平成18年8月15日,朝。
天気晴朗なれども、靄が掛かっていて、湿気が多くて蒸す陽気。
これからの天候,陽気を推して知ると、なんだか先が思いやられますが...。
出発の地は、3年続けて2日前から滞在している栃木南部に在る慈覚大師出生の町。
“関東の高野山”と称される山寺の麓にある駅から直江津へ,まずは高崎から上越新幹線に乗換えるべく、ローカル線に揺られて向いました。
ちなみにこの“山”,良質の石が採れる事で有名なのですが、そこが、(特撮)ドラマの格好なロケーションとかで、数多の戦いが繰り広げられているようです。
乗り込んだのは、前2年と同じ時間帯の電車。

関東平野の北端を、鈍行電車に揺られて高崎まで,1時間ほど掛けて向かいました。
途中駅の国定駅は、幕末の任侠として有名な国定忠治こと長岡忠次郎の故郷。

墓もここにあるそうですが、そこまではかなりの距離があるようです。

ただ、途中の新前橋にて同駅止まりの車両を切離すのに5分停車する間に、渋川から高崎に向かう上越線普通電車が隣ホームから先発するので、それに乗換えて向かいました。
高崎は、関東より直江津(上越)へ向うルートの分岐点。
一つは、長野経由の信越線ルート。
もう一つは、越後湯沢(もしくは長岡)経由の上越線ルートで、とことん安く上げるならば、下段。
全てJRで繋がっているので、基本運賃のみで行け,“青春18きっぷ”も勿論使えるので、一度ならず考えたのですが...水上と越後湯沢の間は一日に6本程度しか走っていないので、乗継を読み誤るとちと大変なことになってしまいます。
一方の信越ルートだと、小諸,上田,長野(松代・善光寺平)など、途中下車したくなる街が多く、長野から先,直江津までも、鈍行のみで1時間半も掛かりますが、1時間に1本程度はあるので比較的安心できます。
ゆえに、このルートも考えました...
ただ、惜しむらくは長野新幹線の為に横川と軽井沢との間が廃止されてしまったこと。
以前は、このルートで直江津まで特急電車が走っていましたが...。
今回もまた一番無難に,時間と費用が然程に掛からない越後湯沢で北越急行鉄道(ほくほく線)に乗って上越(直江津)へと向かいました。
高崎より,接続10分の上越新幹線[Maxとき311号](新潟行き/後8両は越後湯沢止まり)に乗って2つ先,越後の玄関口である越後湯沢へ向いました。
栃木を発ってほぼ2時間。
上越への近道口たるここ,越後湯沢に着いたのは10時半の少し前。
ここから先は、北越急行(ほくほく線)を利用するのが、一番早くて勝手が良いのですが、普通(快速)で行くか特急[はくたか]を利用するかで迷ったので、調べてみると...
昨夏までは特急「はくたか6号」が越後湯沢を10時31分に出発していたので、乗継もよかったのですが、その後にダイヤ改正をしたのか,この列車が無くなっていて、20分も後の発車となっていました。
なのでその前,10時34分発の普通(上越線内六日町まで通過)にて行く事としました。
但し、これは2両編成の全席自由車なので、座席確保の為に新幹線の扉が開いた瞬間,ダッシュダッシュで階下のほくほく線ホームへと向いました。
これが功を奏したか、ホームには一番乗りを果し、座席確保も確実!かと思いきや、その先には、信じられない光景が。
ななななんと!既に座席は女子高生に占拠されており、車内も満員状態,乗るのも一苦労するほどでした。
そんな中でもまだ,運転席の直ぐ後ろ(出入口扉付近)が何人にも占拠されていなかったのでいち早く,災い転じて福と為す...か、垂涎のポジションを確保することが出来ました。
ちなみに、一車両全席を陣取っていた女子高生は、地元千葉の女子高の生徒でした。
首都圏のラッシュ時並に混雑する電車は定刻通り,10時36分に越後湯沢駅を発車していざ!直江津駅とへ向かい始めました。
ちなみに...
乗車した電車は、長いトンネルでも楽しめるイベント車両で、それに差し掛かると車内の電気が消え、音楽に合わせて星空の映像が投影され、とってもきれいで面白いです。


また、先頭にいたのでトンネル内で特急列車の待合わせを迫力満点に見ることが出来ました。
なお、この日の外は茹だるような暑さでしたが、トンネル内はひんやりとしているようで、特急[はくたか]が高速で通過し後には、霧が猛然と舞い立ち込めていました。

<<<<< いざ!未ノ太刀ヘ||いざ!二ノ太刀へ >>>>>
天気晴朗なれども、靄が掛かっていて、湿気が多くて蒸す陽気。
これからの天候,陽気を推して知ると、なんだか先が思いやられますが...。
出発の地は、3年続けて2日前から滞在している栃木南部に在る慈覚大師出生の町。
“関東の高野山”と称される山寺の麓にある駅から直江津へ,まずは高崎から上越新幹線に乗換えるべく、ローカル線に揺られて向いました。
ちなみにこの“山”,良質の石が採れる事で有名なのですが、そこが、(特撮)ドラマの格好なロケーションとかで、数多の戦いが繰り広げられているようです。
乗り込んだのは、前2年と同じ時間帯の電車。

関東平野の北端を、鈍行電車に揺られて高崎まで,1時間ほど掛けて向かいました。
途中駅の国定駅は、幕末の任侠として有名な国定忠治こと長岡忠次郎の故郷。

墓もここにあるそうですが、そこまではかなりの距離があるようです。

ただ、途中の新前橋にて同駅止まりの車両を切離すのに5分停車する間に、渋川から高崎に向かう上越線普通電車が隣ホームから先発するので、それに乗換えて向かいました。
高崎は、関東より直江津(上越)へ向うルートの分岐点。
一つは、長野経由の信越線ルート。
もう一つは、越後湯沢(もしくは長岡)経由の上越線ルートで、とことん安く上げるならば、下段。
全てJRで繋がっているので、基本運賃のみで行け,“青春18きっぷ”も勿論使えるので、一度ならず考えたのですが...水上と越後湯沢の間は一日に6本程度しか走っていないので、乗継を読み誤るとちと大変なことになってしまいます。
一方の信越ルートだと、小諸,上田,長野(松代・善光寺平)など、途中下車したくなる街が多く、長野から先,直江津までも、鈍行のみで1時間半も掛かりますが、1時間に1本程度はあるので比較的安心できます。
ゆえに、このルートも考えました...
ただ、惜しむらくは長野新幹線の為に横川と軽井沢との間が廃止されてしまったこと。
以前は、このルートで直江津まで特急電車が走っていましたが...。
今回もまた一番無難に,時間と費用が然程に掛からない越後湯沢で北越急行鉄道(ほくほく線)に乗って上越(直江津)へと向かいました。
高崎より,接続10分の上越新幹線[Maxとき311号](新潟行き/後8両は越後湯沢止まり)に乗って2つ先,越後の玄関口である越後湯沢へ向いました。
栃木を発ってほぼ2時間。
上越への近道口たるここ,越後湯沢に着いたのは10時半の少し前。
ここから先は、北越急行(ほくほく線)を利用するのが、一番早くて勝手が良いのですが、普通(快速)で行くか特急[はくたか]を利用するかで迷ったので、調べてみると...
昨夏までは特急「はくたか6号」が越後湯沢を10時31分に出発していたので、乗継もよかったのですが、その後にダイヤ改正をしたのか,この列車が無くなっていて、20分も後の発車となっていました。
なのでその前,10時34分発の普通(上越線内六日町まで通過)にて行く事としました。
但し、これは2両編成の全席自由車なので、座席確保の為に新幹線の扉が開いた瞬間,ダッシュダッシュで階下のほくほく線ホームへと向いました。
これが功を奏したか、ホームには一番乗りを果し、座席確保も確実!かと思いきや、その先には、信じられない光景が。
ななななんと!既に座席は女子高生に占拠されており、車内も満員状態,乗るのも一苦労するほどでした。
そんな中でもまだ,運転席の直ぐ後ろ(出入口扉付近)が何人にも占拠されていなかったのでいち早く,災い転じて福と為す...か、垂涎のポジションを確保することが出来ました。
ちなみに、一車両全席を陣取っていた女子高生は、地元千葉の女子高の生徒でした。
首都圏のラッシュ時並に混雑する電車は定刻通り,10時36分に越後湯沢駅を発車していざ!直江津駅とへ向かい始めました。
ちなみに...
乗車した電車は、長いトンネルでも楽しめるイベント車両で、それに差し掛かると車内の電気が消え、音楽に合わせて星空の映像が投影され、とってもきれいで面白いです。


また、先頭にいたのでトンネル内で特急列車の待合わせを迫力満点に見ることが出来ました。
なお、この日の外は茹だるような暑さでしたが、トンネル内はひんやりとしているようで、特急[はくたか]が高速で通過し後には、霧が猛然と舞い立ち込めていました。
