豊臣方の大坂城では当初、真田幸村を総大将にしようと大野治長らが考えていたようだとする有力説が有り、書物に記されている事がどこまで正確なのかはともかくとして、筆者もその可能性は十分に有ったとは思っています。
その理由は二つ有ります。
一つは大坂の陣での戦いで豊臣秀頼が総大将でない事によって、関ヶ原の戦いの時と同様、徳川方、真田方の何れが負けてもそれは豊臣家臣の内紛と処理され、豊臣氏は処刑、流罪、或いは改易を免れる可能性があるからです。
もう一つは豊臣秀吉時代に伴天連追放令を発た豊臣氏が表に出ない事で、イエズス会等カトリック勢力経由でスペイン、ポルトガルの支援を受けられる量が増えるかも知れないからです。
結局、真田幸村は総大将にはならずに秀頼がなったようですが、豊臣方もなぜあっさりと総大将を引き受けたのかについては少し謎めいた感じもします。
そして仮に幸村、或いは明石全登、後藤又兵衛、真田幸村、長宗我部盛親、毛利勝永ら五人衆の内の一人、特に以前からキリシタンであった明石全登あたりを総大将にしてスペイン勢の支援を強化しようと、どうしてしなかったのだろう?と思うのですが、これはつまり既にスペイン勢からの支援は既に期待できない状況を意味していたのではないか、とも考えられます。
更に仮に明石全登を総大将にしたとしても、1614年11月の冬の陣で、徳川方が長い射程距離の高性能な大砲を使っている事がわかり、豊臣方があわててフィリピンあたりのスペイン勢に同レベルの大砲を手配しても、夏の陣の1615年5月には既に間に合わなかったのかも知れません。
大坂城が落城した直後の6月には江戸で大地震が、1606年には伊達領で大地震が起きたようです。
1615年から1616年の災害はこんな状況のようでした。
引用開始(一部抜粋)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen03.htm
1615(元和 1)年
1月16日 京で地震。(孝亮記 2)
1月17日 京で地震。(続史愚抄53)
1月30日 京で地震。(続史愚抄53)
2月24日 京で地震。(続史愚抄53)
3月 4日 京で地震。(孝亮記 2)
3月25日 京で地震。(孝亮記 2)
6月 1日 江戸で大地震。家屋多く倒壊。(玉露叢 5)(続史愚抄53)
7月14日 京で地震。(孝亮記 2)
7月27日 台風による被害のため、佐渡の年貢を3年間半減する。
11月25日 大地震。(日本災異誌)
翌年にかけて諸国大飢饉。(津軽信枚公御代日記)(続史愚抄53)
(歴史地理4-3)(凶荒史考)(青森県史 1)
1616(元和 2)年
1月18日 江戸で地震。(孝亮記 2)
7月28日 仙台で大地震。城壁楼櫓悉く倒壊。(台徳院御実記43)
9月16日 江戸で地震。(孝亮記 2)
10月10日 京で地震。(続史愚抄53)
引用終了
大坂の陣が後一年長引いていたら或いはもう一波乱あったかどうか、と言う事まではわかりませんが、用心深い家康や徳川方の参謀達が先手先手で対策したからこそ、それなりの結果になったと言う部分は有ったのかも知れません。
その理由は二つ有ります。
一つは大坂の陣での戦いで豊臣秀頼が総大将でない事によって、関ヶ原の戦いの時と同様、徳川方、真田方の何れが負けてもそれは豊臣家臣の内紛と処理され、豊臣氏は処刑、流罪、或いは改易を免れる可能性があるからです。
もう一つは豊臣秀吉時代に伴天連追放令を発た豊臣氏が表に出ない事で、イエズス会等カトリック勢力経由でスペイン、ポルトガルの支援を受けられる量が増えるかも知れないからです。
結局、真田幸村は総大将にはならずに秀頼がなったようですが、豊臣方もなぜあっさりと総大将を引き受けたのかについては少し謎めいた感じもします。
そして仮に幸村、或いは明石全登、後藤又兵衛、真田幸村、長宗我部盛親、毛利勝永ら五人衆の内の一人、特に以前からキリシタンであった明石全登あたりを総大将にしてスペイン勢の支援を強化しようと、どうしてしなかったのだろう?と思うのですが、これはつまり既にスペイン勢からの支援は既に期待できない状況を意味していたのではないか、とも考えられます。
更に仮に明石全登を総大将にしたとしても、1614年11月の冬の陣で、徳川方が長い射程距離の高性能な大砲を使っている事がわかり、豊臣方があわててフィリピンあたりのスペイン勢に同レベルの大砲を手配しても、夏の陣の1615年5月には既に間に合わなかったのかも知れません。
大坂城が落城した直後の6月には江戸で大地震が、1606年には伊達領で大地震が起きたようです。
1615年から1616年の災害はこんな状況のようでした。
引用開始(一部抜粋)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen03.htm
1615(元和 1)年
1月16日 京で地震。(孝亮記 2)
1月17日 京で地震。(続史愚抄53)
1月30日 京で地震。(続史愚抄53)
2月24日 京で地震。(続史愚抄53)
3月 4日 京で地震。(孝亮記 2)
3月25日 京で地震。(孝亮記 2)
6月 1日 江戸で大地震。家屋多く倒壊。(玉露叢 5)(続史愚抄53)
7月14日 京で地震。(孝亮記 2)
7月27日 台風による被害のため、佐渡の年貢を3年間半減する。
11月25日 大地震。(日本災異誌)
翌年にかけて諸国大飢饉。(津軽信枚公御代日記)(続史愚抄53)
(歴史地理4-3)(凶荒史考)(青森県史 1)
1616(元和 2)年
1月18日 江戸で地震。(孝亮記 2)
7月28日 仙台で大地震。城壁楼櫓悉く倒壊。(台徳院御実記43)
9月16日 江戸で地震。(孝亮記 2)
10月10日 京で地震。(続史愚抄53)
引用終了
大坂の陣が後一年長引いていたら或いはもう一波乱あったかどうか、と言う事まではわかりませんが、用心深い家康や徳川方の参謀達が先手先手で対策したからこそ、それなりの結果になったと言う部分は有ったのかも知れません。