKA
2018-10-10 20:48:19.3 5.63 S 151.20 E 30 7.0 NEW BRITAIN REGION, P.N.G.
2018-09-28 10:02:43.6 0.20 S 119.88 E 10 7.5 MINAHASA, SULAWESI, INDONESIA
2018-09-06 15:49:15.6 18.46 S 179.35 E 627 7.8 FIJI
2018-08-29 03:51:56.2 21.97 S 170.17 E 20 7.1 SOUTHEAST OF LOYALTY ISLANDS
2018-08-24 09:04:08.9 11.09 S 70.86 W 651 7.1 PERU-BRAZIL BORDER REGION
2018-08-21 21:31:43.8 10.78 N 63.02 W 127 7.3 OFFSHORE SUCRE, VENEZUELA
2018-08-19 00:19:37.3 18.13 S 178.14 W 558 8.2 FIJI REGION
2018-03-29 21:25:38.1 5.49 S 151.46 E 51 7.0 NEW BRITAIN REGION, P.N.G.
2018-02-25 17:44:44.2 6.08 S 142.79 E 30 7.5 NEW GUINEA, PAPUA NEW GUINEA
2018-02-16 23:39:40.1 16.59 N 97.73 W 15 7.2 OAXACA, MEXICO
2018-01-23 09:31:44.1 56.03 N 149.03 W 30 7.9 GULF OF ALASKA
2018-01-14 09:18:45.8 15.74 S 74.65 W 40 7.1 NEAR COAST OF SOUTHERN PERU
2018-01-10 02:51:32.3 17.40 N 83.59 W 15 7.6 NORTH OF HONDURAS
2017-11-19 22:43:30.0 21.30 S 168.74 E 12 7.0 LOYALTY ISLANDS
2017-11-12 18:18:17.3 34.79 N 45.85 E 24 7.3 IRAN-IRAQ BORDER REGION
2017-09-19 18:14:38.5 18.59 N 98.47 W 50 7.1 PUEBLA, MEXICO
2017-09-08 04:49:21.2 15.02 N 93.81 W 72 8.1 OFFSHORE CHIAPAS, MEXICO
2017-07-17 23:34:16.4 54.55 N 168.84 E 30 7.7 KOMANDORSKIYE OSTROVA REGION
2017-01-22 04:30:23.8 6.20 S 155.10 E 150 7.9 BOUGAINVILLE REGION, P.N.G.
2017-01-10 06:13:47.9 4.48 N 122.59 E 630 7.3 CELEBES SEA
2017-01-03 21:52:31.3 19.33 S 175.85 E 10 7.0 SOUTH OF FIJI ISLANDS

引用終了

 すぐにわかる事ですが、今年は去年に比べてM7.0以上の地震件数が多かったようです。
 そして今年の特徴は中緯度と高緯度(緯度が30度から90度)の地震は何と南半球では発生しておらず、北半球のみ、しかもアラスカでだけでした。
 これはかなり特徴的な事だと思います。
 そして以前から何度も記事にしている通りで、あのエリアについてはM7の地震が2016年4月の熊本地震を最後に既に2年7ヶ月以上も空白期が続いています。
 今年は未だ30日程度残っています。
 今後はどうなるでしょうか。

仕組みとアプローチ -  アラスカでM7の地震発生

2018-12-02 01:16:25 | 地震 津波
 既に報道されている通りアラスカでM7の地震が発生しました。
 このエリアについてM6地震がEMSCのデータではどうなっているのかは次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2018-11-30 17:29:26.2 61.33 N 149.94 W 31 7.0 SOUTHERN ALASKA
2016-01-24 10:30:30.1 59.66 N 153.45 W 128 7.1 SOUTHERN ALASKA
2015-07-29 02:35:57.9 60.01 N 153.37 W 117 6.3 SOUTHERN ALASKA
2014-09-25 17:51:17.1 61.97 N 151.79 W 102 6.2 SOUTHERN ALASKA

引用終了

 EMSCのデータは2004年の途中からですが、このあたりの地震がやや目立ち始めたのは2014年からです。
 そして今回の地震が過去3回のものと異なるのは震源の深さが浅いと言う点です。
 定かでは有りませんが、これはつまり地震の性質が異なっている可能性も想定できます。
 最近発生した北米の地震ではカナダ、バンクーバーエリアでの地震が有ります。
 このエリアで発生したM6以上の地震はEMSCのデータでは次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2018-10-22 06:22:47.9 49.28 N 129.78 W 10 6.5 VANCOUVER ISLAND, CANADA REGION
2018-10-22 06:16:28.7 49.29 N 129.29 W 10 6.8 VANCOUVER ISLAND, CANADA REGION
2018-10-22 05:39:40.1 49.13 N 129.57 W 10 6.6 VANCOUVER ISLAND, CANADA REGION
2014-04-24 03:10:12.0 49.78 N 127.49 W 10 6.5 VANCOUVER ISLAND, CANADA REGION
2012-11-08 02:01:50.0 49.23 N 128.46 W 10 6.2 VANCOUVER ISLAND, CANADA REGION
2011-09-09 19:41:34.0 49.52 N 126.85 W 20 6.4 VANCOUVER ISLAND, CANADA REGION

引用終了

 2011年3月の東日本大震災の半年後あたりから目立つ地震が発生し始め、2014年4月発生後、暫く無かったのがそれを埋めるが如く今年は10月22日に目立つ地震が多発したのでした。
 2014年と2018年は上記の両エリアで目立つ地震が有った年となります。
 北米の地震については少なくとも今世紀に入ってからは環太平洋の中では相対的に穏やかだった方なのでこの状態が永久に続くとは思えず、いつかはかなりの地震か大噴火が発生するとは思いますが、それがいつになるのか?と言うのは判りません。